鬼の説法集(悟りへの道) -7ページ目

鬼の説法集(悟りへの道)

鬼和尚の仏教勉強会 http://onioshyou.blog122.fc2.com/

371 :マジレスさん:2010/10/26(火) 17:22:24 ID:jE90PcCS
私とAは友達です。
しかし私はAのことが嫌い、だから裏で悪口を言いました。
その悪口の数々がAにばれたようです。
別にばれたことは構いません。
しかし今日AがAの友達に
「裏あるんだー、怖いね」と私のことを私の目の前で言ってました。
私は正直、誰にだって裏はあると思います。
嫌われても構わないから悪口を言ってきたはずなのに
Aに悪口を言われるとものすごく傷ついた自分がいます。
矛盾していることも自分が低能だったことも今更ですが反省しています。
もうAには嫌われました。
仕方がないことをしてきたので嫌われてもかなわないですが
傷ついてヘコむ自分が嫌です。

377 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/10/26(火) 19:46:10 ID:R7F55suJ
>>371 嫌いな者ともいっしょにいなければならない苦を怨憎会苦というのう。
 そのような苦がどこから来ているのか観察すれば、消えるじゃろう。
 自分はAが嫌いでも、Aには自分の事をよい奴だと思われたかったのかもしれん。
 他人によく思われたい、よいイメージを持って貰いたいと思い、それが出来ない事が苦になるのかもしれん。
 他人のイメージは自分ではないと気づき、良いイメージを持って貰いたいと思わなければ、苦も無くなるかもしれん。
 そのように己の心から生じた思いを観察するのじゃ。
 全ては他人ではなく、己の心から生じ、己の心に帰るのじゃ。

391 :マジレスさん:2010/10/27(水) 12:50:02 ID:n8ux6V7P
>>377
なんで観察したら苦が消えるの?
例えば子供の頃虐待を受けていて対人関係が上手く気付けなくなった人なんかは
脳が変形してるから、どうしようもない。
だから虐待の連鎖は虐待してる本人はどうする事も出来ないで
周りが気付いてあげて引き離すなり何なりしないと止められない無い。
って脳科学者とかが言ってるけど。
虐待を受けた側もした側も自覚がある無しに関わらず同じ苦をずっと引きずってる訳だよね。
そういうのはどうやって直せばよいの。
具体的に教えて下さい。

396 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/10/27(水) 19:58:37 ID:GPhRD16T
>>391 観察によって記憶に対する自己同一化が解消されるからじゃ。
 虐待の記憶は過去のものであり、今起こっているわけではない。
 しかし、記憶に囚われている者は、今虐待されていると記憶によって感じ、それから逃れようとしたり、自分が虐待する者と一体であろうとする。
 
 観察はそのような記憶への囚われ、同一化をを引き離し、過去のものとして処理する事ができるようにするのじゃ。
 記憶そのものが無くなる訳ではない。
 記憶は記憶でしかないと気づかせるのじゃ。

 今の自分を観察し、その行いが過去の記憶に囚われていたからだと気づいたなら、その瞬間から行いは直っていく。
 そして同じ行いを繰り返す事は無くなるじゃろう。

 脳は半分無い者も、ほとんど水になっていた者も、普通の者と変わりなく生活していたという。
 それは全てではなく、情報を処理する器官の一部でしかないのじゃ。
 自らの行いによって癒され、機能するじゃろう。

401 :マジレスさん:2010/10/28(木) 08:00:14 ID:s1K67Yam
>>396
過去の記憶が今起こってる事じゃ無い事位本人にも分ってるだろう。
それが分っていても直らないから大変なんだろ。
その原因を分析していっても理由は分らないし、親も虐待を受けていた被害者だった訳だし
結局そのスパイラルから抜け出せないから苦しんでるんじゃないの?
それは過去の事とスッパリ忘れられるなら、誰も苦しまないよ。

407 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/10/28(木) 19:58:16 ID:8k2ARX1S
>>401 頭で判る事と心の働きが止まることは違うものじゃ。
 観察は分析ではなく、忘れることもない。
 それでも観察すれば苦は滅するのじゃ。
418 :マジレスさん:2011/08/14(日) 09:20:33.23 ID:MAE4GghI
瞑想ってどうすればよいのだ?

420 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/14(日) 20:15:26.22 ID:MOrHg1/r
>>418 数息観をやってみるのじゃ。
 呼吸を数えるのじゃ。
 ぐぐってみるのじゃ。
 YOUTUBEなどでも瞑想の助けになる動画とかがあるのじゃ。
 初心者には良いじゃろう。

435 :マジレスさん:2011/08/17(水) 00:22:19.96 ID:5cMH/Ebo
24歳♀です。
異常にネガティブ、マイナス思考で何でも悪い方にばかり考えてしまいます。想像するのは悪いことばかりです。
キラキラ輝いた女性になりたい、毎日を楽しむ女性になりたいとか思うのに、
いざ何かしようとしても億劫で仕方ないんです。臆病で、やる前からあれこれ考えてしまい、怖くなって尻込みしてしまいます。本当に小さなことから大きなことまで全てです。
今年25歳になるし、市役所のアルバイトをしてる自分も嫌で、方向転換を強く望んでいますが、
まず面接が怖いと思ってしまい、貶されたり、恥をかいてしまったりという自分の姿が浮かんでしまいます。(続きます)

437 :マジレスさん:2011/08/17(水) 00:25:30.49 ID:5cMH/Ebo
(続きです)
前向きに頑張りたいと思うのに、どうしてもこの頭が邪魔をして、前に進むことができません。
容姿も話し方も性格も自分の全てに自信がなく、
他人に変に見られている、バカにされていると思ってしまいます。
そんなこと気にしない!たとえバカにされたって関係ない!そう思っても、やっぱり怖くて仕方なくて何も行動できず時間が過ぎていきます。
頭の中ではいつも焦りと色々な考え、悩みがグルグルと回っています。
苦しいです。どうしたらこんな自分を変えることができますか?

449 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/17(水) 20:41:09.08 ID:CbeViomM
>>435 おぬしも瞑想をしたほうがいいのう。
 そのような苦の原因は心にある。
 心に苦があれば心を治すしかないのじゃ。
 わしのブログなどを参考に、瞑想をして苦の原因を探し出すのじゃ。
 一度心を制御できればどのような苦も少しずつ滅して行くじゃろう。

451 :マジレスさん:2011/08/17(水) 21:04:35.25 ID:5cMH/Ebo
>>449
ありがとうございます。
瞑想ですか・・・。
私はあれこれ頭では常に何か考えていて、悩んでいるんですが、同じようなことがグルグルと回っているんです。考えてるだけで結局解決できません。
自分が本当はどうしたいのか、どう向かっていきたいのか、考えてるつもりなのですが、いくら自分に聞いてみても答えがでないのですが、どうしたらいいんでしょうか。
瞑想って正直難しくてわかりません。
考えることと違うんですか?

455 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/18(木) 19:45:31.49 ID:zR928GV1
>>451 瞑想は考えることとは違うのじゃ。数息観をやってみるのじゃ。
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

 初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
 そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。

489 :マジレスさん:2011/09/04(日) 23:22:53.20 ID:5c/kC+rr
たまに孤独に押しつぶされそうになります。
話し相手がいないと寂しさで鬱憤みたいなものが溜まっていきます。ドカ食いしてごまかす事も。
自分を押し殺してでも、他人と適当に調子を合わせて群れた方が幸せではないかと思う事もあります。
けどそんな事をしても本心はちっとも楽しくないし、くたびれるだけです。
人間はどうして孤独に弱いのですか?孤独に打ち勝つ方法があれば教えて下さい。

508 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/09/05(月) 20:12:26.85 ID:pQoFmF+e
>>489 個体である己と言う認識がある時、孤独もあるのじゃ。
 我を忘れている時は孤独も無いのじゃ。
 瞑想などで集中している時には孤独は無いじゃろう。 
 仕事や勉強や趣味などで集中していても孤独は無いのじゃ。
 一人で居る時に瞑想や仕事や勉強に励むと良いのじゃ。

509 :マジレスさん:2011/09/07(水) 21:44:56.97 ID:Rnj6ZrD9
瞑想など精神修養を日常的に取り組んでみたいと思ったとき、それに合わせて
仕事を変えたり選んだりしても問題ないですか?
例えば給料は安いけど拘束時間の短い仕事を選んで時間の余裕を作ったりするように。
深夜残業や休日出勤などで時間に追われると、瞑想どころでは無いように思います。
ただ、瞑想することにそれほど価値はありますか?

511 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/09/08(木) 21:23:15.70 ID:aHAeTdso
>>509 いい事じゃ。
 瞑想を真面目に行うならば大きな利益があるじゃろう。
 瞑想を行えば心は安らぎ、集中力によって気づきが多くなる。
 たった一つの気づきでも自分が変わり、生活が変わり、世界が変わる事を感じられるじゃろう。
 世界の中で人や物をいくら押さえようとも、世界そのものを変える力には及ばないのじゃ。
 人の行いの中で瞑想は最も価値があると言えるのじゃ。

553 :マジレスさん:2011/09/16(金) 18:11:53.80 ID:UyPT7Z69
瞑想にたくさん種類があり、どれを実践すればよいか迷います。
サマタ瞑想とかヴィパッサナーとか色々ありますよね。
鬼和尚氏は数息観をよく勧めてらっしゃいますが、これは初心者向けですか?
おすすめの瞑想、必ず実践すべき瞑想などあればお教え下さい。

554 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/09/16(金) 20:39:07.57 ID:YDWOXAMD
>>553 そうじゃ、誰にでも出来るのが数息観なのじゃ。

 最も重要なのは己の本心を観つめる事なのじゃ。
 瞑想は誰かに見せるものではないのじゃ。
 飾りの無い、本当の思いを自分にさらけ出すのじゃ。
166 :マジレスさん:2011/07/09(土) 18:55:34.09 ID:LyjNQm8d
質問です 人殺しはなぜだめなんですか?

188 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/09(土) 21:22:49.41 ID:bXuOt3ZQ
>>166 おぬしが殺されるのが嫌だからじゃ。
 
193 :マジレスさん:2011/07/10(日) 18:55:58.90 ID:ipDN7A2R
>>188
なら 人間以外の生き物は殺していいですか?

194 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/10(日) 20:39:58.07 ID:SdhjU6on
>>193 人間以外のものは殺されるのが嫌だと思っていないのじゃろうか?
 それともおぬしと同じように、殺されるとわかったら逃げ回ったり、泣き叫んだりするのじゃろうか?
 小さな虫でさえ殺されるとと知ればおぬしと同じように逃げ回るものじゃ。

196 :マジレスさん:2011/07/11(月) 00:29:16.06 ID:YXZx1Bu1
この世は幻なら殺すことも幻だから、それは究極には悪いことではないのですか?

200 :マジレスさん:2011/07/11(月) 19:09:26.46 ID:egUIkpsT
>>194
つまり 殺してはだめってことですよね

魚を釣ってきて食べるのはだめなことでしょうか?

201 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/11(月) 20:18:54.28 ID:Pc3K1Pwn
>>196 幻や夢でも自他共に恐れたり、痛がったりするじゃろう。
 殺されるのが嫌なら殺さない事が大事じゃ。

>>200 食べるためにはいいのじゃ。
 仕方が無い事じゃ。
 いらないのになのにいたずらに殺したりするのがいかんのじゃ。

233 :マジレスさん:2011/07/15(金) 19:07:19.96 ID:Lqr/KZ6E
>>201 鬼和尚さんへ
仕方ないなら 無駄に生き物が殺されるのも 
仕方ないと言えたりしませんかね?

例えば 植物しか食べないことが 正しいってことにはならないのでしょうか?

234 :オナ和尚:2011/07/15(金) 19:47:10.01 ID:WBvGl1iJ
何を目的として正しいのじゃ?

235 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/15(金) 20:31:06.86 ID:8N7ekQRf
>>233 殺されるものの心配はしなくていいのじゃ。
 自分が殺傷をしないように心掛けるのじゃ。

237 :マジレスさん:2011/07/15(金) 22:41:44.16 ID:Lqr/KZ6E
>>234
それが わからないから聞いてるの
殺しはダメと思うけど それが何を目的で正しいのかわかんないんだよ

239 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/16(土) 20:23:08.60 ID:zTCcOtXK
自分が苦に会わない為じゃ。
その為の行動として正しいのじゃ。

241 :マジレスさん:2011/07/17(日) 07:18:44.89 ID:MgsfdGiL
>>235 鬼和尚さんへ
魚を釣ってきて食べるより
自分が殺傷をしないように スーパーで買った魚を食べるほうが
良かったりしますか?

242 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/17(日) 20:14:35.31 ID:EQ2nWMFj
↑ 同じじゃ。
 零と零が同じであるように、どちらも食べるためなら無罪じゃ。

273 :マジレスさん:2011/07/23(土) 20:39:32.54 ID:Vfe7ycZ5
>>242鬼和尚さんへ
食べるために 殺した生き物には
かわいそうとか思わないでもいいですか?

食べるためならどんな生き物でも
殺していいですか?

275 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/23(土) 20:43:53.43 ID:40/TTp4A
>>273 思いたければ思っていいのじゃ。

 人とかをコロすとたいほされるのじゃ。
 やせいのものも許可をとらないといかんのじゃ。

277 :マジレスさん:2011/07/24(日) 20:06:38.13 ID:W/DnUrMl
>>275 鬼和尚さんへ
つまりそうなると
殺す、殺さないの 良い悪いの判断は
自分が殺されるのがイヤだからとか 食べるためとかより
単なる人間の文化に良い悪いを合わせてるだけって ことに
なりませんか?
真理より 文化が正しいのでしょうか?

