女道S

女道S

人生はセーラームーンと共に。

おっさんずラブの二期が始まってからしばらく見られずにいた。あんなに大好きで楽しかったのに、転職したてで苦しかった日々を救ってくれたのに、もしも今見てもあまり楽しめなかったらどうしようと不安だったのだ。

意を決して見てみると、まるでテレビ版同人誌のような、公式が最大手との言葉があれほどしっくりくることが今まであっただろうかと言うような、もしやこれは夢? 私の妄想? と思うようなものすごい大盤振る舞いの内容だった。まさにおたくの夢が現実になったのだと思った。

 

劇場版を5回見に行き、暇さえあればpixivで二次創作を漁りまくり、同人誌を買いまくっていたあの頃の状態で見ていたら間違いなく私は昇天していたと思う。それなのに……

残念ながらかつてのような熱量では楽しめなかった。むしろなんか観るのに気合が必要で、最終回終了後しばらくしてから一話を何度かに分けてようやくすべてを見終えたくらいだった。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
花の色は うつりにけりな いたづらに

切なくて、そうつぶやかずにはいられなかった。物語が悪いのではなく、すべては受け手の私の問題なのだ。私が変わってしまっただけなのだ。あんなに大好きだったのに。セーラームーン以来の大はまりだったのに。好きな気持ちが長続きしないのは加齢のせいなのだろうか。

 

水星の魔女もおっさんずラブ以上のセーラームーンに次ぐ大はまりで、去年の最終回後二か月ぐらいは廃人になっていたというのに、最近はpixivやTwitter(X)で情報を漁る頻度もだんだん下がってきた。あれからまだ1年も経っていないのに。

セーラームーンのころはネットもなくイベントも行けない状況だったので、本放送が終わって何年も過ぎても同人作家さんに返信用封筒を入れた封書を送ってペーパーもらっては小為替を送付するという手間さえ惜しいと思わなかったのに。

そういう自分を残念に思い、かつてのような熱情を失ったことのわびしさ、加齢の悲しさを友人にも嘆いたりしていた。こんなにも人生を楽しむことができないなら、この先病気や老後2000万問題などの不安を差し引きすると今死んだほうが楽なくらいだし、現世への執着もないという話もしていた。共感してくれる同世代の友人もいた。

しかしある時友人に「それってもしかして更年期じゃない? 前はそんなにネガティブじゃなかったよね?」といわれはっとした。

あれ? もしかして私、加齢=更年期障害で普通の状態じゃなくなっていた? 

 

職場ではいつも感情の制御ができているのに、生理前は別人のようにイライラすることが多かった。すべてが面倒だったり、生きることが無意味に思えてきたりもした。生理の前は通常の自分ではないと分かっているから、重要な決断は生理の前にはしないと決めている。

毎月の生理でこんなに精神状態が変わるのなら、更年期で精神状態が変になっていてもおかしくないのでは? ホルモンの乱れに惑わされていたのだったのでは? もしや今の私は本当の私ではなく、一時的におかしくなっているだけなのでは?

そう気づいてからもやが晴れた気がした。その後ずっと気分が良く、生きる気力が湧き出している。

ほんの数か月前、職場の健康診断で引っかかって精密検査を受けることになりに、もしも余命宣告されたりしたらもう働かなくていいし貯金全部使って好きなことできるからそれはそれでうれしいと思っていたのに、今はそうも思わない。やりたいこともたくさん浮かんできたし、まだ死ぬのは惜しい。

最近は新たな気づきがたくさんあったことも影響しているのかもしれない。子供のころからずっとあこがれていたけど、自分は生涯立ち入れないと思っていた場所に行って、目から鱗が落ちる体験をしたこともあった。この歳でこんな経験をできるなんてと衝撃だった。

ワインのおいしさに目覚めたのもついこの前で、これまでの人生で何百本と飲んできたのに、ただ惰性でがぶがぶと流し込んでいただけだったのだと気づいた。今はじっくりと味わいながら毎晩少しずつ飲んでいる。そういえば子供のころからずっと飲んでいたはずのコーヒーのおいしさに気づいたのも10年くらい前だった。

最近大好きなサウナは数年前まで水風呂に入れなくてその真価をわかっていなかったし、株取引はやり始めて4年も経っていないけど今一番の趣味だ。かつて仕事は苦痛でしかなかったが、今はやりがいを持って楽しくやっているし、職場の人たちとも仲良くできている。アルバイトの女子大生たちも可愛いし。

