鬼の説法集(悟りへの道) -8ページ目

鬼の説法集(悟りへの道)

鬼和尚の仏教勉強会 http://onioshyou.blog122.fc2.com/

902 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/05/13(木) 11:19:00 ID:6jb6qaJ.O
鬼和尚様、よろしければ金剛経の解説をお願いします。

921 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/13(木) 20:07:55 ID:hMlmt1ok0
>>902 そうじゃった。書くのじゃ。

932 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/13(木) 21:46:11 ID:hMlmt1ok0
金剛経は正式には金剛般若波羅蜜経という。
 ダイアモンドの如き知恵の完成という意味じゃな。
 大体般若経というのは空観のやり方を説くものじゃが、この経には空と言う言葉は出てこない。
 それにもかかわらずこれが般若経であるのは、論理的な実践によって認識の働きを止めるという共通した内容があるからじゃ。
 
 空は全てが有るでもなく、無いでもないとして心の働きを止める。
 金剛経はまた別の論理、論理外の論理によって心の働きを止める事ができる。
 それ故にこれも又知恵の完成と言っても良い経になるのじゃ。

 金剛経の前半には他の般若経と同じく、全ては幻であり、それを観念として捕らえてはいかんと説く。
 そこで重要なのが、人が己というものを認識する時、持っている言葉とイメージなのじゃ。
 サットヴァ、ジヴァ、アートマン、プトガラという四つが個我の観念として説かれる。

 サットヴァとは生きている者という観念。
 ジーヴァとは生命とか固体。
 アートマンは心の最奥にあるという不滅の認識主体
 プトガラは輪廻の主体とされている。

 これらの観念は人が個我というものに抱くイメージを表している。
 自分とは生きているものであり、個体であり、不滅の認識主体であり、輪廻の主体であると、当時の者が抱いていた個我のイメージを代表して説いている。
 現代でもこれと似たような、自分というもののイメージを抱いている者も多いじゃろう。
 
 生き物である自分、他から離れた個体である自分、不滅の認識、見るものである自分、生まれ変わる主体の自分というイメージ。
 多少の違いはあってもそれらのイメージを抱き、肉体や感覚、思考、感情、認識などに投射して個我というものを認識しているのじゃ。
 
 わしはこのうちのプトガラと言う言葉に触れ、自らが過去からの記憶を持つ者としてのイメージを抱いている事に気づき、自我が落ちた。
 それは作られたイメージであり、自分では無かった。
 自分というもの、自分という固体は無かった。
 そして無為に坐し、悟りは開かれた。
 
 このように経を、意味を確かめながら読む事は意味があるものじゃ。
 お釈迦様の説かれたものでなくとも、目覚めた者が自我の牢獄の外で書いたものは、牢獄の中に居る者に気づきを起こさせる力がある。
 
 金剛経ではこれら四つの観念を持つべきではないという。
 そして、法という観念も、非法と言う観念すらも持つべきではないという。
 それを実現する為に、金剛経には独特の論理外の論理による法が説かれる。

933 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/13(木) 21:46:53 ID:hMlmt1ok0
 経によれば、法とは法ではないという。
 そして、それだからこそ法と呼ばれるという。

 法は法ではない。
 だからこそ法と呼ばれる。
 おかしな事じゃ。

 普通の論理とはA=B B=C 故にA=Cとか書かれるものじゃ。
 そこには何の不思議もない。
 しかし、金剛経ではA=非Aだという。
 故にA=Aであるという。
 明らかに論理を逸脱した、論理外の論理と言えよう。

 このような論理外の論理が、世界とか、悟りとか、さまざまな観念に対して延々と説かれる。
 これこそが金剛経の最も伝えたかった法と言えるのじゃ。

 人間の認識は外にある物を感受すると、その特徴を抽出し、記憶の中にある物と照合して、名前を確定する。
 例えばりんごを見れば赤いとか、丸いとか、つやがある、へたがついているという特徴を見て、頭の中からそのような特徴のある物を思い出し、照合してりんごというものを認識する。
 その動きは素早く、観察も容易ではない。
 これを止めて観る事によって、自らの認識に気づき、自我は落ちる。
 
 空観はその認識する物全てを空とする事によって認識の働きを止める。
 金剛経の法は認識の働きそのものに介入する事によって、それを止める。

 りんごというものが、実はりんごではないとすれば、りんごの認識は止まる。
 しかし、りんごで無いならば、他のものであるという認識もできる。
 それを止めるには、さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる。
 そうすれば認識の働きは、逃げ道がなく、止まる事になる。
 このようにして認識の働きは止まるのじゃ。
 
 このような論理外の論理が、本当に法として働くのか疑問も湧くじゃろう。
 しかし、このような法は何度も繰り返せば必ず効果があるものじゃ。
 認識の働き、記憶による認識の働きそのものも、繰り返された習慣によって動いているものに過ぎない。
 それは新しい習慣を受け入れ、従うように出来ている故に。
 
 このような論理外の論理による法が、頭では受け入れられなくとも、何度も繰り返し実践すれば必ず効果は現れるじゃろう。
 他の般若経と同じく、金剛経の法も執着を滅し、囚われから脱し、悟りへの道となる。
 後は実践あるのみじゃ。

946 :話にならん:2010/05/13(木) 22:52:35 ID:GBru8QFw0
>>932-933
鬼オショさんが勉強家だったということがわかった。
意味はさっぱりわからん。

953 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/05/13(木) 23:35:47 ID:6jb6qaJ.O
>>932-933
「A=非Aと如来は説かれる。だからこそAと言われる」
執拗に繰り返されるこのフレーズの意味を私は、言葉に対する認識に気付かせる為としか理解していませんでした。

Aを認識する。そして、その認識を観察する。それによりAから『A』と言う言語は剥ぎ取られ、非Aになる。さらに思考によって『だからこそAである』と観じる。
思考によって認識を操作する。認識を観る高い集中状態でも、やはりまだ思考は働いていました。

解説していただいて良かったです。
実践を続けます。ありがとうございました。

987 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/14(金) 20:24:02 ID:hMlmt1ok0
>>946 いつか判るじゃろう。

>>953 どういたしまして、またおいでなさい。

882 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/28(日) 19:38:04 ID:3wEe4AVm
他人と自分をくらべて、落ち込んだり、卑屈になったりしてしまいます。
どうしたら、そうならないようになるのでしょうか?
他人と比べる必要はないとわかっているけどできないです。

883 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/28(日) 19:58:04 ID:aPsS6cHE
>>882 自分の意志に反して比較してしまうのは、それが習慣として頭に入っているからじゃ。
 親に教えられたのか、どこかで知ったのかその原因が判ればそれは記憶からの習慣だと判る。
 そしてそれが記憶から起こり、作動して他人と自分を比べ、卑屈になるという一続きの連関を観察するのじゃ。
 それが出来れば習慣は消えるじやろう。

 それが出来ない時はそれが起こる度に自分にもいい所があると自分の長所を数えてみるのじゃ。
 何度もやっているとそれが新たな習慣になり、卑屈になることを防げるようになるじゃろう。

886 :882:2010/03/29(月) 18:36:24 ID:/3rofqnx
>>883
鬼和尚さん、ありがとうございます。

鬼和尚さんの言われるようにとりあえずやってみました。
自分の心を見てみると、
おそらく原因は親からきているのだと思います。
そう自分でわかると、その時だけ、不思議に苦痛がなくなります。
しかし、またすぐに苦痛が始まります。

何度も繰り返し観察する必要があるのでしょうか?
それとも、苦痛が一時的に解消するだけなのは、
本当の原因を間違えているからでしょうか?

自分の長所を数える方がむずかしそうです。。。

888 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/29(月) 19:53:47 ID:KfoHe/Sj
>>886 何度も結果まで観察するのじや。
 親の条件付けから比較が起こり、比較から卑屈な感情になると最後まで観察する。
 そして、次は親の条件付けが無ければ比較は無く、比較によって卑屈な感情になる事も無いと逆に観察する。
 この順逆の観察を何度も何度も繰り返すのじゃ。
 するとそれは滅するじゃろう。
 記憶はそのままあるがそれが作動する事は無くなる。
 この苦を滅する方法を知ったならば、他の多くの苦を滅する事が出来るようになるじゃろう。

891 :886:2010/03/30(火) 23:17:15 ID:beGf1sp4
>>887
>>888
ありがとうございます。
頑張ります。

892 :おさかなくわえた名無しさん :2010/03/31(水) 19:43:31 ID:fVomeW3t
>>888
>何度も結果まで観察するのじや。
>次は順逆の観察を何度も何度も繰り返すのじゃ。
>するとそれは滅するじゃろう。
>この苦を滅する方法を知ったならば、他の多くの苦を滅する事が出来るようになるじゃろう。

私は886さんとは別人です。
ひどい虐待や犯罪被害などで、PTSDやフラッシュバックにより
問題の部分の記憶をたどることが困難な場合、やはり>>883に述べられているように
それを覆すような新しい習慣を作る、という代替方法しかないでしょうか?
それとも数息観や瞑想を続けていれば、事件や事故を感情の起伏やパニック
や罪悪感なしに冷静に思い出すことができるようになるでしょうか?

893 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/31(水) 20:16:56 ID:IiMuD2wU
>>891 どういたしまして、またおいでなさい。

>>892 心の状態は人毎に大きく違う故に、人によってやり方も違ってくるものじゃ。
 思い出せなくともおおまかに過去の傷から結果として現在の苦や悲しみがあると、それだけを観察しても苦は滅する。
 肝心なのは縁起と呼ばれる心の連続的な動きの回路を観察し、自己投射を止める事なのじゃ。
 人が過去の記憶に何度も苦しめられるのは、この記憶の回路に自我を投射する故なのじゃ。
 その縁起の全体が観察されればそれは自分ではないと認識され、投射が止み苦は厭離される。
 過去の記憶が詳細に思い出せなくとも、全体を観察するようにすれば苦は止むのじゃ。

 過去に大きな傷を負った者は記憶が蘇った時だけではなく、日常においても何らかの逃避の回路を作っているものじゃ。
 小さな習慣のようなものなら新たな習慣の回路を作る事も良いじゃろう。
 しかし、心の傷が大きい者に新しい習慣を作っても、また別の逃避行動が起きるものじゃ。
 体の傷も大きい者ほど手当てが必要なように、心の傷が大きな者こそ根本から滅するべきなのじゃ。

 数息観などの瞑想はそのような者には大きな力になるじゃろう。
 心の操作を可能にし、日常に安らぎをもたらすのじゃ。
 過去の傷も動揺する事無く処理できるようになるじゃろう。
 全ての者に勧められるのじゃ。

894 :おさかなくわえた名無しさん :2010/04/01(木) 19:50:43 ID:Oiu2deIu
>>893
ありがとうございます。>>892です。
私はどうやら根本的に処置しないといけない方のようです。
詳細は省きますが、幼少から日常的に、また
周囲に気づかれぬよう密かに、長期にわたって虐待を受けています。
しかし、思い出せばまず自分の方に罪悪感が起こります。
また、相当の怒りと憎悪の念が心の奥深くに
処理されないまま残っている気がします。

詳細な記憶をたどらなくても全体像として捉えられればよい、
というのは吉報ですが、物心つかない幼少時からの
長期にわたる肉親からの誤った刷り込みを
いまだにどのように見破ればいいのか、はたしてそれが本当に
誤ったものなのかどうかという判断すら、自信がありません。
それらの出来事、記憶、誤った自己像、心の傷などを、
私自身の自我と別個のものとしてとらえることが
できれば、この苦は滅することができるのでしょうか?
長年刷り込まれた心の連続的回路は、いまや一瞬で起こるもの
なのでしょうか。
また、こういったケースでの逃避行動としては、どのようなことが考えられますか?

904 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/09(金) 19:42:59 ID:ojFcw6wt
規制がとれたようじゃ。
>>894 そのような記憶の結果は既に劣等感として現れておる。
 他にも観察すれば結果としての反応が見られるじゃろう。
 それを過去の記憶から劣等感などが起こってると観察すれば苦は滅する。
 さらに過去の記憶が無ければ劣等感もないと逆にも観察するのじや。
 心の回路はすばやく反応するが集中力があり、何度も観察すれば十分に観察できるものじゃ。
 逃避にはさまざまなものがあるが、ひとつの観念に執着したり、金や名声や権力や異性などにも執着したりする。
 薬物やギャンブルにはまったりと、ありとあらゆる逃避がありえるものじゃ。
 苦を滅すればそのようなものに執着する事もなくなる。
 苦を滅した後になれば自分は何故そのようなものに執着していたのかと、不思議に思えるほどじゃ。
 苦を滅してこそ人は自由に生きられるのじゃ。

908 :894:2010/04/10(土) 21:22:09 ID:VnbS1Oab
>904
もしこの親の下に生れてなければ今自分はこうではなかっただろう、
ということは、いちおう頭では理解しています(想像)が、
そこから長年の習慣や記憶の苦しみを実際に断ち切るのは
むずかしいですね。
とにかく相当の集中力と観察力が必要、ということですから
まずそれを養うために坐ることから始めます。早く自由になりたいです。
レスありがとうございました。

911 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/11(日) 20:19:23 ID:dBnFh26p
>>908 頑張るのじゃ。
 苦を滅する法をしっかり身に付ければ苦もまた肥やしになるものとしるじゃろう。
421 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/18(金) 12:19:57 ID:6jb6qaJ.O
準備の出来ていない人に法を説くと、法に対し恐れや怒りを抱くケースがあるのですね。
おそらく、2500年前にも同じ事が起きていたのでしょう。

422 :避難民のマジレスさん:2010/06/18(金) 12:34:19 ID:h.Dlfz1M0
アホみたいに信じるよりよっぽど良い。

423 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/18(金) 12:50:55 ID:6jb6qaJ.O
>>422
法というのは仏法のことなんですが、仏法というのは涅槃に至る方法を差します。
信じる信じないではないんですね。念仏のように阿弥陀を信じるという仏法も有るようですが、私はやった事ないので判りません。

仏法とは実践が基本です。その結果、自ら取捨選択する。
沢山の仏法がありますからね。

424 :避難民のマジレスさん:2010/06/18(金) 12:52:55 ID:h.Dlfz1M0
>>423
何かあんた気持ち悪いよ。

425 :Ron:2010/06/18(金) 15:36:53 ID:DBAR.rAw0
>>423
なんにもわかってないようだね。

法とは、悟り、真実であって、方法ではないよ。
方法は方便と言う。

初めからのその中にいる、取捨選択のしようがないものが法だ。

法がわかったとき、それまでの思い込み、迷いは、消失する。

いままでの世界が崩壊する。
だから自分の考え、思い込みに執着している者にはわからないものだよ。。

429 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/18(金) 19:44:58 ID:hMlmt1ok0
>>421 そうじゃのう。お釈迦様の所にも伝統を頭から信じ込んでいるバラモンなどがやってきて、罵声を浴びせたというのう。
 ダンマパダにはこのように書かれておる。

227 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。

228 ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。

 あらかじめこのような言葉を知っていれば言葉によって動揺する事もなくなるじゃろう。
 お釈迦様でさえ非難されたのじゃ。
 ここに書き込む者が非難されない筈は無い。
 非難にも賞賛にも動揺せずに進むのじゃ。

>>422 そうじゃ、それが正しいのじゃ。
 わしを疑うのじゃ。
 疑い試してみるのじゃ。

437 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/18(金) 23:31:22 ID:6jb6qaJ.O
>>425
真実とは?