278 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/24(日) 20:44:47.95 ID:VYvXNYRL
>>277 世間にあわせていればいやな目には会わない、というのも人間にとっては真理と言えるじゃろう。
 法を犯せば牢屋に入って自由が少なくなるというのも、また社会で生きる者には真理じゃ。
 全ては己の為に殺さないようにするのじゃ。

280 :マジレスさん:2011/07/26(火) 18:52:55.45 ID:8VjMB3UL
>>278 鬼和尚さんへ
真理について聞きたいのですが
それぞれの人に ちがう複数の真理があるってことですか?
それとも 全てのことが真理で
みんなにとって同じ真理があると言うことですか?

281 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/26(火) 20:18:00.99 ID:45gBgmBZ
>>280 そのようなものはどのようにも考えられるものじゃ。
 各々の人に真理があり、しかも同じであるから真理と呼ぶとか、同じ真理をそれぞれのものが見出すとか、そしてどれもまた思考を離れていないのじゃ。

 真理とは1足す1は2とか数学的に理屈が正しいから真理と呼ばれることもある。
 怨みを捨てれば恨みの連鎖が止むとか、世のことわりとして真であるから真理と呼ばれる事も在る。
 自ら試し、他人も試して正しいと判ればそれこそ真の理である真理と呼ばれるものといえるじゃろう。

282 :マジレスさん:2011/07/26(火) 20:31:23.16 ID:tzX3cwh3
曖昧な答えやなぁ


真理は一つやで

283 :オナ和尚:2011/07/26(火) 22:01:11.23 ID:jnjGpI9/
自分が満足するためのものが真理の名にふさわしいのじゃ。

284 :マジレスさん:2011/07/26(火) 22:25:10.93 ID:PMIZHp4D

真理はうちの姉ちゃんの名前やで

288 : 忍法帖【Lv=28,xxxPT】 :2011/07/27(水) 08:40:47.09 ID:eAHfow63
>>281

恨みの連鎖を止めたいので、怨みの捨て方教えてください
私に不利益な事をして儲けてる者共を記憶から消去したい
軽くなりたい。美しい事だけを記憶にとどめたい。

いつもの原因の根を探していく方法が難しいのですが
集中力不足でしょうか?

300 :マジレスさん:2011/07/27(水) 18:02:46.08 ID:ih+wmh9W
>>281 鬼和尚さんへ
自分には鬼和尚さんの書いたどの例も 同じ意味に思えます
どのような文字の並びにも考えられるだけで
やはり一つの真理のことを言ってるように見えます

質問が変かもしれませんが
鬼和尚さんは正しいをどうやって判断してますか?

301 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/27(水) 20:22:43.05 ID:eaKKxAl+
>>282 まりはいくつでもあるのじゃ。

>>284 まりはなんにんもいるのじゃ。

>>288 それはただ手を離せば捨てられるものじゃ。
 自分で保とうとしていれば捨てられないのじゃ。
 
 それを捨てまいとしているものを探すのじゃ。
 それもまた観察なのじゃ。

302 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/27(水) 20:30:24.61 ID:eaKKxAl+
>>300 おぬしが思えば何でも思うように見えるのじゃ。
 
 自ら試して正しいと証明できたものを正しいとするのじゃ。

303 :マジレスさん:2011/07/27(水) 21:15:02.66 ID:THrDw8Bi
>>302
鬼和尚、俺たち凡人には意味がじぇんじぇんわからんぞ。

319 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/28(木) 20:13:34.95 ID:vBBPA+Vw
>>303 例えば道を歩いていて何か長いものがあると、蛇だと思えばみんな蛇に見えるのじゃ。
 棒でつついてみたりして、動かなかったり近づいてよく見たりすればただの縄だと判るのじゃ。

 そのようにどこかの学者がみんな脳だとか、くおりあだとかなんとか主義とか言うと、みんなそれに見えたりするじゃろう。
 しかし、自ら試してみて感情が体の反応としてあると観察したり、観念はどのような枠組みにしても実際には役に立たないと試してみれば、判るのじゃ。

325 :マジレスさん:2011/07/29(金) 05:47:23.69 ID:nhP8Cmif
>>302 鬼和尚さんへ
たしかに思うように見えただけかもしれませんので
お聞きしたいのですが
1+1=2 というのも真理の一つといえますか?

328 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/29(金) 20:19:12.38 ID:7z4b9T7S
>>325 おぬしが数学的なものを真理とするなら真理といえるじゃろう。

336 :マジレスさん:2011/07/30(土) 16:00:06.86 ID:NFfvIS7/
>>328
ということは
1+1+1=3とか 1+2=3とか 計算式は無限なので
真理は無限にあるってことですよね?

344 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/07/30(土) 19:47:48.29 ID:U1vtL4wm
>>336 おぬしがそう思えばそうじゃ。
 おぬしにとってはのう。

360 :マジレスさん:2011/08/01(月) 15:58:46.92 ID:YKO1oUaa
>>344
>おぬしがそう思えば…
鬼和尚さんは そうは思わないのですか?

364 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/01(月) 19:56:49.99 ID:NZr2IZOY
>>360 わしは何も思わないのじゃ。

369 :マジレスさん:2011/08/02(火) 06:24:49.87 ID:hg2G4MuD
>>364
>わしは何も思わない…
数学的な考えで 計算式の数だけ とりあえず真理はある
という理屈がおかしいのでしょうか?

それとも 
鬼和尚さんが 数学的な考えを真理と思わない
ってことですか?

371 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/02(火) 20:27:26.01 ID:ienLjCni
>>369 おぬしが数学的なものでもなんでも真理であると思う時、それはおぬしにとって真理であり、他人にとってはそうではない。
 何も思わないとは、何かを真理と思うことが無く、真理という思いすらないと言う事なのじゃ。
 思考され言葉にされる全ては仮設された言葉とイメージによって成り立つものであり、それが真理を表すことは無いのじゃ。
 それもまた言葉によるものである故に、表された通りのものではないのじゃ。

373 :マジレスさん:2011/08/03(水) 16:04:14.40 ID:WXbvHGE7
>>371
他人にとってそうでなくても 他人が言葉とイメージを理解できるなら
他人に 自分と同じ新しい真理が生まれないですか?

何かを真理と思うこと無く 真理という思いすらないのに
数学的なものを真理とするなら真理といえる ことを
なぜ知っているのですか?

376 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/03(水) 20:47:55.74 ID:5xCN2CFs
>>373 同じという事は無いのじゃ。
 普通の人は各々が自らの記憶の中の言葉とイメージによって頭の中に妄想を作り上げるものであるからのう。
 未だに神が人を作ったとか地球は平らだとか、そのような事を真理として受け入れる者さえ居るものじゃ。
 
 言葉として言うならば何でもあり得るからじゃ。
 それもまた真理で無いとさえ言えるろ。
 真理ではないから真理とさえ言える。
 真理であるから真理ではないとも言える。
 言葉として捉えられない混沌ではどのような事もありえるのじゃ。

380 :マジレスさん:2011/08/05(金) 17:26:26.06 ID:XeBMLao0
>>376
同じ事も ありませんか?
神が人を作ったと思わない 地球は平らだと思わない 自分と鬼和尚さんも同じだと思います
妄想でも 1+1=2は 全ての人間に真実で同じ理屈がわかると思います


言葉として言うならば何でもあり得ることを 言ったのなら
何も思わないではなく 言葉としてあり得ることも言うことができるのでは
ないでしょうか?


言葉として捉えられない混沌ではどのような事もありえる は、
実際なにが正しいとか 無いってことですか?

381 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/05(金) 20:11:13.45 ID:YXVPNWk3
>>380 そのようにおぬしが書く神とか、地球とかいう単語さえ、人によって与えるイメージが違うものじゃ。
 キリスト経なら神とは白いひげのじじいのイメージかもしれん。
 イスラム教では偶像崇拝が禁じられている故に一人一人違うじゃろう。
 昔の人は恐ろしい自然のイメージを荒神と言ったりしたのじゃ。
 神という単語一つだけでもこれだけ人によって違うのじゃ。
 各自の思いが一致することなどは有り得んものじゃ。
 本当に妄想に取り付かれてしまったのならば1足す1は2という事さえわからないじゃろう。

 それは言葉の表現としてありえるだけで、実際を反映するという事ではないのじゃ。

 おぬしが正しいと思うことが、おぬしにとって正しい事じゃ。
 それが他人にとっても正しいと言うことは無いのじゃ。

382 :マジレスさん:2011/08/06(土) 18:03:11.30 ID:7NPFPxAE
>>381 長文すいません
神を イメージするとそうなるでしょう
自分の中でも 神を同じイメージで2回できるとは思えないです
でもイメージしているのは どれも神という意味での同じ神です。
話はそうではなく 自分と同じように鬼和尚さんも
神が人を作ったとは 思わないですよね?ってことです。
算数のできない妄想は想像できませんが… 本当に妄想に取り付かれてない
多くの人間には 1+1=2は みんなに真実で同じ理屈ですよね?ってことです


意味がわからなくなってきたので もう一度聞きますが
言葉として言うならば何でもあり得るから
自分が数学的なものを真理とするなら 1+1=2は1つの真理で
言葉として言うならば何でもあり得るから 2+2=4も1つの真理で
言葉として言うならば何でもあり得るから 真理はいくらでもある
っていうことになりませんか?実際を反映するかは別として
理屈はわかりませんか?


言葉として捉えられない混沌ではどのような事もありえる は
鬼和尚さんにとって どういう意味ですか?
他人にとっても正しいと言うことは無いのに なぜ殺してはいけない理由を
自分が殺されるのがいやだから 殺してはいけないと 他人におっしゃいましたか?

384 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/06(土) 20:50:03.53 ID:cxW4Yn5t
>>382 わしは神が人を作ったとは思わず、神が人を作らなかったとも思わない。
 不特定多数の者にとって真実であっても、それが真実とは言えんものじゃ。
 昔は多くの者が地球の周りを星が回っているとか、悪魔が病気をまくとか思っていたものじゃ。
 今も多くの人は悟りと言う現象があると知らない。
 数学的な真実も数字と言う仮設された枠組みの中では正しいが、現実での応用は限られているものじゃ。
 例えば一つの泥団子ともう一つの泥団子を足せば大きな一つの泥団子になる。
 1足す1は1になるのじゃ。
 大きな一つの岩をもう一つ岩とぶつければ多くの石が出来る。
 1足す1は沢山になるのじゃ。
 そのように数学的な真実さえ現実には必ずしも正しいとはいえないのじゃ。

 おぬしが真理は幾らでもあると思えばそうじゃろう。
 
 正しくも間違いも無く、己が苦しまないための理として殺さないほうがいいのじゃ。
 自他の苦を滅するのがわしの道なのじゃ。
 おぬしが苦しんでみたいとか、人生を失敗したいと言うならば、それも自由なのじゃ。

398 :マジレスさん:2011/08/08(月) 17:01:16.59 ID:UiNUBBtW
>>384
自分も神が人を作ったとは思わず 神が人を作らなかったとも思わないです 
もっと言うと 地球が平らか丸いかもわからない これも同じですよね。
この文字の場所の 意見はどれも使ってるのは数学的で 現実の応用は限られてますよ。
あと、1+1に言葉を足してるじゃないですか 計算式が増えてます コロンブスの卵みたいです。
その足し算の意味がわかるなら1+1=2わかるでしょう 
このさい 1+1=1でも 1+1=沢山の話でもいいですよ その理屈が 自分と他人が同じ考えになれば
人と人が 同じ正しいという考えを持つのかって話でしょ?
鬼和尚さんも 僕に同じ理屈がわかると思って書いてるでしょ


1足す1は1。 1足す1は沢山。に対して自分が
僕は何も思わない そう思うならそうなんじゃないですか じゃおかしいでしょ? 
この足し算は、鬼和尚さんの真実で 正直、何も思わないこともできますが 何か思うこともできるでしょう 
この場合思うとしたら 「確かにおっしゃるとうり」ですよ。
おぬしが真理は幾らでもあると思えばそうじゃろう。が、正解ですか?ってことです
場合によっては 神が人を作らなかったとも思えないって言ってしまってるじゃないですか

↑かってな意見なので上の問に返答はいいです


>>384
>多くの人は悟りと言う現象があると知らない
悟りが みんなの真実ってことですか?

>正しくも間違いも無く…
これが聞きたくて ずっと質問してました
自分は文化の中 生きてますが 
正しくも間違いもないと思っているのに 自他の苦を滅っすることが正しいと思ってしまいます。
鬼和尚さんは これを矛盾していると思いませんか?

399 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/08/08(月) 20:11:34.19 ID:Qe7sLOy8
>>398 わしは何も思わない。
 苦を滅するのに正しいも間違いも無いのじゃ。
 人に限らず生物は苦しみがあればそこから逃れようとするものじゃ。
 そして慈悲の故に他人も逃れさせようとする。
 例えば目の前で子供が車に轢かれようとしていたら、何も考えずに助けるじゃろう。
 それが正しいから助けるのでもなく、間違いではないからと考えてするのでもない。
 
 いろいろと考えれば矛盾は幾らでも出てくるじゃろう。 
 思考を止めれば矛盾は無いのじゃ。
759 :マジレスさん:2011/05/25(水) 18:33:28.94 ID:qQzRGfbP
人生は空虚なんでしょうか?
この世にある知識や名誉を授かっても
何の価値もない空っぽの人生なのでしょうか?
これが真実としたら、
生活や仕事にやる気が起きなくなってしまいます。

766 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/25(水) 20:51:31.58 ID:nGeyba+N
>>759 空虚じゃ。
 知識や名誉も何の価値も無いのじゃ。
 それはいずれ必ず失われるものだからじゃ。
 そのように感じられのはこの世に付いて正しい見方が出来たと言うことじゃ。
 
 永遠への道は各自の心の中にある。
 速やかに修行の道に入るのじゃ。
 わしのブログなどを参考にするのじゃ。

768 :マジレスさん:2011/05/25(水) 20:57:30.42 ID:PaoMF7QX
>>766
いつも思うんだけど、永遠がなんで必要なの?