この歳からでも予想もしていなかったようなことに出会える可能性がまだまだ残されているんだ。若いころに楽しかったことを同じように楽しめないことばかりを気にしていたけれど、失ったかわりに得たものがあることに気づいていなかった。なんともったいない。これも更年期のせいかもしれない。

とりあえず、また気持ちが落ち込むことがあれば更年期のせいってことにして、命の母を飲んで乗り切ろう。

スーパー銭湯が好きでよく行くのだけど、受付時にカウンターでロッカーのカギをもらうタイプのやつが苦手だ。

 

私の風貌が男っぽいせいで、赤い鍵を渡されるか緑の鍵を渡されるかで毎回緊張する。体形がわかりにくい厚着の冬場は特に。今日も行ってきたけど、めずらしく一発で赤を渡されてほっとした。

緑を渡されたところで慣れているから「紛らわしくてすみません、女なので赤いほうをいただけますでしょうか」と言えばいいだけなのだけど、カウンターの人がすごく迷っているのが伝わってきたり、緑のカギを渡した際にひどく恐縮させてしまうのがいつも申し訳ない。私がわかりにくいせいだから気にしなくてよいのに。


しかし最近、よく行く銭湯で鍵を渡す際に「女性二名様でお間違えないでしょうか?」と聞いてくれるようになった。これはありがたい。

着衣時に性別がわかりにくい人は少なくはないだろうから、お店の人も大変だなと思う。動物園や水族館等でチケットを買う際「大人一枚」と言うように、いっそ受付時に「女一名」と自己申告するようにしてくれたらお互いに楽なのにな。

そんなに気にするくらいなら、もっと女と分かりやすい服装や髪形や身のこなしをすればいいのだろうけれど、そこはアイデンティティってやつでなかなか変えられないのよね……

歳を重ねたらいろいろと衰えてしまうってことは、知識として当然知っていた。やりたいことがあっても、気力体力的にできなくなってしまうのだろうと思っていた。だから加齢に備えてできるだけ気力体力を維持しておかねばと思っていた。

しかし違ったのだよね。加齢とともにやりたいことできなくなるんじゃなくって、やりたいこと自体がなくなっていくんだ。

若いころにあれほどとらわれていた自己顕示欲も承認欲求も、のたうち回るほど苦しめられた性欲や恋愛に対する執着も減り、物欲や所有欲もかなり減少した。

欲求がないのはとても楽だが、人生のモチベーションが低下するのはつまらない。

ただ、生きることはすごく楽になった。若いころは常に死の恐怖におびえていて、ちょっとでも体調が悪いと、なんか変な病気では? もしや手遅れでは? と思いつめすぎてパニックになり、より具合悪くなったりしたが、今はまぁ、それはそれで運命だから仕方ないな、と思えるようになった。大の苦手だった飛行機も最近は大丈夫になった。

だからと言って死にたいわけでもないし、毎日の食事も酒もうまいし、サウナや銭湯に行くのは大好きだし、友達と遊ぶのは楽しいし、アニメやドラマも面白いし、YouTubeという若いころにはなかった娯楽も堪能している。

なので別に困ったことはないし、心身ともにこの歳で最高潮くらいに調子よいし、穏やかに日々を過ごしている。ただ、なんかちょっと刺激がなくておもしろくないってだけで。

こうなると、仕事があってよかったと本当に思う。朝早くから夜遅くまで働いた後の酒や食事のうまさ、朝方目を覚まし、あ、今日は休みだったかと気づいて、目をつぶり布団に深く潜りなおすときの心地よさ、休みの日の夜、明日は仕事だから早く寝なくてはと思いながら名残惜しく布団の中で携帯を見る時間の貴重さ。

束縛があるから開放が楽しいのであって、常に解放されていたらそれが日常になってしまう。働いてなかった頃やコロナ自粛で長期休みの時は、目覚ましをかけないで好きなだけ寝るの普通で、それに価値を感じられなくなっていたし。

働くってすごいな。モチベーションに乏しい日常に唯一の刺激をくれる上に、お金をもらえてそれなりにゆとりある生活までできるんだから。しかも身体を動かすから健康にも良いし、なんか年金とか保険とか税金とかも自動的に払ってくれるし。自営業の期間が長かったからこそ、会社員ってすごく守られているんだなとつくづく思う。

 


若いころにイメージしていた加齢と、実際に体験する加齢はこんな風に違うのだな。まだまだ分からないことはたくさんあるのだろうな。こんなこと言いながら実際に命の危機を感じたら、半狂乱で抗うのかもしれない。