>>429
はい。

438 :Ron:2010/06/18(金) 23:40:47 ID:DBAR.rAw0
>>437
存在しているもの全て。

仏教がどうのお悟りがどうのと言う妄想のない世界だよ。。

人もなく、人のつくった観念もない、妄想の外にある現実だ。。

480 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/19(土) 20:41:50 ID:hMlmt1ok0
>>437 おぬしの書いた通りじゃ。
 全ての法は涅槃へ導く方法なのじゃ。
 それは毒矢の喩えを知る者なら誰でも判っている事じゃ。

 世間の真理として説かれた法でさえ実には修行の為のものじゃ。
 例えば物は下に落ちるという世間の法則はあるが、お釈迦様は説かれなかった。
 修行には役に立たないからじゃ。
 お釈迦様は無常の法則や縁起の法を説いた。
 世間が無常と知れば人は修行に励み、縁起を観察する事によって解脱ができるからじゃ。

 勝義諦でさえ修行のためにそのように観じるための方法に過ぎないものじゃ。
 それをして永遠普遍の真理と見なす事は、いかだの喩えを知らない無知によるものじゃ。
 捨て去られるべきものを真実とか、勝義と呼べるじゃろうか?

 未だに世には真のお釈迦様の教えを知らない者が多い。
 知らない者が本を書いて、それを読んだ者が頭から信じて混乱を深めておる。
 実践する者は自らの心身でその働きを証し、本に書かれた言葉の過ちを知るじゃろう。
 お釈迦様の真の教えは確かに効果があった、苦を滅することが出来ると知ったならば、非難や賞賛に動じる事無く進むのじゃ。

492 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/19(土) 23:35:12 ID:6jb6qaJ.O
>>480
人は死が近付かなければ、死を認めない。これが仏陀の苦悩だったのですね。
私は自身の精進にもう少し集中するようにします。

それと個人的に禅宗で広く使われている用語を勉強する必要があると感じました。
禅宗の信奉者は人数が多いようですからね。

493 :避難民のマジレスさん:2010/06/20(日) 00:23:05 ID:BpY8D7uY0
キンキは「法 = 涅槃に至る方法」が間違いだと指摘されて、それが禅宗独特の用語だって言いたいのかな。

ウパニシャッドでは「法」は最高の真理を意味する、らしい。
仏教の法は法則、縁起の理や四諦などの法則を示す。

少なくとも、一般的な仏教では方法の意味で使うことはない。

まあ、新興宗教のことはよくわからないけど、そういう使い方することもあるのかもしれないね。

551 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/20(日) 20:41:32 ID:hMlmt1ok0
>>492 うむ、そのようじゃ。
 禅に囚われて真のお釈迦様の教えがわからなくなっておるようじゃ。
 これを末法というのじゃな。

>>493 そうじゃ、おぬしの書いた通り、それが問題なのじゃ。
 毒矢の喩えやいかだの喩えを知れば判るように、お釈迦様は確かに知識や法則ではなく、彼岸に到達するための手段として実践し、達すれば捨て去られる方法としてすべての法を説いている。
 しかし、おぬしの書くように一般的な仏教では方法としてではなく、知識や法則として流布されておる。
 お釈迦様の喩えが正しいのなら、法は彼岸へ至るために実践し、更には捨て去られるべきものなのじゃ。
 
 この矛盾をそのままに千年もほったらかしておる。
 そして実践できないにも関わらず何となくありがたいものらしいと拝んでおる。
 
 例えば愛しい者に死に別れ苦しむ者が、それは愛別離苦じゃと知り、執着から起きるとか、そのような知識や法則を知っても苦が無くなる訳はない。
 苦はそれらを心の中に観察して初めて滅する。
 経典に書かれているのはそのように観察せよという方法なのじゃ。
 
 その理屈や証明はわしがするのではない。
 各自が自ら抱える苦を観察して確かめてみるしかないのじゃ。
 そうすればここで語られている事がどのような事であったか判るじゃろう。

 知識や法則ばかりを求める者が、それを理解できず、反発するのも無理はない。
 これはお釈迦様が語られて以来、今まで語られなかった事であり、自ら実践によって証明するしかないものだからのう。
 知識や法則を求めるだけの者には想像すら出来ない事じゃろう。

 ここにおいて真の法を知り、苦を抱えている者は幸いじゃ。
 何故なら真の苦滅の法を知る事ができるからのう。
 苦を抱え実践する者が、知識だけを求める者より早く真実を把握する事になるじゃろう。
 
 そしてわしのこの言葉を信じてはならんのじゃ。
 実践によって自ら証明し、今までかたられて来た事と今語られている事の正誤を知るべきなのじゃ。

563 :避難民のマジレスさん:2010/06/20(日) 21:27:22 ID:BpY8D7uY0
>>551
まあ、新興宗教はみんなそんなことばっかり言ってるな。
何を信じるのも自由だが。

634 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/21(月) 21:05:57 ID:hMlmt1ok0
>>563 信じなくて良いのじゃ。
 全てを疑えとお釈迦様は言ったが、他の新興宗教でそんな事を言った者が居ったかのう?
 お釈迦様は人の苦を滅する真の方法を授けた故に、全てを疑っても実践さえすれば人は自ら真実を知るとわかっておった。
 それ故に全てを疑えと言ったのじゃ。
 疑う者が行っても効果があるのが真のお釈迦様の教えじゃ。

 お釈迦様は確かに実践する為の方法として四聖諦を説いた。
 そして実践すれば必ず効果がある。
 おぬしもいつか苦が起こったならば思い出すが良いのじゃ。

636 :避難民のマジレスさん:2010/06/21(月) 22:17:06 ID:BpY8D7uY0
>>634
枝葉の部分ならとにかく、ダンマを方法といっちゃったらトンデモ仏教か新興宗教でしょ。
別に新興宗教があかんと言っているわけではないよ。

669 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/22(火) 20:12:27 ID:hMlmt1ok0
>>636 昔、イギリスの王立科学協会というのが空から石が降る隕石という現象はないと宣言したという。
 聖書にかかれている事が一般的な真実と思われていたから、星とは神様が夜に黒いカーテンをかけた穴から漏れて来る光と考えられていたからのう。
 空には石があるはずは無いと、一般的に考えられ、有名な者が言い、権威のある協会が宣言までしていたが、それは真実であったじゃろうか?
 
 一般的には考えられているが矛盾のある説と、矛盾はないがおぬしには怪しげな新興宗教に見える方法とどちらが真実であろうか?
 真実を見分ける事の出来る目は常に己にある。
 自分の目で隕石が落ちてくるのを見たなら、一般的に考えられ、本に記され、有名で権威のある者がそのような現象は無いと言っても、やはり隕石は空から降ってくると真実は判るじゃろう。
 
 おぬしが抱いている苦でも拘りでもなんでも良い。
 それが己の心の中に在ると観察し、その原因を知ってそれから苦が起こると観察し、原因が無ければ苦も無いと観察すればそれが滅するのを味わう事ができるじゃろう。
 そして苦が無くなれば方法は捨て去られる。
 お釈迦様の言葉に何の矛盾も無いと判る。
 全ての人間が矛盾のある説を信じていようと、おぬしだけは真実を知る事ができる。
 
 それはわしが教えるのではない。
 お釈迦様も誰も教えることは出来ない。
 おぬし自身が実践し、真実を知る以外に無いのじゃ。

686 :避難民のマジレスさん:2010/06/23(水) 08:13:41 ID:BpY8D7uY0
まあ、そんな大騒ぎしなくても

鬼の教えでは、「法=方法」なんだろ。
そして、根拠はないけど釈迦が言ったことになってるんだろ、鬼のなかでは。

あ、根拠は、「隕石が落ちる現象があるから、自分の言っていることは真実だ」だったっけな。
なにれ こわい。

687 :避難民のマジレスさん:2010/06/23(水) 08:33:56 ID:BpY8D7uY0
まあでも「法=方法」が正しいって説明に
ガリレオの天動説みたいな喩を持ち出すのもこわいなー

用語・用法の説明に世間が間違ってて自分の考えが正しいってのなんだろうなー
やっぱ、カルトかね。

693 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/23(水) 19:52:07 ID:hMlmt1ok0
>>686>>687 おぬしなかなか賢いのう。
 わしの書いた事が理解できたようじゃな。
 しかし、わしの言葉をそのまま信じてはいかん。
 もしかすると王立科学協会など無いかもしれんぞ。わっはっはっは。
 自分で真実を確かめるのじゃ。

694 :避難民のマジレスさん:2010/06/23(水) 23:18:31 ID:BpY8D7uY0
>>693
お前はバカだな。
人の言っていることが理解できないようだ。

701 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/24(木) 12:10:50 ID:6jb6qaJ.O
囚われると気付き難いと観察した。
また、怒ると囚われ易くなり、気付き難くなると観察した。

まずは三毒から離れるように努めることが大切だと思います。

702 :話にならん:2010/06/24(木) 12:40:30 ID:s4pTCzTU0
このスレに集う皆々様に。

たまに無言の行をやってみな。いかに言葉に頼りすぎていたかがよくわかるぞ。

>>701
三毒ってナニ?

705 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/24(木) 20:08:15 ID:hMlmt1ok0
>>694 わっはっはっは。おぬしつんでれじゃな。
 理解と肯定は違うものじゃ。
 理解した上で否定することもある。
 理解していなければそのような煽りは書けないじゃろう。
 
 そのような理解力こそおぬしの賢さの現われじゃ。
 賢いものは少しの間賢者に仕えても真理を知るという。
 知識を多く抱えても囚われれば何の意味もない。
 おぬしのように他人の言葉を理解することこそお釈迦様も認める賢さといえるのじゃ。

>>701 良い観察じゃ。
 そのように実践すれば聖典の意味も明らかになるものじゃ。

706 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/24(木) 20:08:48 ID:hMlmt1ok0
>>702

707 :話にならん:2010/06/24(木) 22:35:03 ID:s4pTCzTU0
>>705-706
鬼オショさんのレスの意図がわからん・・

709 :話にならん:2010/06/24(木) 22:38:03 ID:s4pTCzTU0
>まずは三毒から離れるように努めることが大切だと思います

それが出来れば、悟ったのと同じでない?

715 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/24(木) 23:28:51 ID:6jb6qaJ.O
>>705
三毒を離れる為の仏法と言うと戒律でしょうか。
貪りと怒りと痴を「三毒」と名付け、毒と認知させることも仏法と言えば仏法ですかね。
三毒をパーリ語で何と呼ぶのか調べてみます。

>>709
努める事、それ自体は悟りと同じではないと思います。
三毒から離れる事、これは私自身がまだ三毒から離れていないから判りませんが、悟りと同じなんじゃないかな。

726 :すもも:2010/06/25(金) 13:20:47 ID:ECg4uQDI0
不動心って、ぺたーっとした無感動な心、なんてやっぱりイメージしてたけど、違うね。
自由。このことかなあと思う今日この頃です。実感として。

天気がどうであろうが、
仕事がうまくいこうがいかなかろうが、
もっと言うと、
<自分という現象>がどうであろうが、

私は私であることができる。と思うだけで、ぴょんと身軽になる感じ。

730 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/25(金) 20:41:40 ID:hMlmt1ok0
>>707 無言の行じゃ。と書いてしまえば無言じゃなくなるのじゃ。
 困ったものじゃ。

>>715 そうじゃのう。
 怒りや貪りは気をつけていれば良いが痴を離れるのは難しいものじゃ。
 知識だけでは十分ではない。
 戒によって定が容易になり智慧が生じるのじゃ。

>>726 いい事じゃ。
 もう変な者に騙されんようにのう。わっはっはっは。

734 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/06/25(金) 23:52:36 ID:6jb6qaJ.O
>>726
不動心ですね。掲示板でも修行に成るでしょう?w

>>730
その意味では、三毒から離れる事にも順番があると言うことでしょうか?
怒り貪りを離れ、次に痴を離れると言うように。

735 :すもも:2010/06/26(土) 00:46:00 ID:2WBN7Xv60
>>730
>もう変な者に騙されんようにのう。

はぁん?w
鬼和尚もへんだわよー。(また釣り?です?w)
Rpnさんなくしてここまで来なかったのじゃ。
あと野良の象さんと。

けれど、彼らは鬼和尚に批判的。w
私には違いがわからないから、困惑するのじゃ。何が違うのかと。

ただ私は誰が誰に批判的でも、それに動かされて一緒に批判者になることだけはないな。
じっくり勉強して見極めていくのじゃ。

でも不動心。これでよかったんですね。
できているわけじゃないけれど、ふむ?これだな?という暗中模索。
どうもありがとうございます。



>>734
ほんとだねー。(・´艸`・)
やっぱり私はナイロンpanty派ってことで。w

737 :話にならん:2010/06/26(土) 04:25:25 ID:o7YqBt/g0
>>730
そうだったのか。困ったものじゃ。

764 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/26(土) 20:16:12 ID:hMlmt1ok0
>>734 特に順番はないのう。
 ただ易しいのと難しいの違いはあるのう。
 人によっては怒りを離れるのが難しいとか、人によっての違いもあるのう。
 
>>735 どういたしまして、またおいでなさい。

>>737 そうだったんじゃ、困ったものじゃ。
731 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/09(火) 18:36:28 ID:iL3DfLA2
鬼和尚さん、
息を意識して深く(またはゆっくり)しようとすると、
最初はうまくいくけど、後でだんだんそれ自体に疲れてきて
やめてしまいます。
前にヨガのまねごとしたことあるから、いちおう腹式呼吸とか
ウジャイ呼吸ってのはできるんだけど、なんていうか、あとが続かない。
数息観を適当に1週間くらい続けてみたけど、
最近なんだかしんどくなっちゃった・・・。
雑念もけっこううるさくて、雑念にとらわれながらも習慣でちゃんと
数は数えたりもできてしまう。
こんなでいいのかな。

732 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/09(火) 20:20:59 ID:dfhrUmQD
>>731 それでいいんじゃ。
 できておる。
 数えるのが邪魔なら途中でやめてよい。
 雑念がありながら呼吸も数えているのは意識が二つ働いているからじゃ。
 二つとも認識できる意識がある。
 それを自覚するのじゃ。
 やがて雑念も消えていくじゃろう。 

736 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/10(水) 16:04:09 ID:tjKR1Kkd
>>731です。
鬼和尚さん、
では、「雑念にとらわれない範囲で」雑念をおこすのと数を数える、
二つの異なる意識を認識してみようとすればよいわけですね?
とにかくやってみます。

偶然ですが、数息観はじめてちょっとしてから、日常に自分自身のことを
考えていてふと、「たしかに意識は複数あるなあ」と感じました。
意識っていうか、自分のなかにある複数の 人格 みたいな感じですが。

それから、睡眠中に夢を見る(見させる)意識は、一体なんなのでしょうか?
熟睡したいのに嫌な夢ばかりみて、寝ざめの悪いことが多いです。
やめさせられるなら、なんとかしてやめてもらいたい・・・。

737 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/10(水) 20:34:19 ID:8KaPkvIN
>>736 そうじゃ、やってみるんじゃ。
 夢も自分でコントロールできるものじゃ。
 集中力がつけば自然に出来るようになるが、できるようになる方法もある。
 夢のコントロールとか本も出ていたのう。

738 :健真:2010/03/10(水) 23:07:37 ID:wxKq4IbY
鬼和尚さんに質問します。

和尚=ラジニーシの本を読んでいると、輪廻(の法則)が出てきました。
ブッダもそのように考えていたと思われます。(はっきりとは書いていませんが)
鬼和尚さんの場合、輪廻はどのようにしてわかったのですか?

740 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/11(木) 19:59:35 ID:Zmt5aVKb
>>738 思い出せるのじゃ。
 集中力がつけばおぬしもできるようになるじゃろう。

767 :健真:2010/03/15(月) 18:57:03 ID:z+z7BD1S
「鬼和尚さんの場合、輪廻はどのようにしてわかったのですか? 」という問いに、
>思い出せるのじゃ。
ということですが、何生前まで思い出せるのでしょうか?

今日はお釈迦様が入滅された日ということを聞きました。あん?今日は俺の誕生日だぞ、
と思ったしだいであります。どうも、偶然が多くて驚いています。

768 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/15(月) 19:51:38 ID:LUKi0UWt
>>767 特に数えはしないのじゃ。
 昔は酷いことばかりじゃからのう。
 思い出す必要も無いからのう。

770 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/16(火) 14:25:18 ID:dIBJpgBw
悟った人たちは、肉体を失った後、何をしてるんですか?