785 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/26(木) 20:45:37.31 ID:fHm17HkX
>>768 おぬしが必要ではないと思うなら必要ではない。
 死を自覚し、それが必要だと思ったならば修行の道に入るが良いのじゃ。

788 :マジレスさん:2011/05/26(木) 20:48:15.50 ID:BSYdwlde
>>785
俺には必要ないけど、答えになって無いよ。

結局あんたはその永遠ってものが有ると思い込む事によって
死の恐怖を克服したと思いたいんだろうな。

789 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/26(木) 21:04:53.81 ID:fHm17HkX
>>788 おぬしに必要が無いならそれでいいではないかな?
 おやおや、わしは永遠ってものが有ると思い込む事によって死の恐怖を克服したと思いたいのじゃろうか?
 それはもしかするとおぬしが、わしは永遠ってものが有ると思い込む事によって死の恐怖を克服したと思いたいと、思い込むことによって永遠ってものが無いと思い込むことによって死の恐怖を克服したと思いたいのかもしれんぞ。
 わっはっはっは。
 
 わしが何を指して永遠と言っているのか、おぬしが知らない限り全ての言葉はおぬし自身の思い込みに過ぎないと気づくのじゃ。
 それをただ語るためだけでも悟りを得る事が必要になる。
 それが出来たらわしに永遠とは何をいっていたのか告げるがいいのじゃ。

791 :マジレスさん:2011/05/26(木) 21:16:01.17 ID:XKk+g8uf
いつものことだが、答えないねぇw

792 :マジレスさん:2011/05/26(木) 21:26:04.91 ID:BSYdwlde
>>789
妄想してるのはあんたの方だと思うよ。
死んだらすべて終わりで結構。
一回限りの人生だから一生懸命生きられるんだよ。
それを修行すれば永遠を得られるとか、悟れば永遠が分かるとか
カルトそのものだろう。

最近馬に叩かれて言わなくなったけど自分がそうだからって他の人にも
「泣きながら死んで行くのじゃ」とか言ってる時点で頭おかしいと思うんだけど。

795 :マジレスさん:2011/05/26(木) 21:57:15.27 ID:XKk+g8uf
「鬼にとっての」永遠の解釈を披露するくらい
そんなにビビルことでもねえだろうに
誤解はつきものだし、理解できるやつだけに向けて示せばよい
「悟りの山」の上から毎日電波とばしてるだけじゃ、アンチも減らんわい

805 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/27(金) 20:52:24.56 ID:DWj0w4gK
>>791>>795 最初から答えればわしは誰にでも永遠が必要と言う言葉は書いておらん。
 誰にでも一つのいでおろぎーや信条、行動を押し付けるのはカルトなのじゃ。
 そのような質問自体がカルトの考えしかできない者の書き方じゃのう。
 わしはそれが例え真実であり、万人に必要なものと思っていたとしても、誰にでも必要とは書かないのじゃ。
 誰でも己の主となり、己の意志で道を選ぶ事が大事なのじゃ。
 それ故に、各人が必要だと思えば必要であり、そうでなければそうでないと答えるのじゃ。

 永遠に解釈など無いのじゃ。
 言葉を使えばそれが無いとしか言えないものじゃ。
 それは心でもなく、体でもなく、天でもなく、地でもない。
 そのように書かれた言葉通りのものですらない。
 自ら行ったものがその言葉の意味を事が出来るだけのものなのじゃ。

806 :マジレスさん:2011/05/27(金) 20:55:23.03 ID:cveoELOy
語り得ぬものについては沈黙せねばならない。

だから鬼よ、お前は黙ってろ。
正直ウザい。

808 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/27(金) 21:04:49.35 ID:DWj0w4gK
>>792 それがおぬしの妄想じゃな。
 カルトの定義と言うものがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
  精神の不安定化、法外な金銭的要求、住み慣れた生活環境からの断絶、 肉体的保全の損傷
子供の囲い込み、反社会的な言説、公秩序の攪乱、裁判沙汰の多さ、従来の経済回路からの逸脱
公権力への浸透の試み

 わしは他人の精神を不安定化したり、金を要求したり、その他の行いをしたじゃろうか?
 それを行っていないものをカルトと言うならば、明らかにおぬしの言葉は妄想に過ぎないと言えるじゃろう。

 おぬしもなきながら死んでいくのが好きなようじゃのう。
 もしおぬしが笑いながら死ぬのならば、それはただの嘘であり、嘘つきのわしを無視すればいいだけじゃ。
 そのように反応してしまうのも、それが本当ではないかと怯え、事実を突きつけられた怒りをわしにぶつけているだけなのじゃ。

 日頃から己に嘘をついて生きている人間は、いきなり事実を突きつけられると怯え、それを告げた者に恐怖と怒りを抱くものじゃ。
 もしわしがみんな笑い名が死ぬとか書いたならば、それこそ嘘をついて人を惑わすカルトという事になるじゃろう。
 わしは事実を告げ、その上でそこから逃れる道があると修行を勧めるのじゃ。
 それが目覚めた者の教えなのじゃ。

810 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/27(金) 21:08:09.54 ID:DWj0w4gK
>>806 ここは相談のスレじゃ。
 おぬしも相談が無ければ書き込まないでいいのじゃ。

812 :マジレスさん:2011/05/27(金) 21:47:25.08 ID:7mm/49dW
>>808
怯えてるのはあんただろ。
あれだけ言ってたのに全然言わなくなったのは何でなんだろうな。

813 :マジレスさん:2011/05/27(金) 21:57:54.46 ID:cveoELOy
自信がないからだろ。
もう追い込むなよ。
可哀想だろ?
そろそろ、この駄犬に慈悲をたれてやってもいい頃合いだ。

828 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/28(土) 20:36:57.98 ID:AeHXQr4S
>>812 おやわしは怯えておるのかな?
 それも妄想というものじゃのう。

 真実に耐えられず怯える者がいる故に、人を選んで説くのじゃ。
 本来、優しい言葉で法を説けと経典にも書いておるからのう。
 おぬしが本当に、やがて確実に来る死に怯えていないのならば、自らの死ぬ時をイメージしてみるがよい。
 おぬしは70歳とか80歳になった。もはや体力も無く、病気に犯され、この世にいられる時間は確実に少ししか無い。
 寝床に横たわり、家族が見守っているかもしれん。その家族とも直ぐに永遠にわかれなければならん。
 やがて手足が動かなくなり、耳が聞こえなくなり、眼も見えなくなってくる。
 その時、おぬしは何を感じるじゃろうか?
 わしの言う通り、自分が何処に行くかわからず、全て捨てて一人で行く事に泣いてしまうじゃろうか?
 それとも満足して死ねるじゃろうか?

 そのように死から逆算して考えて己の行く道を決めるのは意味がある事じゃ。
 生きている時にやりたい事や、やるべき事を明白に知る事ができるのじゃ。
 正に死を常に想う者が、泣きながら死んでいく事も免れるのじゃ。
 ↑久しぶりに出たのう。わっはっはっは。

829 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/28(土) 20:43:00.52 ID:AeHXQr4S
>>813 自分に悪口を言ってはいかんのう。
 おぬしはここに書ける所を見ると駄犬ではなく立派な人間じゃ。
 自信が泣くとも頑張るのじゃ。

830 :マジレスさん:2011/05/28(土) 20:47:01.22 ID:NrxDvJbm
>>828
だからさ、あんたのは全部妄想だろう。
俺がガンで死に掛けたことが有るっていう想像は働かないのかね?
常に死と隣り合わせの生活を何年も続けてたとは想像できない?

何度でも言うけど、あんたのは結局自分が死ぬのが怖くてしょうが無かったから、
他人もきっとそうだっていう妄想でしか無いんだよ。
何が「久しぶりに出たのう。わっはっはっは」だよ。

832 :マジレスさん:2011/05/28(土) 20:59:42.19 ID:cDg82oPh
>>829
かばってやったのになあ。
なにもあんたにレスしたわけではないのに、
なんでスルーできないの?
なんかすごく必死だよね、チミ。
どしたん?

852 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/29(日) 20:23:14.12 ID:5lKxKu43
>>830 おぬしが本当に死にかけたことがあるならば、それ故に却って死から逃避するのもありえるのじゃ。
 人は一度味わった恐怖から逃げようとするものじゃからのう。
 そして真実を告げる者の言葉も恐れて妄想で片付けようとする。
 それ自体が己の恐怖から生じた妄想であると気づかないのじゃ。 

853 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/29(日) 20:26:15.25 ID:5lKxKu43
>>832 ここは相談のスレじゃ。
 悩みをもってる者がいろいろ書き込んで、わしや有志の者が答えるのじゃ。
 おぬしはここに駄犬とか書くから自分を駄犬だと思って悩んでおるのじゃろう。
 わしは字が書けるからおぬしは駄犬ではないと思うがのう。わっはっはっは。

858 :マジレスさん:2011/05/29(日) 20:48:43.32 ID:vRX/day5
>>852
苦しい言い訳だな。
死ぬなんて当たり前の事に対して大袈裟なんだよ。
君はそうやって死とか永遠とかをちらつかせてないと、相手を納得させられないだけだろ。
結局君もまだ死の恐怖を克服出来て無いって事なんじゃ無いの?

君がいう真実って何だよ。人間はいつ死んでもおかしくないって事かい?
それなら当たり前の事だし、修行なんかしなくたって自分はいつ死んでもおかしくないって事を
ちゃんと受け入れて生きてる人なんていくらでも居るぞ。

902 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/30(月) 19:55:23.54 ID:JPjLUqyu
>>858 そのように他人も死の恐怖が克服していないと語る事で、自らが味わった死の恐怖から逃避する事を正当化しようとしているのじゃのう。
 自分が味わった恐怖を他人が克服したとなると、自らのイメージが崩れるからのう。
 死を受け入れる事と、死の恐怖を滅する事、そして死そのものが無いと知るのは全く別なことじゃ。
 実際には過去の体験から来た死の恐怖を滅する事などは、簡単な事じゃ。
 死の恐怖から逃げず、それが記憶から来るものであると詳細に観察すれば消える。
 このようなことは今まで知りもしなかったのじゃろう。 どうせわしも偽者であろうと思い、2000年に一度のチャンスが目の前にある事すらわからない。
 それはもはやわしの咎ではない。

911 :マジレスさん:2011/05/30(月) 21:26:22.29 ID:wGaowuSD
>>902
>2000年に一度のチャンス・・

鬼さん、どんな根拠でそんなこと書いてるの?

966 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/05/31(火) 20:18:40.97 ID:5Xk/s1YO
>>911 おぬしも経典を良く読めばわかるじゃろう。
 盲亀の浮木と言う話があるのじゃ。

970 :911:2011/05/31(火) 22:33:46.79 ID:v7BtuaSu
>>966
盲亀の浮木の話は知ってます、答えになってないですね
それは鬼さんもわかってますよね

鬼さんが、それに該当する人物だと結論付ける根拠はなんですか?
過去2000年間、鬼さん以外に該当者がいなかったと言い切る根拠はなんですか?

と聞いてます

「酒の飲みすぎで・・」「調子に乗りすぎたわい」でも結構ですよ
怒ったり馬鹿にしたりしませんから

980 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2011/06/01(水) 20:02:16.46 ID:Z7LXXvqe
>>970 全然わからんのう。
 わしがそれをわかっているという根拠は何じゃ?
 盲亀の浮木の話は答えになってないと、わしもわかっているという根拠じゃ。
 それに答えればおぬしの疑問もわかるじゃろう。
 恐らくおぬしは答えないと思うが、本当に真実を求めるならば答えるのじゃ。
68 :健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2013/03/26(火) 11:11:49.54 ID:ydKalr9p
鬼和尚さんにとっては、
過去も現在も未来もなく、永遠の中に生きているのですか?

89 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/03/26(火) 21:29:24.39 ID:BDzwTmkQ
>>68 そうじゃ、己が無く、認識も無ければ時間も無いのじや。
 時間が無ければそれが永遠なのじゃ。
 そこに己がある訳ではないがのう。

113 :マジレスさん:2013/03/27(水) 13:54:08.34 ID:/c80uT9D
>>89
時間がないというのは、時間という観念がないということですか?
それとも物理的に時間は存在していないということですか?

認識が無ければ時間も無いというのはわかりますが、
認識が無ければ時間が無いという認識もないと思うのですが

時間の有無が無いということでしょうか
それもまた認識とも思えますが、認識を超えた認識のようなものがあるのでしょうか

147 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/03/27(水) 19:43:16.25 ID:JnIFA7dc
>>113 時間も観念なのじゃ。
 物理的には存在していないのじゃ。
 物が移動したり変化したりする現象を説明し、解釈するために時間という観念が作られたのじや。
 
 記憶に依存した認識が時間という観念を作り、維持しているのじゃ。
 それを阿頼耶識という。
 阿頼耶識を滅した所に真の認識があるのじゃ。
 記憶に依存せず、観念にも囚われないから真実が見えるのじゃ。

182 :マジレスさん:2013/03/27(水) 22:07:36.58 ID:/c80uT9D
>>147
どのようにしたら、記憶や観念の依存を終わらすことができますかね
観察ということはわかりますが
サマーディというか、観念のないありのままの知覚状態のようにもたまになりますが、
そこからどうすればいいのか
阿頼耶識を滅する道というか
地道に自分の認識を疑っていくしかないですかね
なにかアドバイスあればお聞きしたいのですが

188 :マジレスさん:2013/03/27(水) 23:11:20.84 ID:gpsV8mVt
記憶観念の依存て物質的経済の事?

