女道S

女道S

人生はセーラームーンと共に。

NEW !
テーマ:

我が女神と出会った運命のあの日から気づけばもう8ヵ月。

出会って間もないころの常に脳内でアドレナリンが暴発しているような激烈な恋のような感情は次第に収まりつつあり、月に一度ほどお目にかかる前は大変にときめき、お目にかかった数日後はまたしばらくお目にかかれないことの寂しさ悲しさにしょんぼりとすることもあるけれど、それ以外の日々は平常運転で過ごせるようになってきた。

なんか寂しいようなつまらないような気もするが、地に足をつけて過ごせるのもまた悪くない。次回お目にかかる予約をしさえすればまたあの沸き立つようなときめきが戻ってくるのだから、切り替えができていて便利ともいえる。

思い起こせば我が女神と出会ってからの数か月は何も手につかなかった。もちろん仕事はちゃんとするが、帰宅後にすることと言えば録画のアニメを見たりバラエティー番組を見たりくだらないYoutubeを延々と見るくらいだった。

それも楽しくて見ているのならまだいいけど、常に女神のことを考えているので気もそぞろで、本気ではまりこむでも楽しくて仕方ないでもなく、寝るまでの時間をつぶしているだけだった。

 

そんな状態だから休みの日は極力出かけるようにしていた。時間の流れを遅く感じる一人で過ごす時間をいかにつぶして、次に我が女神に会うまでの時間を体感的に短縮することばかりを考えていた。

お目にかかった後は、共に過ごせた夢のような時間からまだ3日しか、1週間しか、10日しか経っていないと、次にお会いできるまでの時間の長さに絶望した。

もちろん今だってその気持ちはなくないけど、お目にかかった後の数日が過ぎれば日常生活に集中できるようになった。

そんな風に正気になってまず思ったのが、太った! と言うことだった。

 

お目にかかれない時間のストレスからかほかに気持ちを向けるような楽しみがなかったからか、家にいるとついつい食べてしまう。休みの日は朝から晩まで食べ物のことを考えているし、仕事の日は帰宅が遅くても寝る直前まで食べて飲んでしまう。
 

さらに仕事が以前ほどは肉体的にハードではないし、シフトの関係で夜遅くの帰宅が多くなり食事時間が遅くなった。多分そのせいで徐々に太ってきていた。そのことには気づかないわけじゃなかったのに、恋みたいな感覚で普通の精神状態じゃなかった私はそれをスルーしていた。

問題は太ったことだけではなく、我が女神と会っているとき以外には友人の会食ぐらいにしか楽しみを見いだせず、自分一人でなにかすることを楽しいと思うこともなくなっていた。以前は図書館から借りた本を読むだけでも充分に楽しく過ごせていたのに。

これじゃあいかん! 

しかしやはり私の人生は我が女神を中心に回るべきでもある!

と言うことで筋トレと株の勉強を日常の優先事項に取り組むことにした。

月に一度きりとは言え、我が女神の隣に並んで歩かせていただくこともあるのだから、これ以上醜く太るわけにはいかない。年齢差は埋められないのだから、せめて体型だけでも気を付けるようにせねば。

そして株取引は、うまくいけば我が女神にお目にかかる回数を増やせるのだから、この上ない最高の趣味と言える。

そんなわけで最近は出勤前に筋トレしたり株の勉強をするようになった。夜もやればいいんだけど、仕事の後に酒を飲むのが人生最大の楽しみだし、飲んでしまったら勉強や運動をする気にもなれない。それならさっさと寝て早く起きていろいろやったほうが集中できるしはかどる。

 

かつては次の日の起床時間を逆算してできるだけ遅くまで起きて、出勤前はぎりぎりの時間まで寝るのが普通だったが、早く起きて色々することの楽しさに驚いている。出勤時もふた駅前で降りて好きな音楽を聴きながら歩いて向かうとテンションが上がって仕事にもより気合が入る。


