ミロクの世(3)神の正体とは | 六角時代-Only Sir素空慈の新時代を開く波動文明ブログ

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こんにちは。

GOLDEN KIDです。

 

 

前回の記事(⇓)の続きです。

ミロクの世(2)平面的なチャクラと立体的なチャクラ

 

 

*『ミロクの世』は、ヌーソロジーの”人間の定質と性質が顕在化した世界”という前提で進めて行きます。ですから前シリーズ の”思形と感性(1)~(20)”を読まれていないと分からない部分もあるかも知れません。また内容はサイパワーをベースとし、ヌーソロジー、日月神示、火水伝文を参考とさせていただきます。ただしヌーソロジーにしても、日月神示にしても、火水伝文にしても、私なりの捉え方なのでその点ご了承ください。

 

 

 

ミロクの世で重要なことは、「受動易」ではなく「能動易」、「外から内」ではなく「内から外」を主体とすることでした。

 

 

しかし今の私たちの多くは「能動易」ではなく「受動易」、「内から外」ではなく「外から内」を主体として生きています。言い方を変えると、自分の人生ではなく、他人の人生を生きていると言っても過言ではありません。

 

 

日月神示や火水伝文には、<我よし>という言葉がよく出て来ます。「悪とは我(われ)よしのこと」というように悪い意味で使われますが、この<我>は、他人によって作られた我を言います。
 
 
<我よし>は、他人を押しのけてでも自分を主張することですが、私たちが普段考える自分は、実は他人によって作られた自分なのです。本人も気づかず、他人によって作られた我(自我)を自分だと信じているのです。
 
 
空間構造で見ると「外から内」、つまり”外によって作られた内の自分”です。「外から内」の私、あるいは「受動易」の私とも言えますね。
 
 
ちょっとくどいようですが、理解を深めるためにまた図を載せておきます。
 
 
右側の円の中心の個が、他人によって作られた”我”を表しています。円周上の社会(他人)が主体となることで、中心に位置する個はその僕として生きざるを得ない状態を表すのですね。
 
 

 

このようにこれまでは、「思形と感性のシリーズ」も含め、受動易の世界観について主に見てきました。能動易で生きるには、先ず受動易の世界を知らなければならないからです。壁を乗り越えるためには、先ずその壁を知らねばならぬようなものですね。

 

 
しかし受動易ばかり見ていても、決して能動易の世界を見出すことはできません。ですからこれから少しずつ能動易、即ち「内から外」の世界に足を踏み入れていきたいと思います。

 

 

 

それでは、先ず前回見た日月神示を再び見ていきます。
 
 
「神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。」
 
 
「額」は上から二番目のチャクラ、肉体的には松果体を指しますが、この一文は完全に能動易の世界観を表していると思います。
 
 
なぜなら、受動易の私にとって額は目的地ですが、能動易の私にとって額は出発地だからです。額が出発地であればこそ、「神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶ」ことができるであろうからです。
 
 
 
実際にこの世界観を認識するには、能動易にシフトしなければ難しいでしょうが、”受動易の私にとって額は目的地”というのは、比較的簡単な方法で認識できると思います。
 
 
それは心を落ち着かせて目を瞑り、頭の中で意図的に思考するというものです。簡単に”ありがとう”という言葉でもいいので、繰り返し思考するのです。ポイントは意図的に、能動的にです。
 
 
するとその言葉と私(あなた)の間に、距離があるのを感じると思います。言葉と私が一体ではない状態です。観察する私と観察対象の言葉との間に、意識的な空間の隔たりが存在することに気づくのです。

 

 
 
ですが頭の中で言葉を繰り返していると、言葉と私の距離が少しずつ縮まるのを感じるかも知れません。言葉と私が一体にならないまでも、言葉が私に近づいてくるように感じるのです。あるいは私が言葉に近づくように感じます。
 
 
そうしてもし言葉と私が一体になったとしたら、それは目的地に達したといえると思います。観察対象である言葉と、観察者である私が一体になるのですね。
 
 
ただ、受動易にとってはこれで目的達成かも知れませんが、能動易の立場から見ればこれがスタートです。額を目的地とするのが受動易で、その額を出発地とするのが能動易というのはこういう意味です。
 
 

もちろん頭の中で言葉を繰り返していれば、いずれ一体となって能動易にシフトするという単純なものではなく、それ以前に受動易の囚われからある程度自由になっていなければなりませんが、とりあえず「外から内」と「内から外」の空間認識を簡単に説明すると、こうなると思います。

 

 

 

ところで、日本には「言魂」といって昔から言葉を大切にする風習がありますが、この言魂もある意味、受動的なものと能動的なものがあるといえます。
 
 
この違いは言魂自体というより、あくまで私たち人間側の問題なのですが、せっかくの言魂も、私たちの多くは受動的にしか捉えられていないのです。能動的に言魂を使うことができていないということですね。その理由は、これまでの説明の通りです。

 

 
ですが、もし能動的に言魂を使えるようなれば、つまり額を出発地とすることができれば、「神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。」の真意をはっきり自覚できるようになると思います。
 
 
なぜなら能動的な言魂こそが、日月神示の言う「神」であろうからです。
 
 
次回は、この神の正体である能動的な言魂についてより詳しく見て行きたいと思います。
 
 
 

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