記憶て物は簡単に消せない物
それが形に残っている物の事?
記憶だけが本来の形

観念て物は想像力、思念含む物の方?
これは非現実的に陥り易くない?
想像力が全て物はありえないし


てか本物のサトリ全然来ない
※此処は悟りて突っ込みは不要

242 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/03/28(木) 20:44:48.08 ID:rANZy+gv
>>182 記憶や観念の依存を完全に終らせようとするならば、悟りを得るしかないのじゃ。
 記憶や観念の依存を終らす前に、先に自我を滅しなければならんのじゃ。
 自我も記憶や観念の依存によって成立している故に、それを滅しようとすると危険を感じ、回避しようとするからなのじゃ。
 
 深い瞑想の境地に入ったならば、そこから自我の生起する瞬間を観察によつて捉えるのじゃ。
 禅僧が瞑想中や歩いたりしている時に、音を聞いて悟りを得たように、知覚によって自我は起こり、その瞬間を捉えて観察できれば、自我は観察の対象となり、厭離されるのじゃ。

 自我が滅すればもはや無為にすわって居るだけでも、記憶や観念の依存は無くなって行くのじゃ。
 もはや守ろうとする自我の働きが無い故に、そこからは容易なのじゃ。
 自我が無い状態で、直接それを観察し、滅する事も出来るのじゃ。

>>188 記憶観念の依存は精神的なことであり、そうであるから同時に物質的なことでもあるのじゃ。

274 :マジレスさん:2013/03/29(金) 15:35:04.67 ID:nKhV+Q1R
自我が滅却されると、仕事があることを忘れ、すっぽかして後に会社から責任を追求されたり、自分が誰だか忘れてしまい家族からキチガイ扱いされるのではないかと言う不安がありますが
記憶への依存が無くなっても記憶が無くなる訳ではないのでそのような心配は無用と考えて宜しいでしょうか?

281 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/03/29(金) 20:18:15.11 ID:SoZxwf2M
>>274 そうじゃ、記憶そのものが無くなる訳ではないのじゃ。
 酒への依存がなくなっても酒はなくならないようにのう。
 依存がなくなっても依存の対象は無くならないのじゃ。

386 :マジレスさん:2013/03/30(土) 02:47:48.78 ID:C8gm6vir
鬼和尚が言う自我の発生原因としての記憶への依存とはどういうことだろう

朝8時になると労働者としての私のリアリティが確固としてくる訳だが
労働者としての私のアイデンティティは雇用者側と労働契約を締結したと言う一連の記憶に在ることは明らかではある。
これらの記憶によって労働者としての私の自我はいつも朝8時の目覚めと共に生じる。
この状態が記憶への依存だろうか
ではもし労働契約を締結した記憶が無ければどうか労働者としての自我は生じない。
この事を確認することによって労働者としての私と言う自我は超越されると言う事だろうか

388 :マジレスさん:2013/03/30(土) 03:01:31.44 ID:C8gm6vir
花子さんの事を思うと花子さんと相対している私が生じる
これは幻想の世界の自我だが実際に花子さんにあった時でも花子さんに相対している私と言う自我が生まれているだろう
花子さんは花子さんに相対している私の発生原因である
花子さんが居なければ花子さんに相対する私と言う自我は消滅する
自我の発生原因は他我を作り出すことからとも言える。
「あ、花子だ」
花子がこっちを見るぞ
花子は俺の上司だったな
と認知すると同時に花子の職場の後輩太郎と言う自我が生まれる
「おはようございます花子先輩」
‥自我の発生原因は単純に知覚と意志(目的、志向性)ではないか?

逆に言うと意志を滅却し知覚を働かせなければたとえ花子が目の前にいても自我が生じない。
と言うか花子が生じない。
花子と言う存在が知覚と意志の産物だからである
花子が生じないから後輩の太郎も生じない。
このことを注意深く観察するならば苦は生じないと言う事か?

425 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/03/30(土) 20:38:13.01 ID:8d3Pnpz6
>>386>>388 大体そのようなものじゃ。
 それを観察する事によって認識の対象とすると、自己同一化が解消するのじゃ。
 観察できるものならば、自己ではなく他のものであるからのう。
 それが気づきなのじゃ。

503 :マジレスさん:2013/03/31(日) 19:18:52.72 ID:CU0hhQcQ
鬼和尚のように好きなように自我を作ったり壊したりが自由に出来るならばこれほど良いものは無い訳です。
無我と自我を超越するのが悟りの境地なのでしょうか

504 :マジレスさん:2013/03/31(日) 19:20:37.64 ID:6msJVKaA
現代の日本人で悟っていると思う人物を示して欲しい
鬼和尚でなくても構わない

511 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/03/31(日) 20:35:17.09 ID:eeKEBUqN
>>503 そうじゃ、ただ滅するだけでなく心に自在なのが、悟りの境地というものじゃ。
 それは言葉にすれば多岐に及び、結局は真実を伝える者ではないから、ただ輪廻から離脱するとか涅槃とか言うのじゃ。
 本当は何でも自在なのじゃ。

>>504 わし以外知らんのじゃ。
 どこかにいるかもしれんがのう。
 名声を求めない故になかなか知られんのじゃ。

595 :マジレスさん:2013/04/03(水) 13:11:42.98 ID:W5KR8mNg
目の前の花を観察しようと言う時の観察する意識と夢を見ている時も起きている時も常に存在しつづけていると言われる永劫の意識は別物ですか?
「寝ていても起きて全てを見ている意識を観察するのじゃ」と言う時の観察している意識は観察する意識ですが全てを見ている意識もやはり観察する意識ですよね
すると心の中に観察する意識がいくつもあることになりますよ

フロイドやユングのモデルで説明すると便利ではあるかと思うのですが
つまり「無意識」と言う意識があり、それを観察することにより「表層意識」との統一性が生まれると言うことでしょうか

608 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/04/03(水) 20:17:44.92 ID:PTDV+O8P
>>595 本来意識は一つなのじゃ。
 記憶に依存し、物事を分別する時、観念が生まれ、思考が生まれるのじゃ。
 観念が無ければ一つなのじゃ。

 言葉により、思考により、観念を見れば幾つにも思えるのじゃ。
 観察によって最後には観察するものも、認識されたものであったと気づくのじゃ。
 そして初めから一つであった意識をも、分別して幾つにも分けていたと気づくのじゃ。

610 :マジレスさん:2013/04/03(水) 20:37:08.97 ID:W5KR8mNg
なるほど、分別しなければ、相手の意識も私の意識もひとつの意識であるし、心も物も一つですね。
しかし分別する意識があるのは事実で
これは単なる心の癖なんでしょうか
人間が言葉を使う限りどうしても分別しますよね
言葉による認識を捨てない限り悟りの意識には到達出来ないと言うことでしょうか
だとすると一生洞窟か山にでも篭ってないと、分別する意識が生じてしまいます。

611 :マジレスさん:2013/04/03(水) 21:07:12.40 ID:2bZZ3XfB
>>610
>観察によって最後には観察するものも、認識されたものであったと気づくのじゃ。
これはつまり、
言葉による認識によって生じる分別する意識、これを観察すると言う事でしょうか。

662 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/04/04(木) 20:05:45.11 ID:1+fNoHWO
>>610 そうじゃ、それは単なる習慣に過ぎないのじゃ。
 習慣であるから観察によって滅する事も出来るのじゃ。

 言葉を超えたものを知るためには言葉を使う認識を捨てなければならんのじゃ。
 それ故に言葉による観察は習慣になってはいかんのじゃ。
 後から習慣を捨てるのが難しくなるからのう。

 観察によってその言葉にする認識の働きが、一瞬観られればそれで良いのじゃ。
 それが気づきなのじゃ。
 
>>611 そうじゃ、それに気づけば一瞬にしてそれは捨て去られるのじゃ。
 観察されたものは他のものであり、自己同一化が滅するからのう。
 それが気づきの力なのじゃ。

764 :マジレスさん:2013/04/07(日) 22:23:13.46 ID:nt9GSjpI
観察するつもりが気づくと思考しています
気づいた時にリセットすればいいのでしょうか

765 :マジレスさん:2013/04/07(日) 23:18:37.73 ID:GzvgeGp8
鬼和尚さん
悟ると過去生も見れると言いますが、記憶はどこにあるのでしょうか?
脳ではないところに記憶されてるということですよね
また、過去生を思い出す人にとって、それが妄想でなく正しい記憶だという根拠は、
何かあるのでしょうか
例えば妄想と違うリアリティのようなものでもあるのでしょうか?

794 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/04/08(月) 20:27:28.57 ID:u2APSdQh
>>764 そうじゃ、気づいた時に観察し直せば良いのじゃ。
 やがて観察に専念できるようになるのじゃ。
 集中によって観察力も上がるのじゃ。

>>765 全てにあるのじゃ。
 その辺の石にさえ残るものはあるのじゃ。
 見えるものには見えるのじゃ。

 今の世さえ夢幻なのじゃ。
 人によっては文献などに残された情報によって根拠を得る事もあるのじゃ。
 元より今生きている事さえ人には不可思議なものじゃ。
 前世も正しく生きる参考にする位が良いのじゃ。

857 :マジレスさん:2013/04/11(木) 17:13:21.94 ID:rPibkXHJ
鬼和尚は瞑想中に見たり睡眠中に見たりする「夢」についてはどのように思いますか?
それを観察することは「アーラヤ識」を観察することと捉えて良いですか?
今日は日中、上記のように認識を観察していたのですが
それは何の意味があるのですか?

865 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/04/11(木) 20:01:14.64 ID:tqqrUHnT
>>857 それは現実と同じなのじゃ。
 現実もまた夢なのじゃ。

 それは阿頼耶識から起こるものであり、阿頼耶識そのものではないのじゃ。
 それ故に阿頼耶識そのものを観察しているのではないのじゃ。
 
 もっと深い意識を知るのに役立つじゃろう。
 夢の中でもりんごはりんごというものに見えるじゃろう。
 それはりんごというものを思い出し、幻想に投射する認識があるからじゃ。
 その認識が阿頼耶識なのじゃ。
 
 更に続ければその機能さえも観えるようになるじゃろう。
 それが阿頼耶識を観察したと言う事なのじゃ。

866 :マジレスさん:2013/04/12(金) 01:42:56.90 ID:tN10l+lV
>>865
機能を観るにはどうしたらよいでしょうか?
観てる者を観るということでしょうか
それがうまくできないのですが、具体的にどのようにしていけばいいでしょうか?
うまくできないままただ続けていくしかないですかね

890 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/04/12(金) 20:11:12.44 ID:h480+Xq8
>>866 例えばおぬしがちょっと立ってどこかに行く時、歩いて行くじゃろう。
 ほとんど意識しなくとも歩くと言う行為をしておる。
 それを観ようと下をみれば観られるじゃろう。

 そのように認識の機能は意識しなくとも、働いておる。
 何かを見た時、記憶からそれはりんごならりんごという言葉とイメージが湧く。
 その働きを観るのじゃ。
 認識の働きはとても素早く、無意識に行なわれる故に、それを観るには集中力が必要なのじゃ。
 しかし、心の奥深くに強く集中し、観察しようとすれば、それは観られるのじゃ。
 他人がそれをどこと指し示す事は出来ないのじゃ。
 自らの心の奥にその働きを探しながら観察して行くしかないのじや。

869 :マジレスさん:2013/04/12(金) 07:51:46.17 ID:6Fyyzder
鬼和尚
モンスターばりの殺人者に追いかけられる夢を見たのですがこれは何でしょうか
このモンスターは何故私のアーラヤ識?を住処にしているのでしょうか
先のリンゴの例で言うと殺人モンスターらしきものが出てきたがそれを殺人モンスターと分別したのがアーラヤ識と言う事になりますが、分別しようがしまいが現に殺人をする者はやはり殺人者ではないでしょうか
分別しようがしまいが
逃げなければ殺されてしまいます

870 :マジレスさん:2013/04/12(金) 07:59:36.75 ID:6Fyyzder
現実=夢と言う定式によると、リアルで私は化け物に殺されそうになったと言うことですよね
何の因果でそんなことになるのでしょうか
また、夢から覚めるように現実から覚める事は可能なのでしょうか

891 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/04/12(金) 20:21:03.15 ID:h480+Xq8
>>869>>870 それを殺人者と認識するのが阿頼耶識なのじゃ。
 夢ならば空を飛んで逃げる事も出来るじゃろう。
 そのような力を身につけるために出たのかも知れん。
 今度会ったら飛んで逃げてみるのじゃ。

 現実から覚める事が悟りなのじゃ。
 それ故に悟った者は目覚めた者と呼ばれるのじゃ。
26 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/09(火) 20:32:42 ID:GIv3qrbh
さて、今日は知識に囚われた者達への教えじゃ。


 もともと知識人などは多くが、知識こそ自分であり、自我であると認識しておるものじゃ。
 それ故に知識を捨てろと言うと、自我が消されると思い、強く反発し、なんとか消されまいとして激しく抵抗するものじゃ。

 例えば禅の者は良師は全てを奪うと言う。 
 その全ての中に知識は入っていないと思うのじゃろうか。

 例えば空を知る者は、一切は空であると言う。
 その一切の中には知識は含まれていないのじゃろうか。

 そうではあるまい。
 真の良師なら、知識も含めて、自我を存立させる因となるものを、全てを奪うじゃろう。
 一切が空とは、知識をも含める全てが空であると言う意味しかない。

 それなのに知識を自分だと思い込んだ者は、知識だけは例外だと、思い込んで、このような矛盾にも気づかぬふりをしている。

 知識が自分だと認識している者にとっては、知識を捨てろとは、正に自分を捨てろ、己を殺せと言われるに等しい。
 それ故に捨て去られ、殺されようとする自我が、激しく抵抗をするのじゃ。
 
 全てを捨てろとか、一切が空であると聞いても、その知識をしまいこみ、却って知識を増やし、自我を強化しているのじゃ。
 知識は道具に過ぎないとか、知識と思考、分別は違うだとか、ありとあらゆる言い訳を考え出し、知識とその投射された自我を守ろうとする。

 知識が道具ならば、ペンチやスパナのように、本来捨てる事も、又拾う事もたやすい筈ではないか。
 必要なら改めて身に付ける事も出来る。
 真の師が全てを奪い、一切が空ならば、知識と思考と分別と、全てを奪い去らせ、一切を空とする以外に無い。
 
27 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/09(火) 20:34:31 ID:GIv3qrbh
さて、今日は知識に囚われた者達への教えじゃ。


