前回の続きを書かせてください。。。
「謝罪要求」
異常行動が増長していた頃には、母や社員の人などから、「話し合った方がいい」とか「謝ったほうがいい」とか言われました。。。
「話合い」については、以前話はしたものの、本人たちは、ほとんど黙っていて、真意を話す事は無かったので、その旨は伝えました。。。
「謝罪」については、「謝る?というのはどういう事?」とか聞いても、みんな黙ってしまう始末で・・・。毒親、毒兄が、よく理由もわからないまま、怒り出しているだけなので、確かに謝る理由は、自分には思い当たらないんですよね。。。仮に百歩譲ってもし謝っても、おそらく勘違いして、つけあがるだけのようにも思いますし。。。
以前も書きましたけど、彼らの怒りの原因は、「プライドが傷ついた」という所にあるのかもと推測しています。。。プライドと言っても、自己愛の強い人のプライドは「自己愛=ナルシズム=自惚れ(うぬぼれ)」で、自惚れ的なプライドです。。。(見栄みたいなもの)
幼少期に培われる、特別意識(自分は特別な人間だとおもいこむ)は、根拠の無い自信を生みます・・・それが自惚れと言われるもので。。。
例えば、根っこや幹が育っていない植物が、たくさんの花を咲かせているようなもので・・・見た目は素晴らしくても、ちょっとした風で揺らいで
倒れそうになったりしているようなものだと思います。。。
「自己愛のイメージ」
個人的に思う「人間の心のイメージ」なんですけど・・・本質的な心は、元来誰しも、柔らかく綺麗なものだと思います・・・しかし、自惚れ(自己愛)の強い人は、心が渇いて固くなっているようなイメージがあります。。。
自己愛性の人たちは、元来ある心の柔らかさを、「弱さ」と勘違いしてしまい、心を強くしようとして、固めていきます。。。そして心は潤い(柔軟性)を無くしていきます。。。
乾いた固い心というのは、少しの衝撃には、耐えられるようになります・・・しかし、一旦傷が着いてしまうと、その傷は修復しなくなります。。。
つまり、自己愛の強い人は、表面的な強さとは裏腹で、本質的な心はとても傷つきやすいです・・・そして一旦傷つくと、心が修復しないので、痛みは残りやすく・・・結果、恨みがましく執念深いものになります。。。
その傷ついた心を守る為に、彼らは、「自分は特別な人間だと思い込む事(特別意識)」を、砦のようにして本質的な心を隠そうとします。。。
砦で守られた心は、安心感を生みますが・・・もし、その「特別意識という心の砦」がちょっとでも揺らいでしまう事が起きるという事は、彼らにとっては、とても恐ろしい事になります。。。
例えば、自分以外の誰かと自分を比較して・・・自分が劣っていると感じれば、特別意識は揺らいでしまう・・・結果的に強い嫉妬、恨み、怒りを持ったりしやすくなります。。。
毒親、毒兄共に、元々は、大きい会社の役員でした・・・その環境は、彼らにとっては、「自分は特別な人間である」という気持ちを持ちやすく、自己愛を守る場所になっていたと思います。。。
それが、ある日その場所は無くなり・・・小さい会社になって・・・今まで見下していた人に劣等感を感じて・・・自分の心を守っていた特別意識が崩れだし・・・それが私への嫉妬や恨み、怒りに変わったのだと思います。。。自分にしてみれば、最初は仲良く出来ればいいくらいに思っていたものを・・・彼らの勝手な思い込みや自己満足の為にここまで話が大きくなり・・・しまいにはこちらが謝罪しないと許さないという・・・なんともメンドクサイ話なんですけどね。。。
普通の人たちの場合、「特別意識」というものは、若い時期に、挫折などを通して、壊れていくものなのですが。。。
その人の人生の環境によっては、その特別意識が残ってしまう・・・という人も少なくはなく・・・それは、時間が経てば経つほどに、壊れにくくなって・・・その特別意識が崩れる怖さも大きくなると思います。。。
しかし、人生のどこかで、その特別意識を取り除いていかないと、本質的な心は隠れたまま(本当の自分に気づかない)になって、成長しないままになってしまいます。。。
彼らにとって、大きな会社の役員を辞めるというのは、特別意識が揺らぐ怖さを感じながらも、実は、彼らが本当の意味で楽になれるチャンスだったかもしれません。。。でも、結局その怖さから離れられなかったというのが、そもそもの原因かと思います。。。