静岡の三島から、ちえこです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2024年の始まりに、
当たり前の日常に感謝することを切に感じています。
大変な思いをされている皆様が
一日も早く心落ちつく朝を迎えられますように。
大晦日に息子や娘が帰省し、元旦に妹家族も集まりお正月を迎えました。毎年家族皆が我が家に揃い、お節料理、お雑煮をいただき新年のあいさつをします。お正月の煮物やお雑煮は、祖母から母へ、そして私と受け継がれている味、
これからも大事にしていきたいと思います。
お節料理、縁起の良いもの一つ一つの意味を想い一年の福を願っていただきました。
今年も家族で三嶋大社に初詣に行きました!
三嶋大社は、源頼朝が平家打倒の挙兵に際し、祈願を寄せたことでも知られています。
今年も、健康で幸せに過ごせるように・・・
旧暦の和風月名で1月は睦月
人と仲睦まじくする月という意味がありますが、お正月の風景は、まさにそのとおり! と毎年思います。
お正月休みが明けた7日は「人日の節句」七草がゆ、11日に鏡開き、小正月15日のどんど焼き、と暦の行事で無病息災を祈り、一年が始まりました。
暦=カレンダー、今はカレンダーを見ると言いますが、
昔は暦といえば・・・読むものでした。
「暦」の起源は、日を数えるという意味の「日読み(かよみ)」から生じたとも考えられているそうです。
昔から伝わる睦月、如月、弥生などの月の呼び名、立秋,立冬などの季節の呼び名や年中行事は「旧暦」と呼ばれる暦に基づいていますが、「旧暦」は今の新暦よりも1か月ほど早く季節が進んでいます。自然の変化に基づいて作られ、現在のように文明や科学が発達していなかった時代の人々にとって、種まきの時期を知り収穫期を知る手掛かりとなっていました。「暦」は自然とともに暮らす導きになっていました。
「旧暦」は、明治5年(1972年)までの日本の各地で使われていた月の動きを基にして作られたカレンダーです。
江戸時代以前には8つ、江戸時代に入ってからは10種類の暦が日本で作られたそうです。その中の一つに「三嶋暦」があります。「三嶋暦」は鎌倉時代のころから発行されていて、特徴としては日本で最初に「かな文字」が使われ、「木版」で印刷された暦です。
久しぶりに国の登録有形文化財「三嶋暦師の館」を訪ねました。これはお土産にいただいた版画の「三嶋暦」です!
三嶋大社の駐車場北の小道を、案内板を見ながら
300mほど先まで進んでいきます。
「三嶋暦師の館」見えました!!
三嶋暦の小さな博物館です。
「三嶋暦師の館は、日本でも数少ない暦師の一人、河合氏の家でした。この地は三嶋大社と関係の深い社家の一人河合氏の先祖が暦師として代々三嶋暦の印刷・販売を行ってきました。また、古くは天文台もあったと言われており、徳川幕府が暦を編集するまでは、河合家が独自に計算し編集・印刷・販売を行いました。現在の建物は安政地震(1854年)によって前の建物が壊れた後に当時の韮山代官であった江川太郎左衛門が十里木(現裾野市)にあった関所跡の建物をここに移したものです。」看板より抜粋
庭には「タイサンボク(もくれん科)」が植えられています。このタイサンボクは、第18代アメリカ合衆国大統領であるグラント氏が退官後明治12年(1879年)に日本を訪れた際に河合家に贈与されたもので上の恩賜公園の同樹、同じ時に植樹されたものだそうです。
玄関式台から上がり、館内をぐるりと一回りできます。
最盛期にはこの工房に「絵師」「彫師」「刷師」の専門技術者集団を中心に20名ほどが通っていたそうです。
三島の文化遺産を後世まで大事に守っていくために20年前に誕生したのが「三嶋暦の会」です。