  しかし、知識が自分であるとする者は、決して手放そうとしない。
 知識だけは例外であり、手放してはならないモノと、執着するのじゃ。
 その激しく抵抗する姿こそが、知識に執着している何よりの証拠であるが、決して気づこうとはしない。
 気づいてしまえばそれを捨てなければならない。
 それは自分を捨てる事に等しい故に、恐怖を生じ、執着が生じているのじゃ。

 だが本当に真実を求め、ありのままに観察する者は観る事が出来るじゃろう。
 知識も又、他の一切のものと同じく、移り変わるものであり、陽炎のようなものであり、実体が無く、空であると。
 どんな知識も永遠には止まらない。
 記憶は薄れ、変化し、やがて消える。
 書き写したものでも、やがては消えていく。
 知識は仮想された現実の上での、仮想されたデータであり、実体は無い。
 夢や幻のようなものと変わらず、永遠にして普遍な実体は無い。

 そのようなものとして知識を観る時、知識とその執着から離れ、自我の生成を観照する準備が出来るじゃろう。
 そして、観察を続ければ知識を因として生じた自我が、観えるじゃろう。
 その時こそ恐れずに、全てを観るがいい。
 知識は己ではない、空であり、無我であり、ただ自我が投射している対象であると、完全なる了解が得られるじゃろう。
 更に進んで認識をも転換した時、完全なる悟りを得る事が出来るのじゃ。

156 :神も仏も名無しさん:2008/09/11(木) 12:13:24 ID:4huKNQbf
鬼和尚さま、質問させてください。

認識の「転換」という言葉がどうもよく分かりません。

例えば、未曾有の大地震を体験したような場合、世界観なども変わるかもしれませんし、体験する前の自分に戻りたいと思っても、もはや戻れないでしょう


しかし、全く同様に、日常のちょっとした体験でも、その体験をする前の自分には戻れないという意味では同じといえるでしょう。
そう考えると、前者、後者は程度の差というようにも解釈できます。
しかしまた一方で、前者のような体験の場合、その後の日常生活に支障をきたす(例えば、PTSDなど)という方もおられるという話も聞きますが、
やはり、日常での連続的な変化とは違った「特別」な変化、というように評価することもできそうな気がします。

ある瞬間における体験ではあるが、その体験がその後の生活に与える影響は、特別といってもいいようなくらい大きな影響
(体験前の自分に戻りたいと思っても戻れない、つまり自分は変わってしまった(=転換)と思えるほどの大きな影響)がある。
こうような意味合いで、「転換」というように表現されているのでしょうか?

すみません、質問自体も分かりにくいかもしれません。
認識の転換、という表現について、もう少し敷衍して言っていただくことができましたら、ありがたいです。

199 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/11(木) 21:35:07 ID:CuuNnsly
>>156 それについてはいずれ詳しく書くつもりじゃが、かいつまんで説明しておこう。
 例えば物がゆがんで見えるメガネをかけていた者が、そのメガネを取った時に、初めて本当の世界の姿を見るようなものじゃ。

 普通の人間の認識作用は、記憶によって歪まされているのじゃ。
 その認識を観によって客観視できれば、厭離が起こり、消滅する。
 その時、本来の認識作用が戻り、世界が本来の姿で観えるようになるのじゃ。

 まとめるとこのような事じゃ。

224 :神も仏も名無しさん:2008/09/11(木) 22:21:17 ID:5BK9YN2p
156です。

鬼和尚さま、レスいただいたみなさま、ありがとうございます。

認識の転換というのは、一過性の体験のようなものではなく、認識作用そのものの変化(本来の作用にもどる)、ということですね。

鬼和尚さまの言っておられる2段階の悟りの階梯は、世界の存在論と認識論とも言えそうですね。

自我(現在におけるゆがみ、あるいは、遮蔽物)の脱落により、世界がもともとから存在していたということが初めて分かり(存在論)、
さらに、認識(過去の記憶によるゆがみ)の脱落により、世界が本来の姿で観えてくる(認識論)

うーん、やはり思考を超えた境地です。
まあ、なにはともあれ、妄想かかずに修行しま~す。
ありがとうございました。

503 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/12(金) 21:21:08 ID:UafD/EM8
>>224 そうじゃ、そのような知識は本来、悟りを得た後に、本当に理解出来るものじゃ。
 今は修行あるのみじゃ。

506 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/12(金) 21:34:34 ID:UafD/EM8
さて、知識と分別について書いておくのじゃ。

 分別とは字の如く、分ける、別にすると言う心の作用じゃ。
 これとあれは違う、あれとこれは違うというようにのう。
 このような分別は、知識と連動し、密接に繋がりながら作動しておる。

 例えば車の両方のタイヤみたいなものじゃ。
 片方が無ければ、車としては不完全なものであり、誰も買わない。
 そして、車を完全に解体するには、両方ともとってしまわなければならん。
 片方が残っていては、完全に解体したとは言えないじゃろう。

 知識と分別も同様に、両方がそろって認識の作用を行っているものじゃ。
 片方だけで成立するものではない。
 そして、完全なる悟りに達するには、両方とも取ってしまわなければならない。

 言葉を知らない子供に、母親が言葉を教える時、赤いものを見せれば、それが赤と言うものだと、知識を与えるじゃろう。
 すると次に赤いものを見た子供は、それが緑でも黄色でもなく、赤いものだと分別するじゃろう。
 そして更に、赤いものが、服や家具や周りものにあるという知識を得るじゃろう。
 
 このように知識があって、分別があり、分別によって知識がある。
 両者は密接にして不可分であり、二つながら一つの認識作用を成立させているものなのじゃ。
 それ故に認識をも転換する真の悟りを求める者なら、両方とも捨てなければならないのじゃ。

530 :神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 01:11:23 ID:ZuDszM20
んじゃ、認識論について。初めに断わっとくが俺はこのへん全くの素人なんで
おかしいとこは遠慮なく突っ込んでおくれ。まず、段階的に認識レベルを見て
いこう。

A. 外界からの情報を感覚器官を通して脳に伝達する。例えば、光が網膜、視神経
  をとおりそれを脳が画像として認識する。さすがに、この段階を否定する者は
  いないよね?全ての感覚器官を閉じ、外界情報をシャットアウトしろなんて言
  う奴は。

B. その画像が月だったとしようか。それを見て、ただ見てるだけの状態。
  「黄色」であるとか「丸い」とか、過去の記憶の中の何々に似てるとか、そう
  いう思考を一切排除した状態。つまりAで述べたように一枚の画像として脳が
  認識しただけの状態。  今日の鬼和尚の書き込みみると、真の悟りへの道は
  この状態になることと言ってるね。

C. 月の画像に対してそれは「黄色」であるとか「丸い」という認識を与えること。
  つまり、知識の付加だよね。これは「赤色」でない。四角ではない。という、他
  との区別、識別でもある。(和尚はこれを分別といっていた)

D。 さらに、これは「月」であると認識する状態。「太陽や金星ではなく、月で
  ある。」これはもう、はっきりと知識による認識。ただし、事実判断。

E。 もう一段階すすめて、「きれいだ」 「風情がある」などと思考すること。
  すなわち、価値判断の付加だ。

532 :神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 01:26:26 ID:ZuDszM20
んで、ここからが本題なわけだが、俺にはBの状態が瞑想という特殊
な状態下における一過性の認識異常にすぎないのではないかと思えて
しまうのだが? 例えば、この状態が継続的に続くのであれば、それは
精神病の範疇に分類されるべきものなのでは? と思えてしまう。
(誤解のないように言っておくが、和尚が精神病などと言ってるのでは
ないぜ。)
少なくとも、Bの状態で実生活をおくるのは不可能だが。

どうなんだろうか? また、そこから、どのように悟りへと繋がってい
くのかもわからん。 そのへん、わかるひと教えてね。

675 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/13(土) 20:36:34 ID:mNAxbYoI
>>530>>532 本当は画像として認識している時点で、もはや分別しているのじゃが、まあ良いとしよう。
 そのような分別や知識の投射を、日頃から止めるようにしていれば、阿頼耶識である認識の作用が、わずかなら緩和されるのじゃ。

 人の脳がものを分別し、知識を投射する速度は恐ろしい程に速い。
 現代の脳科学でも、0.何秒かで人は物事を判別していると言う。
 そのような猛烈な速度で、作動する認識能力を観察するには、集中力と共に、認識そのものの作用を緩和する必要がある。
 それ故に分別を捨てろ、知識をも捨てろと言うのじゃ。

 一度、観察が出来れば、それは観察されたものであり、客観視されたものとして、自己同一化が出来なくなる。
 そのようにして厭離が出来るのじゃ。

677 :神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 20:45:52 ID:ugU/1yMY
例えば客体化、対象化する…という目的で観察を行った場合、その観察は既に「手段」と化し、結果として対象に取り込まれている事になりはしないでしょうか?
「ただ観る」というのは、どういう事なんですかねえ?

742 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/14(日) 21:12:58 ID:txp2vChh
>>677 その為に、毎日の修行がある。
 通常の観察はまだ、対象への投射が含まれておる。
 しかし、毎日行い、観察が完全に習慣化されると、無意識の観察が可能になる。
 体が観察を覚えた、とでも言うようなものじゃ。
 それこそが観察する眼に成りきることでもある。
 その時には観察が自動的に行われ、自我も介入出来なくなる。
 そのような観察でこそ、素早い認識の過程を観られ、自我の生成するさまをも観られるのじゃ。
 その時まで精進じゃ。

695 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 01:13:51 ID:LjbZBZzl
さてと、みなさまこんばんわっと。少し自粛しておりましたが、和尚からの
レスもありましたので書き込みさせていただきます。

675の和尚のレス内容をまとめると
1.認識作用は、自己から切り離さなければならない
2.そのためには、それを観察しなければならない
3。しかし、認識作用は非常に速いものなのでそれを緩和する必要がある
4.そのために知識と分別をすてることが必要である

とまあ、こういうことなわけだが、いくつか疑問点がある

1.「知識と分別をすてる」ことは、認識作用のスピードの緩和を意味するの
 ではなく、「認知作用の停止」すなわち「思考停止」なのでは?
2.また、この「認知作用の停止状態」、和尚の言葉でいうと、「認識作用を
 自己から切り離した状態」というのは、瞑想などの特殊状況下以外においても
 持続可能なものなのか?

とりあえず、以上2点についてお尋ねします

744 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/14(日) 21:23:56 ID:txp2vChh
>>695 1 からじゃな。
 思考と認識作用は違うものなのじゃ。
 思考は意識の表面にあり、見やすく、少し修行すれば止める事も簡単なものじゃ。
 認識は心の奥深くにあり、感知する事も難しい。

 知識と分別を捨てる事によって、認識が緩和されても認知そのものは止まらない。
 なぜなら、本来の認識は知識と分別を超えて働くものだからじゃ。
 その本来の認識が、知識や分別、自我などにより歪んだ形が阿頼耶識と呼ばれる、認識作用なのじゃ。

 2 は阿頼耶識が完全に消滅し、その状態が続く事こそ悟りを得たという状態なのじゃ。
 そこでは本来の認識作用が取り戻され、本来の智慧が生じるものじゃ。

707 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 07:50:13 ID:THMiJ0di
↓分別ってのはたぶんこういうものでしょ。

目の前の状況をパターン化して、それと記憶領域の
データベースから、パターン + 良い悪いの結果判定
セットを呼び出して照合してるだけ。

ATMの指紋認証だとか、裁判官が過去の判例をもとに
判決を下すのとなんら変わらん。

だから分別を捨てろというのは、この結果判定セットの
データだけを破棄処分しろという意味じゃないかな?
通常の知識は脳の構造から言って破棄できないと
思うし。

たとえば指紋照合のデータを失って本人確認ができ
ないATM、判例集を使わずに犯罪をさばく大岡越前
みたいな裁判官? そんなような感じだと思うなww

745 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/14(日) 21:30:31 ID:txp2vChh
>>707 そのモデルで言えば、記憶システムが暴走し、勝手にデータの照合、判定を繰り返しているようなものじゃ。

 この故障を直すには、一度、全てのシステムとデータのやりとりを停止し、故障個所を見極めてから直さねば成らん。
 その為に、一度はデータも分別するシステムも、捨てなければならんのじゃ。
 そして故障が直れば、又データ、知識を拾って智慧として役立てる事も出来るのじゃ。

751 :神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 22:38:27 ID:LjbZBZzl
まず、鬼和尚レスありがとうございます、695ですが。

さて、744のレスをみますとやはり新たな疑問がわいてきます。
知識と分別、これを共に捨てる、この状態は和尚の506の書き込みからも
明らかなように「外部情報が感覚器官を通して脳に到達しただけの状態。
すなわち、月を黄色であるとか、丸いとか、そのようなフィルターを通して
認識するのではなく、あくまでも一枚の画像としての認識にすぎない状態。」
(ちなみにハルカは以前のレスにおいて、これを『知覚』と表現していましたが。)
このような状態にいたることを意味します。

我々、一般人の通常感覚からすると、このような、価値判断はいうまでもなく
事実判断さえも停止した状態では、思考はもちろん生命維持活動も危険にさら
されます。  しかし、和尚は744で『本来の認識』というものを初めてもち
出されてきました。どうやら、これが全ての問題を解決する鍵であると思われ
るのですが、 >本来の認識は知識と分別を超えて働くものだからじゃ。
さすがに、この説明だけでは『本来の認識』がどのようなもので、そして知識
と分別ない状態においてどのように、それが作用し、働くのかがわかりません。
 
よろしく説明お願いします。

764 :神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 07:58:38 ID:s2vNWelY
>>745
これ読んで気がついたけど、「思い込みプログラム」 みた
いなものが勝手に現状をパターン化して、それを過去の
記憶と照合しながら暴走しているのが、ふつーの人と
いうことでしょうね。

んでこのプログラムは故障しているわけではなくて、
もともとON/OFFのスイッチが付いてて、修行した
人はその切り替えができると、停止してメンテついで
にプログラムの修正もできそうだなw