775 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/16(火) 20:02:45 ID:anWA6iMI
>>770 おぬしを含む全てに還ったのじゃ。
 そしておぬしを待っているのじゃ。

781 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/17(水) 12:22:31 ID:oLNgqBwV
>>775
>おぬしを含む全てに還ったのじゃ。
>そしておぬしを待っているのじゃ。

全てに還ると、自分の個別の意志というのはなくなるのですか?
自分が完全になくなるということは認知症に近いのではと思えて怖い。
悟るのも考えものだと思えてきた。

782 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/17(水) 12:32:33 ID:PCC7pcH+
鬼和尚 前に、悟った人は死んでもまた生まれ変われるってゆってたじゃん
なんでもありなのじゃ、とかゆってたじゃん

783 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/17(水) 20:11:29 ID:u7/Clb9F
>>781 個別のものや意志と思っているものは実は始めから無かったのじゃ。
 あると間違って認識していたものが無いと正されるのじや。
 恐れる必要はないのじゃ。

>>782 何でもありなのじゃ。一番楽しいのがもう生まれないことなのじゃ。
 みんないってしまうのじゃ。
 空海は弥勒と共に帰ってくるようじゃがのう。

784 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/17(水) 20:53:24 ID:o3ZdV39A
つまり個性が消えることはないってことだね
涅槃ってなんなんだろ 悟らないとわからないか

790 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/18(木) 14:38:04 ID:h4Rqvdxb
>>783 何でもありなのじゃ。一番楽しいのがもう生まれないことなのじゃ。

このことですね↓

「またかの菩薩、乃至、成仏まで悪趣に更らず。
神通自在にしてつねに宿命を識る。
他方の五濁悪世に生じて示現してかれに同ずること、
わが国のごとくなるをば除く」 無量寿経 第二十八

791 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/18(木) 14:58:23 ID:h4Rqvdxb
おまけ:

「人は世間の情にとらわれて生活しているが、結局独りで生れて独
りで死に、独りで来て独りで去るのである。すなわち、それぞれの
行いによって苦しい世界や楽しい世界に生れていく。すべては自分
自身がそれにあたるのであって、だれも代わってくれるものはない。
善い行いをしたものは楽しい世界に生れ、悪い行いをしたものは苦
しい世界に生れるというように、おのおのその行く先が異なってお
リ、厳然とした因果の道理によって、あらかじめ定められていると
ころにただひとり生れて行くのである。そして遠く別の世界に行っ
てしまえば、もうめぐりあうことはできない。それぞれ善悪の行い
にしたがって生れて行くのである。行く先は遠くてよく見えず、永
久に別れ別れとなり、行く道が同じではないからまず出会うことは
ない。ふたたび会うことなど、まことに難しい限りである。

 それなのにどうして人々は世間の雑事をふり捨てないのか。各自
が元気なうちにつとめて善い行いをし、ただひたすら迷いの世界を
捨てて無量寿仏の国に生れたいと願うなら、限りない命が得られる
のである。どうしてさとりを求めないのだろうか。何を期待してい
るのだろうか。いったいどういう楽しみを望んでいるのだろうか。」

無量寿経 第三十一

792 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/18(木) 15:24:47 ID:MfBtRz5E
愛らしく慕ってくれて、心通わせるような生活を共に長く過ごした
ペットちゃんは、死んだらもう会えないの?

793 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/18(木) 19:43:34 ID:I8xANHCy
>>784 そうじゃ、自分で行くしかないのじゃ。
 寂滅為楽じゃ。楽しいのじゃ。

>>790 そうじゃ、極楽じゃ。
 おぬしも早く来るがよい。

>>792 夢の中で会えるのじゃ。
 夢の中で呼んでみると良い。

817 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/20(土) 16:39:16 ID:eSqhATd3
>鬼和尚さん
Q.自慰行為をすると今まで行って来た観察すらも出来なくなり、どうでも良いといった気持ちが全てを支配してしまいます。
和尚は悟りを得た後はオナニーは行っていませんか?

Q.僕は冷え症で、常に足が冷たいのですが、孤独・不安と戦いながら修行をしているだけは時は全身が温かくなります。
それも急激に体全体の血行が良くなったと実感できるのですが、和尚さんも修行時このような感覚はありましたか?
また、現在は体が冷える事はありますか?

820 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/20(土) 20:17:04 ID:3eyxa8Vc
>>817 人間としてのわしは死んだのじゃ。
 おなごをみても何も思わないのじゃ。
 顔をみても鼻や目があると思うだけなのじゃ。

 特に冷えないのじゃ。
 下腹の丹田に重さが集中すると暖かくなるのじゃ。
 ちべっとでは丹田に集中して熱を出したりしているのじゃ。
 冷え性ならやってみるといいかもしれん。

821 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/20(土) 22:52:31 ID:GdFVY9+L
>>820
>顔をみても鼻や目があると思うだけなのじゃ。

悟ったら、美的感覚というのはなくなるのですか?
芸術的感性は消え去るのですか?

822 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/21(日) 09:06:21 ID:hsHt66H+
>>821とまったく同じ疑問をもった
悟ったら音楽や美しい造形にふれて心動かされたり、
お目めくりくりのあどけない赤ん坊や動物の赤ちゃんを見て萌え死んだり、
花や月を眺めて情緒や風情を味わったりその感動を文学に表したり
できなくなるのですか?

凡人は涅槃の楽しみというのがまったく理解できないから、
これらのものがなくなると無味無乾燥な感じがする

823 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/21(日) 10:30:15 ID:hsHt66H+
あと、悟ったらそのままあっちに逝っちゃう人の方が多いのですか?
鬼和尚さんやお釈迦様は、他の人に教えるために戻ってきたけど、
悟ってこの世や生に執着がないなら、戻る必要ないですよね

つまりこれって、端から見たら座禅中に死亡ってことで・・・

827 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/21(日) 20:09:07 ID:qjusG2cD
>>821>>822 生きている者があるという謬見から、良い子孫を残したいと思いが生じる。
 そのために有利な伴侶を得るために美と醜の基準があるのじゃ。

 悟りを得れば何もかもが美になる。
 一本の草から空に浮かぶ雲など自然の全てに感動できるのじゃ。
 一休ののように、執着無しに愛する事も出来る。
 仮設された範囲内での芸術にも感じるものはあるのじゃ。

>>823 お釈迦様も行ってしまう所じゃったが梵天に請われたのじゃ。
 他人に説かなかった者はそういう者が多いかも知れん。

828 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/21(日) 21:17:07 ID:hsHt66H+
>827
一休宗純のことでしょうか?
一般に知られている彼の生涯では盲目の妾を大変愛したそうですが、
僧の身で子もなすなど、一見破壊坊主のようですが・・・


悟った後の身の振り方wについてですが、
そのまま気分よく涅槃に逝ってしまう人が多いとなると
まだこの先養わなければいけない家族がいるとか、色々としがらみある身の上
だと、その辺がなかなか怖くて修行できないですね・・・
それとも「あ、俺にはまだ病気の親と妻と5歳の子がいるじゃん」とか
気合いでちゃんと帰ってこれるんでしょうか・・・

というか、これが五障の一つかな(女人五障でない方の)

829 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/21(日) 21:44:59 ID:mITyJ1B5
>お釈迦様も行ってしまう所じゃったが梵天に請われたのじゃ。
>他人に説かなかった者はそういう者が多いかも知れん。

これは賛成。
全てのものに執着が無くなったんなら、じゃあ死ねよ。生きてることに執着してないんだろ?って話になってくる。
そういう人が生きる意味が何かあるとしたら、その考えを他人に説く存在としてしか意味が無い。
実際、釈迦はそうしてるしな。

他人に説くために悟るのが仏教。
己一人が悟って終わり、という教義の宗派は全てニセモノ。

852 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/22(月) 20:00:51 ID:ADbbuaCJ
>>828 そうじゃ、一休じゃ。

お釈迦様の付き人であったアナンダはお釈迦様に付き従っていたいために、修行をさぼってわざと悟らないでいたのじゃ。
お釈迦様が死んでからちゃんと修行して悟ったのじゃ。
集中力と観察力だけを鍛えて置けば、悟らずにいてその気になればいつでも悟れるじゃろう。

853 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/22(月) 20:01:50 ID:ADbbuaCJ
>>829 そうじゃ、おぬしも修行を終えたら戻ってきて人に説くのじゃ。

854 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/22(月) 20:09:59 ID:2wPCY6hf
>>852
それはいいですね!
最後の時間も方法も、自分で選べるのは理想の死に方だ
(まあ不意の事故や災害にあわなければ、だけど)

自分は一休禅師はあまり好きではないけど、西行法師は好きです

   願わくば 花の下にて 春死なん
      その如月の 望月のころ

ありがとうございます。安心して修行します

860 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/23(火) 20:22:15 ID:StT2V3BD
>>854 どういたしまして、またおいでなさい。

872 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/26(金) 19:49:43 ID:cJ9in7r9
ちょいとオカルトな質問をしますよ。

死んだ先祖が、墓参りをしないとか、供養の仕方が気に入らん、
などという理由で生きている自分の子孫を
祟ったり苦しめたりできるでしょうか?

先祖の誰かが犯した罪や買った恨みを、世代をこえて子孫が背負わされる
ということがあると考えますか?

呪術、というものは効力があるでしょうか?
人を呪うということの罪の重さはいかほどでしょうか?

(前文と似ていますが)
死者の霊が生きている人間に影響を及ぼすことはできますか?
幽霊(悪い影響)以外にも、守護霊(いい影響)というものはあるでしょうか?
また、妖怪や妖精の類は存在しますか?

873 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/26(金) 20:12:32 ID:Dza6CXW8
>>872死んだ先祖がたたるという事は無い。
むしろ生きている者の負い目や後ろめたさが障碍を作るのじゃ。
先祖の恨みを子孫が受ける事も無い。
そのように説明されて信じる者の心の中にそれは生じる。
呪われたと思って気にすれば効果が出る。
気にしなければ何も無い。
罪は普通に人を傷つけるのと同じぐらいじゃ。

親しい者が死者を思い、死者が答えれば影響は出ると言っていいじゃろう。
名前をつければ何でもある事になるものじゃ。心の中にのう。
妖怪や妖精も居るとする者には居るのじゃ。

874 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/26(金) 20:21:23 ID:cJ9in7r9
>>873
さっそくレスいただき、ありがとうございます。
だいたい自分の思っていた通りのお答えでしたので、
なんか色々と納得しました。
死者も親しい者の呼びかけに反応することもあるのですね。
自分の心に素直に生きていきます。

877 :おさかなくわえた名無しさん:2010/03/27(土) 10:34:50 ID:GHyiSdEB
鬼和尚さん
以下の人たちの中で1番偉い人はだれですか?
2番目に偉いとは誰ですか?

鬼和尚
釈迦
クリシュナムルティ

879 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/27(土) 20:27:20 ID:hIbI1iU6
>>874 どういたしまして、死者は夢の中で答えるじやろう。またおいでなさい。

>>877 みんな平等じゃ。平等の境地に行ったのじゃから。
375 :話にならん:2010/06/17(木) 05:02:22 ID:6NTA/NY60
鬼オショさんに質問します。

修行には座禅・ヨガ・歩行禅・念仏などあるようです。
鬼オショさんは座禅を推奨されていますが、人により合う・合わないがあるようです。
そのあたりを解説してください。

380 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/17(木) 20:23:56 ID:hMlmt1ok0
>>375 そうじゃ、道は人によって違うものじゃ。
 同じように瞑想をしても座る姿勢から方法まで己で編み出していくしかないものじゃ。

 座禅は集中力があり、長く座れる者に向いておる。それが出来れば進歩が早いものじゃ。

 ヨーガには多くの道がある。分類すれば禅もディアーナヨーガと言える。
 ただ神への信仰に囚われている故に、まだ全ての人間に開かれたものではないのが欠点じゃ。
 禅も念仏もヨーガをよく研究すれば為になる知見が得られるじゃろう。

 歩行禅は体を動かしていないとイライラするという者に向いているのう。

 念仏は阿弥陀仏などを全面的に信じきり、心身の全てを空け渡せる者に向いておる。
 そのような者にはむしろただ座るより早くサマーディに到達できるじゃろう。
 しかし、あまりにも阿弥陀仏に囚われ過ぎるとそこから離れられなくなる。
 悟りを得るためには最後には阿弥陀仏さえも捨てるべきなのじゃ。

 このような修行の道に合う合わないがあるのは人の性格によるものじゃ。
 例えば念仏にも阿弥陀仏より観音菩薩を好むという者もいるじゃろう。
 その時には観音を念じるべきじゃ。
 道は人の数だけあるといえるのじゃ。

779 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/27(日) 20:40:30 ID:hMlmt1ok0
悟りという観念に囚われた者に対して悟りは無いと説かれる。
仏という観念に囚われた者に仏は無いと言う。
実際にいくら座っていても悟りも仏もありはなしい。

観えるものは己だけじゃ。
己を求め、己を消すのが正解じゃ。
己を観る事も出来ないのに悟りだけはぽんと出てくるものではない。
己を知らない者がどうして仏だけは知るという事があろうか。

自我を知り尽くしその行を見抜いて滅し、それを観るものさえ消した時、先人の言った悟りとはこれであったと判るのじゃ。

785 :避難民のマジレスさん:2010/06/27(日) 23:27:15 ID:2.NvRhb.0
>>779
>己を知らない者がどうして仏だけは知るという事があろうか。
あるんだなそれが。
ていうか、それしかないのだが。

んー、どこでそんな誤解が生まれたのか知らんが
他者を導こうとか、最高のものを得たとか
そんな考えは捨てたほうがいいと思うよ

788 :避難民のマジレスさん:2010/06/27(日) 23:35:10 ID:2.NvRhb.0
>>779
>己を求め、己を消すのが正解じゃ。
あのー、1つだけ。
己を消そうとしちゃダメですよ。
その戦いは永久に終わりませんから。

796 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/28(月) 20:02:27 ID:hMlmt1ok0
>>785 おぬしの言う仏とは一体何じゃ?
 己を知る事も出来ない仏とはどんなものなのじゃ?
 逃げずにちゃんと答えるならば、おぬしの抱いている仏という観念への囚われが見えてくるじゃろう。

>>788 それは悟りとか仏に囚われた者への教えじゃ。
 おぬしにその自覚があるなら正しいがのう。

800 :避難民のマジレスさん:2010/06/28(月) 23:44:30 ID:2.NvRhb.0
>>796
> 己を知る事も出来ない仏とはどんなものなのじゃ?
議論するつもり無いよ
本当かどうか確かめて見るがよかろう。

813 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/29(火) 20:22:35 ID:hMlmt1ok0
>>800 哀れな事じゃ。
 正に悟りや仏の観念に囚われているのう。
 一つの観念すら捨てられない者が、どうして己の全てを捨てて悟りに達するじゃろうか。
 お釈迦様が教えを説いてから2000年に知識や技は増えたが、未だに悟りに至る者が少ないのは、そのように勇気が欠けているからじゃ。
 心の奥にある恐怖に負けずに己を見つづける勇気。
 今まで培った己というものの全てを捨てる勇気。
 それが無くては全ての知識も修行も何の意味もなくなる。

 例えば燃え盛る家の中に多くの人がいるとしよう。
 大部分の者は何もできずに時間と共に焼かれていく。
 わずかな者がこのままではいずれ焼かれると気づいて外に飛び出そうとする。
 ある者は家の中のものを全部捨てて外に飛び出せば大丈夫だと、知識は持っている。
 しかし、勇気がなくて飛び出すことが出来ない。
 そのまま気づかない者と共に焼かれていくだけじゃ。

 これと同じようにこの無常の世においてわずかな者が、不死の境地である悟りへの道を志す。
 しかし、知識や観念だけを抱いてそのままでいるならば、気付かない者と全く同じく何も出来ずに死んでいくだけじや。
 勇気を出して知識も観念も己も捨てるならば、知識を集め、修行をした意味もあったというものじゃ。

834 :避難民のマジレスさん:2010/06/30(水) 02:33:29 ID:2.NvRhb.0
>>813
喩え話というのは、伝えられない事柄を例えて解かりやすくするために、仕方なく出すものだが、
それとは違って話が全く見えない喩え話を出されても良く解からん。

2つめ、火事で死ぬ場合、多くの場合は焼け死ぬのではなく、一酸化炭素中毒によって死ぬ
火事の喩え話をするなら、このぐらいの基本知識は合った方がいい

3つめ、君の書いていることは、やはり一貫している。
知識によって火事から逃げ出した。火事の家の中から飛び出した。そして助かった。
それが、君なんだろう。

家とは己のこと。君は己の火事から逃げ出した。
しかし知識を放り出して、飛び出さぬヤツもいる。
それが君の知らないもの、理解できないものだ。
飛び出さぬヤツはどうなるだろう。
家が燃え尽きるのを見届けることになる。
そして、家がなくなった後も、まだあることを理解するのである。

839 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/30(水) 19:45:07 ID:hMlmt1ok0
>>834 どうやら理解したようじゃのう。
 別に良くわからんなどと書く必要はない。
 そのように己の観念や知識だけでなく他人の言葉を理解する事から、おぬしの真の成長が始まるじゃろう。

848 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/01(木) 20:04:24 ID:hMlmt1ok0
献身の道について語る時が来たような気がするのう。

855 :避難民のマジレスさん:2010/07/02(金) 05:55:41 ID:vw3hcs3QO
>>848

南無阿弥陀仏におすがりすれば、
本願成就との教えですね。

仏とは
凄い力がおありと理解出来ます。

仏(神)は又、
不可思議な存在であり、不可解であります。

その仏様は
どのような御心なのでしょう。

慈悲慈愛の方であるとの御教え、
本願成就の御教え、からすれば、
仏様は
お近づき難きものでしょう。

が、
仏法で仏の道を歩まれる方々が
多くおられますね?