本当に我が女神のせいで私の人生はどんどん前向きに、良い方向に向かっている。たとえ次しばらくお目にかかれないとしても、万が一引退されて二度とお目にかかれなくなったとしても、前向きに変わった私の人生は戻ることはないと思う。

今夜も我が女神に感謝を。

テーマ:

数か月ぶりに会った幼少のころからの友人が、女神と出会い生きる気力と喜びを取り戻した私の気持ちがようやくわかったと言ってきた。何のことかと思うと、人生で初めて推しができたと言う。

親子ほど年の違う男性アイドルを大好きになったと。そのグループの曲を聴いたり、バラエティや歌番組に出た時の録画を繰り返し見ることがすごく楽しいと。

 

その後カラオケに行っても以前は昔の曲やマイナーな曲ばかり歌っていたのに、今回はその男性グループの曲ばかりを歌っていた。まるで恋をしているように楽しそうだった。

私が我が女神のことを語る内容と、友人が男性アイドルを語る内容が類似していた。

 

両想いになることを最初から期待しない恋愛は楽しいことだけで素晴らしいとか、その人のことを思い出すだけで心が満たされ幸せになれるとか、付き合っている人がいても構わないからプロとして感づかせないようにしてほしいとか。

方や夜職女性、方やアイドル男性、でも我々のその人たちに向ける感情、心の動きはかなり似通っていて、まるで同じ相手の話をしているかのようにすごく盛り上がった。


我が女神と出会い、この感情はアイドルのファンの気持ちと似ているのではないかと思ったけど、やはりそうだったんだ。

でも私の方は直接会ったり一緒に食事をしたりお許しいただければ多少は接触したりできるけど、友人は会うことも話すこともかなわないし、ライブすらまだ行ったことがない。

テレビの映像や歌声で充分に満足できる、一切の見返りを求めない素晴らしく深い愛。私も見習わねばと思った。

テーマ:

あの方に出会った去年の8月30日のことは生涯忘れられないだろう。

それは友達に誘われてよく行っていたガールズバー的な、でもちょっとマニアックな系統のお店だった。


チャージもそれなりの値段で、席についてくれた女の子に酒をおごるのも当然のマナーなので、結構お金がかかり、楽しいけどたまに行くくらいで充分だと思っていた。

しかし私の人生が変わった去年の8月30日、あの方が私の席について下さって、ほんの数分で私に異変が起きた。

 

あの方の前では普通にしゃべることできず、顔を上げることもできなくなってしまった。恋に落ちたのだと思った。

恋という表現が正しいのかは今もってわからないが、世間一般の概念で行けば恋に当てはめるのが最もわかりやすい。運命のあの日、出勤がそう多くもないあの方が、私たちの席についてくれたのは、神の差配と思いたい。


私は同性愛者で、幼少のころから無駄に苦難が多くて、色恋以外の人生も順風満帆とは言えなくて、苦しいこともたくさんあった。

8年間半同棲状態で共に過ごし、心底愛して生涯を共にすると信じてやまなかった恋人に、他に好きな人ができたからとある日突然振られたことがあった。

自営業に二回挑戦し、合計で十数年に渡り命を削るように全力を尽くしたにもかかわらず、二回とも失敗に終わった。

二度目の商売をやめて今の職場で働いてしばらくは朝から晩まで怒られ続け、存在しないかのような雑な扱いもされて、自尊心が木っ端みじんになって、なにをやってもだめな私みたいな人間は生まれてこなければよかったと思った。



でもあの方に出会えたことで、それまでの人生のマイナスがすべてプラスに変わった気がした。

だって、これまでの出来事のどれか一つが欠けたとしても、私の人生のルートは変わってしまって、あの日あの方に出会うことができなかったのだから。

そう思うと、死ぬほど苦しかったこともつらかったことも、すべてが今生であの方に巡り合うために必要なことだったのだと思えたのだ。私の人生で起こった事のすべては今夜のこの出会いのためだったのだと。

その瞬間から苦難が多かったはずの我が人生は華やかに反転した。

 

