スカイプで話す
久しぶりに孫の顔に会いました スカイプで
笑顔でよかった
保育園デビューして半月 慣らし保育の始めのころは
泣いて 泣いて 泣き通し どうなることか気をもみました
娘の仕事復帰で 幼い兄と妹は見知らぬ保育園へ行くことになり
母親と朝から晩までべったり甘えていた温かな巣から 外の世界への旅立ち
本当は その慣らし保育の時期
野ばらが通って送り迎えをしなくてはならないと覚悟していましたが
野ばらの仕事は 四月になると同時に超過密の毎日 とても家を離れられない
それを知って あちらのお母さまが長期休暇をいただいて国立市からきてくださいました
お母さまは 息子家族のため 毎日泣き叫ぶ孫の送迎 食事の用意 買い物など
慣れない土地で大変な日々を過ごしていると思います
娘は安心して仕事に出られます
ありがとうございます
このごろは 兄のほうは順応性が早く 毎日ニコニコ 楽しみに行くようになり
妹のほうも笑顔になり お昼寝もしてから帰れるようになったようです
お母さまもいつまでも休むわけにも行きませんので 今週いっぱいで帰り
来週から仕事に出るようです
娘も 孫たちも これからは保育園と仕事の両立の生活に慣れなければならないです
野ばらの役目は 熱を出したり 何か緊急の事態が起きたときの助っ人です
なるべく出番がないほうがいいですね
昨日の夜 みんなの笑顔に似合えました
スカイプを入れてありますので パソコンで 娘 娘の夫 お母さま 孫二人
パソコン画面いっぱいに笑顔がこぼれていました
よかった スカイプはうれしいです
すばらしい時代ですね
ライブカメラでテレビ電話ができる 顔を見て話ができる
文明の利器です
スカイプを入れてる方は 電話番号が国旗入りで表示されます (日本は日の丸)
全世界に共通なので 企業では 会議などで利用することが多いようですね
これから友達間でも気軽に利用するようになると想います
でも 野ばらは 普段化粧をしてないので 突然に応答されると 困るな~
すっぴんは 相手の方も見たくないでしょうから ね
庭のかたくり
4月8日 花祭り お釈迦様の誕生日 潅仏会
庭のかたくりが咲きはじめました まだ蕾のほうが多いです
かたくり 片栗 こんばいろ(那須地方の方言) ”こんばいろ”雅号にいただいています
うつむきて むらさき染まる こんばいろ 秘めし想いを 君は知らねど
by こんばいろ
蕾もいいね!
いつでも一緒ね
猩々袴も咲き始めました
山野草は秘めやかに儚く咲いて心惹かれます
山の中で見る美しさを手元に置きたくなりますがむやみに掘って持ち帰りはしないでくださいね
掘って取るのではなく 写真に撮ってください
そうするなら 枯れることなく思い出の写真で永遠に咲き続けてくれるでしょう
庭のかたくりは自宅の山林から移植しましたので盗掘ではありませんのでご安心くださいね
追加 この蕾たちが花を咲かせましたのでアップです
4月18日写しました
ボンボンのようなかわいい猩々袴もずいぶん増えました
桜に想ふⅡ 姑の思い出
桜の季節になりました
去年の4月1日から4月末まで 蕾の桜が 咲き始め 満開になり 散りゆくまで 病院に通った日々でした
2010年4月1日 母(姑)が脳梗塞で倒れました
前日3月31日の夕食後 テレビの歌番組を見ながら知っている懐かしい歌を何曲もテレビと一緒に歌い
うれしそうに笑って床に就いた次の朝です
「明日あると 想う心の 仇桜 夜半の嵐の 吹かぬものかは」 幼少の親鸞聖人の歌です
その歌の通り 明日もあると疑わなかった命に 夜半の嵐が吹きました
脳梗塞は寝ているあいだにじわじわ襲い来たようです
母(姑)は十三年前 くも膜下出血で倒れ 50日間生死の境を彷徨い 集中治療室にいました
その後 医療の発達のおかげで一命をとりとめました
誰もが死を覚悟したけれど本人は死ぬつもりがなかったらしく 奇跡の回復を遂げたのです
十二年の間 3年は寝たきり 4年は車椅子で病院とリハビリ病院に入院していました