仏とは?
神とは?

鬼の目に涙とは如何なる事を指摘するのだろう?


鬼さん?

858 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/02(金) 20:03:59 ID:hMlmt1ok0
>>855 そうじゃ。
 神仏とはそのまま人の心に他ならないものじゃ。
 全てがそれであり、全てを超えたものもそれなのじゃ。
 際限がなく、分別もない。
 神仏の名とイメージを無くした時、初めて見えるものなのじゃ。

889 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/05(月) 19:55:48 ID:hMlmt1ok0
 献身の道とは大体神仏の観想を行いそれと一体化する修行じゃ。
 神と仏は本来違うものじゃが、ここではイメージとして同等に扱う故に一緒にしていうのじゃ。
 浄土宗や密教などが主に行っているものじゃ。
 神仏を観想するのは極楽へ行くためとか、その力を借りるために行われると思われているが、ちゃんとやればそれもまた悟りへの道になるものじゃ。
 神仏を心底敬愛している者には呼吸を数えるよりも早くサマーディにまで至れるものじゃ。
 呼吸を愛する者はおらんが、神仏を敬愛する者は多い故に。
 そのような者が神仏と一体化すると観想すれば、無念夢想の境地が速やかに現れるのじゃ。

890 :話にならん:2010/07/05(月) 21:29:30 ID:PcAGZZZk0
>>889
密教そのもの・・・みたいだ。

902 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/06(火) 20:24:10 ID:hMlmt1ok0
>>890 技術は密教の方が整っているのう。
 心掛けはむしろ浄土教の方が良い。
 神仏に完全に心身を委ね切るのは技術だけでは難しいものじゃ。

 
 大体の道筋は神仏をイメージして一体化し、サマーディに入る。
 そして、その状態で自我の成り立ちを観る。
 自我が落ちるとその状態を観ている認識も無くす。
 そのように進む。

 神仏と一体になったサマーディによって、自我を観る事が容易になる。
 サマーディに到達し、神仏のイメージ無しでその状態になれるならば、神仏のイメージは捨ててよいのじゃ。
 それは集中力を増すためのイメージに過ぎないものなのじゃ。
 用がなくなった後も神仏のイメージに囚われるならば、それより先には行けないものじゃ。

903 :Ron:2010/07/06(火) 22:37:42 ID:DBAR.rAw0
>>902
そんなパクリ知識を言うために、「説く時が着た」とかもったい付けてんのか。。

密教の行法は、資格のある師しか教えられないし、師から教わった者しか修行してもいけない。

それを、いい加減なデマカセを交えて勝手に説いたら仏罰が下るだろう。。

914 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/07(水) 20:05:37 ID:hMlmt1ok0
>>903 でたらめなら誰が説いてもよかろう。
 真の教えならばわしが最初の有資格者ではないか。わっはっはっは。
 おぬしはむしろ献身が向いているかもしれんのう。


 献身を行う者は先ずは自分が最も敬愛する神仏、菩薩などを選ばなければならない。
 浄土教だから阿弥陀如来を、真言だから大日如来を乾燥しなければならないという事はない。
 本当は観音菩薩が一番好きじゃとか、宗旨とは違うが不動明王がいいという者もいるじゃろう。
 そのような時は自分の心に素直になり、最も敬愛する神仏を選ぶのじゃ。
 
 それは自分の心を見てこなかった者には難しい事かもしれん。
 何が本当に好きなのか、心を誤魔化してばかりいれば判らなくなったりするものじゃ。
 献身の道は神仏を敬愛する心情を発揮するものであるから、己の感情に素直に従うのが原則といえるのじゃ。

921 :Ron:2010/07/08(木) 00:38:05 ID:DBAR.rAw0
>>903
デタラメと認めたか。。

>献身を行う者は先ずは自分が最も敬愛する神仏、菩薩などを選ばなければならない。

どうしてこんなデタラメばっかなんだろう。。
というか、全部デマカセでほとんどなにも合ってない・・三昧のためだけに観想があると思っているのか。。

どこでそれを「献身の道」と呼ぶと覚えたのか・・日本語の意味わかってないんじゃないか。。

いつもながらボケが激しすぎ。。

924 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/08(木) 19:59:26 ID:hMlmt1ok0
>>921 ようやくおぬしも自分が観えたようじゃのう。
 たいした進歩じゃ。
 あんかーみすというやつかもしれんがのう。わっはっはっは。

925 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/08(木) 20:20:29 ID:hMlmt1ok0

 観想をするにはイメージが大事じゃ。
 神仏がイメージ出来るように修行が必要じゃ。
 観無量寿経にはイメージを訓練する過程が載せられておる。
 最初は夕日とかイメージしやすいものを思い浮かべる。
 それが心の中にありありと見えるようになったら、川とか大地とか木などをイメージする。
 それも見えるようになったら、神仏の降りる座席をイメージするのじゃ。
 阿弥陀如来や観世音菩薩なら巨大な蓮の座席とかを最初に思い浮かべる。
 そして、神仏の本体をイメージするのじゃ。

927 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/07/09(金) 08:06:59 ID:6jb6qaJ.O
神仏の観想を自身の呼吸と同期させるとより効果的かと思いました。
例えば、息を吸うときは神仏の後光が輝きを増し、吐くときは輝きが薄くなるなど。想像は様々で良いと思いますが。

928 :避難民のマジレスさん:2010/07/09(金) 08:24:49 ID:KOTGoZaI0
そういうのって、仏教の修行じゃなくて自己啓発のたぐいじゃないの?
鬼は「お釈迦様はそんな事をおっしゃって無いのじゃ。」とか他人には言うくせに、
なんでこんな能力開発みたいな事を推奨するんだ?

それとも釈迦がこういう指導をいてるのか?

929 :話にならん:2010/07/09(金) 10:55:50 ID:jAZHB7H60
献身というのは、どうも自分に向いていないようだ。
阿弥陀仏や不動明王などをイメージできないよー。偶像崇拝は無理みたいだ。

940 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/09(金) 20:17:47 ID:hMlmt1ok0
>>927 そうじゃ、いろいろ試してみると良いのじゃ。

>>928 お釈迦様の言葉だけでは悟れないおぬしのような者のために、目覚めた者や菩薩が説いたのじゃ。
 
>>929 自分に向いていないものを知るのも修行じゃ。

941 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/09(金) 20:26:48 ID:hMlmt1ok0

 イメージする神仏の姿は、自分の最高の理想とするものでなければならんのじゃ。
 観無量寿経では何キロも身長のある巨大な阿弥陀如来や、観音菩薩が説かれておる。
 必ずしも巨大である必要はないが、そのように想像を絶するほどの神仏のイメージを心に浮かべる必要がある。
 理想的な神仏の姿は人によって違うじゃろう。
 それはある者には両親の姿に似ていたり、あるいは現世の敬愛する者の姿に似ているかもしれん。
 そのような神仏のイメージは極めて個人的な物であり、他人に告げるものではない故に、心置きなく己の理想をイメージを作り出すのじゃ。

959 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/10(土) 20:30:01 ID:hMlmt1ok0

 神仏のイメージが出来たら一体化をするのじゃ。
 一体化にはさまざまな方法がある。

 自分が小さくなって神仏の胸に入り、神仏が小さくなって自分の胸に入るというイメージをする。
 
 神仏の眉間から光が出て自分の眉間に入り、その光が自分の胸に回って胸から出て神仏の胸に入る。
 その光が神仏の眉間に回ってまた自分に入り、ぐるぐる回る。
 光がどんどん大きくなって光の中で一つになる。

 自分が大きな神仏の中に入り、同時に小さな神仏が自分の中に入る。
 大きなものは小さくなり、小さいものは大きくなって自分と同じ大きさになる。

 ただ単に神仏のイメージを強く思い浮かべて集中する。
 なと゜の方法がある。
 どれがいいという事はなく、自分に合った方法を見つけるのが大事じゃ。

961 :エッチでリッチな なめなめおじさん:2010/07/10(土) 22:02:10 ID:wXLEXL4E0
>>959
鬼ちゃん、こりゃいいわぁ~~~~~♪
参考になったのじゃ^^

962 ::2010/07/10(土) 23:28:10 ID:bHkj8v8M0
鬼が密教語り始めたんだなw
入我我入だっけ??
そんな識の領域のお話して、出来上がるのは勘違いしちゃう奴が多かったりするんじゃねえか?

そんな思い込みの、要、不要論でも考えて突き詰める方がよっぽどマシかも知れん。

970 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/11(日) 20:06:12 ID:hMlmt1ok0
>>961 まだ続くのじゃ。

>>962 そう書いているのは何じゃ?
 おぬしの自我というものかのう。

972 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/11(日) 20:18:21 ID:hMlmt1ok0

 神仏との合一が果たされたならば、思考や認識の働きは緩くなり、忘我の状態になるじゃろう。
 一度でならなくとも修行を続けていけば、その時はくる。
 我という物の認識が一時的に止まった状態、それがサマーディなのじゃ。
 その状態ならば自我の生起を、自己同一化せずに観る事ができる。
 
 思考や感覚などの同じ繰り返しによっていつも感じる自分というもの。
 いつもと同じように感じ、反応する同じ自分という偽りの自己認識。

 そのようなものが合一した神仏の視点から、無になった心から観る事ができる。
 それらを残す事無くくまなく観察し、滅し尽くさなくてはならない。

987 :避難民のマジレスさん:2010/07/12(月) 12:30:21 ID:XaAN5D1Y0
>>925 >最初は夕日とかイメージしやすいものを思い浮かべる。


2分24秒から
第一の観 「日想観」から順に仏様が解説してます

992 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/12(月) 20:49:36 ID:hMlmt1ok0
>>987 いかすのう。

993 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/12(月) 21:10:29 ID:hMlmt1ok0
我というものが完全に滅すれば神仏もまた生じる事がなくなる。
為す者と為される物が消えたそこにおいても、未だそれを認識するものがあると気づくじゃろう。
その認識をも滅した時、悟りは完全に徹底されるのじゃ。
そこにおいてはもはや語るものも、語られるものもない。

どのような行も最後には我を滅し、それを認識するものをも滅さなければ完全とは言えない。
我という者に執着すればそこへは辿り着けない。
この献身の道によっても我に執着する者は、神仏に執着し、捨てられないじゃろう。
それは神仏に囚われるのではなく、神仏に認められる我に執着する故なのじゃ。

神仏を敬愛する者には献身の道は速やかにサマーディまで導くじゃろう。
しかし、悟るためには我も神仏も捨てて行かねばならん。
修行者達よ、全てを捨てて完全なる不死の境地に行くのじゃ。

10 :話にならん:2010/07/13(火) 11:07:51 ID:F0p4kVMI0
前スレ
>>993
「修行僧よ・・・」、かっこいい! でも、何人いるのかな・・

11 :話にならん:2010/07/13(火) 11:09:42 ID:F0p4kVMI0
「修行者達よ」だった。

12 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/13(火) 20:44:28 ID:hMlmt1ok0
>>10>11 いっぱいいるじゃろう。大体60億人ぐらいじゃな。

47 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/14(水) 20:36:50 ID:hMlmt1ok0
例えば賢く、慈悲のある親がいたならば、子供がいつまでも自分の下にいればいいとは思わないじゃろう。
子供が自分以上に成長し、いつか独り立ちするのをむしろ喜ぶじゃろう。
そのように神仏も真に智恵があり、慈悲深い親のようなものならば、自らを敬愛する修行者がいつまでも我が下に居るより、むしろ自分よりも成長し、自らを灯明とする事を喜ぶじゃろう。
子供が親の糧を利用して育ってもむしろそれを喜びとするように、神仏もまた自らを利用して成長する修行者を喜ぶ。
自らのためでなく、全ての衆生の利益をもたらすのが目覚めた者なのじゃから。

49 :話にならん:2010/07/14(水) 21:37:47 ID:OEpVo8Q60
>>47
かっちょいい! 7月の法話は「献身」で決まりですね。

51 :避難民のマジレスさん:2010/07/14(水) 22:38:53 ID:vw3hcs3QO
親を乗り越える様に
神仏より尚、
貴方方が進み行き、献身的業を示すなら、
神仏も喜ばれる事でしょう。

(^O^)(*^_^*)
遥か未来を見る様な思いがする~
そんなこと
出来るの~
ふ~ん

52 :キンキ鬼ッズ ◆Kids/N.vso:2010/07/14(水) 22:51:35 ID:6jb6qaJ.O
何かを為すことでそれに囚われるなら、何もしない方が良い。
しかし、何かを為すことで悟りに近づくならば、それはした方が良い。

ありがとうございました。

57 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/07/15(木) 20:31:42 ID:hMlmt1ok0
>>49 書いてみたのじゃ。

>>51 気が付けば追い越しているじゃろう。
 成長とはそのようなものじゃ。

>>52 なんだかしらんがどういたしましてなのじゃ。
167 :避難民のマジレスさん:2010/05/19(水) 16:25:17 ID:vw3hcs3QO
悟りとは ?

悟るって何を悟るのょ、
そして悟りとするのょ?


私には貴方方の言われる事が解らない。


悟りって煩悩ゃ苦悩を取り払う事なの?


(^O^)(*^_^*)
見えてこないなぁ

213 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/19(水) 20:20:34 ID:hMlmt1ok0
>>167 悟りとは人の自我が落ち、認識をも転換する現象じゃ。
 日本語では悟りというが、何かの知識とか、思想を得る訳ではない。
 インド人は目覚めといった。
 煩悩や苦悩も無くなる。
 それを受ける己も認識もないからのう。

634 :海空理のおっさん:2010/05/29(土) 04:25:43 ID:vw3hcs3QO
鬼和尚さん?

あなた? 本物和尚さんなのょね?


無我の実相体験程、怖いものないゃ。

歪みのない和尚さんが見る世界が
南無なんて

鬼和尚さん?
あなた?
本物ですね。


知り得ない事がない真理の目を
育まれようとする鬼の言葉には
実想的な予感がするのは
私だけだろうか。

643 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/29(土) 20:01:56 ID:hMlmt1ok0
>>634 わしが本物じゃ。

3 :海空理のおっさん:2010/06/06(日) 18:05:08 ID:vw3hcs3QO
無になり、目を瞑ると無我になったが、
それから、

どうするのだろか?