 

悟ったようなことを言いながら、長年付き合っている自分のこともまだよくわかっていないのだし。

今年の夏は暑かった。冷房のない北海道で、しかも網戸がないためまともに外気も取り入れられず、家にいる間はずっと扇風機の前から動けず、就寝時一晩中扇風機を回していても暑さと汗の気持ち悪さで何度も目覚めて、ひと月以上まともに熟睡できなかった。熱中症にもなりかけた。

しかしこの夏はいつにも増して元気で充実していた。水星の魔女にはまったおかげだ。まるで自分が恋をしているかのように楽しかった。心から夢中になれるもの、好きなものがあることのありがたさをかみしめていた。思い出すことすら切なくて苦しくて、二か月くらい本編を見返すこともできなかった。

苦しすぎて居ても立ってもいられず、たぎる思い抑えられず、真夏の夜の街を意味もなく数時間歩き回ったこともある。この夏の異様な暑さを凌駕するほど、私の水星の魔女熱は激しかった。

 

それも今では良い思い出。最近はかなり落ち着いて、通常の日常を過ごしている。

ようやく地に足がついたのに、渦中のころはこんなに苦しいなら早く落ち着いて普通の生活を送りたいと思っていたのに、なんだろうか、今のこのわびしさは。

水星の魔女はウテナ以来の大はまりのアニメだった。一度はまると長い私のことだから、これで数年は楽しい日々が続くと思っていた。しかし、明らかに落ち着きつつある。

もちろん今も水星専用Twitter(X)アカウントのタイムラインを追うのは楽しい日課ではあるが、一時ほどの夢中さではなく、手あたり次第だった同人誌の購入も落ち着いてきた。pixiv漁りも前ほどの頻度ではなくなった。

水星の魔女の物語は素晴らしく、登場人物もみな魅力的だった。まさに私が求めていたものだった。私の人生で最後の大はまりかもしれないと思った。

なのに、たった数か月でこんなに落ち着くなんて、どうしちゃったのだろう、私は。熱狂する気持ちが持続できないのは年齢的なものなのだろうか?

水星の魔女熱が少しずつ鎮火し始めたころに、おっさんずラブ不動産編の続編が出ることを知った。

おっさんずラブ不動産編は水星の魔女ほどではなかったが、ウテナ以来久しぶりのはまりだった。映画を五回も見に行ったほど夢中になり、転職して間もない私の苦しい日々を支えてくれ癒してくれた。

それなのに、あれから数年たった今、続編の話を聞くまで思い出すこともほぼなくなっていた。pixiv漁りも同人誌購入もずいぶん前にやめ、Twitterのおっさんずラブ専用アカウントを見ることもなく、株の情報収集アカウントに転用していた。

 

なんと薄情な人間になり下がったのだろうか、私は。春田と牧くんにあれほど救われたのに。

おっさんずラブ続編の話は素直にうれしいが、果たして前と同じ気持ちで楽しめるのか、のめりこめるのかとの不安も捨てきれなくて、ほんの少しもやもやした思いを持ちながら放映を待つ状態である。

 

まだギリギリ消さずに生き残っていたおっさんラブTwitterのタイムラインで、たくさんの人たちが大喜びしていていることを心からうらやましいと思った。そんな純粋で素直な気持ち、私はもう失ってしまったのかもしれぬ。

ちらっとだけ見たテレビ番組で脳科学者だかが、加齢と共に脳の中の好奇心とか新しいことに挑戦しようとか思う部分が減少してゆくなどと言っていて、なんとなく腑に落ちた。

歳を重ねると白髪が増え、肌はたるみ、全身の機能が低下することも避けられないように、大好きなものにすら昔と同じくらいの強い情熱を維持できないことも、老化現象の一部として受け入れなければならないのかもしれない。

そこまで考えて、あれ? でも逆にこの歳でこんなにも夢中になるものと出会えたのってすごいことじゃないか? と言うことは、もしかしたらこの先もまた何かにはまれる機会もあるのかもしれないし、まだまだ人生捨てたものじゃないのかも? とも思った。

飲食と老後資金のことにしか興味がなかった私を、ふた月ほど廃人に近い状態にし、こんなにたくさん同人誌を購入させるなんて、すごいじゃないか水星の魔女! 物語の力おそるべし!