オセロゲームで角を取って黒から一気に白に変わって行くかのように。花咲じいさんの灰をかぶった枯れ木が桜で満開になるように。

私の人生のすべてを肯定させてくれたあの方は私にとって女神であり、地上に降りた最後の天使であり、金輪際現れない一番星の生まれ変わりなのだ。

死ぬまでずっとこの気持ちのまま、我が女神だけを敬愛し続けられたら、私のこの先の人生は穏やかなままで終えられるだろう。そうであれたらどれほど素晴らしいか。そう思うのだけど。

テーマ:

しばらく投稿していなかったけど、相変わらず月に一回のあの方との逢瀬を楽しみに生きる日々が続いている。

会えるのは月に一度だけだが、あの方と会っていない時もあの方を想うことで心は満たされている。あの方の存在こそが今の私の希望であり生きる力だ。

 

とは言え、お会いしてから半月ほどが過ぎると、気持ちが弱くなることもある。

あの方にお目にかかるには結構な額のお金がかかる。与えられるものの大きさを考えるとそれくらいの出費は当然のことなのだが、安月給の会社員の身の程を考えると、こんなことを続けていていいのかと思う気持ちが芽生えかけることもある。

私の収入であの方に毎月お目にかかることはかなりの贅沢だ。もちろん貯金を切り崩したりはしないが、毎月の貯蓄額は確実に減ってしまう。あの方に会うことをやめさえすれば、以前のように毎月それなりの貯蓄ができるようになる。

でももし、あの方に会うことをやめたら、きっと以前の自分に戻ってしまう。強くやりたいことも生きる目標もなく、安月給にそぐわない労働条件で妥協し、節約と貯金で老後に備えるだけの、死なないから生きているだけの人間の抜け殻に戻ってしまう。
 

かつての自分は才能も特別な能力もないくせにいろんなことに挑戦して攻めて生きてきた。しかし、二回目の商売の失敗で完全に自信と気力を失って、身の丈に合った質素で穏やかな暮らしこそが正しかったのだと、それで充分満足するべきなのだと思い込んでいた。

なにやってたんだよ、私は。

 

有限な人生、どうせあと20年か30年もすれば死ぬのに、今更守りに入ってどうするよ。

あの方との出会いを機にかつての野心に満ちていた自分を取り戻すことができた。あの方にお目にかかるのが月に一回などでは全然足りない。あの方にもっと会えるような自分になるためにはどうすればよいのか、そう考えればおのずとやることは決まってくる。

努力もせずに逃げてあきらめていた弱くて甘い自分に戻るわけにはいかない。あの方に釣り合う自分には一生なれないが、せめてあの方を崇拝するに恥じぬ自分であらねばと強く思う。

テーマ:

秋から冬に移り変わるこの季節は寒くて寂しくて一番嫌いなのだけど、今年は一味違う。あの方のおかげで前向きに明るい気持ちで日々を過ごせる。

あの方にお目にかかれるのは月に一回くらいがせいぜいだけど、会えない間も私の心の中には常にあの方の存在がある。

 

あの方と過ごした時間を思い起こせば心の底から満たされ、幸せな気分になれる。あの方こそが私の人生を明るく照らしてくれる一筋の光だ。

でも、時々思う。この業界は急にいなくなってしまうことも珍しくはない。もしもあの方が引退してしまわれたとしたら……

それは大変に恐ろしいことだけど、私の世界は光を失い漆黒の闇になるのかと問われれば、そうじゃないと断言できる。

多分私は、第二第三のあの方を探すことに生きがいを見いだせると思う。あの方ほどの女性はそうはいないけど、でもきっと、どこかにいるに違いないとの希望を持ち続けられると思う。