そして知識も捨てろというのは、良い悪いを判定する
思い込みプログラムを停止したあと、さらに花は花、
空は空、と対象物に名前をつけるラベリングのシステム
も停止すれば良いと。。

まーここまでなら誰でもわかるけど、そっから先の
あの世に飛ぶシステムはどうなってんでしょうね? w

797 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/15(月) 20:34:03 ID:kAY3EAsu
>>751 知識や分別が本来の認識のもとに、正しく使われているなら、それは智慧に成る。
 真実を知る為の有力な道具であり、それ以上のものではない。

 知識や分別が捨て去られても、肉体の活動には影響が無い。
 なぜならそれは記憶によるものだからじゃ。
 通常の人の認識は、いわば記憶の暴走状態に陥っていると言ってよい。
 過剰な記憶能力への依存により、それが認識の過程にまで介入している状態と言えよう。
 そこから正常な認識に至る過程で、分別と知識を捨てる必要がある。
 そしてそれはただの道具として、使われるものと成るのじゃ。

 知識や分別がある故に、心意識の対象への投射があり、そこに自我が生じ、自我によって知識の謬見があるのじゃ。
 
 本来の認識においては、もはや分別も知識もなく、ただ意識だけが在るものとして、認識される。
 それは分別と知識が無い故に、もはや言葉にも、イメージにも出来ないものじゃ。
 そのような言葉も真実は伝えていない。
 語れるのはやはり、こちら側の事までなのじゃ。
 そこから先は自ら行って見るしかないものじゃ。

799 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/15(月) 20:43:02 ID:kAY3EAsu
>>764 認識が正常に成れば、本来の能力が蘇るのじゃ。
 機械の故障が直って、機能を取り戻すようなものじゃ。

 人には本来、智慧と共感があるのじゃ。
 目覚めた者が持っている大円鏡智、平等性智などの智慧は、もともと人の中にある。
 それが故障によって、発揮出来なくなっているのじゃ。
 人はもとから仏とはこのような意味なのじゃ。

 それらが発揮されれば、真実が判り、全てが意識であり、一体であると言う共感も又蘇ってくるのじゃ。

801 :神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 21:36:09 ID:PDbNhwwl
797のレスありがとうございました

この「本来の認識」の解説を期待してたのですが
やはり、言葉での解説は無理ですか。残念です

ありがとうございました

835 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/09/16(火) 21:20:29 ID:8VO7YOme
>>801 どういたしまして、次に悟りを得て本来の意識を人に説くのは、おぬしかもしれん。又おいでなさい。
145 :マジレスさん:2010/04/02(金) 23:15:24 ID:F8aP+Czj
死んだ身内とはいつ会えるんでしょうか?
仏教では輪廻はあるが、死んだ人とはあの世では会えないといっています。
そんなの納得ができません。
人間の本体が魂なら
愛する者どうし死んだら霊界で会えるはずです

153 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/09(金) 19:43:22 ID:P7aMTQGU
>>145 死んだ者とは夢の中で会えるのじゃ。
 死者の意識は生きている者には眠りの意識に等しいのじゃ。
 故に眠っている時には会えるのじゃ。
 それは決して幻ではないのじゃ。

154 :マジレスさん:2010/04/09(金) 21:14:40 ID:zvSlM7ch
>>153
じゃー夢にでてくる人はもうしんでるの?

157 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/10(土) 19:39:30 ID:kzuvelts
>>154 生きている事もある。
 夢で会うと向こうも夢で会った事を覚えていたりするものじゃ。

177 :マジレスさん:2010/04/13(火) 22:51:55 ID:JR9Rd2S5
世界中の人が悟ったとしたら どんな世界が想像できますか??

184 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/14(水) 19:51:42 ID:Uv3UxoEe
>>177 極楽じゃ。

187 :177:2010/04/14(水) 20:00:21 ID:CjswItkE
>>184
その極楽では 人はどんな生活をしてますか?

202 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/15(木) 19:36:46 ID:JPRVoZeO
>>187 朝になれば目を覚ましてご飯を食べ、夜になったら寝るのじゃ。

206 :177:2010/04/15(木) 23:11:24 ID:Mdl4ATUq
>>202
自分はいつもやってますが すでに極楽にいますか?? 

208 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/16(金) 19:25:55 ID:49NFY4jo
>>206 本当はすでに極楽に居る。

211 :マジレスさん:2010/04/16(金) 22:54:04 ID:bhfnb2co
>>202
>朝になれば目を覚ましてご飯を食べ、夜になったら寝るのじゃ。

鬼和尚さん、じゃあ、朝ご飯食べてから夜寝るまで何してるの?
座禅してるんですか?

220 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/17(土) 20:22:37 ID:kPV7/g5x
>>211 仕事をしたり2ちゃんねるに書き込んだりしておる。

226 :マジレスさん:2010/04/18(日) 22:47:28 ID:mQC0Nb7o
平和と悟りは別物ですか?
平等と悟りは別物ですか?

230 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/19(月) 20:18:21 ID:29O6fh6c
>>226 別物じゃ。
 平和は戦争がない状態じゃ。
 平等は悟りによってもたらされる認識状態じゃ。

231 :マジレスさん:2010/04/20(火) 18:13:27 ID:5nxxxWmA
>>230
悟りを知らないと 平等の意味がわからないということですか?
悟りの目標は平等ですか?

232 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/20(火) 19:45:14 ID:nHYaiIj1
>>231 わしは悟りを得てから平等の意味が判った。
 それは知識や言葉ではなく実感として判るものじゃ。
 それが目標という訳ではない。
 おまけのようなものじゃ。

240 :マジレスさん:2010/04/22(木) 18:02:40 ID:GYiWoH0s
>>232
悟りを広めるのは目標が平等になっていますか?

241 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/22(木) 19:43:50 ID:Hkx6xdXg
>>240 目標というものでもない。
 それはすでにそのようにあるのじゃ。
 何かを付け加えることも、減らすこともない。
 全ての衆生が悟りを得たとしても何かが平等になるという事もないのじゃ。

245 :マジレスさん:2010/04/22(木) 23:11:50 ID:M/0G6xyq
平等ってことを知らずにいっぱい人を傷つけた。
今いっぱい傷つけられてる。

248 :マジレスさん:2010/04/23(金) 18:28:10 ID:Z2tp1WgF
>>241
みんなが悟ると考えが統一され 心が平等になりませんか?

249 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/23(金) 20:17:34 ID:VMzXfOUk
>>245 耐えるのじゃ。

>>248 既に心は平等なのじゃ。 
 みんなが悟れば妙観察智によってそこに真のコミュニケーションが成立するじゃろう。

257 :マジレスさん:2010/04/24(土) 19:36:52 ID:dbU01CI3
>>249
既に心は平等とは 結局みんな考えることは同じってことですか?
真のコミュとは 今となにがちがいますか?

259 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/24(土) 20:02:05 ID:D2MWKWV3
>>257 心の本質は同じなのじゃ。
 考えはみんな違っていいのじゃ。

 真のコミュニケーションでは、ほんの少しの動作でも互いに理解し合えるのじゃ。
 お釈迦様が花を捻っただけでも迦葉が全部理解し、お釈迦様も迦葉が理解したと判ったようにのう。
 そのように真の悟りを得た者同士は、僅かな動作や仕草でも妙観察智によって理解し合えるのじゃ。

264 :マジレスさん:2010/04/24(土) 21:17:54 ID:ge7NDHvy
家や絵画には価値がある
元々誰の物でもなかった地面にも価値がある
おいしく食べられる野菜は形で価値が変わる
挙句の果てには己自身にもその考え方にも価値をつけてしまう

諸行無常の世の中で価値をつけるのは誰なのかなぁ
価値がなくなれば平等なのかなぁ
価値がなくなれば生きるのは楽なのかなぁ

277 :マジレスさん:2010/04/25(日) 19:43:35 ID:/4QMnap3
>>259
みんな違っていいなら 悟りを広めなくていいことになりませんか?

妙観察智を体験したことありますか?

278 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/25(日) 20:00:49 ID:wFOd7OHk
>>264 そうかもしれん。

>>277 考えを同じにするために悟りを広めるのではない。
 衆生の苦を無くすために広めるのじゃ。
 苦が無くなければ何を考えてもいいのじゃ。

 妙観察智はこの肉体に常に在る。
 もはや用が無くとも働いている。

285 :マジレスさん:2010/04/27(火) 00:06:50 ID:qe7eNZpU
>>278 いろいろ思いついてすいません

苦を無くすとは 楽を求めることですか?
それとも 死は怖くない殺されてもいいってことですか?
死ぬことと苦を無くすことは同じですか?
何を考えてもいいとは 人をバカにしてもいいのですか?

292 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/27(火) 19:47:27 ID:SDgPT98J
>>285 苦が無ければ楽になる。
 殺される時も笑っていられる。
 死んでも苦は無くならないから同じではない。
 誰でも好きな事を考えていいが、悪しき事を考えればそれなりの報いがあるじゃろう。

304 :マジレスさん:2010/04/28(水) 23:23:49 ID:5/mWPh8W
>>292
苦が無ければ楽に…,とはマイナス面が無くなり±0になるのですか?それとも楽はプラスですか?
殺される時笑う,とはなぜ笑いがでるのですか?
死んでも苦は無くならない…?死後も感情があるのですか?
苦がないのに報いが理解できますか?

306 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/29(木) 19:53:12 ID:j9oumBPv
>>304 苦が無ければ楽じゃ。それは+-で計れるものではない。
 体が己ではなく、己の物でもないと了解すれば、無くなる時も笑えるのじゃ。
 死んだ後でも苦しむ者は苦しんでおる。
 報いとは苦によってのみ判るものではない。

309 :マジレスさん:2010/04/30(金) 04:12:18 ID:LwJAvFKY
>>306
まず計るつもりないです。改めて言うと苦と楽はセット苦が無くなると楽もなくなりませんか?ってことです
あと 笑うというのは何かがおかしいのですか?うれしいのですか?それともいつも笑ってるのですか?
死後どうやって苦しむのですか??
苦以外に報いを判る方法を教えてください          ……なんか すいません

312 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/04/30(金) 19:46:04 ID:uIA2VLif
>>309 苦と楽はセットではない。
 快楽を求めて苦に至るものではあるが、それらの苦と快を離れた楽があるのじゃ。
 おかしいから笑うのじゃ。いらないものが無くなり楽になるからのう。
 死後も意識はあり個我の観念に取り付かれたそれが苦を妄想するのじゃ。
 善い事をする者に善い報いがあると観察できる。
 自らも善い事をすれば善い報いがある。
 それを自ら行えば判るじゃろう。

385 :マジレスさん:2010/05/22(土) 11:29:29 ID:vkTqLvc0
鬼和尚さんへ ずいぶん前の質問ですが
>>312
苦がないと楽は理解できない 楽がないと苦が理解できない 苦と楽はつねに必ずセットでは??
楽になれば 永遠に笑うことになりませんか?
どうして死後に意識があることを知っているのですか??死んだ人間と話ましたか?
苦を知らない人間が苦の報いを受ける方法を もおいちどおしえてください
                                  …古い話ですいません  

390 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/05/22(土) 19:46:18 ID:9+byZHlI
>>385 例えば特に苦が無くとも、修行して楽になる者も居るじゃろう。
 そのような者にとっては苦がなくとも楽を知る事ができるじゃろう。
 楽なって永遠に笑うがよかろう。
 
 悟りを得れば死の意識もまた今の意識と一つとわかる。
 死者とも話せる。夢の中でのう。

 善い事をすれば善い報いがある。
 お釈迦様はそのように教えられた。
 それを知ったなら善い事をするするが良かろう。

398 :マジレスさん:2010/05/23(日) 12:36:38 ID:orNlN5S8
>>390
特に苦が無い状態ってもう楽なのでは?修行で苦を知るのでは?
苦がなくとも楽を知る事ができると思いますが 言っているのは楽が苦を生むということなんですが…

死の意識もまた今の意識と一つ 死者と夢で話せる このことは理解できます
ただそれが 死後も苦しみ続ける理由と結びつきません

善い報い、悪い報いは判ります 善いことをするのもいいでしょう
苦しみを知らない人間に人の苦しみが判りますか?善いことができますか?
なにが言いたいのかわかんなくなりましたが
重要なのは 苦を無くすのではなく受け入れることではないでしょうか?

406 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/05/23(日) 20:32:15 ID:rOtlWhqA
>>398 わしの言う楽とは苦が滅した状態なのじゃ。
 それがまた苦を生むという事はないのじゃ。
 修行しないでも多くの者が苦を味わっておる。

 死の意識が死後も苦を受ける理由ということはない。
 全てが何かに結びついている訳ではない。

 苦しみを知らなくとも、他人の苦を推測する者も居るじゃろう。
 そして善い事をする者も居る。
 
 おぬしが重要なのは 苦を無くすのではなく受け入れることと、考えたいなら考えていても良かろう。
 いつか受け入れることができない本当の苦を味わい、それを滅する道を知りたくなったら苦を滅する道があった事を思い出すがよかろう。 

407 :マジレスさん:2010/05/23(日) 23:32:00 ID:orNlN5S8
>>406
じゃ僕言う楽は苦楽セットであると考えていいですね?
苦が滅した状態 そこには僕の言う楽もないですよね?無じゃないですか?
多くの者が苦を味わっているというより 人間全て四苦八苦でしょう

では改めて聞きますが 死後も続く苦しみとはなんですか??

苦しみを知らなくとも、他人の苦を推測する者…それは妙観察智ですか?