逆に、若い時に食らっていたら心臓発作で死んでいたかもしれぬな。とりあえず、生きててよかった。

 

ありがとう、水星の魔女。一時よりは気持ちが落ち着いてきたとはいえ、もちろん今も大好きだし、この先も死ぬまで大好きであることには変わりはない。

 

余計な通り越し苦労ばかりせずに、おっさんずラブの続編も素直に楽しみにしておこう。

最終回を観た直後は楽しくうれしく幸せな気持ちが強かったのに、日が経つにつれて、なぜだかもやもやすることが増えてきて、楽しさよりも謎の苦しさに支配されたりとか、悶々とした気持ちで日々を過ごしていた。

素晴らしい最終回だったし、満足しているはずなのに、この感情の強い動きが良くわからなくて、そのよくわからなさに戸惑ったり。

これまでの人生でアニメや漫画にはまったことはあったけど、良い最終回を観た後でこんな感情になったことはなくて、本当に今でもなぜこんなことになっているのかよくわからない。

もしかしたらこれがロスってやつなのかな? でも、スターズのあともウテナのあともこんな感じじゃなかった気がするし。直近ではおっさんずラブ天空不動産編だけど、あれこそ幸せしかなかったし。なんで私こんなことになっているのだろう。

通勤中も仕事中も休みの日も朝から晩まで水星の魔女のことを考えている。普段よりは遅くまで携帯やパソコンを見ているのに、眠りも浅いのか朝もいつもよりも早く目覚める。職場での昼寝を日課にしているのに、気分が高揚して眠れないことも多い。

唯一の支えはTwitterやpixivで皆様の素晴らしいイラストや感想を拝見すること。しかし、それもずっと見ていればすぐに追いついてしまう。仕事の日はまだ良いが休みの日は朝から晩まで更新待ちで、強い感情を持て余して家にいることに耐えられなくなり、時間つぶしにパチンコに行ってお金を失って帰ってくる。

少し前まで老後資金をためることを最大の生きがいとしていたのに、今は水星の魔女に心を奪われているのでお金にあまり興味がなく、持ち株が乱高下してもパチンコで負けても少しも心が動かず。

 

「お金で買えないものがある。それは…… 愛……」などと思う始末。

これじゃあいかんと思っているのに、最終回以降の休みは朝からTwitterとpixiv漁りをして、一通り漁り終えたらパチンコに向かい、逃避なのでさほど楽しめてもいないのに結局お金を失う愚かな休日を過ごしていた。

 

今いる世界に現実感がなく、体はこの場所でちゃんと働いたりご飯食べたりしていても、心は常に水星の魔女の世界の中にあった。

私は水星から帰ってこれないまま、逃避的にパチンコでお金を失い続けて一生を終えるのだろうかと思っていたが、最終回から半月が過ぎ、少しずつ落ち着いてきた。少しずつ通常の自分に戻っている実感がある。寂しいかと思ったけどちょっとほっとしている。この調子なら結構バランスよく楽しめるようになれそうだから。

最終回直後以降、ほとんど本編を見返せずにいる。22話以降は何回か見たけど、それ以前の話は2回しか見ていない。なので、何度も繰り返し見て考察を深めてきた皆さんに比べると私などほぼ初見。最終回を観た後だとより一層に楽しめるに決まっているのに、切なすぎて苦しくなりそうで見られない。オープニングやエンディングの曲も聞けない。

でも、そろそろかな、そろそろ見返してもいいかな? って思いつつ、やっぱり今日も見られなかった。せっかく落ち着いてきたのに、また苦しくなったらどうしようと思うと怖くて。やっぱりまだ早いかな。もう、焼酎を一気にあおって、酔った勢いで見るしかないのかな。

この感情をみんなはどうやって処理しているのかな。絵を描ける人はきっとイラストや漫画を描きまくったりして発散しているのだろうな。有識者の方は考察を語ってくれたりしているのだろうな。

そんな皆様の二次創作のおかげで私は心救われ癒されている。二次の供給がなかったらと思うともはや息も絶え絶えだったかもしれぬ。

素晴らしいイラストや漫画や考察を発信することで多くの民を救い、徳を積んだ皆様の人生に幸多かれと祈るばかり、そして今後の供給もお待ちするばかり。
 

水星の魔女、最終回素晴らしかった! 仕事だったのでリアルタイム視聴はできず22時ころに録画を見た。その後Twitterで情報を漁って顔も名前も知らぬ全国の同志たちに共感し感動を新たにした。おかげで興奮してなかなか寝付けなかった。

