2007年 果てなく続く山道~浄瑠璃寺
3月6日
浄瑠璃寺を訪ねました
奈良と京都の境 山里に静かな佇まいの古寺です
春の彼岸と 秋の彼岸には
本堂の真後ろから日が昇ります
九体の阿弥陀仏が並んで座しておられます
本当のお参りの作法は
まず 山門をくぐり 左に折れて 三重塔の 本尊薬師如来を拝みます
振り返り 池の向こうの本堂に並んで座す 九体の阿弥陀如来を拝みます
障子を開いた本堂の九体阿弥陀が池に写ります
池の周りを歩いて本堂に来て 中に入ります 近くでお目にかかれます
「浄瑠璃寺までの果てない山道を歩くこと」
奈良駅から 加茂行きのバスに乗ると 浄瑠璃寺に行けると信じ
何の疑いもなく 加茂行きのバスに乗りました
”浄瑠璃寺入り口” というバス停で降りようとすると 運転手さんが怪訝そうな顔で「ここで降りるの?」と訊きます 「はい 浄瑠璃寺入り口ですよね」とわたし 「ここから遠いよ」と運転手さん 「はい 歩きます」 とわたし
バスは真っ直ぐ走り去り わたしは右に歩き始めました
運転手さんの 「遠いよ」 が どのくらい遠いのか考えもしない 無茶なわたし 歩けど 歩けど それらしいお寺の風景は見えません
どれくらい歩いたでしょう
道路工事の方たちに尋ねました 「お寺はこの先だよ」と教えてくれました
またどれくらい歩いたでしょう
人家がある里に着きました これから家々の間の坂道が続くようです
心細くなりました 人影もなく 車が一台通り過ぎただけです
ふっ と見ると 緑の葉と小さな花をつけた木が目に入りました
足を止めて 初めて見る木をしみじみ見ました 写真に写しました
しきみ 樒
しばらく家々のあいだの坂道を進み 長いくねる山の道は上り坂が続きます
どこまで歩いても お寺らしい案内も 雰囲気もないのです
でも ところどころに石仏があります 聞いていた通りです
3月はじめの道端には 野草が咲いています
姫踊子草 大犬のふぐり カラスノエンドウ です こころ癒やされます
どれほど歩いたでしょう 時間の感覚がなくなるほど歩き続けて やっと着きました
バスの路線を間違え 違う方向から来てしまったらしいです
でも 無事に着きました よかった~
別名馬酔木のお寺と呼ばれる浄瑠璃には 馬酔木の木がたくさん植えられています
参道には大きな年代物の白い馬酔木
境内には 濃いピンク 薄いピンク 白いピンクの花盛り
啓翁桜 椿 サンシュの黄色い花も咲いていました
昼食のおそば ぜんざいのデザートがおいしかった
帰りは お寺から奈良駅行きのバスに乗りました
バスは 心細い思いで 昇り歩いた同じ道を 山を下ります
振り返ると バスの窓から 遠く 浄瑠璃寺の建つ山が見えます
あの高い山の中腹まで歩いたのでした
”あそこまで歩いて行った”
バスの中から振り返り 遠い山並みは感無量の風景
骨切り術という特殊な膝関節の手術を受けて3年目 本当はこんな無理をしてはいけないのです
主治医の先生には 口が裂けても言えない
「責任持たないからね」 と叱られます
持っていた傘を杖にして ずいぶん助かりました
次は楽しい東山方面散策です
2007年 憧れのやまと絵 ~信貴山朝護孫子寺へ
信貴山朝護孫子寺は
崇仏派の聖徳太子と廃仏派の物部守屋との戦いに聖徳太子は信貴山上で勝利を祈願すると寅年寅の日寅の刻に毘沙門天が現れ勝利法を会得し戦いの勝利を確信
勝利した聖徳太子は毘沙門天を彫り祀ったとされることが始まりのお寺
毘沙門天と虎が象徴
信貴山 朝護孫子寺 国宝・信貴山縁起絵巻のお寺
絵巻は『山崎長者の巻』『尼君の巻』『延喜加持の巻』 三巻から成る
絵巻によると
信貴山は やまと か? かうち(かわち) か?
今も尚 研究者の論争の争点です
最近の研究では 「やまと」と書かれた文字を「かうち」と書き直されていることは発見されています
京の都から見ると やまと であり
大阪から見ると かわち であると言う解釈
奈良と大阪の県境にある山です
信貴山縁起絵巻は
京都 高山寺の鳥獣人物戯画
伴大納言絵巻
源氏物語絵巻
と共に 国宝四大絵巻に指定されています
肖像権 大丈夫かな? 信貴山で買い求めたので許されるかな?