お言葉を返すようですが
いつか滅することができない本当の苦を味わい、それを受け入れる道を知りたくなったら苦を受け入れる道があったことを思い出してください
実は同じ意味を言いたいのかもしれませんが…

412 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/05/24(月) 20:13:34 ID:tMXiOUYp
>>407 おぬしが何を考えようと自由じゃ。他人に押し付けたりしない限りのう。
 苦が滅した時、おぬしの言う楽が無いか、おぬし自身が経験してみなければ判らんのじゃ。
 
 死後もまた迷いがあり、恐れがあり、孤独があり、不安がある。
 死人に夢の中であって聞いてみると良かろう。

 お釈迦様は悟りを得る前に、老病死に苦しむ者を見て苦を知った。
 賢いものはそのように自ら経験しなくとも他人の苦を見るだけでも判るものじゃ。

 滅することの出来ない苦は無い。
 全ての苦は正しい修行によって滅する事ができる。
 受け入れるだけでは苦は無くならず、何度も繰り返し苦を味わうじゃろう。

 苦を滅する道を知って実践するならば、諸々の苦を滅して心安らぎ、やがて苦の根源である無明も滅して全ての苦を滅ぼす事ができるのじゃ。
 そこでは苦しむ者は居らず、一切の苦も無い。
 永遠の安らぎと安楽の境地に安住する者もなく安住する。
 苦を滅する真の道を確かに知って行い、果を得る者は真に賢者と呼べるのじゃ。

417 :マジレスさん:2010/05/25(火) 00:41:43 ID:/dfldGuQ
>>412
鬼和尚さん

苦を滅するには、苦を完全に受け入れなければだめだと思っていたけど
ちがうのでしょうか??

418 :マジレスさん:2010/05/25(火) 05:57:44 ID:DGmnskJr
>>412
比較する者がないと今は苦なのか楽なのかわからないでしょ?でもその楽は苦が滅した時の楽ではないのでしょ??
>406で「わしの言う楽とは…」とおっしゃってたので 理解されたと勘違いしてました…すいません

死後に迷い、恐れ、孤独、不安…つまり感情があるのは聞きました
なぜ感情があることを知っているのかを聞きたいのです 
死人に夢であって聞いたところで 何の根拠にもならんでしょう 

そのお釈迦さまも 見るだけで苦しむことができるってことでしょう 苦しんでるじゃないですか

苦と呼ばれるものはあるものです ありのままを受け入れることが滅することになるのではないですか?
 
420 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/05/25(火) 20:46:10 ID:Ond6Hg89
>>417>>418 未だ自分に苦があると認めず、苦しんでいないと思っている者には、まず苦を受け入れる事が必要じゃろう。
 その後、苦がどのようなものか観察するのが苦諦
 苦の原因を探り、それから苦が起きるのを観察するのが苦集諦。
 原因が滅すれば苦が滅すると観察するのが苦滅諦
 それらの観察などを正しく行うのが苦滅の道というものじゃ。

 この四諦によって苦は滅し、二度と戻る事はなくなるのじゃ。
 もとよりわしの言葉に根拠があるのではない。
 わしを疑い、実践する事で真実を求めるのが道というものじゃ。

 苦を滅する道を知り、実践する事で賢者は苦から逃れ、永遠の喜びに住するのじゃ。

421 :417:2010/05/26(水) 01:54:19 ID:r+so216C
>>420
説明ありがとうございました。

素人の質問ですみませんが、教えてください。
受け入れてその後のいろいろな観察をすることは、気づきといわれるものと考えていいですか?

424 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/05/26(水) 20:26:14 ID:ttOR63ai
>>421 そうじゃ、観察は気づきを起こし易くするためのものじゃ。
 悟りさえも気づきによって自我が落ちて始まるのじゃ。
811 :Mr.:2010/02/16(火) 19:41:36 ID:5yu7j1Wk0
寝入りばなって自己の顕れ・消失の観察にはいい時間帯だと思う。
普通は瞑想でそれをやるんかねえ。

落ち際に現れた映像を視覚でもって見ようとしたり、「あっ」って思った瞬間に消える。
ここが、そのポイントなんだと思う。
その自己が顕れた瞬間、体に何かがバッと満ちる。で、「ああ、映像消えちゃった」と。

何とか長続きしないかと遊んでいるんだが、意識の立ち位置にコツがいるようだ。
低空飛行のままでいるっていうか、なんつーか。
それから、夢で注射打たれて気絶して気がつくと夢の続き、みたいなことがあった。
意識っていうのは何層もあるかも知れんね。

812 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/16(火) 20:05:47 ID:w/Vlh8PA0
↑そうじゃ、寝入る時と起きた時、自我は観察し易いのじゃ。
 記憶と記憶の投射が止まったり、始まったりする時間だからのう。


観察は完全でなくとも良いのじゃ。
観ようと言う意識が厭離をもたらすのじゃ。
そして観察の習慣が自我の無い観察が起きるのを可能にするのじゃ。

821 :Mr.:2010/02/17(水) 18:31:28 ID:p.msL49w0
鬼和尚には励まされっぱなしだな。
面目ない。

822 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/17(水) 20:15:35 ID:pjjhcVfs0
↑気にせんでいいんじゃ。

朝は毎日新しいと観察した。

823 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/18(木) 19:49:53 ID:KXdJdB1U0
観察は刹那に生じ滅するが、それを表すのには言葉が必要と観察した。
言葉で表されたものは妄想になるが、観察は成されていたのじゃ。

824 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM:2010/02/20(土) 18:18:27 ID:8urIRAhM0
あー。朝は新しい。やはり言葉にするのは難しいですねえ。
実はどの瞬間もずっと新しいままな感じするけど。気分的には朝かなあ。

828 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/20(土) 19:45:39 ID:wJHDNOPc0
>>824 そうかもしれん。

一日一日の積み重ねで人は信頼を得ていくと観察した。

838 :すもも:2010/02/23(火) 10:16:01 ID:WXPU88pc0

決める。本気で。

その瞬間、何か大きな力と無心につながって時間が止まった感じがした。
大地が大きく揺らいだ感じも。

本気で決める、だけでよかった、と気づいた。

839 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/23(火) 19:52:57 ID:QqqhRUno0
↑良い気付きじゃ。

831 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/21(日) 20:08:15 ID:SoriyASE0
苦を滅する道があっても実践する者は少ないと観察した。
変わる事を恐れているようじゃ。

850 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/26(金) 20:32:55 ID:1cvB2fc.0
多くの人は愛を求めていると観察した。
しかし、求めた愛を得た者は少ないと観察した。

851 :避難民のマジレスさん:2010/02/26(金) 21:17:04 ID:JG4pB6360
愛を 愛を僕にください・・・・

852 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/02/27(土) 20:37:28 ID:YjYQ2WOs0
>>851 わしの愛を受け取るのじゃ。<<<<<<<<<3

896 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/06(土) 19:30:54 ID:0RNv/Ki20
多くの者は要らない感情に振り回されていると感じた。
劣等感や孤独の奴隷になってはいかんのじゃ。

897 :避難民のマジレスさん :2010/03/06(土) 19:58:19 ID:DjlRUpLU0
>>896
それって仏教的な観察なんですか?

そんな事、普通に分かる事ですよね?
それで良いなら今までも普通にやってたし、
そんなんで悟りに近づくとはとても思えません。

898 :避難民のマジレスさん:2010/03/06(土) 20:08:17 ID:DjlRUpLU0
観察というものがとことん分からなく成って来た。

他人の行動を何の先入観も無しに、ただ単に見る事が観察なのだと思ってました。
他人の心を読むことも観察なのでしょうか?

他人の行動を見て、その人の心を読んだりするのは
推測や分析では無いのですか?

他人の行動を見て感情に振り回されてると思う、自分の心を観察したって事に成るのですか?

901 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/07(日) 20:15:46 ID:rRdvaNDY0
>>897>>898 おぬしに真摯に修行する気があるならば、これこそが役に立つものであり、悟りに導く教えとなる。
 おぬしはなぜその言葉に反応し、書かなければならないと思ったのじゃろう?
 わしは他にも観察したものを書いたが、おぬしが激しく反応したのはそれだけじゃ。
 そこにはおぬしが何か反応しなければならないと感じるものがあったのじゃろう。
 それを観るが良いのじゃ。
 それを観られないならば、普通に分かる事でもなく、今までも普通にやってた事ではない。
 
 わしが書くのは感じる事そのものじゃ。
 推測や分析も無く、言葉にする作業だけを行う。
 己の心を観てきた故に、感じる事も又容易になるのじゃ。
 花があれば花があると観たと書く。
 心に感じるものがあればそれを観たと書く。
 そして、それらの言葉に反応する者の心に苦があると知れるのじゃ。

 劣等感や孤独感から逃れるために、人は苦しみ、時には人や己を傷つけたりもする。
 それが本来は無い物であり、止観によって滅する事が出来ると知れば、それが真の自由への道だと判るじゃろう。
 要らない感情に振り回されていた者が、止観によってそれを滅した時、喜びは何物にも変えがたいものになるじゃろう。

902 :避難民のマジレスさん:2010/03/07(日) 20:56:48 ID:/a24qNPY0
>>901
私が>>896に反応したのは、いつも鬼和尚さんが、
50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
と言ってるからですよ。

上記には他人の心を読む事も含まれるんじゃ無いんですか?
正直当たり前の事すぎて、そんなのここに書くことかよと思ったのも事実です。

903 :避難民のマジレスさん:2010/03/07(日) 21:54:20 ID:/a24qNPY0
鬼和尚さんは「ワシが観察するのはいつも自分の心だけじゃ。がっはっはw」
とおっしゃってるじゃ無いですか。

それは他人をいくら観察しても、やはりそれを観てるのは自分の心だから
他人を観察することに意味は無いという事なんだろうと解釈して居ました。

私は他人の書き込みにケチを付ける気は毛頭ありません。
ただ「観察とは何ぞや」と言う事が知りたいだけなのです。
なんかここの書き込みを見てると、私には観察では無くて分析や推測に見える事の方が多いので
今回は鬼和尚さんに疑問をぶつけてみました。

鬼和尚さんクラスに成ると自分も他人も無いのかも知れませんが、
やはり矛盾を感じます。

904 :避難民のマジレスさん:2010/03/07(日) 22:08:12 ID:/a24qNPY0
正直、誰かが「~を観察した。」と書き込んだ事に対し
鬼和尚さんや他のスレの住人が「良い観察だ。」と返す。

このやり取りが馴れ合いに見えてしょうがないのですよ。

915 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/08(月) 20:05:51 ID:TtByPzU20
>>902>>903 推測や分析と感じる事は違うものじゃ。
 感じた事をそのまま観るのが観察じゃ。
 それは推測や分析などではなくわしには感じるものなのじゃ。
 おぬしにもいつか判るじゃろう。

 わしはそれを感じると共に、それを滅し終り、滅する法を知っておる。
 ほんの数時間、あるいは数日間、苦を滅する法を行うだけで劣等感や孤独感に振り回される事は無くなると知っているが故に書くのじゃ。
 多くの者はそのような劣等感や孤独感を埋めるために金や名声や権力を得ようとして人生を浪費してしまう。
 それは法を知る者にとっては憐れむべき者なのじゃ。
 己の心を観る勇気を奮い起こし、必要の無い劣等感や孤独感を観察によって滅するのじゃ。
 そうすれば真の自由を味わい、そのような必要の無いものに振り回されていたと自ら知れるじゃろう。
 
>>904 おぬしが>>902に書いたお釈迦様の言葉を自分自身で行うようにすれば、そのようなものは気にならなくなるじゃろう。

913 :避難民のマジレスさん:2010/03/08(月) 19:57:12 ID:FCHHXIPI0
観察するのは坐ってるときだけでいいの?
日常生活している一日中の方がいいの?

916 :904:2010/03/08(月) 21:17:53 ID:lD9wishQ0
>>915
ありがとうございます。

私は普段は>>902に書いてる事を実践していますよ。
自分の心だけを観るようにしています。

しかし、ここには修行の気持ちで来ています。
なので自分が納得出来ない事や感じた事を書きました。

いくら止観の行を自分なりに行ったとしても、
そのやり方が間違っていたら進歩は無いですよね。
その確認も意味も込めてお尋ねしてるのです。
これが私の観察でもあります。

鬼和尚さんの気が入るような書き込み以外は認めないと言うなら、
ここに来る意味はありません。

925 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/09(火) 20:28:34 ID:1Ky0wnCQ0
>>913 日常でも観察していれば観察力が高まるじゃろう。

>>916 どういたしまして、またおいでなさい。

948 :避難民のマジレスさん:2010/03/10(水) 17:09:39 ID:TcciPqZgO
苦を滅し尽くせば、悟れるの?

957 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/10(水) 19:50:58 ID:8kYla5Tc0
>>948 苦が滅すれば悟りに向かう集中力と観察力と余裕が出来るじゃろう。
 苦しんでいる時にさのような余裕は無いからのう。
69 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/04/27(火) 20:37:11 ID:hMlmt1ok0
観察する事とただ見る事は違うのじゃ。
見る時は対象に言葉とイメージを投射する作用が起こる。
木を見れば木という言葉とイメージが頭に浮かぶように。
観察すればそれが剥がれ落ちる。

70 :Mr.:2010/04/27(火) 20:45:49 ID:dOjyf/jI0
>>69

??????
本当にただ見たら、言葉もイメージも無いでしょ?
そこにある何か、になんない?
そんな大事なとこサラッと言われたら混乱するわ。

83 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/04/28(水) 20:31:44 ID:kC3kCCxM0
>>70 もっと観察力がつけば、見ているだけでも投射が行われているのが判るじゃろう。
 例えば道路をぼんやりと歩いている時でも、道というものを認識し、歩道をあるこうとしておる。
 意識できなくとも、投射の働きは瞬時に行われ、その上で周辺の世界を認識しているのじゃ。
 名前の判らない物でも何かに似ているとか、何かのようなものとか、似ている物の種類として分別し、位置付けているものじゃ。
 その働きは素早く、強い観察力が無ければ捉えられないのじゃ。

84 :Mr.:2010/04/28(水) 20:50:05 ID:dOjyf/jI0
ありがとう。これは疑問をぶつけて良かった。

>例えば道路をぼんやりと歩いている時でも、道というものを認識し、歩道をあるこうとしておる。

分かる。
ただし自分の中では完全に体に任せていたんだけどね。
もっと深く観れるのか。

>意識できなくとも、

できてない。
言葉のない観察が少し分かってきたから、それでやってみるよ。

86 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM:2010/04/28(水) 21:36:31 ID:ZccKuE9k0
つまり警察は扉を何かでこじ開けた痕跡を発見すると瞬時に「バールのようなもの」
と認識してマスコミに発表してしまうと。

89 :避難民のマジレスさん:2010/04/28(水) 23:25:09 ID:uIA3NLUE0
鬼和尚さん。
わたしはまだちょっと疑問なんで教えてください。
鬼和尚さんが>>69で使った、”ただ”見るは、普通に見るということですか?
禅で言う”ただ”坐るとかの意ではないのでしょうか?