なのに朝はアラームが鳴る前に起きて、ああ、本当に二人は結婚したんだ…… 良かった…… ありがとう…… おめでとう…… 

と目が覚めてすぐにまた感動を新たにしたり。

朝から仕事だったのに頭の中は最終回映像が流れ続け、本当に結婚したんだね、おめでとう! と何度も心の中で叫び、休憩室では背後を気にしならtwitterやpixivを漁り、帰ってからは食事もそこそこに録画を見直し、twitterやpixivを漁り、また録画を見てtwitterやpixivを漁り、あれから一日しか過ぎていないと思えないほどの濃厚な日々を過ごしていた。

しかし、あまりにも高ぶる感情を持て余してどうしてよいかわからないし、家にいても何も手につかないし、このままじゃ今日も寝られないかもしれんと思い1時間ほど散歩をしてきた。

なんかどうでもよいことばかりを書いているが、こんなことでも書いていないとなんとも気持ちが落ち着かないのよ。twitterの更新を見ている間だけは心が穏やかになる、新規投稿を全部見てしまうと気持ちの持って行き場を失い落ち着かなくそわそわしてしまう。

今はごく普通にtwitter見られているからまだよいけど、見られない同志の皆様は本当に気の毒。なんでこのタイミングでこんな厄介なことになったのだろうな。私もこんなtwitterに張り付いたの初めてだったから、1日の夜から2日の昼くらいまで見られなかったときは辛かった。

しかし、愛にあふれたすばらしい結末を迎えられて、幸せで楽しいだけのはずなのに、時に切なくて苦しくてのたうち回りそうになるこの感情は何なのだろうね。

こんな経験できてうれしいけどけっこう本気できつくて、ここまではまり込める作品に出会えた奇跡を喜ぶと同時に、こんなことたびたびあると心身がもたないとも思ってしまう。

そして、この熱い感情も時間とともにだんだんと薄れて行ってしまうことも知っている。今のこの気持ちは永遠ではない。これまで何度も経験してきている。そういうところも現実の恋愛と似ている。

年を重ねるとそんなことばかり考えてしまうのが嫌だが、こんな強い感情は薄れたとしても決して消えることがないし、心の奥に生涯深く刻まれ続けることも知っている。いまでもはるかさんとみちるさんが私の人生を照らし続ける神聖で崇高な存在であり続けるように。


日常生活に支障をきたしそうな状況だけど、せっかくのお祭りなのだから、しばらくはどっぷりつかって楽しむしかないね。

 

こういう時本当に肉体労働者でよかったと思う。それですら普段しないような些細なミスを何度か起こしているんだから、もしも頭脳労働者だったらえらいことになっていたわ。

水星の魔女、いよいよ明日最終回。もう今から落ち着かない。このところずっと落ち着かない。朝目が覚めるたびに最終回まであと〇日って思ってしまう。

アニメにはまって最終回がこんなに気になるのはウテナ以来だから二十数年ぶりだな。確かウテナの最終回の日はクリスマスで、帰宅し録画を見た後にノートにびっしりと激熱でポエミーな感想を書いた記憶がある。

 

あのころはネットなどなかったから、熱い思いを消化する術がほかになかったんだよね。友達でウテナを見ている人はいたけど、わざわざ電話して感想を語るのもどうかと思ったし。

それが今は家にいながらにしてTwitterでたくさんの同志の意見を聞けるし、pixivで素敵なイラストや漫画を見られるし、こうしてネットに自分の気持ちも書き出して発散することができる。本当に良い時代になった。

しかも、公式からの供給も次から次へと! 年々物欲が減少しているからよかったものの、昔だったら片っ端から買い漁っていたことだろう。しかも課金せずとも十分に楽しめる供給もたくさんあって本当にありがたい。


水星の魔女は放映開始からずっと楽しく見ていて久々のヒットとは思っていたが、はまっているって程ではなかった。それが22話に一気にやられてしまった。直後はひたすら楽しくて、まるで自分が恋をしている時みたいに浮かれていたのに、最終回が近づくにつれて不安と期待と怖さとがごっちゃになって平静ではいられなくなってきた。

仕事中も常に水星のことを考えているので最初のころは職場の人にくだらないことで話しかけられると邪魔すんな! 早く帰って誰にも邪魔されずに水星タイムを楽しみたい! と思ったりもしたけど、今は逆に家に一人でいると考えすぎてきつい。

休日は朝から晩までぶっ続けで録画を見返してpixivも漁って水星三昧! と思っていたのに、なんかはまりすぎるているのが怖くて逃避のためにパチンコに行ったり(打っている間も考え続けているので全然逃避できていない)、帰宅後も別のアニメやドラマの録画見て気をそらせたり。

