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女道S

人生はセーラームーンと共に。

水星の魔女、いよいよ明日最終回。もう今から落ち着かない。このところずっと落ち着かない。朝目が覚めるたびに最終回まであと〇日って思ってしまう。

アニメにはまって最終回がこんなに気になるのはウテナ以来だから二十数年ぶりだな。確かウテナの最終回の日はクリスマスで、帰宅し録画を見た後にノートにびっしりと激熱でポエミーな感想を書いた記憶がある。

 

あのころはネットなどなかったから、熱い思いを消化する術がほかになかったんだよね。友達でウテナを見ている人はいたけど、わざわざ電話して感想を語るのもどうかと思ったし。

それが今は家にいながらにしてTwitterでたくさんの同志の意見を聞けるし、pixivで素敵なイラストや漫画を見られるし、こうしてネットに自分の気持ちも書き出して発散することができる。本当に良い時代になった。

しかも、公式からの供給も次から次へと! 年々物欲が減少しているからよかったものの、昔だったら片っ端から買い漁っていたことだろう。しかも課金せずとも十分に楽しめる供給もたくさんあって本当にありがたい。


水星の魔女は放映開始からずっと楽しく見ていて久々のヒットとは思っていたが、はまっているって程ではなかった。それが22話に一気にやられてしまった。直後はひたすら楽しくて、まるで自分が恋をしている時みたいに浮かれていたのに、最終回が近づくにつれて不安と期待と怖さとがごっちゃになって平静ではいられなくなってきた。

仕事中も常に水星のことを考えているので最初のころは職場の人にくだらないことで話しかけられると邪魔すんな! 早く帰って誰にも邪魔されずに水星タイムを楽しみたい! と思ったりもしたけど、今は逆に家に一人でいると考えすぎてきつい。

休日は朝から晩までぶっ続けで録画を見返してpixivも漁って水星三昧! と思っていたのに、なんかはまりすぎるているのが怖くて逃避のためにパチンコに行ったり(打っている間も考え続けているので全然逃避できていない)、帰宅後も別のアニメやドラマの録画見て気をそらせたり。

ここまでなってしまうと仕事中だけが唯一水星から気持ちを離れさせざるを得ないので、仕事があって本当によかったと思う。しかも職場の小さなストレスも最終回の強大なストレスに比べるとあまりにもささやかでノーダメージ。さらに給料までもらえる。

そんなわけで、ただいま仕事がノーストレスな分、逆に大好きで楽しみなはずの水星が逆にストレスになるという厄介な事態に陥っている。

しかしそれも明日までだな。結果次第では水星の記憶をすべて脳内から消し去り、明日からはまた二週間前のように飲食を楽しみに老後資金のためにまじめに働く職人として生きてゆく。

もしもハッピーエンドだったら。明日からは最高に楽しい人生のご褒美のようなお花畑の日々が訪れるはず!

でも冷静に、大人の価値観で考えると、なんかこの後もイベントとかあるみたいだし、結果次第ではディスクやグッズの売れ行きにも影響するはずだから、商業的にも絶対にみんなが納得できて余韻を楽しめるような終わり方にしてくれるはず。

そうやって自分を鼓舞しつつ明日を待つ。仕事が終わってからだから見られるのは22時過ぎ。気になって仕方がないけれど、事故やミスのないよう気を付けて平常心で働く。

水星の魔女。ずっと楽しんで見ていたけど、ここに来て久々の大はまりっぽくなって来て、自分の心の動きに驚いている。

仕事中も脳内で映像を再生したり、考察したり、Twitterやpixivで見たイラストや漫画を思い起こしたり。こういう時、肉体労働の仕事で本当に良かったと思う。頭と心を切り離して働けるから。頭脳労働だったら絶対に作業効率に影響していると思う。

しかし、実のところストーリー全体をよくわかっていない。ガンダムシリーズは多少は見ていたがあまり詳しくはなく、SFの知識もなく、片仮名の名前や地名や用語を覚えるのも昔から苦手で、主要人物以外の見分けがつかないし、偉そうな人たちの会話やガンダムのシステム等に関する話も理解しているとは言えない。