あの方に出会う前は欲しいものもなくやりたいこともなく、死んでいないから生きているだけだった。むしろ生きることが面倒で死んだほうが楽なのでは思ったこともあった。

しかしあの方との出会いが私を変えてくれた。野望に満ち溢れた気力と活力のあふれる昔の私に戻してくれた。

生きることに価値を見いだせなかったつまらない私に戻ることは二度とないだろう。そういう風に私の価値観を変えてくれたことにも、改めてあの方に感謝したい。

会うたびに結構な金額を失うけれど、あの方にお支払いしている以上のものを、お金で買えない何かを、私は毎回確実に得ている。

テーマ:

時間の経過とともに恋の気持ちも落ち着き、もしかしたらあの方への気持ちが覚めてしまうのではとの不安も否めない時期もあったが、昨日また久々にあの方にお目にかかって、敬愛する気持ちが再燃した。

性行為もしていないというのに、お会いしてから24時間以上が経過した今もなお続く、まるで本当に好きな人と体を重ねた後のように心底満たされた、ほっこりとしたこの気持ちは何なのだろう。あの方との二人きりの時間を思い返せばそれだけで何度でも心が潤ってゆく。生きているだけで幸せで仕方がない。

ああ本当に、あの方と出会ってからいいことばかりだ。商売をやめてから欲しいものもやりたいものもなく、死なないから生きているだけだった私なのに。今はあの方に少しでも早くお目にかかりたいと思うことで、仕事も相場も本気で前向きに取り組めるようになっている。
 

生きるとは欲しいものを得ようと努力すること、その過程を楽しむことなのではないか。もしかしたら、だれもがうらやむほど生まれながらにすべてのものを持っている実は人は幸せじゃないのでは。そう思うのは私が生まれながらに持っているものが少ないからなのか。

 

だとしたら、私は幸せなのかもしれない。今私にはほしいものがある。あの方を手に入れたいなんて大それたことは思わない。でもお目にかかる回数を、月に一度なのをいつか二度三度にできたら。

 

そう思うと体の奥底から気力と野心が湧いてくる。全身に生きる力がみなぎる。そんなもの数年前に完全に枯れたと思っていたのに。

 

欲しいものに必死に手を伸ばすことこそが生きるってことなのではないか。どんな素晴らしいものでも最初っから手の内にあるものの価値を人は理解できないのではないか。

 

おかげで今、大きく開いた手を虚空に伸ばし続けることがとても楽しい。何もつかめないかもしれない。でも絶対つかんでやる、そう思って手を伸ばすこと自体が楽しい。

テーマ:

恋には当然相手が必要だけど、実は恋とは相手よりも自分の問題なのではないかと最近思う。

若いころはこの人しかいないとか、運命の人だとか、恋をするたびにそんな風に思って、死ぬの生きるのって大騒ぎになっていたけど、そんな相手と幸運にも付き合えたって、振られたり離れたり別れたりしたらそこまでだ。

 

自分の命よりも大切と思った人と別れた後になんとなく流れで関係を持った人のほうが重要になったりする。

結局恋はすべて自分の幻想で、自分自身の気持ちの問題なのではないかと思うのだ。相手の問題ではなく、私自身が良い幻想を持てれば良い恋になるのではないか。

今の私の好きな人は玄人だ。いつも素晴らしい対応をしてくれるけど、お金さえ払えばどんな気持ち悪いおっさんにでも等しく対応してくれるのだと思う。プロだから。

別にそれを嫌だとは思わない。あの方がそれを生業としていることはわかっている。だから私にもちゃんと対応してくれているのだし。

あの方に夫や子供がいようが、ホストに貢いでいようが、ヒモ男を養っていようが全く構わない。ただ、私にそれを悟らせないようにしてくれればよい。

あの方の真実を知りたいとも思わない。私は仕事中のプロとしてのあの方を敬愛しているのであって、プライベートのことを知りたいとも思わない。

私に心を開いてくれて、個人的な話をしてくれるならそれ自体はうれしいけど、プロとしての姿と矛盾しない内容であってほしい。あくまで気高く強く私に君臨するあの方であってほしい。

あの方への恋心は絶対に報われそうにないのに、全く苦しくなくむしろ楽しいだけなのは、最初から両想いになることを求めていないから。見返りを求めない恋愛がこんなに楽だとは!

