科学は素粒子を外から観察します。素粒子を客観的に観察するわけです。当たり前の話ですが、反対に、素粒子を主観的に観察すると、全く違った世界が見えてきます。
素粒子を主観的に観察するとは、即ち、素粒子の立場に立ってみるということです。
なぜ、このようなことが可能かと言うと、それは「素粒子の世界は人間の意識構造の現われ」のようなものだからです。素粒子と人間の意識構造は等価ということですね。
で、タイトルにある自由電子と束縛電子を主観的に観察して見ると、先ず自由電子は、光子に囚われた状態です。電子としての自分とエネルギーとしての光子の差異が見えず、中和した状態とも言えます。
人間の意識に当てはめると、思考や感情を自分であると錯覚して、喜怒哀楽のままに生きている状態です。良い事があれば自信を持ち、悪い事があれば自信を失うなど、軸が常に変化する心にあり、いわゆる他人軸でもあります。
一方、束縛電子は、原子の外を飛び回る自由電子が光子を放出することで原子と再結合した状態の電子を言います。
人間の意識に当てはめると、常に移ろい行く思考や感情が自分なのではなく、決して動くことのない不動の自己を見つけた状態です。
束縛電子は、光子を放出して原子と再結合した電子のことですが、つまり不動の器としての電子(正確には、電子を存在せしめている電子場の事かも知れませんが)と、エネルギーとしての光子の差異が明確になった状態であり、それは即ち思考と感情とは異なる不動の自己を見つけた状態ということです。
ちなみに束縛電子の世界には複数の階層(エネルギー準位)があり、原子核に近づくほど光子との差異も明確になりますし、そして最も原子核に違い基底状態までたどり着くと、それはまさに真空世界の体得とも言えるかも知れません。
このように素粒子の世界を主観的に見ることで、全く違った世界が見えてくるのです。
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