ここまでなってしまうと仕事中だけが唯一水星から気持ちを離れさせざるを得ないので、仕事があって本当によかったと思う。しかも職場の小さなストレスも最終回の強大なストレスに比べるとあまりにもささやかでノーダメージ。さらに給料までもらえる。

そんなわけで、ただいま仕事がノーストレスな分、逆に大好きで楽しみなはずの水星が逆にストレスになるという厄介な事態に陥っている。

しかしそれも明日までだな。結果次第では水星の記憶をすべて脳内から消し去り、明日からはまた二週間前のように飲食を楽しみに老後資金のためにまじめに働く職人として生きてゆく。

もしもハッピーエンドだったら。明日からは最高に楽しい人生のご褒美のようなお花畑の日々が訪れるはず!

でも冷静に、大人の価値観で考えると、なんかこの後もイベントとかあるみたいだし、結果次第ではディスクやグッズの売れ行きにも影響するはずだから、商業的にも絶対にみんなが納得できて余韻を楽しめるような終わり方にしてくれるはず。

そうやって自分を鼓舞しつつ明日を待つ。仕事が終わってからだから見られるのは22時過ぎ。気になって仕方がないけれど、事故やミスのないよう気を付けて平常心で働く。

水星の魔女。ずっと楽しんで見ていたけど、ここに来て久々の大はまりっぽくなって来て、自分の心の動きに驚いている。

仕事中も脳内で映像を再生したり、考察したり、Twitterやpixivで見たイラストや漫画を思い起こしたり。こういう時、肉体労働の仕事で本当に良かったと思う。頭と心を切り離して働けるから。頭脳労働だったら絶対に作業効率に影響していると思う。

しかし、実のところストーリー全体をよくわかっていない。ガンダムシリーズは多少は見ていたがあまり詳しくはなく、SFの知識もなく、片仮名の名前や地名や用語を覚えるのも昔から苦手で、主要人物以外の見分けがつかないし、偉そうな人たちの会話やガンダムのシステム等に関する話も理解しているとは言えない。

私がアニメの録画を見るには夜で、常に結構な飲酒をした後なので記憶がおぼろげな場合もあり、人間ドラマとしては覚えていても、兵器や戦いに関する難しい言葉やおそらく脳が受け付けないし覚えられない。

そんなわけで、理解のできない設定等を再学習するために、今日になって一話から見返している。

 

一期はずいぶん前に見たきりなのでほとんど覚えていないので大変面白い上に、その後のことを知った今振り返るからこそますます面白い! 初めて見る人みたいにハラハラドキドキできて、なんかすごく得した気分になる。


おっさんずラブ以降、何かに激しく夢中になることもなくなり、こつこつとまじめに働いて健康と老後資金のことを最優先に考える穏やかな日々に十分満足していながら、心のどこかで何か物足りない、いつか大きな刺激を得られるような出来事があればいいのにとひそかに思っていもいた。でも、そんなこと、この私にはもうないのだろうなとも。

しかし今、予想外にこうして大好きなものができてしまったうれしさと同時に、心が乱れることを恐れる気持ちもある。それはやはり、おっさんずラブ in the skyのトラウマだと思う。

ああ…… おっさんずラブ in the sky……

ものすごく面白くて大好きだったのに、まるで自分が恋をしているかのようにうきうきして仕方がなかったのに、最終回で春田と成瀬くんがどんなふうに結ばれるかを何通りも考えてはひたすらに浮かれていたのに……

絶対に二人が結ばれると信じていたからこそ、あまりにも想定外の結末を迎えてしまい、最終回の日の夜は幸せで興奮しちゃって寝られないかもと思っていたのがショックで寝られず、まるで自分失恋したかのように落ち込み、その後しばらく引きずった。

おっさんずラブ不動産編では物語の恋愛は自分は傷つかずに楽しみだけを得られるからすばらしいと思っていたのが、in the skyでは逆に物語だからこそ自分の努力など一切通用せず、ひたすらダメージを受けるだけってこともあるという恐ろしさを知った。

しかも今回はガンダム。命さえ危うい。色恋だけじゃない重さに今からおののいている。はまりが深ければ深いほど、もしもハッピーエンドじゃなかったら、すべてを記憶から抹殺する努力をせざるを得なくなるかもしれない。

ならばこうやって盛り上がっていられるのもあと10日ほどかもと腹をくくって楽しむしかない。本編を何回も見返して、皆さんの考察やイラストや漫画なども楽しみながら、万全な状態で最終回を迎えたい。