その後 シルバーカーと杖で歩行ができるようになり自宅療養になりました
自宅で生活しながら デイサービスを週2回利用という 楽しい生活でした
はじめはデイサービス利用に抵抗あるお年よりもいるようですが母(姑)は若いときから社交的で
いろいろな会に出ていたり旅行も好きでデイサービスは大好きでした
田舎は 以前は 嫁がいるのに姑をデイサービスに預けるのを嫁の恥と思うようなところがあります
けれど 介護の資格を取るときにいろいろな情報や知識がありましたので そんなことは気にしないで
母(姑)も喜び 家族も喜ぶ介護サービスは率先して受けました
今は 地域の人たちも多くの方がデイサービスやショートステイを利用するようになりました
母(姑)が元気な頃は 一緒に温泉にも行きました
こちらは温泉観光地でもありますので 源泉も 旅館も 保養所も 公共の日帰り温泉も近くにたくさんあり
あっちこっち ずいぶん一緒に行きました
温泉に入っていると実の親子と思われて 「嫁と姑よ」というと 「信じられない」なんて驚かれたり・・
夫は6人兄弟姉妹の長男
お父さん(舅)は野ばらが嫁いで一年半後に突然逝きました
そのときから夫は 成人したすぐ下の妹と高校中学の幼い兄弟の父親代わりでした
その兄弟たちが成人し 家庭を持ち 子供たちを連れて勢ぞろいすると家はペンションのような大人数
盆正月 お節句お彼岸 父の命日は 母(姑)の誕生日 母の日は食事の用意も大量
何日もお泊りさんもいて 蜂の巣をつついたようなにぎやかさ
もう 野ばらと野ばらの娘たちは旅館のおかみさんと 番頭さんと 板前さんと 女中さんの役目です
最高ににぎやかだったあの頃
懐かしい思い出です
いいことばかりではないです
嫁姑ですから 母(姑)も野ばらには不満はたくさんあったでしょう
母は姑の権力を傘にきてむちゃくちゃで 嫁としてより 人間として許せないことも多くありました
(いつの時代の話?封建時代? そんなもんです 田舎の数十年前は)
けれど我慢ばかりはしない 話せばわかると口論もたくさんしました
そして分かり合えることもありました 嫁姑というより同志みたいな・・・
”実の娘”には敵わないけれど 実の娘より長く一緒に生活していますから
亡くなる一週間前の頃 いつ容態が急変するかわからない もう話せなくて それでも意識はありました
面会に行き 「気分はどぉ?」 と 声をかけると にっこり笑ったのです
むくみがきて 苦しそうな顔で 目を開け にっこり笑ったのです
看護師さんは 「誰の声か 声はちゃんと聞き分けていますよ」 と おっしゃいました
実の娘たちにはそんな風ににっこり微笑むことはなかったそうです
その笑顔 それだけで いろいろあった長い年月の日々だけどお互いの心が通じたと信じられました
まだいなくなるなんて思えないほど元気だったのに 桜と共に逝ってしまった
戒名に ”桜” の一文字をいただいて 母(姑)は日本人として最高の栄誉かなと羨ましくもなります
これまで母(姑)のことは HPでも ブログでも 友人にも ほとんど語りませんでした
話せない 口にできない それほどいろいろな想いが交錯して積もって
誰にも説明できない母(姑)とわたしの世界です
なぜ 今日は書こうと想ったのかな
春のせいか・・・ 桜のせいか・・・ わからないけれど 母(姑)の供養になるでしょうか
はじめてこんな長い文章書きました
読んでいただきまして ありがとうございます
追・野ばらには認知症の83歳の実母がいて実家に長男(兄)夫婦と暮らしています
ふだんの母の生活は兄夫婦にお世話になり 週3回のデイサービスに行き
住み慣れた家で暮らせる母の画を笑顔に安心します
時々会いに行き話をするくらいの事しかできない やはり ”実の娘”の立場のわたしです
この写真は母(姑)が入院していた病院の近くの早咲き エドヒガン桜です 2010.4.10. 撮影