私がアニメの録画を見るには夜で、常に結構な飲酒をした後なので記憶がおぼろげな場合もあり、人間ドラマとしては覚えていても、兵器や戦いに関する難しい言葉やおそらく脳が受け付けないし覚えられない。

そんなわけで、理解のできない設定等を再学習するために、今日になって一話から見返している。

 

一期はずいぶん前に見たきりなのでほとんど覚えていないので大変面白い上に、その後のことを知った今振り返るからこそますます面白い! 初めて見る人みたいにハラハラドキドキできて、なんかすごく得した気分になる。


おっさんずラブ以降、何かに激しく夢中になることもなくなり、こつこつとまじめに働いて健康と老後資金のことを最優先に考える穏やかな日々に十分満足していながら、心のどこかで何か物足りない、いつか大きな刺激を得られるような出来事があればいいのにとひそかに思っていもいた。でも、そんなこと、この私にはもうないのだろうなとも。

しかし今、予想外にこうして大好きなものができてしまったうれしさと同時に、心が乱れることを恐れる気持ちもある。それはやはり、おっさんずラブ in the skyのトラウマだと思う。

ああ…… おっさんずラブ in the sky……

ものすごく面白くて大好きだったのに、まるで自分が恋をしているかのようにうきうきして仕方がなかったのに、最終回で春田と成瀬くんがどんなふうに結ばれるかを何通りも考えてはひたすらに浮かれていたのに……

絶対に二人が結ばれると信じていたからこそ、あまりにも想定外の結末を迎えてしまい、最終回の日の夜は幸せで興奮しちゃって寝られないかもと思っていたのがショックで寝られず、まるで自分失恋したかのように落ち込み、その後しばらく引きずった。

おっさんずラブ不動産編では物語の恋愛は自分は傷つかずに楽しみだけを得られるからすばらしいと思っていたのが、in the skyでは逆に物語だからこそ自分の努力など一切通用せず、ひたすらダメージを受けるだけってこともあるという恐ろしさを知った。

しかも今回はガンダム。命さえ危うい。色恋だけじゃない重さに今からおののいている。はまりが深ければ深いほど、もしもハッピーエンドじゃなかったら、すべてを記憶から抹殺する努力をせざるを得なくなるかもしれない。

ならばこうやって盛り上がっていられるのもあと10日ほどかもと腹をくくって楽しむしかない。本編を何回も見返して、皆さんの考察やイラストや漫画なども楽しみながら、万全な状態で最終回を迎えたい。

 

すべてがうまくいくことを信じたいが、もう傷つきたくないからどうしても臆病になってしまう。どんな切ないラストが訪れても対処できるように心の準備はしておこう。

しかしもしも、もしもハッピーエンドが訪れたなら。おっさんずラブ不動産編の時のような、脳内お花畑をスキップで回り続けながら仕事をして、気が付けば勝手に給料が振り込まれているような、あの夢のような日々がまた訪れるのかもしれない。

期待しすぎるとダメージが大きいので、どこか腰が引けつつ、心の中で強く強く祈っている。

仕事で年に二回、一人で二週間ほどの出張に行くようになった。

 

ようやく一人前と認めてもらえたのはうれしいけど、二週間休みなしで見知らぬ土地で朝から晩までほぼ飲まず食わずで休憩もなしに働き続けるなかなかのハードさで、そのためか今回は途中から極度の体調不良に陥り、もしやこのまま殉職するのでは? と思いながらもなんとか一日一日を乗り越えた。

 

実は出張に行く前から、今の会社で女でその出張に行った人がいないので、上部から女で大丈夫なのかとの声が出てるのは知っていた。受け入れ先の担当者にも「本当に大丈夫なん? ちゃんとやれるん?」と露骨に言われた。

そんなことを言われると返って燃える性分なので、女命をかけて絶対に今までの担当者よりも結果を出してやると決死の覚悟で臨んだ。だから想定した以上の売り上げで終えられたことで、苦しかった日々のすべて報われた。なにより仕事自体は大好きで朝から晩まで嫌なことが一個もないので、肉体的には死ぬほどきつかったけど精神的のはノンストレスだったのも救われた。