 

すべてがうまくいくことを信じたいが、もう傷つきたくないからどうしても臆病になってしまう。どんな切ないラストが訪れても対処できるように心の準備はしておこう。

しかしもしも、もしもハッピーエンドが訪れたなら。おっさんずラブ不動産編の時のような、脳内お花畑をスキップで回り続けながら仕事をして、気が付けば勝手に給料が振り込まれているような、あの夢のような日々がまた訪れるのかもしれない。

期待しすぎるとダメージが大きいので、どこか腰が引けつつ、心の中で強く強く祈っている。

仕事で年に二回、一人で二週間ほどの出張に行くようになった。

 

ようやく一人前と認めてもらえたのはうれしいけど、二週間休みなしで見知らぬ土地で朝から晩までほぼ飲まず食わずで休憩もなしに働き続けるなかなかのハードさで、そのためか今回は途中から極度の体調不良に陥り、もしやこのまま殉職するのでは? と思いながらもなんとか一日一日を乗り越えた。

 

実は出張に行く前から、今の会社で女でその出張に行った人がいないので、上部から女で大丈夫なのかとの声が出てるのは知っていた。受け入れ先の担当者にも「本当に大丈夫なん? ちゃんとやれるん?」と露骨に言われた。

そんなことを言われると返って燃える性分なので、女命をかけて絶対に今までの担当者よりも結果を出してやると決死の覚悟で臨んだ。だから想定した以上の売り上げで終えられたことで、苦しかった日々のすべて報われた。なにより仕事自体は大好きで朝から晩まで嫌なことが一個もないので、肉体的には死ぬほどきつかったけど精神的のはノンストレスだったのも救われた。

現地には私のサポートをしてくれる女性が一人いて、70歳の彼女だけが過酷な労働を共に乗り越える唯一無二のバディだった。


集まった周りの人たちも同じような境遇の人ばかりで、過酷な労働に耐えるうちに戦友のような情が芽生えてくる。ちょっとした空き時間に言葉を交わすうちに仲良くなり、結構な年上の男性と二人で飲みに行ったりして、普段では絶対に味わえない非日常を味わった。

縁もゆかりもない土地で、ほぼ初対面の男性と飲みに行き、70歳の熟女バディとカラオケでムード歌謡をデュエットして盛り上がり……

自営業の道をあきらめ、夢や浪漫を捨てて、生活のために普通の会社員になったつもりが、自営業ですら滅多にできないようなおもしろい体験をできるなんて、人生はなかなかに捨てたものじゃないなと。

しかしこの歳でほぼ二週間朝から晩まで働き続けるのは本当に堪えた。

 

宿を出るのは6時ころなのでビジネスホテルの無料朝食も食べらず、働き始めると仕事に追われてその場でしゃがみこんで何かつまむくらいしかできず、まともに食事をとれるのは夕食だけなのでがつがつ食べて飲むけど、食べてから寝るまで2時間くらいしかないので胃もたれがひどく、出張の前半は緊張と不安からあまり眠れず、後半は体調不良で夜中に目が覚めると眠れず、朝は死にそうなくらいだるかったけど、それでも仕事が始まってしまえばテンションが上がって楽しめたのは不思議だった。


最終日、最後まで共に戦ってくれたバディ(70)に手を差し伸べ「ありがとうございました。おかげさまで13日間楽しく働けました」と握手をしたとき、達成感と解放感と名残惜しさとが不意に沸き上がって声が震え、泣きそうになった。

一介のサラリーマンが仕事の出張で、こんなにも魂が揺さぶられるような経験ができるとは!

翌日、空港で帰りの飛行機を待っている時の多幸感もすごかった。飛行機の待ち時間が3時間近くあったが、とにかく働かずに座っていられるだけで幸せだった。

 

もう戦いは終わった。しかも明日は休み。あさってからはまた職場に戻って普通に働いて、昼も座ってご飯を食べられて、時々は定時に帰れて、家では録画の番組を見て、自分で作った料理を食べて、月に7回くらいは休みをもらえて、自宅の布団で寝られるんだ。そう思うだけでうれしくて全身が打ち震えた。まるで戦場から帰還する兵士のようだった。

この話を周囲にすると、その会社大丈夫? 労働基準法違反だよね? そんなこと続けていたら死ぬよ? と言われる。私もそう思う。普段はない体調不良で何度か命の危機を感じたし、もう若くもないからこんなこと長くは続けられないと思う。

