仕事で年に二回、一人で二週間ほどの出張に行くようになった。
ようやく一人前と認めてもらえたのはうれしいけど、二週間休みなしで見知らぬ土地で朝から晩までほぼ飲まず食わずで休憩もなしに働き続けるなかなかのハードさで、そのためか今回は途中から極度の体調不良に陥り、もしやこのまま殉職するのでは? と思いながらもなんとか一日一日を乗り越えた。
実は出張に行く前から、今の会社で女でその出張に行った人がいないので、上部から女で大丈夫なのかとの声が出てるのは知っていた。受け入れ先の担当者にも「本当に大丈夫なん? ちゃんとやれるん?」と露骨に言われた。
そんなことを言われると返って燃える性分なので、女命をかけて絶対に今までの担当者よりも結果を出してやると決死の覚悟で臨んだ。だから想定した以上の売り上げで終えられたことで、苦しかった日々のすべて報われた。なにより仕事自体は大好きで朝から晩まで嫌なことが一個もないので、肉体的には死ぬほどきつかったけど精神的のはノンストレスだったのも救われた。
現地には私のサポートをしてくれる女性が一人いて、70歳の彼女だけが過酷な労働を共に乗り越える唯一無二のバディだった。
集まった周りの人たちも同じような境遇の人ばかりで、過酷な労働に耐えるうちに戦友のような情が芽生えてくる。ちょっとした空き時間に言葉を交わすうちに仲良くなり、結構な年上の男性と二人で飲みに行ったりして、普段では絶対に味わえない非日常を味わった。
縁もゆかりもない土地で、ほぼ初対面の男性と飲みに行き、70歳の熟女バディとカラオケでムード歌謡をデュエットして盛り上がり……
自営業の道をあきらめ、夢や浪漫を捨てて、生活のために普通の会社員になったつもりが、自営業ですら滅多にできないようなおもしろい体験をできるなんて、人生はなかなかに捨てたものじゃないなと。
しかしこの歳でほぼ二週間朝から晩まで働き続けるのは本当に堪えた。
宿を出るのは6時ころなのでビジネスホテルの無料朝食も食べらず、働き始めると仕事に追われてその場でしゃがみこんで何かつまむくらいしかできず、まともに食事をとれるのは夕食だけなのでがつがつ食べて飲むけど、食べてから寝るまで2時間くらいしかないので胃もたれがひどく、出張の前半は緊張と不安からあまり眠れず、後半は体調不良で夜中に目が覚めると眠れず、朝は死にそうなくらいだるかったけど、それでも仕事が始まってしまえばテンションが上がって楽しめたのは不思議だった。
最終日、最後まで共に戦ってくれたバディ(70)に手を差し伸べ「ありがとうございました。おかげさまで13日間楽しく働けました」と握手をしたとき、達成感と解放感と名残惜しさとが不意に沸き上がって声が震え、泣きそうになった。
一介のサラリーマンが仕事の出張で、こんなにも魂が揺さぶられるような経験ができるとは!
翌日、空港で帰りの飛行機を待っている時の多幸感もすごかった。飛行機の待ち時間が3時間近くあったが、とにかく働かずに座っていられるだけで幸せだった。
もう戦いは終わった。しかも明日は休み。あさってからはまた職場に戻って普通に働いて、昼も座ってご飯を食べられて、時々は定時に帰れて、家では録画の番組を見て、自分で作った料理を食べて、月に7回くらいは休みをもらえて、自宅の布団で寝られるんだ。そう思うだけでうれしくて全身が打ち震えた。まるで戦場から帰還する兵士のようだった。
この話を周囲にすると、その会社大丈夫? 労働基準法違反だよね? そんなこと続けていたら死ぬよ? と言われる。私もそう思う。普段はない体調不良で何度か命の危機を感じたし、もう若くもないからこんなこと長くは続けられないと思う。
でも、あのスポーツの激戦を乗り越えたようなあの感動、あの強烈な達成感は癖になる。なかなかほかのことでは得られない。元来の社畜体質と体育会気質の両方が合致して、非常に私の性分に合うのだと思う。
過労と体調不良の後遺症で帰ってきてからもしばらくは具合が悪かったけど、それでもちょっと時間が経つと早くまた出張に行きたい、次こそはもっと要領よくやって、体力を温存しつつもっと売り上げを伸ばしてやる! と思えるのが不思議だ。
しかし、この会社にそんな出張があると知って望んで入社したわけじゃないのに、こんな稀有な経験ができたのは、私の運の良さなのか、それともブラック企業ばかりを引き当てる天性の資質なのか……