現地には私のサポートをしてくれる女性が一人いて、70歳の彼女だけが過酷な労働を共に乗り越える唯一無二のバディだった。


集まった周りの人たちも同じような境遇の人ばかりで、過酷な労働に耐えるうちに戦友のような情が芽生えてくる。ちょっとした空き時間に言葉を交わすうちに仲良くなり、結構な年上の男性と二人で飲みに行ったりして、普段では絶対に味わえない非日常を味わった。

縁もゆかりもない土地で、ほぼ初対面の男性と飲みに行き、70歳の熟女バディとカラオケでムード歌謡をデュエットして盛り上がり……

自営業の道をあきらめ、夢や浪漫を捨てて、生活のために普通の会社員になったつもりが、自営業ですら滅多にできないようなおもしろい体験をできるなんて、人生はなかなかに捨てたものじゃないなと。

しかしこの歳でほぼ二週間朝から晩まで働き続けるのは本当に堪えた。

 

宿を出るのは6時ころなのでビジネスホテルの無料朝食も食べらず、働き始めると仕事に追われてその場でしゃがみこんで何かつまむくらいしかできず、まともに食事をとれるのは夕食だけなのでがつがつ食べて飲むけど、食べてから寝るまで2時間くらいしかないので胃もたれがひどく、出張の前半は緊張と不安からあまり眠れず、後半は体調不良で夜中に目が覚めると眠れず、朝は死にそうなくらいだるかったけど、それでも仕事が始まってしまえばテンションが上がって楽しめたのは不思議だった。


最終日、最後まで共に戦ってくれたバディ(70)に手を差し伸べ「ありがとうございました。おかげさまで13日間楽しく働けました」と握手をしたとき、達成感と解放感と名残惜しさとが不意に沸き上がって声が震え、泣きそうになった。

一介のサラリーマンが仕事の出張で、こんなにも魂が揺さぶられるような経験ができるとは!

翌日、空港で帰りの飛行機を待っている時の多幸感もすごかった。飛行機の待ち時間が3時間近くあったが、とにかく働かずに座っていられるだけで幸せだった。

 

もう戦いは終わった。しかも明日は休み。あさってからはまた職場に戻って普通に働いて、昼も座ってご飯を食べられて、時々は定時に帰れて、家では録画の番組を見て、自分で作った料理を食べて、月に7回くらいは休みをもらえて、自宅の布団で寝られるんだ。そう思うだけでうれしくて全身が打ち震えた。まるで戦場から帰還する兵士のようだった。

この話を周囲にすると、その会社大丈夫? 労働基準法違反だよね? そんなこと続けていたら死ぬよ? と言われる。私もそう思う。普段はない体調不良で何度か命の危機を感じたし、もう若くもないからこんなこと長くは続けられないと思う。

 

でも、あのスポーツの激戦を乗り越えたようなあの感動、あの強烈な達成感は癖になる。なかなかほかのことでは得られない。元来の社畜体質と体育会気質の両方が合致して、非常に私の性分に合うのだと思う。

過労と体調不良の後遺症で帰ってきてからもしばらくは具合が悪かったけど、それでもちょっと時間が経つと早くまた出張に行きたい、次こそはもっと要領よくやって、体力を温存しつつもっと売り上げを伸ばしてやる! と思えるのが不思議だ。

しかし、この会社にそんな出張があると知って望んで入社したわけじゃないのに、こんな稀有な経験ができたのは、私の運の良さなのか、それともブラック企業ばかりを引き当てる天性の資質なのか……

今の職場で働き始めてからも4年半ほどになる。最初の半年ほどは本当にきつくて、働かなければならないなら生まれてこなければよかったと思うほど毎日つらく苦しくて、情けないことにここでも愚痴ばかりを書いていた。

半年ほど経ったある日、帰り道が結構な坂道であることに気づいた。それまでは毎日罵倒されて帰宅時には呆然としていて、このままこの職場で働いてていいのかとの自問とで頭がいっぱいで、帰りの上り坂を歩きにくいと思う余裕すらなかったのだ。

