おそくなったけど、渡せた 御礼 | 音楽日記 & バンコク日記

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『― 音楽日記 ― (台湾、香港、韓国、英語 等)』という名前で05年から開設したこのブログですが
生活の場も 東京→バンコク と変わり 名前を一新してみました

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 子供の頃 出来ていて、大人になると出来なくなってしまうものって意外とたくさんある。
普通に恥ずかしくなってしまう事もたくさんある。その大人の気持ちも理解できる年になったのであろう(いや、もう三十路だろ!!)

 この街に住んで30年。小学校ではお世話になった地元の公共機関の人(警察とか消防とか郵便とか電車とか)のいろいろな人にお礼をしていたと思うのである。体育館で行われた警察の人を招いてのお話しとか、校庭に消防車が来たりスモーク体験とか。そういう際にちゃんと「いつもありがとうございました」と言っていたのに、大人になると対価を払ってる感覚からか、お礼って言わなくなってしまう。悲しいことだけれど

 今日の仕事を終えて、写真のを持って伺ったのは地元の駅の駅員事務室。
「遅くなりましたが、地震の3月11日は早急に復旧して下さり、本当にありがとうございました」っと
我が地元の地下鉄。本当に早かったのである。8時半ごろには25km制限ながらも復旧。僕はもう1本の電車を待ち9時には職場を出て10時半には帰宅していたのである。急遽職場で終業となったのが17時半。比較的近くに住んでいる人が歩いて家に着いたのが9時半。家に帰れず、避難所で1夜を明かした帰宅難民の人も多くいる。しかし、僕は9時まで職場でラジオを聴いて、職場のパソコンで情報を集めて3時間ぐらい職場の人とダベり、そして10時半に普通に電車で帰宅してたのである。みんな電車が動かないという不安の中、1人ウチの電車はすぐ動くと豪語し、安心していたのである。この余裕は岩手・宮城中越沖地震の際も他の路線が運休する中、地元の地下鉄はちゃんと走っていた経験と、日ごろの震災対策工事による徐行運転があったので、ウチの地下鉄は早く復旧すると信じていたからである。

 駅員さんはもちろん躊躇されてた。しかし、同じサービス業でも販売業の僕の職場は営業時間を縮めた中、公共機関という任務をこなし、プロに徹し最終的には終夜サービスを行って翌日の終電まで電車を動かしてくれた駅員さんや運転手さんに御礼言わなきゃって思っちゃったんだよね。
駅員さんも運転手さんも本当はもっと感謝されるべきじゃんって思っちゃったんだよね。
自宅、家族が心配で、家族と一緒にいたいのはみんな一緒。でもそんな中、電車を走らせてくれた人だもん。計画停電とか、1ヶ月後の余震とかあって延び延びになってしまったけど、やっとでお礼が言えたかな。

 車庫の隣の駅で、運転手の方も多いから、運転手の方の分も駅の方にお渡ししてしまったけれど
本当は多くの人がいろいろと仕事をして、朝5時の始発から夜1時の終電まで営業をしてるんだよね。
最近も駅のシャッターが下りた夜中1時に毎日黄色の線路の点検用の電車が運行してるし。

 当たり前なモノが当たり前じゃなかった中、当たり前のようにサービスを提供してくれた。
それが本当に嬉しかったから、地震当日の帰りの電車の中で1人サービスに感激してたのである。

 自分の受けたサービスに感謝を伝える事。大人になると少なくなっちゃうことなのかもしれない