あの方に会えるのは月に一度くらいで、しかも多額のお金がかかる。でも次に会えるその二時間ほどのことを思うだけで、毎日こんなにも胸はときめき、気力活力に満ち溢れ、明るく強く楽しく生きてゆける。

もしかしたらアイドルを好きな人ってこんな感じなのかなって思ったりもする。私の友達には熱心なアイドルの追っかけの人がいるけど、これまでの彼女たちの言動が最近理解できてきた気がする。一緒にするなって怒られるかもしれないけど。

彼女らは多額のチケット代と交通費をかけてどこまででも行く。イベントに合わせて休みを取るためにほかの日の激務を耐え抜く。見返りを求めない。ただひたすら敬愛する。そして、イベントのその数時間にためまくった思いをすべて放出する。

似ていると思ったが、アイドル好きの友人たちに比べたら私などまだ恵まれているほうだ。アイドルのイベントは一年に数回、場合によっては数年ないこともある。二人きりで会ったり話したりすることもできない(できるシステムもあるのかもしれないが)。しかし私はお金さえあれば同じ市内でいつでも会える。個室で、二人きりで。

だからこそ、自由にできるお金が少ないわが身の不甲斐なさが悲しくもある。会社員の給与は毎月変わらない。お金が欲しくとも悪事に手を染めるほど愚かでもない。やはり株取引を頑張るしかない。

 

さぁ、明日の相場はどうなるか? こうして明日の株価を考えるだけでも気分が高揚する。相場のある平日の身が打ち震えるような興奮と緊張。ああ、生きるって楽しい!

テーマ:

二回目の商売を失敗してから無欲になった。いや、無欲と言うよりは生活が安定したおかげで、強い欲求を持つ必要がなくなったともいえる。

商売をしていたころはとにかくお金がなくて、自宅の家賃や光熱費の支払いに頭を悩ませる日々だったし、誕生日や母の日に母にプレゼントを買うことにすら罪悪感を覚えていた。

とにかくお金を得なくては、そのために何をすれば、何を変えれば、私の何が悪いのか、といつも考えていた。仕事をしていないときも四六時中商売のことは頭を離れず、気が休まる暇はなかった。商売がうまくいかないことで自己肯定感は地の底まで落ちた。


でも、時が経った今になって思えば刺激的で楽しかったとも言える。とにかく毎日必死に命を燃やして生きてる実感があった。

商売をたたみ、会社員になって、定期収入を得ることができるようになると、途端に本当に気が楽になった。毎日朝から晩まで怒鳴られっぱなしの日々だったけど、働きさえすれば確実に生活できるくらいのお金をもらえることの快適さはすごかった。自営業のころに一番欲しかったお金と生活の安定を手に入れられたから。もう必死になる必要はなかった。

家賃や光熱費の支払いに困ることはなく、体調が悪かったら病院に行けて、家電が壊れたら買い替えられて。それだけでありがたくて幸せだった。

でも、欲しいものがすべて手に入るようになると、生きる実感は失われていった。穏やかで心地よい日々だったけど、魂を燃やすようなことはなく、ただ生きているだけになっていた。


かつて望んでいた穏やかな日々をようやく手に入れられて、最初はそれで充分に満足だったけど、特にやりたいことはなく、なんとなく退屈で、別にいつ死んでもかまわないと思っていた。

 

生きるとは、命が尽きるまでの暇つぶしと思っていた。誰かと一緒にいる時だけはその退屈から逃れられるので、休日には必死に予定を埋めた。

これから歳を重ねるごとにもっと気力が奪われて、もっと生きることがどうでもよくなるんだろうなと思っていた。それにしちゃ平均寿命まで長すぎるし、ろくに年金を払わず来たので老後資金のことも心配で仕方がなく、長生きしたくないと思った。

