書道家として、いい線を書きたい。人の心が動くような、一線を書きたいと思った時、一線を引くまでの生活が大事だなと思っていて、例えば精神的にボロボロで荒れた生活をしながら、いくらそこで気合入れても、心が伴わないといけないと思ってます。
自分はもともと雑なタイプの人間で、コーヒー飲んだままとかやりっぱなし。バアーンとドア閉めちゃうとか、いろんなことが雑になっちゃう。一つ一つ、それを一線書くように、丁寧にドアを閉めたらどうなるのかなとか、丁寧に人の話をきくとか、しゃべるとか、そういった日常のことが、あまりにも雑なのでそれに気づくようにしてます。
雑に線を引いている自分に気づく、それが面白いんですよ。「雑発見ゲーム」って面白い。丁寧に書こうととかではなくて、丁寧に書こうとさえも思えてない時がある。例えば、ドアをバアーンと閉めた時に、丁寧に閉めようなんて思わない、気づいてもいない。いろんなことを雑にこなしていっている自分がいるから、会話にしても、出かけるにしても、毎日のやっていることを、ただただ雑にこなしている、これに一個一個気づけたら凄いだろうなと思って、それが今、一番面白いですね。
びっくりしますよね自分の雑さに(笑)。例えばドアをバアーンって閉めて、だいぶん後で気づくんですよね。「アッ」っと思ってもう一回戻るんですよ。で、もう一回ゆっくり閉めた時の気持ち良さがあります。丁寧に閉めようっていうよりは、「雑だなー」って気づけたら面白いなと思っているけど、これが本当に気づけない。本当に気づきはじめると、もう反省しかなくて、人も、例えば自分の家族でさえも、友達とか、仕事仲間とか、全部雑にやってますよね、いろんなことを。雑に見てるし、雑に聞いてるし、雑に扱っているっていう、それに気づいてもないっていう、この恐ろしさみたいのが面白くて、自分の愚かさに気づくのが「発見ゲーム」です。
今、いい意味で反省をできるようになったのかもしれないです。
(武田双雲)
自分でも雑発見ゲームをやってみると、かなり雑に過ごしていることに気づきます。気づけた時は、丁寧に味わいながら行います。もし、千利休が現代にいたら、ペットボトルのお茶も3回回してボトルのカタチなども味わいながら丁寧に飲むのではないかと双雲さんは言われます。丁寧に味わいながら行うということは、丁寧に時間を過ごすということ。生きるということ。口先だけとならず、行動、実践が伴うようしていきます。