鬼和尚 !

で?

それから それから

教えて~


そのままなら、、、
得意とするところだにゃ~

6 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/06(日) 19:54:33 ID:hMlmt1ok0
>>3 無我になったのなら、自我の成り立ちを観る事ができるじゃろう。
 自我の中に居たのでは自我は見えない、自我を止めてこそ見えるものじゃ。
 それが縁によって起こり、無ければ消えていく、ただの反応の一部であったと気づけば、それを感覚や行動の主であるという謬見から逃れられるじゃろう。
 そのようにして自我は落ちるのじゃ。

 そして更に自我が落ちた後にも、それを観ているものがあるじゃろう。
 それも無くした時に悟りは得られるのじゃ。
 自我という障壁がなくなれば、それは何もしないで落ちるじゃろう。

63 :海空理のおっさん:2010/06/07(月) 03:41:02 ID:vw3hcs3QO
>>6


無になれれば、

一応の悟りかな?


南無阿弥陀仏って

無では、決してない

と思うょ!


さて さて?

貴方達! 無になって少しは世の中見てみなょ?


文句が多いね?

73 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/07(月) 20:03:25 ID:hMlmt1ok0
>>63 サマーディだけでは未だ一瞥したのみじゃ。
 阿弥陀仏の本身もどこまでも突き抜ければ無となる。
 勇気を出してさらに先に行くのじゃ。
 そこに全てが在る。

74 :海空理のおっさん:2010/06/07(月) 20:25:45 ID:vw3hcs3QO
>>73

ほんと、

勇気がいるわね!

まっ

どんな世界にたどり着くやら、、、

140 :海空理のおっさん:2010/06/08(火) 05:46:48 ID:vw3hcs3QO
>>74


鬼和尚どうすればよいの?


ただ、時間が過ぎるだけです。


気が付くと、

時間が過ぎている。

154 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/08(火) 20:32:33 ID:hMlmt1ok0
>>74 そうじゃ、勇気が大事じゃ。
 どんなに知識や技術があっても、最後まで己を探求する勇気がなければそれは来ないのじゃ。
 一歩踏み出せば極楽じゃ。

155 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/08(火) 20:39:25 ID:hMlmt1ok0
>>140 はっきりと意識を保って集中するのじゃ。
 思考が消えても、感情が消えても、認識が消えても、言葉にもイメージにもできないものが在るとは言えないが在るじゃろう。
 ただ在るがままに感じるのじゃ。

185 :海空理のおっさん:2010/06/09(水) 06:03:31 ID:vw3hcs3QO
>>155

世界があるね?

それを感じるの?


光を観れば光

花を観れば花

山を観れば山

女を観れば女

全を観れば全

個を観れば個

音を聴けば音



無になれば無

でしょ?



そのまま、
感じるの?


暖かいょね(語弊あるけど、)

197 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/09(水) 20:23:43 ID:hMlmt1ok0
>>185 世界とか、光とか名づけられるものではない。
 ただ在るがままに、来るものを拒まず感じるのじゃ。
 仏も神も来るならば来させ、去るならば去らせる。
 そうすれば無と感じていたものも、微妙なる意識が在ったと気づくじゃろう。

214 :海空理のおっさん:2010/06/10(木) 02:32:29 ID:vw3hcs3QO
>>197

でも
名付けないといけないゃ。

で、無が悟りですか?

無になり、観察され、
微妙な意識に目覚め、
更には、
それを棄て
無になり悟りますか?

しかし、
昔から、無に励む僧は多く、
教えがあるでしょう。
無も悟りでしょうが、
補いとして
声聞縁覚があるのでしょうね?

そして、更に

悟り

菩薩になります。

悟りは深まり

仏ともなりましょうし

更なる悟りも

あることでしょう。
神仏に聞いてみないと、

ね?




無になり
何を悟られました?

帰命

南無阿弥陀仏。

225 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/10(木) 20:31:43 ID:hMlmt1ok0
>>214 名づけなくてよいのじゃ。
 それが本来の在り方なのじゃから。
 何ものかを悟るという事は無いのじゃ。
 悟られるものも、悟るものも無い。
 認識が改められ、言葉を超えたものを了解した時、人は目覚めた者と呼ばれるのじゃ。

229 :海空理のおっさん:2010/06/11(金) 03:09:56 ID:vw3hcs3QO
>>225

別に名付けなくても良いけどね。

釈迦は阿弥陀として、
無量寿 不可思議光 とし、
色々、悟りを語っているようね?

無は悟りね!

でも、無により、在るものを了解し、
更に
認識しなきゃ!
その認識が悟りとされる。

世界は三千世界だ。
様々な悟りがあると思うょ。


世界が在り、その世界を正しく認識するなら

《悟りを開いた人》
と言える
と思う。


鬼和尚さんの悟りがどの様なものか、
わからないが、
無の認知した同じ世界を見詰めているのだろうか


悟りとは ?

236 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/11(金) 20:29:36 ID:hMlmt1ok0
>>229 お釈迦様も阿弥陀仏も悟りを語ってなどいないのじゃ。
 語られるものは全てそこに至る道だけなのじゃ。
 そこには無さえも無い。
 無と呼べるものも観念であり、言葉に過ぎないのじゃ。
 世界も認識もまた仮に設定されたものであり、それが在るのでもなければ無いのでもない。

 実にはこれが悟りとかあれが悟りとか言えるものは何も無い。
 ただ真摯に己の心をどこまでも見つめて行くしかないのじゃ。
 それが真の心からの探求ならば、いつか訪れるものがある。
 言葉には出来ないその現象を悟りと仮に言うのじゃ。

255 :海空理のおっさん:2010/06/12(土) 13:44:56 ID:vw3hcs3QO
鬼和尚さん!

まぁ

貴方が世界と一体なら、
貴方は何を知ることが出来、
その世界をどうすることが出来るでしょう?

何も知ることが出来ないし、
することも出来ませんか?

一体ですから、

出来るんですょね?
少なくとも、
私は好きにしました。

258 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/12(土) 20:44:22 ID:hMlmt1ok0
>>255 例えば爪に世界と名づける。
 世界はわしと一体じゃ。
 世界が五本の指先にあると知れる。
 世界で耳をかいたり、鼻をほじったりできる。
 世界が伸びてきたら切ったりする。
 世界を燃やしたり、ひっかいたりもできる。

 世界とはそのようなものじゃ。
 名づけられる何もかもが言葉だけの存在じゃ。
 それに囚われがあれば先に進むことができないのじゃ。

262 :海空理のおっさん:2010/06/12(土) 23:50:10 ID:vw3hcs3QO
>>258

そうょね?
それが世界です。
世界自信がそれを自らします。

又、一体ですから、貴方も出来るのです。

昔からの教え《神通力6種》
他心通
天耳通
天眼通
宿命通
神足通
漏尽通

があります。

漏尽通は仏の不思議ですから、
多義に渡ります。



鬼和尚は何故、神通力の講釈をしないのですか?

僧の不思議は一般的ですょね!

昔からの名ある神の子・仏の子達は
無論、神通力を

多用しました。

274 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/13(日) 19:59:20 ID:hMlmt1ok0
>>262 例えば子供が砂遊びをしているとしよう。
 ある子供は砂で作った団子を手を触れずにもちあげられる。
 別の子供は砂の団子を二つにすることができる。
 遊んでいる間は自慢になるじゃろう。
 しかし、遊びの時間が終われば何の意味もなくなる。

 神通力とはそのようなものじゃ。
 仮設された世界では人目を引くじゃろう。
 しかし、死に対しては何の意味もない。
 それで傲慢になっては終わりじゃ。
 
 むしろ人が己の心に何も隠すことがない事こそ、真の奇跡と呼ぶべきなのじゃ。

284 :避難民のマジレスさん:2010/06/14(月) 14:22:17 ID:vw3hcs3QO
>>274

ショックだなぁ

仮説世界での砂遊びですか?


我々は
架空の世界で、遊んでいるのかではないょ!

命を燃やし、命懸けで、
人生を歩んでいます。

喜びと苦しみの中で、
より良い人付き合いの為に、
より良い社会の為に、
より良い人生の為にも、

頑張っているの。



鬼和尚さんは
いい加減な仮説世界で砂遊びされているのですね?

291 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/14(月) 20:38:24 ID:hMlmt1ok0
>>284 残念なことじゃがこの世界では多くの者が未だに愚かな砂遊びに命まで賭けているのじゃ。
 見た事もない神のためにサリンを撒いたり、自分の体に爆弾を巻いて他の神を信じる者をより多く殺そうとしておる。
 それがよりよい世界を作るためとか、最も良きもののために考えた末の行いとしてのう。
 恐怖と不安から逃れられない思考は、どのような動機も他の社会への破壊へと結びつけずにおれないのじゃ。

 それ故に目覚めた者は社会をどうにかする以前に、一人一人の人間が闘争を離れ、賢くあらねばならないと知り、人を目覚めさせるためにのみ語るのじゃ。

303 :海空理のおっさん:2010/06/15(火) 01:25:27 ID:vw3hcs3QO
>>291
目覚めると言っても、
仮説 妄想の世界として目覚めるのでは
何ら益をもたらさない。
それどころか
人心は荒廃し、社会の混乱と自浄力の滅失は避けられない。
その観察が何処に、人を幸せに導く知恵があるのだろう。

世界は仮説であり、妄想で砂遊びならねぇ!

でも、人は真剣ょね?
生きんが為にも、、、
何処に、神の為に人を殺す人達がいるのでしょうか?
神の加護を期待し、自分達の利益の為、人達を殺めるだけでしょう!


無の悟りを得たなら、
釈迦仏も垣間見た命の根源
無量寿命 不可思議光を見逃さないて欲しいものです。


それこそは、釈迦仏の教えですからねぇ。

321 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/15(火) 20:04:44 ID:hMlmt1ok0
>>303 そうじゃ、それが人が神や仏を信じるという事じゃ。
 己に利益をもたらす神や仏をのみ信じると言う。
 同じ神といいながら実には誰もが己の妄想を信じるふりをしている。
 よほど真剣なものでも信じたいと願っているだけなのじゃ。
 
 目覚めとはそのようにイメージや言葉に貶められるものではない。
 真の目覚めとは利益と不利益を離れ、存在と不存在を滅する言葉の範疇には無いものじゃ。

 無の悟りも無でない悟りも共に無い。
 それが悟りだと思ってしまえばそこで修行は止まってしまう。
 経典に現された言葉の真の意味を知りたければ、実践して行く以外に無いものじゃ。

349 :海空理のおっさん:2010/06/16(水) 05:56:29 ID:vw3hcs3QO
>>321

鬼和尚さんが

一体の内で、
幸せを感じ、極楽を意識するなら、
その境地は
釈迦仏の得たものと同じようなものなんでしょうね

例えば、
花は何時までも、華やかに息ずき、
時の移り気を失せさせ、
何時までも、何時までも
一時の如く、
見て更に、飽きることがないのでしょうね


鬼さんには
並々ならぬ無我への探求を感じさせられます。

私には、とても立ち入ることは出来ません

先代達の御教えや、貴方のような僧の教えを噛みしめ行くだけです。


ただ、人達の目覚めの発覚が
世界の本質であって欲しいと
希望するだけです。

355 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/06/16(水) 19:56:22 ID:hMlmt1ok0
>>349 そこに至るには知識よりも技術よりも勇気が大事じゃ。
 自分の心に向き合う勇気があれば、 叶わぬ事はない無いのじゃ。
62 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/03(火) 20:13:30 ID:hMlmt1ok0
神を知らず、神を信じていない者が神を語るようじゃのう。
本当に神を知るならば、語る必要はないじゃろう。

131 :避難民のマジレスさん:2010/08/04(水) 22:29:38 ID:8u3Ja1DQ0
止の瞑想をしている時と日常生活を送っている時の差異が殆ど無い。
止=流れるまま放っておく
日常=流れるまま放っておく
違いは眼を閉じてじっとしているか、いないかくらい。

これってちゃんと出来てるってことなんですかね?
それとも、もっと奥まった境地があるんですかね?

166 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/05(木) 20:16:28 ID:hMlmt1ok0
>>131 それでいいのじゃ。
 もういきなり辻斬りにあっても動揺しないじゃろう。
 極めればもっと先がある。
 やがて我を忘れるサマーディに入るじゃろう。
 そして完全に我を滅し、無為になる。

 そこまで行かなくともすでに観察によって苦を滅するのも容易じゃろう。
 自らを観るのじゃ。

174 :避難民のマジレスさん:2010/08/06(金) 01:43:48 ID:8u3Ja1DQ0
>>166
ほえ~、なるほど。
どうもありがとうございました。
観もやってみます。

181 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/06(金) 20:06:01 ID:hMlmt1ok0
>>174 そうじゃ、頑張るのじゃ。わしがついとるぞ。

195 :Mr.:2010/08/07(土) 18:56:41 ID:1msGdFSQ0
人は死ぬってこと忘れてたわ。
思い出したら数日続いた怒りが消えてもうた。

196 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/07(土) 20:02:14 ID:hMlmt1ok0
>>195 そうじゃ、いつも死を想うのじゃ。
 そうすれば余計な事などしている暇は無いと気づくのじゃ。

197 :Mr.:2010/08/07(土) 22:19:08 ID:1msGdFSQ0
>>196
そう。最近ゲームにハマり過ぎた。
ネットは色んなものが無料で手に入るから、俺のように弱い人間はどうしても何かに逃げてしまう。

来週には引っ越すから、ネットも止めて静かな環境を作ってみるよ。

198 :すもも:2010/08/07(土) 22:34:08 ID:zeTdFPwI0
ほんとうだ。。

鬼和尚

過去は、記憶という妄想なのは了解していたけど、
未来も、予測という妄想だということに初めて了解した。
本当に、今しかない。

で、死は未来にあると思ってる。。っていうのはなんだ?と。

なんとなーくもやもや~~っとした感じ。。です。


また来させていただきます。
ありがとうございました。

217 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/08(日) 20:04:03 ID:hMlmt1ok0
>>197 いい事じゃ。
 犀のように歩むのじゃ。

>>198 よい気づきじゃ。
 過去にも未来にも囚われず、目前を見るのじゃ。
 そこにあるものに気づくじゃろう。

219 :すもも:2010/08/08(日) 21:13:53 ID:KlbZjY9M0
>>217
鬼和尚

ありがとうございました。

220 :避難民のマジレスさん:2010/08/08(日) 23:25:16 ID:aR0Z91GgO
観の時って、言語化してもしなくてもいいんですか?
苦は平易に形容出来て初めて滅するのでしょうか。
それとも、論理性は二の次でよいのでしょうか。

229 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/09(月) 19:51:33 ID:hMlmt1ok0
>>219 どういたしまして、またおいでなさい。

>>220 言葉にしなくてもよいのじゃ。
 ただ゜観るだけで滅していくのがわかるじゃろう。
 それはさまざまな感覚があるじゃろう。
 怒りや悲しみなどの感情や体の奥にある塊のように感じるかもしれん。
 その一つ一つを言葉や論理にしなくとも、観るだけで消えていくのが判る。
 言葉や論理にすれば、何度も観るのが容易になるが、それは記憶として処理してしまい、今在る感覚が失われる恐れもある。
 言葉や論理に依存せずに、ありのままを観察するのじゃ。

230 :避難民のマジレスさん:2010/08/09(月) 21:26:00 ID:aR0Z91GgO
>>229
なるほど、分かりました。
どうもありがとうございました。

231 :避難民のマジレスさん:2010/08/09(月) 22:35:38 ID:aR0Z91GgO
すみません、もう1つ!
家族関係の執着ってやっぱりかなり深く根付いているものなんですかね?
割りと早めに無害化すると思ったらそうでもなかったので。この根付き具合が3大欲求の近くまであったりするのならまだかなり先の話になりそうなので、人生設計を考え直してより長期的な方向に練り直そうかなと思っています。

239 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/10(火) 20:05:02 ID:hMlmt1ok0
>>230 どういたしまして、またおいでなさい。