それから4年が過ぎ、今は仕事にも人にも慣れ日々楽しく働いている。この仕事自体が性に合うのと、職場に好きな人ができたおかげもあり、最初のころからは絶対に想像もつかないくらい楽しい。

好きな人、と言っても恋愛感情ではなく、結構年上の、しかも男の人だ。生粋の女好きの私が、「男絶滅すればいいのに」が口癖の私が、こんなに男の人のことを好きになるとは思わなかった。

 

そういうことを言うとすぐに「えー それなら男もいけるんじゃない?」なんて言ってくる人も多いのでしつこいようだが繰り返すが、決して恋愛感情ではない。

 

その人は会社の異動で私の職場にやってきた。来てすぐに優しく明るく謙虚で思いやり深い人柄に惹きつけられた。職人仕事のせいか、感情を制御できずに怒鳴ったり起こったりする人ばかりのこの会社にこんな聖人がいるなんて! と思った。

実はそれよりも前、朝から晩まで怒られてばかりの地獄の日々だったころに会社の宴会で遠目にその人を見て、なんて徳のある雰囲気の人なのだろう、あの人の下で働いていたら今みたいに苦しくはなかっただろうな、と思ったことがあった。話したわけでも目が合ったわけですらないのに、その人のことがひと目惚れのように気になっていた。

その人が異動して来てから私の職場の雰囲気は劇的に変わった。その人の優しくて底抜けに明る振る舞いに引っ張られるように、以前はいつも不機嫌で口を開けば悪口と文句ばかり言っていた人までもずいぶんと明るく穏やかになった。

私のこともほめてくれて、おかげで職場での評価が上り、ずいぶんと働きやすくなった。その人は仕事の腕も確かなので教えを請うと、それまで他の人には聞けなかった(すぐに怒り出すので)細かなことまでも丁寧に優しく何度でも教えてくれた。今も一緒に働く日は楽しいし、本当にストレスが少ない。

あの人は私の人生を大きく動かしてくれた。そもそも大の男嫌いの私が一緒に働くことが楽しくて大好きと思えるだけですごいことだ。運命の人は女だとばかり思っていたけど、まさか男ってこともあるなんてね。

ここまで人を大好きになることは滅多にない。繰り返すがもちろん男なので恋愛感情ではないが、色恋でおかしくなっているわけじゃないからこそ、本当に好きなんだと思う。

 

多分あの人を好きなのは私だけではない。職場の他の人たちもそうだし、あの人に接した人の多くが男も女も年齢も関係なく魅了されて好きになると思う。

人たらしって、こういう人のことを言うんだと思った。豊臣秀吉ってこんな感じだったんじゃないだろうか。おかしくなっちゃった晩年じゃなくって途中までのね。

思うにあの人自身が本当に心から他人を好きだから、相手から好かれるのだと思う。たぶん努力でなれるものではない。人たらしは才能で天性のものだ。

 

あの能力があれば無意識にも得することがどれほど多く、どれほど生きることが楽しいだろうと思う。うらやましいが真似できない。絶対にできるはずがない。

 

でも、いい歳になってまだこんな出会いや発見があるのはすばらしくありがたい。人生捨てたもんじゃない。

ついにこの日が来ました。敬愛するみちるさんのお誕生日です!

 

3月6日は冬が終わりつつある絶妙なタイミングであり、特に厳しい冬を過ごす北海道民の私にとっては、まだまだ寒いのにそこかしこに春の気配をうっすらと感じて、少しずつ心が浮き立ってくる時期でもあります。特に今年は寒波と大雪に苦しんだのでなおさら春の訪れが待ち遠しかった!

