「夏樹、たしかなのか? 」

「電話をちょっと貸してくれ」

夏樹兄さんはぼくの家に電話をかけた。ぼくは帰っていないとぼくの母に答えれれた。

「藤里町の登山道の入口で待ち伏せすれば・・・。でも入山規制がかけられていなかったかな?」

「お前のトラックは3人乗りなのだよな?」

「真ん中のシートには安全ベルトがないけどな」

財布の中身を確かめ、池田さんは登山靴を履いて夏樹兄さんと、ぼくを探しにでることにした。

途中、ガソリンスタンドで軽油を給油してタンクを満タンにして、パン工場によった。

「パンとか、買っていこう」

二人はぼくが買った同じまとめ売りのパンを買った。

能代から藤里町へ向かう。

「藤里町の地図って、売ってないからな」

 

見当をつけながら、山沿いを走った。

「しまった」

「なんだ?」

「女の人を引いてしまった」池田さんは急ブレーキをかけた。慌ててトラックを降りて、引いたはずの女性を探す。

「俺はそんな女、見なかったぞ」と夏樹兄さんもトラックを降りる。

「ぶつかったら、前がへこむとかしないか? ぶつかる音もしなかったぞ」

「変だな。あっ、自転車が停めてある。

「なんで、こんなところに?」

二人は自転車をよく調べることにした。

「この自転車は新品だ。カゴに入っているのは俺たちが買ったまとめ売りのパンと同じでないか?」

「ちょっと、まて」

池田さんは山に入ろうとした夏樹兄さんを制して、トラックのダッシュボードからマイクをとりだすと、デッキにつないだ。チリ紙交換屋をする放送を流すには音楽テープを使うがそのデッキはマイクを使うこともできた。そしてデッキを操作して、

「秀和くん、秀和くん・・・」

と放送した。

「夏樹はこれで秀和くんに呼び掛けてくれないか? ぼくは一人で山に入ってみる。缶ジュースをもっていったほうがいいな」

池田さんは非常用に置いているらしい、缶ジュースをいれた袋をもって山に入った。

スマホで自分の記事を閲覧してみると、その114までしかでなくて、114を表示して次の記事へをタップしたら113が表示されました。1までさかのぼれるものか次の記事へを押し続けていたら、面倒になって記事一覧をタップしたら、その1より前の記事のタイトルも表示できました。

これはパソコンのほうが楽にできます。

ただ、ぼくがスマホで始めに使っていたアプリはテーマをブログと日記以外に作ることができなかったんです。スマホでそういうことをできるようになったのは、よく画面をみたら、スマホでも編集できることが分かったのですが、そのためには他のアメーバアプリをインストールする必要があり、それでテーマを自分で作られることがわかって、途中からテーマを小説にしたのです。

夕食の後、ハイセイコーがでたという牧場が近くにある分屯地にいたぼくは中隊事務室の掃除を夕食の後で掃除をしないといけなかった。それで若手の幹部隊員がこんな話をしていた。

「年賀状を出してもいけないんだと」とか。

 

なぜ、そういう人がその幹部に接触したのか? ぼくのことを個人的なつてで聞くためだったと考えられないか?

 

ぼくは昭和58年に4月に宮城県の多賀城市にいたわけだが、そこでぼくを区隊長が指さして「警察の件は大丈夫だな」とか言っていた。

 

昭和58年に秋田市で殺人事件が起こった。ぼくがしたという証言があったが、不在証明は完璧だった。それから心霊現象が起こった。昭和59年の1月にはぼくは札幌の真駒内にいた。そこで心霊現象を根拠にぼくが調べられた。だが、関係ないと自衛隊にははっきり分かった。

事件が昭和58年にぼくが多賀城にいて、そのことで昭和59年に真駒内の教育隊が警察の問い合わせるにあたって、方面隊が違うので、方面隊同士の話合いとなるだろう。話が大きくなる。それで警察が自衛隊が誤魔化しているのでないかと考えられる。自衛隊が疑われる。

殺人事件を自衛隊が組織的に隠ぺいしていると思われたら、重大だ。公安とか内閣情報調査室といった組織が調べることとなったのでないか。

ぼくの情報が総理府に送られるなんて、ことがあったのか? 明らかな誇大妄想である。