 

でも、あのスポーツの激戦を乗り越えたようなあの感動、あの強烈な達成感は癖になる。なかなかほかのことでは得られない。元来の社畜体質と体育会気質の両方が合致して、非常に私の性分に合うのだと思う。

過労と体調不良の後遺症で帰ってきてからもしばらくは具合が悪かったけど、それでもちょっと時間が経つと早くまた出張に行きたい、次こそはもっと要領よくやって、体力を温存しつつもっと売り上げを伸ばしてやる! と思えるのが不思議だ。

しかし、この会社にそんな出張があると知って望んで入社したわけじゃないのに、こんな稀有な経験ができたのは、私の運の良さなのか、それともブラック企業ばかりを引き当てる天性の資質なのか……

今の職場で働き始めてからも4年半ほどになる。最初の半年ほどは本当にきつくて、働かなければならないなら生まれてこなければよかったと思うほど毎日つらく苦しくて、情けないことにここでも愚痴ばかりを書いていた。

半年ほど経ったある日、帰り道が結構な坂道であることに気づいた。それまでは毎日罵倒されて帰宅時には呆然としていて、このままこの職場で働いてていいのかとの自問とで頭がいっぱいで、帰りの上り坂を歩きにくいと思う余裕すらなかったのだ。

それから4年が過ぎ、今は仕事にも人にも慣れ日々楽しく働いている。この仕事自体が性に合うのと、職場に好きな人ができたおかげもあり、最初のころからは絶対に想像もつかないくらい楽しい。

好きな人、と言っても恋愛感情ではなく、結構年上の、しかも男の人だ。生粋の女好きの私が、「男絶滅すればいいのに」が口癖の私が、こんなに男の人のことを好きになるとは思わなかった。

 

そういうことを言うとすぐに「えー それなら男もいけるんじゃない?」なんて言ってくる人も多いのでしつこいようだが繰り返すが、決して恋愛感情ではない。

 

その人は会社の異動で私の職場にやってきた。来てすぐに優しく明るく謙虚で思いやり深い人柄に惹きつけられた。職人仕事のせいか、感情を制御できずに怒鳴ったり起こったりする人ばかりのこの会社にこんな聖人がいるなんて! と思った。

実はそれよりも前、朝から晩まで怒られてばかりの地獄の日々だったころに会社の宴会で遠目にその人を見て、なんて徳のある雰囲気の人なのだろう、あの人の下で働いていたら今みたいに苦しくはなかっただろうな、と思ったことがあった。話したわけでも目が合ったわけですらないのに、その人のことがひと目惚れのように気になっていた。

その人が異動して来てから私の職場の雰囲気は劇的に変わった。その人の優しくて底抜けに明る振る舞いに引っ張られるように、以前はいつも不機嫌で口を開けば悪口と文句ばかり言っていた人までもずいぶんと明るく穏やかになった。

私のこともほめてくれて、おかげで職場での評価が上り、ずいぶんと働きやすくなった。その人は仕事の腕も確かなので教えを請うと、それまで他の人には聞けなかった(すぐに怒り出すので)細かなことまでも丁寧に優しく何度でも教えてくれた。今も一緒に働く日は楽しいし、本当にストレスが少ない。

あの人は私の人生を大きく動かしてくれた。そもそも大の男嫌いの私が一緒に働くことが楽しくて大好きと思えるだけですごいことだ。運命の人は女だとばかり思っていたけど、まさか男ってこともあるなんてね。

ここまで人を大好きになることは滅多にない。繰り返すがもちろん男なので恋愛感情ではないが、色恋でおかしくなっているわけじゃないからこそ、本当に好きなんだと思う。

 

多分あの人を好きなのは私だけではない。職場の他の人たちもそうだし、あの人に接した人の多くが男も女も年齢も関係なく魅了されて好きになると思う。

人たらしって、こういう人のことを言うんだと思った。豊臣秀吉ってこんな感じだったんじゃないだろうか。おかしくなっちゃった晩年じゃなくって途中までのね。

思うにあの人自身が本当に心から他人を好きだから、相手から好かれるのだと思う。たぶん努力でなれるものではない。人たらしは才能で天性のものだ。

 

あの能力があれば無意識にも得することがどれほど多く、どれほど生きることが楽しいだろうと思う。うらやましいが真似できない。絶対にできるはずがない。

 

でも、いい歳になってまだこんな出会いや発見があるのはすばらしくありがたい。人生捨てたもんじゃない。