 

はっ! 今更気づいたのですが、みちるさんのお誕生日に春を感じると言うことは、まさにはるかさんとのご縁なのでは! 二十数年はるかさんとみちるさんのファンを続けておりますが、新たな発見があるとは! 人生はなかなかに奥深い。

 

しかしせっかくのこの良き日に残念なのが、蔓延防止解除にならなかったことですね。なんせあの美しく神々しいほどの慈愛に満ちたみちるさんの聖なるお誕生日ですから、確実にこの日を境に解除になり、コロナの流行も終息に向かうものと私は信じていたのですが……

 

みちるさんのお力を持ってしても終わらないこのコロナ禍が本当に憎い。戦争もやめてほしい。心穏やかに、楽しく過ごしたいものです。

 

なんだか余計なことをたくさん言ってしまいましたが、みちるさんお誕生日おめでとうございます。はるかさんとみちるさんがもしもこの世に存在しなかったら、今の私はどんなに悲惨でつまらない人生を送っていたのだろうかと毎年思います。お二人の存在のおかげで私は今も強く楽しく生きていられます。

 

来年のはるかさんとみちるさんのお誕生日には戦争もなく、少しの憂いもなく、マスクもせず、もろ手を挙げてお祝いできる毎日となっていることを祈るばかりです。どうかこの世界にはるかさんとみちるさんのご加護を!

 

時は巡り、またこの日が来ましたね……

 

そうです! 今日は1月27日、世界で一番かっこいいはるかさんのお誕生日です! なんとおめでたい! いまだ国民の祝日になっていないことが不思議で仕方がありません。

 

はるかさんのお誕生日は私にとって大晦日であり元日。過ぎしこの一年を振り返る機会なのですが、今年は…… 予想以上にコロナが長引いてしまい、大変なことも多く、コロナで苦労された方には申し訳ありませんが、私個人にとってはいろいろと充実した年でした。

 

若いころは歳を重ねれば重ねるほどに楽しいことが減り辛いことが増えると思っていましたが、意外とそうじゃない。ある程度の歳になったことでようやく楽しめたり、より深く味わえる人生の悦びってのもあるものです。

 

思い返せば生まれてから今までずっと、どんなにきついことがあっても結局は「今が一番楽しい」と言い続けてきた気がします。なんて幸せでポジティブな脳みそをもって生まれたのか。丈夫な体と心を持った人間に作ってもらえたこと、本当に親には感謝です。

 

とは言え、どんなに頑強であろうとも、たとえ泉重千代さんを越えようとも、私は確実にあと数十年で命を終えます。

 

しかし、はるかさんは老いることもないまま、あの美しく凛々しいお姿のまま、みちるさんと共にこの先も1000年くらいは生きておられるのだと思うと、非常に心が救われます。

 

永遠など存在しないのかもしれないけれど、長生きしてもせいぜい120年の我々人類にとって、寿命1000歳は永遠に等しい。なんとすばらしくありがたく尊いことでしょう!

 

 

改めましてはるかさんお誕生日おめでとうございます。永遠にみちるさんとお幸せに!

 

 

 

毎年思うのですが、はるかさんとみちるさんはおいくつになられたのでしょうか? 今が何歳であろうともそこは1000年生きる不老のシルバーミレニアム人ですから、変わらずにますます美しくなっておられることと思います。

 

最近は放置しがちのこのブログですが、毎年はるかさんとみちるさんのお誕生日には更新を、と思っております。しかし、今年の1月27日は一日中外出していたため、不敬にも更新できませんでした。

 

でもそれは、裏を返せば私の今の日々が充実している証拠で、はるかさんも笑って許してくれることと思います。

 

 

2020年は世界的にまれにみる大変な年でした。人と人とのかかわりが良くないこととみなされるような、こんな事態を経験することになろうとは思いもしませんでした。

 

しかし私自身は、窮屈なことも寂しいことも多々ありましたが、仕事にも慣れ、プライベートも充実し、新たに取り組む趣味と見つけたり、近年まれにみる充実した一年でありました。

 

必要なものがほどよく全部そろって満たされている感じで、おそらく一年前の私が今の私の見たら、ヒルマン監督もびっくりの大音量で信じられないと叫ぶほどの大変革と思います。

 