>>231 それは人によって大きく違うじゃろう。
 お釈迦様のように若くして父親や妻子も捨ててしまう事もある。
 自らの価値観に従って行く道を決めるしかないのじゃ。
 そうすれば後悔は少ないじゃろう。

240 :避難民のマジレスさん:2010/08/10(火) 22:04:23 ID:aR0Z91GgO
>>239
なるほど、どうもありがとうございました。
自分の中では大きいというより「難しい」
(親の性格の関係により、気を張って環境を整える事もしないと研鑽機会を持つことすら出来なくなる)
ので、なるべく軋轢のないように組み立てて行きたいと思います。

245 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/11(水) 20:07:15 ID:hMlmt1ok0
>>240 どういたしまして、またおいでなさい。

362 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/12(木) 20:34:41 ID:hMlmt1ok0
 昔、お釈迦様と同じ時代に六師外道という六人の導師がおったそうじゃ。
 その中の一人が善も悪もないという者が居ったのじゃ。
 善い事をしても善い報いはなく、悪い事をしても悪い報いはないという。
 お釈迦様はそのような者に対して、そのように説くべきではないと言われたのじゃ。
 世には善い事と悪い事があり、善い事をすれば善い報いがあり、悪い事をすれば悪い報いがある。
 そのように説く事こそ正しい教えと言われたのじゃ。

 一説によれば六人の導師も悟りを得ていたという。
 全てを否定するのも真我の法の一部と言えるじゃろう。
 それでも悟りを得た者の間にも優劣があり、教えにも正否があるものじゃ。
 善悪の基準も仮設された人の世の中にあるものであり、本来は無いとさえ言えようが、それでも善悪はあり、善悪の報いもあると教えるのが、お釈迦様の教えなのじゃ。

 善悪が無く、その報いもないと言えば、戒が浅く、軽率な者は悪事に走る事もあるじゃろう。
 人々は善い事をしなくなり、獣のように争い合って暮らすじゃろう。
 自らの欲にのみ従い、他から奪う事だけを考えるようになる。
 そして実際に個我の観念を持つ者には、やはり悪事には悪い報いがある。
 そのような教えを真に受けて悪事をした者は、この世で苦しみ、死んでからも苦しむのじゃ。 

 それ故に人を教え導く者は、そのように説くべきではないと、お釈迦様は言われたのじゃ。
 そのような説は人を過ちに導くものであり、愚かな教えであり、外道の説なのじゃ。
 悟りを得れば世を超脱し、善悪の基準も無くなるが、それでもあえてそう説くべきではないのじゃ。

 例えば学校に入っている者には校則というものがある。
 すでに学校を卒業した者が、そんなものは無いといって、生徒に校則を破らせれば良い先輩ではないじゃろう。
 校則を守って学問に励むのじゃと、教えるのが正しい教え方といえるじゃろう。

 そのように悟りを得ればもはや善悪の基準も無くなるが、未だ個我の観念を脱していない者には善悪がある。
 そんなものは無いと教えれば、ただ害だけがあって良い事は1つも無く、良い導師とは言えないのじゃ。
 世にいる内には善悪があり、それを守って修行するように教えるのが、正しい教えといえるのじゃ。

 悟りを得て善悪の基準を脱していながら、あえて人には善悪があり、その報いがあると教えるのが、お釈迦様の深い智恵による教えなのじゃ。
 実際に悪いことばかりしていれば多くの悪しき事が起こり、心は乱れ修行どころではなくなる。
 善い事をすれば善い報いがあり、心が静まり、落ち着いて修行ができる。
 それ故にお釈迦様の教えは有用なものであり、正しく、善く説かれたものとして修行者も、目覚めた者も尊ぶのじゃ。
 みんなも善い事をして、心穏やかに修行に励むのじゃ。、

393 :避難民のマジレスさん:2010/08/13(金) 09:35:12 ID:S28fAWe60
>>362 鬼和尚さま

宗教は本当に人を救えるのでしょうか。
例えばキリスト教の神は、人は生まれながらの罪人であり、ただひたすら神の教えに従い
許しを請い、どのように清く正しく生きようとけして己が己を許すことはなく、罪人の誹りを免れない。
それは、どのような善行も神の目から見ればけして完璧では有り得ないから、苦しみ苛むことになる。
かくして人間は、神の許しを求めて永遠にさ迷うことになる。

そして、お釈迦様の教えは、その人間の過去の行いが現在の己の環境を決め、善行をすれば善いことが訪れ悪行には報いがある。
しかしどんなに善行を積んでも救われないものはどうすればよいのでしょうか。
生まれながらに、罪や負い目や劣等感を植え付けられる環境に育つものは、自分ははじめから神仏に見捨てられたかのごとく信じているのです。
人には生まれながらに優劣が存在し、生きる資格がないと信じ込まされた人間はどのようにすれば救われるのでしょうか。
ただひたすら、そのように生まれる定めを造った自分自身への拭えぬ寂寥感を抱えて、人のために尽す事しか許されないのか。
その心根に酬いるものはないのでしょうか、神仏はそれでも耐えて生きよと言われるのでしょうか。

それも己が創った定めと言われればそれまでなのでしょう。
真の己を知るには、観察をするしかないのでしょう。

448 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/13(金) 20:59:20 ID:hMlmt1ok0
>>393 そうじゃ、観察によってそれらも滅する事ができる。
 どのようなものでも心にある障害は全て滅する事ができるのじゃ。
 他人に信じ込まされた罪や負い目や劣等感、寂寥感など観察によって全て滅する。
 
 観察は今、ここにあるものを観るものじゃ。
 それは時に難しいものじゃ。
 植えつけられた劣等感があると観ても、それを観まいとする抵抗にあう事もある。
 そのような時は自分はそれを観ないようにしていると、その反応を観察するのじゃ。
 劣等感などの強い感情には、そのような反応がつきものなのじゃ。
 そのような記憶を観ないようにしたり、直ぐに他の事を思い浮かべるようにしたり、その他さまざまな逃避の反応がある。
 劣等感などを観るにはそのような反応を共に観る事が肝心なのじゃ。

 過去の記憶から劣等感などの感情がある。
 その感情を観ない様にする反応があると、順に観る。
 過去の記憶が無ければ劣等感は無く、観ないようにしようとする反応もないと、逆に観るのじゃ。

 そのように観察を続けていればやがて一切の苦は滅し、自分はなぜあんな事で悩んでいたのかと、不思議に思える時がくるじゃろう。

449 :ダボ(>o<;))ハゼ(>o<;)) ゴホゴホ ◆Anjer/Nz5Q:2010/08/13(金) 21:27:18 ID:td9wJACk0
>>448  鬼 さん

それって、心理学に道徳を紛れ(まぎれ)込ませたもの?

仏教徒は、違うよね。

と、お尋ねします。

457 :避難民のマジレスさん:2010/08/14(土) 07:07:46 ID:rjrCqQY20
>>448 鬼和尚さま

正に自分はその観察によって全ての劣等感、そして苦しみから解放されていました。
生まれてから半世紀以上過ぎた今、やっと安らぎの毎日を送っています。
かつて地獄と思えた己の環境は何一つ変わっておらず、ただ己の心だけが囚われから解放されたのです。
天国も地獄も己の心の中に在ったのだと、気づきました。

しかし、既存の宗教では自分は救われなかったのです。
いくら外側の神仏におすがりしても、己の劣等感は益すばかりで救われることはなかったのです。
天国も地獄も神仏が下す罰や御褒美ではなく、己の心の在り方が決めていたのだと分かったのです。

己の心は己にしか変えられない、喩え神であっても。
しかし今、この気づきを与えて下さった神様がいらっしゃるなら心から感謝したいと思います。
鬼和尚さんの御蔭です、有難うございました。

539 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/14(土) 21:01:23 ID:hMlmt1ok0
>>449 これこそが本当のお釈迦様の教えなのじゃ。
 お釈迦様はこのようにして苦は滅せると説き、実践すれば確かに苦は滅する。
 知識として四聖諦を説きながら、実際にはどのように実践するのか教えられないものが、どうして仏教と言えるじゃろうか。
 今、ここで初めて本当の仏教が伝わってきたのじゃ。

>>457 そうじゃ、天国も地獄も全て心の中にある。
 良かったのう。またおいでなさい。

541 :避難民のマジレスさん:2010/08/15(日) 04:24:44 ID:9FL5VuI20
>>539 「天国も地獄も全て心の中にある・・・」

●まともな人間↓
 ・・・だから清らかな心をもって生きよう

○オウム信者や集団ストーカー犯罪に協力してしまう大衆↓
 ・・・だから捕まらない方法で遣り放題やって
   人を苦しめても殺しても、「誰もそんなことやってない」と嘘をついても
  それでも報いは無いと妄想して逝こう!

566 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/15(日) 20:19:26 ID:hMlmt1ok0
>>541 困ったことじゃ。

598 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/16(月) 20:01:52 ID:hMlmt1ok0
競馬に勝つのは簡単じゃ。

599 ::2010/08/16(月) 20:19:58 ID:Sfe8FxZs0
>>598
よかったじゃねえかw

まさか、初めからやらない事だなんて言わねえだろな?

600 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/16(月) 20:24:25 ID:hMlmt1ok0
金を賭けないで鉛筆とかメモ帳だけもらって帰るのじゃ。

601 ::2010/08/16(月) 20:34:31 ID:Sfe8FxZs0
やっぱりかw

でもそれ、お客さんに対するサービスだろうからな。
買わない人間は、お客さんとは言わないだろうし。

一応、窃盗の部類に入る可能性は大きいぞw

602 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/16(月) 20:43:09 ID:hMlmt1ok0
パチンコにも勝ちまくりじゃ。

603 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/16(月) 20:45:46 ID:hMlmt1ok0
金を賭けないでティッシュだけ貰って帰るのじゃ。

604 :避難民のマジレスさん:2010/08/16(月) 20:48:27 ID:mlqV1Zcs0
けち臭いことしなさんなよ。

605 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/16(月) 20:50:59 ID:hMlmt1ok0
↑くれるものはありがたく貰うのが乞食行じゃ。わっはっはっは。

608 ::2010/08/16(月) 21:12:59 ID:Sfe8FxZs0
>>603
ティッシュなんてそう毎回くばって無いし、
俺んちの方だと、パチンコの玉を流すジェットカウンターの所で
催し物のある時だけティッシュを配ってる。
玉を買わなきゃ、それも貰えない訳だ。

もしくはトイレの紙だとするなら、
それを持って行った場合、まぎれもない窃盗罪が成立するだろう。

620 :避難民のマジレスさん:2010/08/17(火) 02:06:39 ID:O3kdPRF60
>>600
それは、勝ったというより
参加していないといった方がいいだろうな

>>603
それも勝ったと言わない
見てるだけ

638 :なにわっこ娘:2010/08/17(火) 18:08:46 ID:G4woOKs.0
久しぶりに、鬼和尚に質問です。
何も始めなかったら苦は生まれないよね。
まぁ、望んでない苦は仕方ないさ、わたしのせいじゃないんだから平気なんだよ、こちらが、良かれと思っても妬みとかで攻撃されるからね。全然平気。
でもさ、自分から、あえて飛び込む、苦ってあるよね。
恋だよ。
人に苦を生じる恋をしたい気持ちって何?
苦しいって解りながら恋は止めれない。
ずっと恋していたい。
恋しなければ、苦しくなく何もない生活って解るんだけどさ…

641 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/17(火) 19:56:03 ID:hMlmt1ok0
>>608 田舎じゃ。

>>620 わしが勝ったと思えば勝ちじゃよ。わっはっはっは。
 何億儲けても負けていると思う者もおる。
 最初から勝っていると思えばそれで満足するのじゃ。遊戯とは自ら終わりにするしかないものじゃ。

>>638 そうじゃな。人は苦しむのが判っていながら恋をしたいと思うものじゃ。
 恋をしていると気合が入って世の中が楽しく明るく見えたりするものじゃ。
 そのような心境や、そのような自分を望んでいるのじゃろう。

 それも賭け事に似ておるのう。
 相手の心を取れれば勝ち、とれなければ負け。
 一度勝ってもまた次々に勝ちたくなる。
 終わりがないものじゃ。
 自ら終わりとした時に終わる遊戯じゃのう。

646 :なにわっこ娘:2010/08/17(火) 20:47:32 ID:YBxgJeHkO
>>641
鬼和尚は、恋は賭け事と同じ遊戯とみるか。
だが、相手は同じ人間、分かち合える一瞬がある
一人の人間と腹割ってはなし
ある時ある感情が生まれる不思議なものが恋ではないのか

647 :なにわっこ娘:2010/08/17(火) 20:56:13 ID:YBxgJeHkO
そう 例えば同性でも 解り会える事か出来れば 同性だから そう言う関係にはならないけど 恋してんだよ

648 :なにわっこ娘:2010/08/17(火) 21:11:11 ID:YBxgJeHkO
そっか 遊戯を越えた 恋をすればいいんだ ありがとね 鬼和尚

653 :なにわっこ娘:2010/08/17(火) 21:35:52 ID:YBxgJeHkO
ふふふっ
遊戯もしくは駆け引きを越えた恋が愛なんだよ♪

729 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/18(水) 20:17:53 ID:hMlmt1ok0
>>646->>653 恋もまたさらに観察じゃ。またおいでなさい。

777 :避難民のマジレスさん:2010/08/19(木) 12:27:43 ID:w/smVTDk0
観察をしていけば最終的には感じることしか出来ないと知るね。
神だ仏だ、空だ実在だと言ったって、言葉にすると忽ち諸々の観念の餌食になる。

○○はあれだ、これだ、それだ、どれだ?益々深みに嵌る。
だから最後は、言葉や思考の生まれる前の(この世に生まれる前の事ではなく)思考に先立つ純粋体験の域にいなければ感じられない。
その時は雑念や、日常のあれやこれや、諸々の想いを一旦脇に置く必要がある。

別に坐る事だけに拘らなくてもそれに近い静かな環境に身を置けばよく、難しい知識が沢山あってもかえって邪魔になったりする。
それくらいなら、日常の一寸した気づきや、ひらめきのほうがよっぽど感じるに近い。
そう言う意味では出来る範囲で自然に触れる場所に身を置くのもいいかもしれない。

たいしたことでもないのに偉そうに書いちまったw

796 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/19(木) 20:28:36 ID:hMlmt1ok0
>>777 そうじゃ、感じるままに受け入れるのじゃ。

811 ::2010/08/20(金) 11:56:50 ID:eL5Z.BpsO
どんな宗教を始めてもあるていどの
ちょっとの成功が墓穴掘る
私には、神様がついている
頑張れば必ず報われる
今の困難試練は与えられた関門だ
通りすぎれば幸せがくる
だって私には神様がついているのだから
困難試練を抜けられないのは信心が足りない
余計な執着があるからだ
財産は修行にいらない
布施が抜け出す方法だ
他人も巻き込んで幸せにしよう
自分の損得が始めにありきのひとは気づかずにはまる
怖い恐い宗教はこわい
はやくきづいてな

観察だぜ観察
禅を越えた観察だぜ
苦が無くなってゆく観察だぜ

ぬるいのははまったやつだぜ

812 :避難民のマジレスさん:2010/08/20(金) 14:17:24 ID:q0CPsz7w0
     ,''"""""'''''';;::、
    iッ' ̄ ̄`゛〈:::::::i      < 観察だぜ観察
    |⌒  ⌒  |:::::::|
    ( .);( . )==-ァ|_t -‐'´, '゛`ヽ、
    { ::..(__:::   ,′) ,r'     i , ,  |
     ; ==‐'  ソニ_/、    !    |
     ! ___/^─'´ \゛、__〉' ⌒|
         |  ヽ、_, -ー" ̄    }
         !, -‐(_____,,,-く
         i       _../   i
         `ー--‐ "´        |

833 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/20(金) 20:06:33 ID:hMlmt1ok0
>>812 そうじゃ、観察じゃ観察。わっはっはっは。
 観察によって気づきが起こる。
 観察によって行いは改められる。
 観察によって変容も起こるのじゃ。

834 :避難民のマジレスさん:2010/08/20(金) 20:32:18 ID:PkBSgNC60
観察和尚のほうがええとちがうか?

