こんばんは。
GOLDEN KIDです。
今日は
「客観世界と主観世界」唯一無二の存在へ
をお届けします。
GOLDEN KIDのやさしい解説

一般的な認識として
私たちは<地球に暮らしている>
と考えています。
当然に思われるかも知れませんが、
この<地球に暮らしている>という
言葉を聞かれたときに、どのような
イメージが湧くでしょうか?
多くは青くて丸い地球が頭に浮かび
その中にたくさんの人がいて
私(自分)はその内の一人である、
という認識に繋がると思います。
ただ、この認識はどこまでも自分を
客観視した世界観に過ぎません。
<自分>という主体がいない
客観世界なのです。
別の例を挙げますと、今度は<公園に
いる自分>をイメージしてみて下さい。
するとおそらく、”広い公園の中に入り
込んだ自分”が思い浮かぶかと思います。
しかしこの認識は、”<自分>は公園に
存在する人や物、自然の内の一つである”
という自分を客観視した世界観です。
つまり繰り返しになりますが、
<自分>という主体がいない
客観世界に過ぎないのですね。

一方、主観世界も存在します。
例えば、客観世界が
<地球に暮らしている自分>
だとすれば、主観世界は
<地球と暮らしている自分>
になります。
また<公園にいる自分>ではなく
<公園といる自分>が主観世界です。
この二つの違いを感じ取ってみて下さい。
言葉では「に」か「と」の違いですが、
その認識は大きく異なるかと思います。
実際私たちは<地球にいる>のではなく
<地球といる>のです。
これが<自分>が主体として存在する
主観世界の認識です。
このように主観世界の認識にシフト
すると、世の中の見え方が全く変わります。
例えば、認識が<地球にいる>から
<地球といる>にシフトすると
”地球のおかげで自分が存在する”と
強く感じるようになります。
そうなると当然地球に対する
感謝の心も湧きますよね。
またこれは地球だけでなく公園にも
あるいは世の中に存在する、人も含め
全ての対象に当てはまります。
つまり<自分>は<対象>のおかげで
存在しているという認識に至るのです。
この<自分>と<対象>は、ある意味
主体と客体の関係と言えますが、
とは言ってもどちらが上でどちらが下
というものではなく、どこまでも「対」
の関係です。
ですから、どちらが主体になっても
客体になっても構わないのですが、
「対」の関係である以上、どちらが
欠けてもいけないのです。
つまり、地球が存在するからこそ私も
存在し、私が存在するからこそ地球も
また存在するという関係なのですね。
結局<自分>を客観視している限り
私たちはどこまでも数多くいる内の一人に
過ぎず、絶えず比べ比べられながら
生きるしかありませんが、
<自分>を主観的に認識することで
私たちは決して人と比べられない
唯一無二の存在へと変わるのです。
PS:
このブログの別の記事では、「俯瞰視点」や「客観的な目」という言葉を使うことがありますが、今回の「自分を客観視」とは全く意味が異なります。
時々質問をいただくのですが、その違いは「俯瞰視点」や「客観的な目」には実質的な<観察者の目>が存在しますが、今回の「自分を客観視」には<想像上の目>があるに過ぎないということです。
つまり前者には”観察する者”と”観察される者”という主体と客体が存在しますが、後者には客体のみが存在する、いわゆる妄想の世界というわけですね。
ですから「俯瞰視点」や「客観的な目」は今回の記事で言えば主観世界の範疇となります。
GOLDEN KID
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