おめでたきみちるさんのお誕生日に、生々しい自分語りなど無粋なのでこのくらいにしておきますが、いい年して生まれてきて今が一番と思えるほど、毎日がとてもたのしい。という話を人にすると、いつもそれを言ってるよねと突っ込まれるので、私は現状に満足しやすい幸せな人間なんだと思います。

 

感染者も減り、ワクチンの接種も始まって、少しずつですが普通の日常が戻ってきつつあります。今年ほど春が待ち遠しいと思ったことはありませんでしたが、その春もついに目前です。

 

北海道はまだまだ毎日寒いですが、それでもひと月もすれば雪も解け、木の芽も芽吹くのだろうと思うと、今からうきうきわくわくして仕方がありません。

 

 

 

セーラームーン歴で生きる私は、毎年はるかさんとみちるさん二人の誕生日が終わる3月6日は、元日以上に新たな年が始まるんだと感じます。

 

昨年大変な思いをした分、はるかさんとみちるさんを大好きな皆さんにとってもより良い一年になりますように。

 

もちろんはるかさんとみちるさんは、私が祈る必要もないほど、いつどんな時もお二人で楽しく過ごしておられることと思いますがね。

本日、おっさんずラブの劇場版が地上波放映された。胸がいっぱいになって苦しくなりそうだったし、録画したからいつでも見られるし、全部は見なかったけど最後のシーンだけは見た。

 

去年の夏、休みのたびに映画館に向かい、大画面に食い入るように5回見たあのラストのシーンを自宅のテレビで見られることをなんか不思議だった。

そして、あれからもうすぐ1年かと思うと、いろいろあった日々を振り返ってなおさら感慨深く感じた。



あの頃の私は転職して一年数か月で、多少は職場に慣れてはきたものの毎日のように怒鳴られて、自尊心が地に落ちている状態だった。

しかし、おっさんずラブの劇場版を見に行ってから、まるで自分が恋をしたかのように心が浮き立ち、二人のことを考えると朝から晩まで楽しくて仕方がなくて、職場でも異様に元気だったおかげで、自分でも驚くほど働きやすくなった。

 

当時の私にとっておっさんずラブの劇場版を見に行ったことは救いだった。まだまだ仕事もつらかったけど、おっさんずラブの映画を観ている時と思いだしている時、二次創作を漁っている時は仕事のことは脳内から完全に追い出して心の底から楽しくいられた。

あれから1年、コロナ休業があったりしながらもさらに職場に慣れ、相変わらず怒鳴られながらも(今日も怒鳴られた)多少は認められてきて、職場の人とも親しくなり、出勤の辛さは昨年の10分の1以下まで減り、プライベートでも良いことがあったり、やりたいことが増えたりして、去年とは比べ物にならないくらい人生が楽しくなって、なんかこれまでの人生で今が一番幸せかも、と思えるようになってきた。

振り返れば、今の私の楽しい毎日の始まりは、おっさんずラブ劇場版にはまったことのように思う。その後、インザスカイショックの影響もあり、ツイッターを四六時中追ったり、Pixivを漁りまくることもなくなったけど、春田も牧くんも今でも私の中でしっかりと息づいていている。

おっさんずラブにしてもセーラームーンにしても、深く強くはまったものは、夢中になって頭を占領されている時期を過ぎてからも自分の血肉となり、同時に家族やごく親しい友人のように生涯にわたり付き合っていくものだと思う。

 

そう思える作品に出会える幸運を感謝しつつ、どん欲にもまだまだもっともっと出会いたいと思ってしまうよ。


 

コロナ対策でほぼひと月半自宅待機していた。でもついに明日から出勤なので、今日が長期休業最後の一日だ。

給与が保証されている状態でひと月半も休みなんて、普通では考えられないすごい出来事のはずなんだけど、当然外出や人と会うことにも制限があり、家で一人に過ごすばかりだとすっかり時間を持て余してだらだらしてしまった。

めったにない機会だから、この先の人生のプラスになるような有意義なことにこの休業期間を使おうと思っていたのに、結局勉強も研究もしなかったよ。

 