会のメンバーの方が、ガイドツアーをして下さいます。太陰太陽暦のしくみや二十四節気、月の満ち欠けなどの展示物から、三島の歴史とともに、暦の説明をして下さいました。
版木は固さのある桜の木を使用。
先ず、絵師が版木に直接裏文字で書くのでなく、薄い和紙にその年の版刻文字を書きます。裏文字で版木に密着・接着・乾燥をさせるまでの工程を絵師が担当、次に彫師が裏文字の版木を彫刻刀で「模写彫刻」して、その後、刷師が「和紙と墨とバレンの相性の見極めと管理」をして刷ったそうです。
三嶋暦には巻暦(左)、綴暦(中央)、略歴[柱暦](右)の3種類がありました。
将軍と三嶋大社には手書きの巻暦が献上されました。
一般的に使われていたのは綴暦でした。
略歴(柱暦)は、この幅の広さのある大黒柱に貼られました。
版木には、年ごとに文字を掘るので、一度使うと削ぎ落し、また次の年に版刻文字を掘る、という繰り返しで再利用されていたそうです。こちらは、版木を再利用して作られた箱。版刻文字が掘られています。
日本各地で暦が作られました。
会津暦、江戸暦、伊勢暦、今日暦、南部暦、大阪暦
三嶋暦はかな文字で書かれた暦として日本で一番古いものと言われます。文字の美しさ、線の繊細さで全国に知れ渡っていたそうです。中世~江戸初期までが最普及期
東日本では三嶋暦が使われていたとのこと。織田信長や徳川家康も使っていたと思われます。東海道を行きかう旅人のおみやげとしても喜ばれていたようです。(三島市観光WEBサイトより)
明治5年に11月に新政府が暦を改める布告を出して、太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦の採用になりました。
明治5年12月3日が明治6年1月1日と改められました。明治16年に暦の発行が伊勢神宮に一任されたのを機に河合家による三嶋暦作りも終わることとなりました。
参考文献
『三嶋暦とせせらぎのまち』 旧暦は生きている
三嶋暦の会/編 新評論 2015年9月
暦の文字の美しさに文化を感じます。
暦を読んで暮らす、星や月、太陽の動き、自然の移り変わりを観察して、感じて暮らす、先人たちの暮らしぶりを知ることができました。
便利なものに囲まれている今の生活を振り返ってみて豊かな時の流れとは?と考える年の初めになりました。
時間を大切に過ごしていきます。
三嶋大社の境内には紅梅のつぼみが膨らみちらほら咲いていました。
春、三嶋大社参道の枝垂れ桜が見ごろとなりとってもきれいです。三嶋大社と三嶋暦師の館、みなさんも訪ねてみませんか?
さて、今日ご紹介する絵本は・・・
『こよみともだち』
わたりむつこ/さく ましませつこ/え
福音館書店 2002年1月
こよみの家が12軒ありました。みんな一人ぼっちで住んでいました。年の初めの1月さんが「ひとりぼっちじゃつまらない」と友達を探しに出かけます。2月さんのところに行きました。
1月さんと2月さん、今度は3月さんの家の扉をノックします。
次々と仲間が増えていき、12月さんのところで、こよみ友達が勢揃い!最後のページには、しかけがあります。
とんとんとん 扉を開いてのぞいてごらん。
「とんとんとん あそぼじゃないか」繰返しのフレーズが心地よいリズムを作ります。
思わず口ずさんでしまいそう!
じっくり絵を見て季節を感じて楽しみましょう。
『旧暦で行事をたのしむ
お月さまのこよみ絵本』
千葉望/文 阿部伸二/絵
理論社 2016年8月
見返しには月の満ち欠けカレンダーが載っています。日本には「月のこよみ」がありました。とはじまり、お月様中心に作られた暦からお日様中心の暦になったこと、旧暦の行事の謂れが分かりやすく絵本になっています。
お月さまの暦を知って、昔の人の心に近づいてみましょう。
最後までお読みくださりありがとうございました。
また、来月お会いしましょう!