1511:これは誰?佐田啓二? | 温故痴人のブログ

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こんな写真も出てきました。

注釈がついていません。
ただ「佐」の字だけが読み取れます。

時期的「佐田啓二」のブロマイドなのでしょうか?

彼を一躍有名にしたのは、
名前を聞く寸前に空襲警報等と
「すれ違い」のイライラする映画の『君の名は』です。

当時、
こんなイライラ放送が受けたのですね。

しかし、
この写真は
子供の「中井貴一」に似ているとも似ていないとも言えます。

佐田啓二の写真を
ネットで検索してもこの写真は
見つかりませんでした。

若し、彼ならば、
交通事故で37歳の若さで死亡しているので
それ以下の年齢なのですが
私には、この写真の人物の年齢が特定できません。

ただ、
今の私よりも若いことは確かです。ハハハ・・・。

2015.04.23 NO:1511

【参考引用】

佐田 啓二(さだ けいじ、本名・中井寛一、1926年12月9日 - 1964年8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。
俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴惠は実子。
1964年8月13日から夏休みを兼ねて妻と信州蓼科高原の別荘に避暑に訪れていたが、NHKドラマ『虹の設計』の撮影に参加する為に帰京する途中、8月17日午前6時30分頃、乗っていた車が前方車を追い越そうとした際に韮崎市韮崎町の塩川橋の欄干に衝突、さらに暴走して別の乗用車へも衝突する事故を起こした。
佐田はこの事故で頭の骨と右腕を骨折し、すぐに韮崎市立病院に運ばれたが午前11時過ぎ頃に死去した。37歳没。

「君の名は」
脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという。

「あらすじ」
第二次大戦、東京大空襲の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命辛々銀座・数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて二人はここでようやくお互いの無事を確認する。お互いに生きていたら半年後の11月24日、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず、1年半後の3度目にやっと会えた時には真知子はすでに明日嫁に行くという身であった。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。


出てきた「佐」の写真


佐田啓二の写真


息子中井貴一の写真(そっくりやんか)


君の名は