こんにちは!
願う現実を創造する宇宙の力
『サイパワー』をやさしくお伝えする
サイパワートレーナーGOLDEN KIDです。
今日は老子道徳経の冒頭に出てくる
道の道とすべきは常に道に非ず
を見ていきたいと思います。

前回の記事では、
部分から全体へのシフト
をテーマとして、
私たちの多くはどうしても
部分に囚われて全体を見ることが
できないので悩み苦しんでいる。
というお話を
させていただきました。
本来部分であるはずのものを
自分の全て(全体)であると
錯覚してしまうところに
悩み苦しむ原因があるわけですね。

2500年ほど前インドの釈迦は
王子という恵まれた環境にありながら
人間に付き従う病や老い、さらには
生死の苦しみから何とか逃れることが
できないかと煩悶し出家したと言います。
そしてその数年後、菩提樹の
下で悟りを開いたと言います。
当然私がその悟りの全てを
語ることはできませんが、
ひとつ言うことができるとすれば、
それは病や老い、生死の苦しみという
いわゆる「四苦」と呼ばれるものも
結局全体の世界から見れば、
あくまで部分に過ぎなかったという
ことを悟ったのではないかと思います。
例えて言えば、
私たちは1年という期間を通して
春夏秋冬という四季を感じることが
できます。
たとえ今が寒い冬であっても、
いつか必ず暖かな春が訪れることを
知っています。
しかし冬しか知らない人がいれば、
いつまでこの寒さが続くんだ、と
先の見えない不安に押しつぶされて
悩み苦しむようになるでしょう。
つまり四季が全体であれば、
春・夏・秋・冬のそれぞれは部分と
ということですね。
このように部分から離れ、
四季という全体を一瞬で見ることの
できる眼識(魂の目)が備われば、
それがたとえ病であっても
老いであっても、
さらには生死であったとしても、
それらは全て一時的に現れる
部分に過ぎないということが
分かるのです。
これがある意味究極的な
部分から全体へのシフト
と言えるかも知れません。

そして今日のテーマである
老子道徳経の冒頭に出てくる
道の道とすべきは常の道に非ず
を見ていきますと、
老子の言う「道」とは、
いわゆる『全体』の世界を言います。
捉え方や解釈によって異なるかと
思いますが、あえて言いますと、
この道は釈迦の言う「法(ダルマ)」
に該当するものかもしれません。
ただここで言う「法」は、
釈迦の残した言葉というよりは、
釈迦が体得し話した世界を言います。
そして、
この全体の世界を「道」や「法」と
名付けてしまうと、その瞬間に部分に
なってしまうので、その部分の世界は
決して全体像ではないというのが
道の道とすべきは常の道に非ず
の解釈です。
ちょっと
分かりづらいかもしれませんが、
「道!」や「法!」と言った瞬間、
もしくは聞いた瞬間に、
人ぞれぞれイメージする道や法があり、
そのイメージに囚われてしまうことで、
真実の道や法から外れてしまいやすい
ということですね。
ですからまずは、
私たちが絶対と信じる考えさえも、
それは部分に過ぎないと
気づき離れることが、
全体へのシフトのための第一歩であり、
老子が冒頭でまず述べた意図とも
言えるかもしれませんね♪
素空慈先生の最新動画講義
もぜひご覧ください!
人気ブログランキングに参加しています♪
↓クリックしていただくと喜びます^^
◆メインメニュー
◆サイパワーとは
◆最近1週間の人気記事ランキング
◆素空慈先生の最新動画講義(日本語字幕付き)
◆素空慈先生の教えをより詳しく学びたい方は
最後までお読みいただきありがとうございました。
サイパワートレーナー
GOLDEN KID
↑よろしければクリックお願いします♪