しかし、恋をしたあの日から私の世界は変わった。昼は空の色や風の心地よさ、夜には月や星の輝きが違って感じる。これまで陳腐だと思っていた流行の恋の歌さえ胸に響く。

私の好きな人はお金がなければ会えない。逆に言えば、お金さえあればいつでも会える。でも決して安くはない。今の私の財力では月に一回が限界だ。

あの方にもっと会いたい。そのためにはもっとお金を稼がなくては。節約もきちんとしなければ。そう思って現状を変えるために行動することが今の私の生きるモチベーションになっている。

欲しいものがあるって、こんなに楽しく心ときめくことだったんだ。欲しいものを手に入れようと必死にもがき続けることこそが生きるってことなのではないか? そう思った。

思い返せば昔の私の行動基準はモテたい一心だった。学生の頃はモテたくて勉強もスポーツも頑張った。なのに、女の子から見向きもされなかった。

 

ならばこんな私がモテるめにはお金を稼ぐしかない、大金持ちになったらきっと女性も寄ってきてくれるに違いない! そう思って自営業を始めたら、逆にもっと貧乏になってしまった。それでも仕事がらみで出会った人と付き合うことができたのは幸運だったが。

自営業をやめて、モテたい欲も収まって、加齢のせいで自分はもう枯れたのだと思っていたけど、とんでもなかった。好きな人ができた瞬間から、全身に生きる気力・活力がみなぎっている。この老いた私の体のどこにこんな感情が隠れていたのだろうと不思議になる。

今日は半日かけて部屋の大掃除をした。記録魔ゆえずっと捨てられなかった大量の過去の家計簿や中学生の頃の日記やポエムをあっさりと捨てられた。

 

長い間囚われていた過去への執着から解放され、今の私は未来を向いている。命が尽きるまであと30年くらいかもしれない。だからこそ、思う存分命を燃やして楽しく生きてやる。

テーマ:

恋の状態は一時期よりもかなり下火になっては来たが、細々とだがしっかりと続いている。苦しくも切なくもないが楽しさはあるくらいの今がちょうどよい感じがする。

このまましばらく日が経てば気持ちが収まるのではないか、恋をする前のつまらない日常に戻るのではないかとの不安もちょっとある。多分会いさえすればまた再燃するのだろうが。

お金のことだけを考えるなら、気持ちが収まったほうが良いのかもしれない。でも私はまだ恋の気持ちを消したくない。こんな楽しいこと人生で最後かもしれないし、なくしてしまうのはあまりにももったいない。

そんなわけで今日は、恋をしてよかったこととよくなかったことを考えてみようと思う。


【良かったこと】

1、仕事に張り合いが出る
2、お金が必要なので株の勉強に真剣になれる
3、身だしなみを気にするようになる
4、過去と決別できる
5、不要物を片付けられる
6、肌つやが良くなる
7、朝の目覚めが違う
8、とにかく生きていて楽しい
9、しかもなんか運気が回ってきている気がする

う~む、こうして書き出すと本当にいいことづくめだな!

ちょっと前まで積極的に死ぬ気もないけど生きることにも執着がなかった私が、今こんなにも毎日が楽しく、強く生きる実感を持てているのはすべてあの方と出会ったおかげだ。

老後資金の確保にばかり気を取られて衣類の購入に大切なお金を使うこと不愉快でならなかったのに、あの方にお目にかかるときには身ぎれいでいたいと最近結構服を新調している。散髪や毛染めもまめにするようになった。

私は片付けが苦手で、サイズが合わなかったり古くなったりした古い服も捨てられずにとっていたんだけど、この服を着てあの方の前に立てるのか? との価値基準を導入することで迷いなく捨てられるようになった。

生来の記録魔で古いものほど捨てられなかったのに、今がこんなに楽しいのならば未来ももっと楽しいはずだし、もう過去にとらわれる必要はないと思えるようになった。

おかげで大断捨離を開催し、すっかり存在を忘れていた過去のオタクグッズを発掘。試しにメルカリに出品したら思いのほか高値で売れた。これでまたあの方にお会いするための資金が増えた。

