私自身の奇跡的治癒体験 | おのころ心平オフィシャルブログ「ココロとカラダの交差点」Powered by Ameba

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病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探ります。

【病気は才能シリーズ】 11



私自身の奇跡的治癒体験



来る日も来る日もサッカー三昧。

早朝6:00からと放課後の練習、土日も他流試合…。

大阪で優勝を争うくらいの強いチームにいたので、生活の中心がほとんどサッカーでした。


ところが、小学校5年の春のことです。

そんなサッカー三昧だった生活が一変する出来事が起こりました。

風邪をこじらせたように微熱が続き、嘔吐や下痢もあるので、

母親が私を総合病院に連れて行きました。

そして、そこで受けた診断名は、なんと「急性肝炎」。

健康診断でGOTやGPTといった肝機能を表す数字を知っておられる方も多いと思いますが

(通常数値は20~40)、これが1000を越えていたと母親の日記にありますから、

尋常な状態ではありません。劇症肝炎の一歩手前です。


緊急入院、面会謝絶…。


それからは、個室病棟が生活空間。サッカーどころか、

チームの仲間や学校のクラスメートにも会えません。

会えるのは担当のお医者さんと看護師さん、母親と父親だけ。


私の世界はまさに一変してしまいました。

肝臓病は当時、横になっているのが唯一のクスリでした。

栄養も点滴。カラダを起こすと肝臓に重力による圧迫がかかるので

トイレにも起き上がれません。


小学生ながらがっしりと鍛えていた自慢のカラダも、どんどんやせ細っていきます。

子どもの私にも、自分のカラダが見舞われている状況が本当に危機的な状態だということが

はっきりわかりました。

もっと心配だったのは、両親だったでしょう。

日に日に衰弱していく私を何とか励まそうと、両親は一計を案じました。


私がサッカー少年だったこともあり、当時、サッカーの有名社会人チームの

監督兼選手をされていたK選手に手紙を書いてくれたのです。

その頃は、まだJリーグはありませんでしたが、K選手といえばメキシコ・オリンピックで

日本を銅メダルに導いた伝説の得点王だった選手です。

私たちサッカー少年にとってはまさに憧れのプレーヤーでした。

超多忙のK選手からのお返事は、なんと2日後に届きました。

「ガンバレ!心平くん!」。

それは、K選手のサインと私への励ましの言葉が入った特製の色紙でした。


さらに裏面には、(今から思うとこれが私の命を救ってくれた)

メッセージをつづって下さっていたのです。

「13年前、私も君と同じ病気にかかりました。

この病気は必ず治るから、早くよくなって、再びグランドに立ってください」

「!!!!!」

その時の気持ちを表す言葉が、今も見つかりません。でも、


「あのK選手が自分と同じ病気を克服している!」


という事実は、私にとって計り知れない衝撃だったと思います。

―――ああ、この病気は治るんだ!

今でこそよくわかりますが、その時の私には“明確な治癒のイメージ”が出来たのだ

と思います。


それから、本当にびっくりするような回復が私に訪れました。

2ヶ月を待たずに退院し、その年のうちには本当にグランドに立てるようになりました。

6年生になってレギュラーポジションを取り返した大阪の大会では優勝することができた

というおまけつきです。

ココロの隅で「このまま死んでしまうかもしれない」と思っていた当時の私に、

この色紙のメッセージは、「この病気は治ってもよい!」という許可を与えてくれたのです。


明確な方向性とイメージをもたらしてくれたK選手の色紙。

今でも自分の部屋に大切に飾っています。



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