一巻
描かれる風景はやまと絵といわれる淡い色彩と繊細な描線で描かれています
繊細な美しいやさしい色彩でみずみずしい風景描写に心惹かれます
たくさんの米俵が宙を飛んでいる表現
ジブリの監督高畠勲さんも影響を受けられた現代のアニメーションに通じる描き方 スケールの大きさは驚きです
人物の表情も豊かでユーモラスです
二巻
信濃の国から弟・命連を探して 姉・尼君の苦難の旅を描きます
長旅に疲れた姉君が東大寺大仏殿に休む様子が異時同図法といわれる描写法で表現されます
異時同図法で同じ背景に 祈る尼君 眠る尼君 歩む尼君 が描かれます
三巻
京の都にいる帝の病を平癒するため
命連の祈祷の遣い剣の護法童子が清涼殿の帝の元に飛来する姿が描かれます
その描き方がまた平安時代の表現とは驚きの感動です
この絵巻とは
放送大学 「中世日本の物語と絵画」 と言う視点で出会いました
そして 是非にこの物語の舞台に行きたいと思いました
2007年3月6日 念願の信貴山朝護孫子寺を訪ねました
わたしの住むところから遠く離れ
まるで行き方も地理もわからない電車に乗り方もレンタカーでも走れないだろう
それでもどうしてもこの絵巻の地を訪ねたかったのです
そして 遂に行きました たった一人で
山の上に建つ本堂から遠く霞む山々や街並み
春の平野が広がる美しい風景でした
『信貴山縁起絵巻』のやまと絵に描かれた風景と目の前の風景を重ね合わせ感無量でした

近鉄生駒線信貴山口からバスで来てバスで帰ります
バス停から朝護孫子寺の三門までは10分ぐらい歩きます その間には紫と白の葉牡丹や色とりどりのパンジーが植えられ 白椿が咲いていたり 桜もちらほら散り始めていました
初めて見た木の花トサミズキが民家の玄関先に植えられていて眼を奪われました
今でもそのときのこのトサミズキの淡い黄色とやわらかな花の姿に感激したことは忘れられません
この後とんでもない苦難の京都浄瑠璃寺へのお話しです
2007年 京都 一目惚れ~東寺
3月5日
もう 15年も前になります
偶然に一冊の本で この曼荼羅を一目見たときから わたしの人生 変わりました
空海が唐から帰国するとき持ち帰ったといわれます
実物は唐から請来されたままの色彩で京都国立博物館に保管されています
東寺宝物館に実物大のレプリカが展示されていますが公開は期間限定です
色の鮮やかさ 仏さまたちの 生き生きとした表情
平安時代のままの唐の仏画です
人懐こい 温かな笑顔 ふっくらとした面差し
エキゾチックな西域風のすばらしい作風です
恐れ多くも 仏さまに一目惚れです
曼荼羅中の 曼荼羅
京都 東寺 正式名 教王護国寺所蔵の 国宝 西院本曼荼羅
向かって左が 金剛界曼荼羅 右が 胎蔵界曼荼羅 合わせて両界曼荼羅です
伝真言院曼荼羅 と呼ばれていました
遣唐使として唐に渡った弘法大師空海は
高僧恵果より密教の全てを伝授され 予定より早く帰国します
帰国後 すぐには入京を許されないでいましたが
時の帝 嵯峨天皇は空海の請来した仏教が 最澄の天台宗より優れていると認め
空海に 東寺を下賜します (平安京の入り口を守るお寺として 東寺 西寺がありました)
この東寺から真言宗が始まり 密教真言宗の根本道場になりました
空海が居住したところは大師堂 または御影堂といわれ東寺の西側にあります
後に そこで発見されたので 西院本曼荼羅 といわれます
2007年3月 東寺
立体曼荼羅の講堂 驚きの大きな大きな建物です
大日如来を中心に 五知如来 五大菩薩 五大明王 六天部 の二十一尊が配されています
仏像の前で しばらく瞑想します
心がとても落ち着きます
国宝 五重塔 創建当時のまま残る 唯一の五重塔です
初層の公開に 偶然出会えたことがあり 中に入りました
仏さまが描かれています 色は薄くなっていますが 優しい美しいお姿です
その時 偶然の公開に出会い 幸運を感じました
東寺の境内のあちらこちらに植えられている河津桜のまだ若木です
濃いピンクの大きな花が満開でした
春早く咲きますね 有名な伊豆の河津の桜です
紅い野ばらの 解釈と記憶で書いています
仏さまへの信仰はありますが一つの宗教にのめり込んでいるわけではないです
一般的な知識の範囲としてご理解くださいね






