自分で最も驚いたのが十年以上前に別れた恋人への執着が完全に断たれたこと。ずいぶん昔に吹っ切れてもう終わったことと思っていたのに、こうなって初めて今なお囚われていたのだと気づいた。もしも今会えたならば一ミリの切なさもなく普通に楽しく過ごせると思う。

その恋人と別れた後にそういう関係になった人はいたけど、8年間一緒に暮らしたかつての恋人への気持ちはどうやらずっと消えずにくすぶり続けていた。それが今回一瞬にして霧散したことを感じた。

 

やはり失恋の痛手を消せるのはそれ以上好きな人と出会うことだけなんだと知った。不惑を越えたこの歳になってもまだまだしらないことばかりだ。人生って面白い。

朝もすっきりと目が覚めるようになった。覚醒した瞬間にあの方のことを思い出し、一気に交感神経が活発になる。二度寝などできやしない。夜中に不意に起きてしまった時にも寝られなくて困るくらい、眠りから覚めた瞬間にあの方のことが心に浮かび興奮する。

そして、初めてあの方に出会ってから、なんだかすべてがうまくいっている。プライベートも仕事も、すべてが良い方向に向かっている。あの方には滅多に会えないし畏れ多くて予約以外の連絡もできないけど、何か一つ良いことがあると心の中で報告する。まるで天国のばあちゃんにするように。

 

ああ、本当にあの方には感謝しかない。


【悪かったこと】

・お金が減る

悪いのはこれくらいだな。でもお金は稼げばよいし、節約すればよい。家計が崩壊するほどの無節操な使い方をするつもりもない。

相手が玄人だからってこの恋を批判する人もいると思う。でも私にとっては本気の恋だし、本当にいいことづくめなのだ。

しっかり節制しつつ、有料で有限な恋を自己責任で楽しんでいるんだよ。私は。

テーマ:

私が好きになった人は夜の仕事のプロ。お金さえ出せばいつでも会えるし、確実に楽しませてもらえるが、決して安くはない。二か月に一回ぐらいにしておくべきかと思っていたが、結局我慢できずに予約してしまったよ。

 

今年の年間目標貯金額はクリアしたからあとは貯金しないで給料全部使ってもいいって思いがあって。それと、しばらく会わなかったら恋の魔法が解けてしまいそうで。せっかくのこの盛り上がりをまだ終えたくなくって、マッチ売りの少女のごとく背中を丸めて残り少なくなったマッチを擦っている私。

 

予約するかしないか迷っていた時は株の配当基準日近辺で、しかも高市期待ミニバブルで地合いが良かったので、そこで売り買いして多少なりとも短期で稼げたので、もうこれは行くしかないなと。

 

とは言えかなりの金額なので、本当にこんなに毎月出費していてもいいのかしらとの葛藤もあり、酒を飲んで気分を高ぶらせないと予約の連絡する勇気すらなかった。しかも連絡したとて予約できるとも限らないし。

 

酔いに任せで勇気をもって連絡してから1日返事がなかった。そういうものとはわかっているが、仕事中も気が気じゃなかった。

 

その後、予約可能との連絡がきたときの安堵と喜びと興奮と。そして予約の日まで続く心地よい期待と興奮。

 

ああもう、まだ会っていないのに、当日に払うお金の元をすでにとっているくらい興奮しているし、毎日楽しいし生きている実感がすごい。こんな強烈な楽しさ、他では味わえないし、お金を払っても簡単に買えるものではない。

 

お金さえあれば、毎日のようにあの方に会える。そう思うと片手間でやっていた株の勉強にも身が入るってもの。持ち株が値上がりすれば会えるのだから、株価の上昇で興奮できる類の新手の変態になってきている。

 

さぁ、明日はどうかな。石破ショックによる今日の大きな下げを一時的と判断し、底値付近で買い増した株の上昇を期待する。NISAで買ったもの以外は上がったら短期で売ってあの方に会うための資金に充てるよ。