849 :避難民のマジレスさん:2010/08/21(土) 06:26:00 ID:rjrCqQY20
自分は悟ってなどおらず、芥子粒ほどの力もないが
人は怒りで己も他人も滅ぼせるのだと知ってほしい。

怒りや恐れは、自分を守るために他人を攻撃する。
それは増幅されあちらこちらに跳ね返る。

極貧に喘ぐ人々を救うことは急務である、テレサのような人は必要である。
しかし、誰もが戦場や必要とされる場所へ行けるわけではない。

宗教に出来ることは、誰でも簡単に出来る慈善活動は、自分の心を癒すことなのだ。
癒しは自分も他人も救う、癒された人は人に優しい。
悟る前に自分を癒し、怒りからは怒りしか生まれないことを知ってほしい。

戦争のために傷ついた人々には細やかな援助が必要だ。
しかし、それを延々続けるだけでは終わりは来ない。
傷ついた心をどうやって癒すのか、憎しみや怒りをどうやって癒すのか。

自分の心も癒せないで、怒りや憎しみを持ったままでは人を救うことは難しい。
観察によって自分でそれらを消滅できるとしたら、他人への怒りを静めることが出来るとしたら。
少なくともそれを知らせることで争いが減るはず。

まずは自分の心を救わなければ、怒りの感情をこの世界から少しでも減らさなければ。
それを知らせるのが悟った人の仕事である。

われわれは悟っておらず芥子粒ほどの力もないかもしれない。
しかし、今すぐ出来ることは己の心を救うことだ。
己の寂しさや孤独や怒りを観察で癒すことだ。

誰にでも、お金を掛けずに今すぐできる方法だ。
最高の慈善活動なのだ、みんなに広がれば、その分怒りの感情が減り平和が近づくのだ。
けして諦めなければいつかはきっと、怒りは怒りしか生まず、憎しみは憎しみしか生まず
愛は愛を生み広がることが知れ渡るようになる、だから愛の輪を広げるためにまず自分から救われることが大事なのだ。

920 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/08/21(土) 19:36:45 ID:hMlmt1ok0
>>834 鬼じゃ。

>>849 そうじゃ、心に怒りや恐れがあれば何をしても無意味なのじゃ。
 よい事をしようとしても、戦争を止めるための戦争が続いていくばかりじゃ。
 心の中に平和が無ければ、世界も平和にはならんものじゃ。
703 :マジレスさん:2014/11/25(火) 20:59:11.69 ID:1B7Yi5Jl
鬼和尚
何か壮大でワクワクするような話をしてくらさい

706 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/11/25(火) 22:07:25.38 ID:1V3tP3rw
>>703 昔、ひげのおっさんが居たのじゃ。
 でぶのおっさんと組んではこのような機械を作ったのじゃ。
 その機械は何でも出来たから、みんなが争って買っていったのじゃ。

 会社を作って、2人はお金持ちになったのじゃ。
 しかし、お金が集まると、皆欲が出てきてひげとでぶは会社から追われてしまったのじゃ。

 ひげは映画の会社を作ってまたお金持ちになったのじゃ。
 元の会社は別の会社がもっとよい機械を作ったために、貧乏になってしまったのじゃ。
 ひげはもう一度もとの会社に帰ったのじゃ。

 すると会社はまたお金持ちになったのじゃ。
 世界中で有名になったのじゃ。
 ひげは仏教に帰依して、座禅などもしていたが、病に倒れたのじゃ。
 病んでも仕事をしたいから仕事を続けていたのじゃ。

 やがてひげは死んでしまったのじゃ。
 死ぬまで修行を続けていたのじゃ。
 金は命を買うことも、修行の成果を買う事も出来なかったのじゃ。
 次は修行者にでも生まれ変わるじゃろう。
 その時こそ金ではなく心を追求すると良いのじゃ。 

709 :マジレスさん:2014/11/26(水) 00:27:23.57 ID:+MEpeMS4
スチーブジョブズとひろゆきの前世をお願いします!

722 :マジレスさん:2014/11/26(水) 20:08:43.72 ID:rvb7lvJc
鬼和尚の言う「前世」が妄想でないと言える根拠は何だろうか。
記憶はしょせん記憶であり、現実では無い。前世があるという観念から前世という妄想を見ている
可能性が非常に高くないでしょうか

729 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/11/26(水) 22:25:05.85 ID:u9xH33LY
>>708 ジョブズは狩人じゃな。
 槍を持っていたのじゃ。

 ひろゆきは商人じゃな。
 そろばんがうまかったのじゃ。

>>722 現世と同じ程度に妄想であり、現実なのじゃ。
 個我という幻想のある限り、現世も前世も幻想のまま続くのじゃ。
 己が在れば己の過去を知りたいと思うのが記憶による認識であるからのう。

781 :マジレスさん:2014/11/28(金) 21:35:32.69 ID:S1yvw32Y
鬼和尚、前世見ようと記憶を遡ってみたりするけど全く見えない。
きっかけで何か思い出すかもしれないので、わたしの前世のヒント教えてください。

789 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/11/28(金) 23:27:59.99 ID:EGEjSb44
>>781 今の自分の肉体や環境は、前の行いの報いなのじゃ。
 それがどのような行いによるものなのか、原因を探してみるのじゃ。
 死を超えて記憶をさかのぼる恐れが起こるかも知れんが、それを乗り越えれば見えるのじゃ。

 薬とか病院らしきものが見えるかも知れん。

793 :マジレスさん:2014/11/29(土) 13:01:46.03 ID:b/igVxDQ
>>789
781です。
確かに今の状態は前の行いの報いだと思います。
ということは、幼少期の環境や肉体的特長や精神的傾向などが形作られた原因は前世にあるってことですか?
でもその原因を探るとなると、どうやってやればいいかさっぱりです。
たとえばわたしは小児喘息を持っていたらしいのですが、その原因となると?です。
前世で呼吸器系に異常を持ったまま死んだからとか、そういった直接的な関連性みたいなものがあるんでしょうか?

827 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/11/29(土) 22:25:19.22 ID:zAxFN5eP
>>793 そうじゃ、今は昔の行いが繁栄しているじゃろう。
 その原因を追求するのじゃ。
 追求しつづけていればある日、ふと思い出したりするのじゃ。
 夢の中でも思い出したりするのじゃ。
 続けていればわかるようになるのじゃ。

829 :マジレスさん:2014/11/29(土) 23:46:02.76 ID:b/igVxDQ
>>827
793です。
やってみます。何かわかったらまた報告しますね。
ありがとうございました。

843 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/11/30(日) 22:36:39.65 ID:2R9nb4C8
>>829 そうじゃ、試してみるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

844 :マジレスさん:2014/11/30(日) 23:12:50.29 ID:W9v5ZMrq
鬼和尚、再度きくけど、この世は自分の記憶や観念でで構築されているなら
この世界では自分が主人公になるんじゃないのか?

自分あってのこの世ってことに?自分が死んでなくなればこの世界も消滅する
のでは?

848 :マジレスさん[] 投稿日:2014/12/01(月) 05:01:04.64 ID:+/qjc4a6
鬼和尚
悩んで自殺する人と悩んで悟る人はどこが違うんですか?

864 :マジレスさん[] 投稿日:2014/12/01(月) 17:45:49.26 ID:+/qjc4a6
鬼和尚に質問です。

1人間の前世を辿っていくと、人間以外の前世に行き当たりますよね?
 その行き当たった最初の生き物は、人それぞれで違うんでしょうか?鳥だったり魚だったり虫だったり。
 それとも人間になる直近の前世は、みな同じでしょうか?人間に近い猿とか。

2人間以外の生き物から人間に生まれ変わる仕組みは、一体どうなっているんですか?
 どのように生きた結果、人間として生まれ変わるのでしょうか?
 
3初めて人間に生まれ変わった人は、前の生き物の性癖を色濃く残しているのでしょうか?

よろしくお願いします。

887 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/12/01(月) 21:35:33.61 ID:Uhf+Eaez
>>844 例えばおぬしが海に行って溺れたりしたとする。
 するとおぬしは海は恐いものであると記憶に因って認識する。
 他の者は海で家族と遊んだりして楽しい思いをする。
 そして海は楽しいよいものであると記憶に因って認識する。

 そうするとおぬしの世界は恐ろしい海がある世界であり、他の者は楽しい海がある世界に生きておる事になるのじゃ。
 そのようにして認識する物事一つ一つについて、おぬしの記憶による認識と解釈があり、
 認識する全ての世界を構築しているのじゃ。 

 おぬしが過去の記憶を今解釈しなおせば、自分が主人公の世界を創ることも出来るのじゃ。

 そのようなおぬしが死ねば、おぬしの恐い海がある世界も無くなるじゃろう。

>>848 悩んで自殺する者は未だ観念にとりつかれておるのじゃ。
 苦しむ自分を消そうとするのであるからのう。
 死んでもやはり観念はあり、それからも苦があるじゃろう。

 悟れば観念は夢幻と知り、もはや囚われ無いのじゃ。
 観念に囚われないから生きていても死んでももはや苦は無いのじゃ。

888 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/12/01(月) 21:45:12.39 ID:Uhf+Eaez
>>864 ① 違うのじゃ。
       人の観念が億万の違いがあるように前の世も違うのじゃ。

 ② 慈悲の行いをしたものが人に生まれ変わるのじゃ。
    虫や植物などにも意識はあり、行いを選択できるのじゃ。
    無慈悲な行いをすれば畜生などに逆戻りなのじゃ。

 ③ 生き物の性癖は残していないのじゃ。
 行いの影響を残しているのじゃ。

923 :マジレスさん:2014/12/02(火) 11:09:58.88 ID:qrBY5mYP
>>888
正直なところ、私は今まで無慈悲な行いをかなりしてきました。
今から悔い改めて慈悲の行いを心がければ、報いも緩和されますか?
それとももう手遅れでしょうか?

それから慈悲の行いというのは、目に見える身体的な行為のことを指しているのでしょうか?
邪な心を抱かないといった、目に見えない精神的な行為も慈悲の行いといえますか?

979 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2014/12/02(火) 22:18:55.05 ID:WJO9U3Gt
>>923 懺悔告白して二度としないと悔い改めれば罪は許されるのじゃ。
 それからよい事をすれば良い所にいけるのじゃ。

 行いによって報いは来るのじゃ。
 その行いの源は心なのじゃ。
 人の幸福を願う清い心ならば幸福は付き従うと、お釈迦様も言うのじゃ。
 行いと心を両方清めるのじゃ。
899 :おさかなくわえた名無しさん:2011/12/30(金) 02:29:33.92 ID:YRTm/SPL
相談です。

秋頃に急に目の前のもの(長年愛用している化粧品や掛けてある気に入りの服など)全てに現実感が無くなり、目が回り始めました。
とりあえず水を飲もうと居間に出ると見慣れたはずの景色が異次元に感じました。

なんとかベッドルームに戻り横になると、無意識に知人や親族の顔を必死に思い出していて、最後に自分を思い出そうとするのですが、表面的には思い出せても全く現実感がない。
始終「あれっ?あれっ」と焦りながら、どうやっても最終的に自己と向き合う思考にたどり着いてしまい怖い思いをしました。

寂しい、とかそういう次元でなく、結局一個体なんだ、ということに気付いてしまった感じで…

それからは世の中の動きが馬鹿らしくてやっていられず、死という救いを求めて止みません

これなんなんでしょう

908 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/12/30(金) 19:45:57.88 ID:QPAQi4AE
>>899 脳の働きが一時的に止まって、認識が止まったのじゃ。
 普段行っている全てのものに意味をつける作業が止まり、真の世界が見えたのじゃ。
 本来の世界の姿はおぬしが見たように、物事に何の意味も無く、己にすら名前や記憶による条件付けしかないのじゃ。
 それが見えてしまった者は修行の道に入るがいいのじゃ。

 医者はそれをうつ病といったりする。
 世界の虚ろな姿が見えた者をアウトサイダーと言ったりもするのじゃ。
 しばらく生活している内に、それは治り、世界が又元のように意味を持って蘇る事もある。
 しかし、本当の世界の姿はそのようなものであると知っておくと良いのじゃ。

909 :おさかなくわえた名無しさん:2011/12/30(金) 21:26:33.79 ID:YRTm/SPL
>908
ありがとうございます。

まだ巧くは言えないけれど、
あんな概念には気付かなければ良かったと後悔しています。
かといって気付かない大半の者がばかに感じてたまりません。

あの手の混乱は死ぬ直前の混乱な気がしています。


正直もう死んでしまいたいし、それでなければアンフェタミン系でもやって過ごしたいのですが、死んだらあのちらと垣間見たような概念の世界にずっといなくてはならないのでしょうか?

912 :おさかなくわえた名無しさん:2011/12/31(土) 10:33:55.96 ID:WCJL9mbL
鬼和尚様、
この寒い時期でも、苦を滅していたら
寒がったり、早く暖かい所へ行きたいと思わなくなるのですか?

918 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/12/31(土) 20:26:27.54 ID:SXBfSSRS
>>909 特に死ななくとも、今でもそれが世界の真実の姿なのじゃ。
 見ようとしなければ、何時までも見なくて済むじゃろう。
 それは死よりも深い気づきの一瞥なのじゃ。

 意味の付け足された世界の常識では、虚しく見えるが、実にはそれこそ安楽であり、寂静の喜びがあるものじゃ。

>>912 肉体が要らなくなれば思わないのじゃ。
 自殺する人が海に入って冷たいとか思わないようにのう。

919 :おさかなくわえた名無しさん:2012/01/01(日) 00:02:19.39 ID:RTsVYXiz
鬼和尚さま始め皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

920 :龍華:2012/01/01(日) 00:57:46.14 ID:z3V9oj7n
鬼和尚さま 皆様、昨年はとてもお世話になりました
本年もよろしくお願いします。ありがとうございます。

和顔施(^ヮ^)

921 :健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2012/01/01(日) 09:23:31.64 ID:DPgD3tCi
今年は話になるようになってくれ~!

922 :健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2012/01/01(日) 13:07:49.22 ID:DPgD3tCi
鬼和尚さんはお雑煮を食しましたか?
初詣には行かないんでしょ。行くとすれば人を観察するためでしょ?

925 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/01(日) 20:00:41.79 ID:vBCdFnLT
>>919>>920 あけおめことよろなのじゃ。

>>922 雑煮は食べたのじゃ。
 初詣にはいかんのじゃ。

926 :おさかなくわえた名無しさん:2012/01/01(日) 20:08:59.12 ID:6SbxXwRo
雑煮は自分で作ったの?

927 :おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 00:03:32.41 ID:5PxYI19f
>918
鬼和尚様
新年おめでとうございます。

ご回答ありがとうございました。

死ななくてもいい、と。
その通りですね。

ただ、単純に生きることがし辛いのです。

和尚様の仰る「修行の道」とは、どのような事から始めれば良いのでしょうか。

また、それをすることで楽に生きられるようになるのでしょうか。

新年早々申し訳ないのですが、よろしくお願い致します。

932 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/02(月) 19:24:48.07 ID:+qu7295d
>>926 わしが作ったのじゃ。
 鳥とはくさいともちだけなのじゃ。

>>927 数息観とか観察をすると良かろう。
 わしのブログなどを参考にするのじゃ。

 意味のある秩序の中の楽しみしか知らず、それに執着していると真の現実を観ても虚しいのじゃ。
 子供は多くの言葉の意味を知らなくとも今ここで楽しんでいるものじゃ。
 一円にもならない水溜りや泥団子で一日中遊んで楽しめるのじゃ。

934 :おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 19:52:36.27 ID:HlXF4kiX
>>932
悟ると肉が食べられなくなるとオショーがいってましたが、サカナとか肉とか平気なんですか

935 :おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 21:28:44.37 ID:TSP0sl+1
悟ったら、世俗の風習などは関係なくなるのではないでしょうか?
正月に雑煮を食べるのはどうしてでしょうか?
どんな意味があるのでしょうか?

