ミッキーです。
今月は、夢をかなえた友人の話を書きます。
オンライン絵本会の立ち上げ当時、『だってだってのおばあさん』を読んでくれた園田ばくさんが、初単著を上梓し、長年の夢だった小説家になったのです。
ヒマラヤに一緒に行く仲間として、小説を書いていることを聞いていました。
出発の日朝に「原稿書きあがったから読んでくれない?」とメッセージを受け取ったので、とりあえず成田で離陸前にダウンロードしておいて、機内でざっと原稿に目を通しました。
私は小説を書いたことがないので、偉そうなことは言えないけれど、文学部の教員として多くの小説を読み、文学理論的にいい小説の分析は研究してきました。だから、人のあらは見える。
商売柄、どうも文体が気になって仕方ない……
どうしても、初めて書く人の欠点が目についてしまう。
添削というより、直接話をしたほうがいいと思い、,初心者の陥りがちな欠点をまず2つ指摘しました。
① 視点がぶれている。
これは文学理論でいうところのNarrative Point of Viewで
「一人称の語り」「三人称の語り」「全知(神の)語り」の三種がある。たとえば『吾輩は猫である』は一人称の語り。語りが揺れると読者はついてこられない。誰かの視点に固定することで、読者はその登場人物に自己同一化することができ、物語の世界に入っていける。逆にふらつくと、手振れ動画のように気持ち悪くなる。
② 語り手の意見をいちいち入れない。
事実だけを描写して、その行動の意味は読者が判断すればいい。余分な修飾は削る。作者の意見を聞いているわけではない。
これは小説の書き方の根本的なところで、これらを直すとすれば、ほぼ全面的な書き直しにならざるをえないはずです。たしか出版は1カ月後とかで、すでにゲラになっているとか。
その後の顛末を聞いたところ、3回の校正共に凄い量の訂正を入れたそうです。
その素直な心に感動しました。
50代で、会社の役員としてそれなりのポジションにあるリーダーなのです。
そのことを指摘すると、「この分野ではこの人の言うことはきこう、と思ったときには素直に120%努力する。そのスタンスだけは自分で守ろうと思っている」という返答でした。
恩師・松下幸之助さんが一番大切にしていたのが「素直」という言葉です。
「素直初段やな」と塾生への講話で出てきます。
それほどまでに、素直というのは、人間が伸びていくときに大切なことなのだと思います。
この本は、ばくさんが尊敬する大久保寛司さんが、大企業の改革をしたときの実話を小説仕立てにしたものです。
『会社は変わる』
園田ばく 著
大久保寛司 プロデュース
エッセンシャル出版社 2024年
内容はぜひ読んでいただきたいのですが、ここでは私が感動した箇所を1つだけ紹介します。
主人公が社内で改革を進めていくときに、変化を好まない人たちが当然たくさんいます。しかし、この主人公は、いつも前向きにつき進めるのです。その理由を問われて
「進む先の絵を見ているだけですよ」と答えるところにしびれました。
そう、開拓や変革の先頭を切る人には、実は目指すべき在り方が見えている。
だからこそ確信もって進めるのでしょう。
私がゼロイチのプロジェクトをやるときも同じかもしれないと、ふと思いつきました。
いろんな人に質問されても、ぶれずに辛口を繰り返せるのは、
目指すべき先が、こうあるべきだというゴールが見えているのです。
見える人には、見えている。
見えるのか、見えないのか。
サン=テグジュペリ作『星の王子さま』を思い出しました。
「一番大切なものは、目に見えない」というあの有名なセリフです。これだけが独り歩きしているようですが、後半では「でも、目ではよく見えない、心で探さなくっちゃいけない…」「大事なもの、それは目では見えないんだ」と王子さまに語らせています。
これって、言い換えると
大切なものは、普通に目で見たら見えないけど、心の目で見る人には見えている
ということではないでしょうか。
この小品は、作者サン=テグジュペリが亡命先のアメリカでの平穏な生活を捨て、母国フランスのためにパイロットとして戦地に向かう前に書いた遺作です。
どうしても伝えたいことがあったはずです。
見えない、という否定のメッセージではなく
心の目で見て、という悲痛な叫びのように聞こえます。
『星の王子さま』は著作権が切れた関係で、現在翻訳が多数出ています。しかし、ここでは日本語版初訳の内藤 濯訳の岩波少年文庫を紹介します。
『星の王子さま』
サン=テグジュペリ 作
内藤 濯 訳
岩波書店 1953年
大学でやっている小説の分析や文章講座を、社会人向けにやってもいいかも、と思っています。
次のデビューはあなたかもしれません。
それまでに、いい本をたくさん読むことかな。
まずは、園田ばくさんの新著と共に、『星の王子さま』ぜひ手に取ってください。