今回の新たに得たことといえばタイBLドラマの魅力とメルカリの便利さに気づいたことくらいだった。もちろんどちらも素晴らしい収穫で、それなしでは私のこの先の人生がいかにつまらなかったかと思うほど、価値あるものではあったけど。


今日までは毎日がお休みだったけど、明日からはまた月に6~7日しか休みのない日常が戻ってくるのだよね。きっと死ぬまで。そう思うと、昨日くらいから普通に家で過ごしているだけですごく楽しくなってきた。

 

もうすぐ出勤と思う気持ちがそうさせているのだろうね。特に今日の夕焼けは胸にしみた。バカンス先で見る美しい海の日没もかくやと思うほどに。休業中夕焼けなんていくらでも見ていたのに全然違うのよ。

これって余命宣告された人みたいなものかな。人はいつか死ぬってことはだれもがわかっているのに、今のこの日々はいつまでも続くものと信じて疑わずに過ごしている。


そのくせ、あと数か月しか生きられないと宣告されたとたんに、ただ生きているだけの日々が愛しくて、恋人や家族や友達と一緒に過ごせることに感謝せずにいられなくなる。

 

病気の人のドキュメントやら映画やらドラマやらを見るたびに、これからは毎日を大切に生きなければと思うくせに、そんな気持ちはすぐ忘れてしまう。

 

またもしも長期休業があるとしたら、今度こそ絶対に人生を変えるくらい有意義に過ごしたいと思うけど、きっとまただらだらするだけで毎日が過ぎてゆくのだろうな。ひと月でもふた月でも半年でも。

 

ああ、人はなんて意志弱き生き物なのだろう…… いや、私だけなのかも……

おっさんずラブ用に作ったツイッターアカウントのおかげでBL情報が得られるようになり、自宅待機中の暇を解消するために少し前からタイのBLドラマをYoutubeで見はじめた。これが予想を大幅に上回るほど面白い!

字幕は疲れそうだからちょっとずつね、と思ってなんとなく見始めたのに、気が付けば家にいる時間の大半をパソコンに向かうことになってしまった。

 

なんせ朝から晩までやらねばならぬことは一つもないし、おそろしいことに完結されているシリーズだから、中断するきっかけを得られない。取りつかれたように次から次へとクリックしては見入ってしまう。

毎日天気の良い日は一万歩以上の散歩を心掛けているのだが、今日はなんだか体調が良くなかったので、ちょっと買い物に出た以外ずっと見ていた。SOTUSを最終回まで一気に。

途中、動悸がして息苦しく胸がぞわぞわする感じがしたので、一人暮らしだから万が一心臓発作で倒れたりしたら誰にも気づかれないし嫌だわと、不安になったのだが、男同士で付き合うことへの戸惑いを乗り越えて主人公二人の心が通じ合った直後に不快な症状は治まり、単に感情移入しすぎて自分の体調までおかしくなっていたのだと知った。のめりこみすぎもほどほどにしないと。

しかしタイBL単純明快で好きだわ。恋愛ものはとにかくときめきたいから、余計なひねりやどんでん返しなんていらないし、歯がゆくて苦しい期間が長すぎるのも嫌だし、ベタで予定調和で展開が早いほうが良い。

 

それにBLドラマというからには最後には確実に男同士でくっつくであろうという信頼感があるから、ハラハラドキドキしながらも安心して見られる。

ときめきが極まって叫んだり、甘ったるいシーンには口笛を吹いて冷やかしたり、あまりのベタな展開に突っ込んだり、声をあげて笑ったり、一人で見ていてもこんなに盛り上がって楽しめるドラマ日本のものでもあまりない。

こんなに面白いのならもっと早く、自宅待機が始まった直後から見ていれば良かった。海外ドラマに興味がないのと字幕が面倒なのとパソコンで見るのが慣れていないせいでこんなに遅れてしまった。全く私としたことがぬかったわ。

だんだん寝る時間も起きる時間も遅くずれこんできたが、自宅待機の日々も残り少ないので、そろそろ通常の生活リズムの戻さねばならない。健康とのバランスを取りながら、タイBLを思い切り楽しみたい。