953 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/03(火) 19:55:27.74 ID:JCK4XD1d
>>934 それはオショーのギャグじゃろう。
 お釈迦様も乞食行をして、出されたものは普通に食べていたのじゃ。
  
>>935 本来すべては意味が無いのじゃ。
 人と話し、人に教えるには人と同じ習慣を続ける必要があるのじゃ。

956 :泥団:2012/01/04(水) 11:38:00.67 ID:tkPHWG2l
鬼和尚さん、あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろ質問に答えてくれてありがとうございます。
今年もまたよろしくお願いします。

上でオショーの肉食の話が出ていましたが、私が最近初めて読んだ
本にも同じことが書いてありましたよ。
殺される瞬間の恐怖とかのマイナス感情が原因でなんかの毒性のある物質が
その動物の肉に出るからよくない、野菜をお食べ、とかそういう内容でした。
真面目そうに説いている感じの文章だったので、ギャグだったら結構びっくりですよ。
植物にも恐怖に似た電気信号があるという話もあるし、なんで動物は
ダメで植物ならいいのか、魚類はどうなのか、とか、ああだからモスリムは
ハラル肉しか食べないのかー、とかいろいろ疑問や考えがわいたですよ。
私が読んだのは「こころでからだの声を聞く」というタイトルです。

957 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/04(水) 20:12:56.99 ID:v5fT5a/r
>>956 あけおめことよろなのじゃ。
 それはただ菜食を勧めた本のようじゃのう。
 瞑想の生活には菜食の方がいいと言う。
 肉が食べられなくなるわけではないのじゃ。

959 :おさかなくわえた名無しさん:2012/01/05(木) 12:21:45.76 ID:2lxnA2dw
年末年始に友達と忘年会やら飲み食いして大騒ぎしたんですが、
ひどく疲れました。体より精神的に疲労してる感じです。
なにか空しい気持ちに支配されて、何事もやる気がわいてきません。
遊んだのに心が疲れるって、どういうことなんでしょう。
シャキッとしたいんですが、なにかいい方法はありますでしょうか?

960 :健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2012/01/05(木) 13:17:20.07 ID:Z9Q8yCmD
少し前の新聞に、あるアパートで「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死した
人のことが書かれていました。ニュースでも報じていたと思います。

鬼和尚さん、どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?

961 :泥団:2012/01/05(木) 17:57:10.37 ID:uUGGIJTz
>>957
瞑想するには菜食の方がいいんですか。
瞑想したいので肉は控えめにしようかな。いや、そしたら家族が困るか。
ありがとうございます。


離人症みたいな症状の人、どうなったかな。大丈夫かしら。
瞑想してなくてある日突然そうなったのかどうかわからないけど、ちょっと
うらやましかったり、でも今苦しんでいるみたいだからお気の毒だったり・・・。

963 :泥団:2012/01/05(木) 18:11:12.79 ID:uUGGIJTz
昨日の自分のレス読んで思いついたけど、脳細胞だけでなく、体中の細胞にも
記憶やなんらかの意思みたいなものがあるかもしれないんだそうですね。
そうなると、脳死って一体どういう状況なんだろう。
意識としてはもう肉体から離れてるのかな。

臓器や身体の一部を移植した人の性格や嗜好が、ドナーと似てきたりする
場合が報告されていますが、そうするとドナーはある意味移植された人の
肉体で部分的に生きてるとも言えるのかな。
染色体や遺伝子の不思議というか、謎ですね。
鬼和尚さんはどう思いますか。

965 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/05(木) 20:13:27.51 ID:BqXWVTb5
>>959 宴会の後は虚しいものじゃ。
 昔のインドでも宴会の後の虚しさに、世を捨てて修行の道に入った者が居るのじゃ。
 おぬしも酒は止めて修行するといいのじゃ。
 二度と虚しくならないじゃろう。

>>960 それもこの世の苦の一つじゃのう。
 この社会も完璧ではないのじゃ。
 役人も仕事を一所懸命にやろうとした結果じゃろう。
 娑婆世界は未だ天国より地獄に近いのじゃ。

966 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/05(木) 20:17:21.61 ID:BqXWVTb5
>>961 どういたしまして、またおいでなさい。

>>963 そのような事もあるじゃろう。
 体にも意識は在るのじゃ。
 物にも空間にも意識は在るのじゃ。
 
 己が己であるだけと思うのが錯覚なのじゃ。
 全ては繋がっている意識の現われなのじゃ。

967 :泥団:2012/01/06(金) 17:57:41.76 ID:RrlQC21C
>>966
物や空間にも意識があるって、なんかアミニズムな感じもするし、
最新の量子物理学に関連するようでもあります。
密教を極めてる人とかもたぶんそういうこと知ってるんだろうなあ。

すべてがつながってるって、知識としては知ってるけど実感がまだないから
今日も「そうなんだってねー、本当かな」などと考えながらバスから外の
景色を見ていました。
また、そんなことが実感できるようになった自分は一体どうなっちゃうん
だろう系の恐れにも気づきました。アイデンティティを失う、という恐れかな。
前ならこの感情を邪魔に思って憎んだけど、今日はそれも元は私を守ろうとして
湧きあがってきたんだなあ、と認めることができました。
どんな否定的な感情にも本当は善悪の価値とかはなくて、ただの原因と結果
の反応なんですよね。

968 :泥団:2012/01/06(金) 17:59:04.75 ID:RrlQC21C
そんなことが実感できるようになった「ら」、自分・・・

「ら」が抜けてた。意味ぜんぜん違う

969 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/06(金) 19:39:36.95 ID:K/GeW9us
>>967 いずれ感じられるじゃろう。
 全てはそこから生じ、そこへ帰っていくものじゃ。
 己がなくなるという恐れを超えていくのじゃ。

974 :泥団:2012/01/07(土) 17:07:49.54 ID:X1ZqiAqe
>>969
そういう風に言われると恐れる必要がないのだとちょっと安心できます。
ありがとうございます。

クリシュナムルティの「恐怖なしに生きる」を読んでいますが、難しいですね。
英→和訳だから余計にややこしい気がする。
あと、ヴィパッサナー瞑想の本で地橋秀雄さんという人が書いた本も
今読んでいます。

978 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/01/07(土) 20:26:00.01 ID:CR7eYS5+
>>974 そうじゃ、恐れなく進むのじゃ。
 オショーの方がわかりやすいのじゃ。
 またおいでなさい。
281 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/02(水) 18:03:38.83 ID:ezWSKYYj
呼吸をするときに呼吸していると気づく。
歩いているときに歩いていると気づく。
「いま、ここ」に気づくという教えがありますね。
気づきの瞑想というやつです。
只菅打座というのではなく、日常の気づきを大切にしましょうという教え。
これは悟りに近づく修行法と言えますでしょうか?

282 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/02(水) 19:43:07.47 ID:veqOmDFn
>>281 それは本来は真のヴィパッサナーであり、悟りに至るための修行法なのじゃ。
 しかし、それを伝統によって機械的にやってしまっては、逆に気づきは無くなるものじゃ。
 観察も気づきも反復的な習慣とは全く逆なものであるからのう。
 今はむしろクリシュナムルティなどの言う事が、真の観察を教えていると言えるのじゃ。

288 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/03(木) 17:57:04.90 ID:v4FLp/Eq
>>282
観察の瞑想を機械的・習慣的に行うなということでしょうか?
なかなか難しいですね。真の気づきというのは何なのでしょう?
またそれに至る実践的な方法・ヒントなどあればありがたいのですが。
クリシュナムルティの本などを読んでみます。

300 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/03(木) 20:58:25.32 ID:mnJLq6lx
>>288 その通りじゃ。
 観察はあまりにも単純である故に逆に難しいのじゃ。
 観察によって起こる真の気づきとは起こるものでは在るが、起こさせるものではないのじゃ。

 例えばわしは先日公園で大きな木の幹にこけが丸くついているのをみた。
 なぜそんな風に丸くついているのであろうかと、それを良く観察すると、木の幹に丸くひびが入っていて、そこに水が染み渡って、その周りにこけがついた故にまるくなったのじゃった。

 このように観察から木の幹にひびが入り、そこに水が染み、こけがまるくついたと気づいた。
 観察によって気づきは自ら起こったのじゃ。
 それを無理に初めからひびがあると気づこうとしたり、水が染み込んでこけが生えたと気づこうとしするのは不可能じゃろう。

 そのように観察から自ずから気づきは起こるものじゃ。
 伝統に従って呼吸に気づこうとか、歩くことに気づこうとする、というのは実は誤りなのじゃ。
 人に出来るのは観察までであり、真の気づきは自ずから起こるものなのじゃ。
 
 全ての思考と先入観を捨てて、ただ赤子のようにありのままに観ればそれが観察なのじゃ。

306 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/04(金) 15:14:48.05 ID:yxzy//gf
飛蚊症で観察の行が辛いです
こんなものにも仏性があるんですか?

307 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/04(金) 18:15:02.04 ID:fpGaHvz9
>>300
ありがとうございます。やはり難しいですね。実践に至るかどうか…。
よく紹介されるのが瞑想中にマントラを唱えて雑念を捕らえようとしたり、動作にラベリングをして雑念を封じたり…
そういう手法が無理に気づきを起こさせようとする行為なんでしょうか?
メソッドがはっきりしていれば、日常生活でも実践がしやすいのでついこういう手法が正しいと思いがちです。
伝統をなぞるだけ、また思考するのでなく、ただ観察によって気づきは自ずと現れる、と。
人はすぐに思考する・先入観を持つ癖が染み付いてて、ありのまま観るというのが非常に困難ですね。
ちなみに観察に集中力は必要ですか?必要であるならまず集中力をつける事から始めてみます。

310 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/04(金) 20:23:04.75 ID:HhoG7lnZ
>>306 仏性は何にでも無という状態であるものじゃ。
 目が使いにくいならば、耳から聞こえる音とか、心の動きを中心に観察するのじゃ。
 不安が在る心を不安が在る心であるとか、喜んでいる心を喜んでいる心であるとか、ありのままに観察するのじゃ。
 
311 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/04(金) 20:31:50.17 ID:HhoG7lnZ
>>307 そうじゃ、伝統の手法は意味がわからなければ、気づく妨げになるものじゃ。
 集中力を養うことも役に立つじゃろう。
 数息観などをやってみるのじゃ。
 わしのブログなどを参考にするのじゃ。

344 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/08(火) 05:28:26.42 ID:ZlONPEQB
庭を箒で掃除しているようなときと観の行をしているときどちらが悟りやすいですか?

363 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/08(火) 20:07:11.33 ID:4ihsnzcq
>>344 観察をしていなければ掃除をしていても、悟りは訪れないじゃろう。
 本当に集中していればいつでも訪れる可能性はあるのじゃ。
 自我を捨てる決意があれば今すぐにでも訪れるじゃろう。

367 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/09(水) 22:44:25.56 ID:M747pm4e
鬼和尚様
それと、頭を使わず観察してると、目の前にある物が判断できず、
物があるかさえ認識できないです。
これは観察ではなく、ただの頭使ってないだけですか?

370 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/10(木) 20:03:20.85 ID:Bj5jkUxE
>>367 それでいいのじゃ。
 それが阿頼耶識の止まった状態なのじゃ。
 全てのものには本来名前が無く、有無さえも無いのじゃ。
 その状況を観ているものを観察するのじゃ。
 そこにはすでに言葉として言うことも無く、ただそれを指し示すのみじゃ。

455 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/18(金) 19:25:29.28 ID:AluJkoaq
鬼和尚さん、この人はどの辺まで到達してた(すでにお亡くなりになってます)
でしょうか?

レスター・レヴェンソン(「セドナ・メソッド」として知られる感情解放ワーク
の創始者。ただし、今著作を出したりセミナーを行っている人は彼の弟子です)

http://f33.aaa.livedoor.jp/~mindtech/index.php?%27%27%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9%C8%AF%B8%AB%A4%CB%BB%EA%A4%EB%BC%AB%B8%CA%C3%B5%B5%E1%A4%CE%CE%B9%27%27

生前の人となりとか雰囲気の動画はyou tubeにありますが、日本語訳の字幕はないです

458 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/18(金) 20:00:04.21 ID:woq+wkwQ
>>455 どこにも到達していないのじゃ。
 真摯に道を求めるおぬしとは無縁な者じゃ。
 クリシュナムルティとかオショーとかいろいろな本を読んで、観察が何かの力をもたらすものと思ってしまったようじゃのう。
 力とか愛とかそのようなものすら不要に成るのが本当の観察と言うものじゃ。
 心に不安を抱くものが力を欲しがる。
 孤独に怯えるものが愛を欲しがるのじゃ。
 
 それを欲しがっている者達を騙すには都合がいい話をしているだけじゃのう。

472 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 21:09:28.81 ID:sXr/ED1o
観察をすると悟りを開けるとわかるのはなぜですか?

478 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/21(月) 19:50:40.39 ID:WFu/HP3b
>>472 すでに心を観たからじゃ。
 人が己を認識するのは、観察の主体として投射しているからであり、それが観察されると主体であると言う認識が滅するのじゃ。
 それを観て悟りを得た後、知識として観察によって悟りを開いたと理解できるのじゃ。
 集中によって悟りを得た者も、実は観察していると理解できるのじゃ。

509 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/25(金) 09:49:39.26 ID:XEItaaqy
私は悟りを開くことが出来ました。
悩みも苦しみも妄執も全てなくなり、そして全てを手に入れました。
鬼和尚様、皆さん、本当にありがとうございます。
この解放感を独り占めするのはもったいないから、求めている方に与えていきたいです。

515 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/25(金) 20:12:26.00 ID:mJ0yzyi4
>>508 それが全てにおいて証明できるか常に試すのじゃ。
 行う己が無く、行いも無いと判るまで。
 悟っても悟らなくても修行あるのみじゃ。

526 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/26(土) 19:56:41.37 ID:QNK6y913
ミャンマーのマハーシ長老が提唱したヴィパッサナー観法について。
鬼和尚さんはこの方の瞑想法を実践されたことはありますか?
気づきを言葉でラベリングしていくという手法ですが、割と有名な瞑想法かと思います。
数息観と比べて和尚ならどちらをお奨めされますか?

528 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/26(土) 20:33:26.14 ID:7pgwdbFX
>>526 それはヴィパッサナーではないのじゃ。
 初心者が気を逸らさないようにしたのかもしれんが、観察に一々言葉をつけるのが習慣になると、後になって困るのじゃ。
 観察が上達して心の細かく急速な動きも捉えられるようになると、言葉の無い観察に入るのじゃ。
 その時、言葉を使う習慣があれば妨げになるのじゃ。

 真のヴィパッサナーとは対象に何も付け加えたり、引いたりせず、今ここにあるものをありのままに観るだけなのじゃ。
 そのようにして己の体を観るだけでも変容は訪れるじゃろう。
 
 数息観はその観察のために集中力をつけるためのものじゃ。
 数息観によって集中力を養い、真のヴィパッサナー、観察を行う事が止観の両方を修行する真の仏の道なのじゃ。

541 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/28(月) 00:16:45.71 ID:NMd2b+cx
鬼和尚様
私は悟りを開いたと勘違いした者です。
妄執がなくなっていませんでした。
またしばらくここで質問させてください。

数息観と観察だけ行っていれば、悟りを開けますか?

552 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/28(月) 19:57:34.05 ID:J8xW3gyu
>>541 出来るのじゃ。
 止観の瞑想こそお釈迦様が残した正しい悟りへの道なのじゃ。
 毎日続ければ、自分でも驚くほど進歩するじゃろう。
 精進じゃ。

554 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/28(月) 21:29:55.26 ID:NMd2b+cx
>>552
鬼和尚様どうもありがとうございます。
急がず焦らず続けていきます。

559 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/11/29(火) 19:50:33.23 ID:2TqrWSht
>>554 そうじゃ、修行あるのみじゃ。
 またおいでなさい。