1時間ほどの瞑想で | 恩寵と共にある

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覚醒や目覚め、恩寵について分かち合う場としていきたいです。

 

 

私は瞑想に取り組み始めて、はや30年ほどになりますが、今年に入ってから今まで以上に瞑想に取り組みやすくなり、昨年までは仕事で疲れていると20~30分ほどでしたが、ここ最近はより長くできています。

 

 

昨日は小一時間ほど瞑想しましたが、瞑想ができないと1時間座っているのはなかなか大変ですが、近頃はかなり楽勝です。

 

 

私はアレルギー体質で、アトピー性皮膚炎の症状があり、子供や学生時代に比べるとかなり落ち着きましたが、まだ多少は症状が出て、体がかゆくなりやすいのです。

 

 

瞑想中もよく体が痒くなり、ついかゆいところを掻いてしまいます。

 

 

掻いてしまえば落ち着きますが、今回はかゆみが生じてもすぐに掻かずに経過を観察しようと思い立ち、痒みが生じてもそのままにしていました。

 

 

そうするとほとんどの痒みがしばらく経つと消えていき、瞑想中に生じる想念と同様、生じては滅していくということを繰り返しました。

 

 

一時間ほど瞑想して、最後の10分ほどで我慢しきれない痒みは掻いてしまいましたが、ほとんど体を掻くことはありませんでした。

 

 

そして痒みも一種類ではなく、観察が容易な痒みと、観察するのが難しい痒みが存在しました。

 

 

つい手を伸ばして掻いてしまいたくなる痒みと、そのまま観察ができる痒みとがあることがわかり、なかなか面白かったです。

 

 

そして痒みを観察しつづけていると、次第に深い領域に入っていきました。

 

 

色々と目覚めを妨げるものが内面に存在していますが、私の場合根本的にはプライドです。

 

 

それが長い瞑想をしていくことでよりハッキリと観察でき、実体が今まで以上に明らかになってきました。

 

 

そして今回明確になったのは、煩悩など見つめていれば落ちるとよく言われますが、浅い領域で観察していてもそれで落ちることはなく、深い次元で見つめることで弱まっていく、落ちていくということでした。

 

 

見つめていることで弱まる、落ちていく段階に至るまでは、ただ観察しているだけでは駄目で、その時には検証をしたり、何らかの手段を講じることも必要です。

 

 

逆に観察することで弱まっていく、落ちていく段階においては、余計なことは不要でかえって邪魔になります。

 

 

これについては個人差もあるかもしれませんが、自分にとってはこれが正しいプロセスで、これが明確になったことは大きいです。

 

 

短い瞑想を繰り返すのは、やらないよりはやった方がいいですし、初心者は無理に長くやるよりできる範囲で瞑想に取り組むのがいいですが、長くできるならばそれに越したことはありません。

 

 

今後はできるだけ1時間は、瞑想に取り組むことを決意を新たにしたのでありました。