92 :避難民のマジレスさん:2010/04/29(木) 00:33:16 ID:2HdHO/t60
>>83
正直そんなふうにタダ見れるようになったら、
何するにも時間が掛かってしょうがないですよね。
その時間を短縮する為に色々進化発達して来た訳だから。

まあ実際にタダ見れるように成れば、その前段階の無意識の判断も出来るのだろうけど、
その切り替えはどうするのですか?
タダ見ようと意識して見ると成るともう意識が働いているから
タダ見る事は出来ないように思うけど。

クリエイティブな仕事には先入観や固定観念を捨てるという意味では有意義だとは思うけど、
一般の社会生活を送るには非常に無駄なような気がする。

95 :海空理のおっさん:2010/04/29(木) 08:11:23 ID:vw3hcs3QO
なんか、

動物的と言うか

赤子に近いと言うか
発想が少なく、思考が継続的でない欠陥人間みたいだょね。


和尚さん?

どう思われるますか?

149 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/04/29(木) 20:38:45 ID:hMlmt1ok0
>>84 どういたしまして、またおいでなさい。

>>86 そうじゃ、ペンチのようなものとかドライバーのようなものとかじゃ。

>>89 そうじゃ、普通に見る事じゃ。
 禅のような意味ではないのじゃ。

>>92 集中力が大事じゃ。
 強い集中力があれば心の素早い動きも観察出来るのじゃ。
 そうすればもはや社会も何も無かったと判るのじゃ。
 例えば道に蛇がおってびっくりして、ゆっくりあるいたり、遠回りしようとしていたら、よく観察してみれば腐った縄だと判って安心したりする。
 そのように多くの人は社会というものがあり、社会生活に励んだり煩わされていたりするが、観察してみれば実はまるっきり無い物に煩わされていたと知り、無意味な行いを捨てて安心の境地に行ったりするのじゃ。
 社会だけでなく、多くの者は自分の心の中だけにある劣等感や執着や恐怖や不安にとりつかれ、無意味な逃避行動を繰り返しておる。
 観察によってそれらが剥がれ落ちれば、それも無くなり、楽になるのじゃ。

150 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/04/29(木) 20:42:30 ID:hMlmt1ok0
>>95 実際に言葉やイメージが無く見られれば、世界は常に美しく、楽しいものじゃ。
 子供の頃には世界が神秘の世界であったようにのう。

155 :避難民のマジレスさん:2010/04/30(金) 10:25:30 ID:2HdHO/t60
>>149
別にそんな事言ってる訳じゃ無いんですけどね。
タダ見てものの本質が分かったとしても、社会生活が全う出来なかったらしょうが無いでしょう。
飯食えなくなっちゃうでしょ。と言ってるんですよ。

176 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/04/30(金) 20:31:50 ID:hMlmt1ok0
>>155 集中力があれば好きな時に観察し、観察を止める事もできる。
 自由にコントロールできるのじゃ。
 しかし、社会というものがあり、それに従わなくてはならないという事もない。
 社会があっても餓死する者は餓死する。
 個人が死ねば世界が無くなり、その中の小さな観念の一つである社会も無くなる。
 社会という観念に囚われるより、個人が進歩する事が真の永遠への道なのじゃ。

177 :避難民のマジレスさん:2010/04/30(金) 21:04:13 ID:2HdHO/t60
>>176
私が社会という観念に囚われてるとも思わないし、
従う従わないの前に、仕事しないと飯食えないでしょう。

ゴータマの時代みたいに飯を恵んで貰わなくても今の日本なら
ゴミ箱漁ってれば飢えて死ぬ事も無いんだろうけど、
そっちの方が社会に従うより良いとは思えない。

あなたこそ、死というものに囚われてるように思いますよ。
人間は必ず死ぬ。死んだら社会が無くなるのは当たり前。
全世界が悟りだけを目指して、社会なんか関係無いとか言ってたら
それこそみんな飢え死にしますよ。

178 :避難民のマジレスさん:2010/04/30(金) 21:11:00 ID:2HdHO/t60
>>176
真の永遠って何ですか?
その前に何で永遠が必要なんですか?

218 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/01(土) 20:23:22 ID:hMlmt1ok0
>>177 おぬしが自らの心を見れば囚われに気づくじゃろう。
 ゴミ箱を漁る方が社会に従うより良いとは思えないと思うのは、社会というものがあり、社会に従うという事があり、それがごみを漁るよりよいという観念があるからじゃ。
 それはおぬしの心の中では、まともな考えであり、囚われではないという観念がある故に気づけないのじゃ。
 人が観念を持つのはそれが正しいという観念があるからじゃ。
 
 仕事とは社会じゃろうか?
 食うためには自らの作ったもので自らを養うこともできる。
 そこに社会という観念を設定する必要はない。
 実際にあるのは個人であり、個人が生産し、個人が運び、個人が売る。
 それを社会とし、従うべきものという観念を抱く時、時間を無駄に浪費する事になるのじや。
 全世界というものもいずれ滅びるものじゃ。
 死というものから眼を逸らし、あたかも社会や全世界が永遠であるかのように奉仕を続ければ、死ぬ時になって後悔する事になるのじゃ。
 死の恐れのないものは死から眼を逸らさず、むしろ死から今を考える事ができる。
 滅びる事が定められているものから、真の永遠を手に入れられるのは個人の進歩だけなのじゃ。

>>178 人の集まりのように本当は滅んでしまうのに、仮に永遠に見えるものから区別するために、真の永遠と書いたのじゃ。
 おぬしの周りの者が死んで行く時、それが何故必要なのか判るじゃろう。

234 :避難民のマジレスさん:2010/05/02(日) 08:41:32 ID:2HdHO/t60
>>218
自給自足の話をしてる訳じゃ無いでしょう。
今の世の中では自給自足するにも金が要るんだから。
電気、水道、住居、自給自足する為の道具をどうやって揃えるんですか?
生活する為には仕事をしなければ成らない。
仕事をしないとゴミ箱を漁るしか無いという話をしてるんだから。
公園や川原で生活してる人達だって空き缶拾ったりして換金してるでしょ。

全世界が滅亡しなくても、自分が死ねば世界は終わりますよ。
なんで私が死という事から眼をそらしてるんですか?
あなたが、死ぬのが怖くてしょうが無いからそういうふうに思うのでしょう。
死の恐怖を克服する事だけが、人間の進歩なんですか?
あなたこそ、そういうものに囚われすぎでしょう。

だから真の永遠って何ですか?
答えになってませんよ。
何で永遠が必要なのですか?
死んだら終わり。それで良いでしょう。

238 :避難民のマジレスさん:2010/05/02(日) 09:57:09 ID:2HdHO/t60
>>218
>あたかも社会や全世界が永遠であるかのように奉仕を続ければ、死ぬ時になって後悔する事になるのじゃ。

なんで後悔するんですか?
どんな後悔をするんですか?
それを何であなたが決め付けるのですか?

239 :避難民のマジレスさん:2010/05/02(日) 10:00:08 ID:2HdHO/t60
>>218
まず、社会や全世界が永遠なんて思って無いから、
あなたのその書き込み自体がトンチンカンなんですけどね。

246 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/02(日) 20:34:17 ID:hMlmt1ok0
>>234 わしは仕事をするなとか、仕事をしてはいんとか書いたじゃろうか?
 わしは社会とは観念に過ぎず、在る物ではないと書いたのじゃ。
 自給自足を出したのは、社会と無関係の仕事の一例じゃが理解できなかったようじゃのう。
 それが何故おぬしの心の中で、仕事をするとかしないとかに繋がるのか、考えてみなければいかんのう。

 例えば誰かがなんとか神というのが居ると言うとしよう。その神に従わなくてはならない。
 その神のために働かなくてはならない。その神のために働かなくては全世界が滅びると言う。
 そしてその考えを他人に押し付けたとしたら、カルトの者と判るじゃろう。

 同じようにそれを社会に置き換えれば、社会がある、社会に従わなくてはならない、社会のために働かなくてはならない、社会のために働かなくては全世界が滅びる、そしてその考えを他人に押し付けたとしたら、それは社会崇拝というカルトと言えよう。
 宗教カルトの人間がそのような神を信じる事によって不安や恐怖、孤独、死などから眼を逸らしているように、社会崇拝の者も、実在しないものを信じ、他人に布教することで自らの不安や恐怖、孤独や死から眼を逸らしているのじゃ。
 人が本当に自己の死を必然として受け入れたなら、存在しないものに従うのが良いとか、そのために働くとか考えもしないじゃろう。
 例えばあと一日しか生きられないとしたら、その一日をどのようにして社会に従うために使えるのじゃろうか。
 そのような考えは子供の頃から教え込まれた社会崇拝の教義であり、実際にあるものとは言えないのじゃ。

 おぬしがそれを信じ、死んだら終わりという考えを手放す気が無いのなら、真実は知る事ができない。
 何を教えても社会崇拝だけが正しいと誤った概念を深めるだけじゃからのう。
 それを他人におしつけなければ、死ぬまで信じてもよい。
 カルトや社会崇拝の者と違い、わしは他人に考えを押し付けたりはしない。
 老病死の限界を知り、自ら道を行く決意をした者だけが真実に至れるのじゃ。 

>>238 おぬしが死ぬ時も後悔しないつもりならいいんじゃよ。
 本当にそうならいいのう。

>>239 永遠でもないものに何故従うのが良いと思うのじゃ?
 沈む船からはネズミも逃げ出すというがのう。

247 :避難民のマジレスさん:2010/05/02(日) 20:43:21 ID:2HdHO/t60
>>246
社会に従うっていうのを何でそういうふうに解釈するのかな?
便宜上社会とう言葉を使ったまでなんだけど。

タダ見る事が悟りにいたる為の道程で必要なのかも知れませんが、
それを普段からやってたら、社会生活に影響を及ぼして、生産性が停滞するし、
それによって仕事を失う可能性だって有るって話をしてるのに、
何でそこから社会システムの否定に成り、死の恐怖とかそんな話に成るのか、
不思議でしょうが無いですよ。
あなただって今更言葉を捨てて生活出来ないでしょう。
言語を放棄したら、ここにも書き込めませんよ。

そんなに死ぬのが怖いんですか?

262 :すもも:2010/05/03(月) 00:03:18 ID:.ygJaQ8M0
>>247
鬼和尚が質問の真意を理解してないかもと思った。

あとでも、ただ見て仕事できたらものすごい生産性が上がる気がする。
ただ見るって今ここに意識があることでしょ?
じーっとみて呆然としてるのは過去を見てるんじゃないかと。

だから無我夢中で仕事を見る、することが、ただ・・ってことなんじゃないか。。

なんて、知ったかぶり(小さな体験含む)と勝手な解釈かも、してみました。

273 :避難民のマジレスさん:2010/05/03(月) 08:18:05 ID:2HdHO/t60
>>262
鬼和尚が言ってるのは、モノを言葉や固定観念を外して見ろと言ってるんだから、
普段認識してるものを捨てなくては成らない訳でしょ。
それが観察だと彼は言ってるんだから。
だから生産性は落ちると私は思うって事です。

それと鬼和尚は何でも死の恐怖と結びつけるでしょ。
それで社会崇拝とかカルトとか言ってるから、呆れてしまう。
死の恐怖を煽って、それを克服する事のみが人間の進歩だなんて
どっちがカルトなんだか?

275 ::2010/05/03(月) 08:24:32 ID:eL5Z.BpsO
最近、鬼和尚が理解できたぜ
本当に慈悲でやってるんだあ
俺は他人は他人の神様に任せて放って置くことにしてる 他人は外からは変わらないからな
中から変えようとしても砂遊びしか知らないから頭とこころはがらくたばかり埋まっているから何も入らんよ
鬼和尚は本当に努力家だぜ

282 :すもも:2010/05/03(月) 11:07:57 ID:NHEwVfu60
>>273
観察することによって仕事の能率が落ちるようなら、しなくていいのはわかって言ってるってことなんだよね?w

それでも、2HdHO/t60さんは、観察と思考を混同していると思うな。。(←なんて私もまだそうなんだけどw)

あと、鬼和尚は、最初から最後まで「悟るためには」という観点からしか、言ってないんだと思う。誰に対しても。
だから、悟るためにはまず、『社会』というものがそもそも実体のない観念であることを知れ、
生きているものは必ず死ななくてはならない、会えば必ず別れなければならない諸行無常をまず知れ、
知ったなら、やはり、悟る=真理を知る以上に信じるものはないだろうと。

生きていくために社会を捨てられない、と思うのは、まだ社会という観念に囚われてその中で成功しようとかうまくやっていこうと思っているためで、
そういう観念があるかぎり、悟れないよ、と。

ただし、悟るためには、の話だから、
悟るつもりがなければ、社会という共通概念を共有して成り立っている一般の社会生活を否定しないし、それで謳歌していきたい人はそうすればいい。

と言ってるんだと思ふ。。よ?

290 :避難民のマジレスさん:2010/05/03(月) 12:04:33 ID:2HdHO/t60
>>282
社会って言うのは便宜的に使ってるだけなんだけどね。
今の社会システムが永遠に続くものだとも想ってないし。
その中で成功を目指すとかそういう話でも全然無い。

社会とか実体の無いものに囚われてるとか言っても、鬼和尚だって電車に乗ったり、
行政のサービス受けたりしてる訳でしょ。
実際にインフラ整備の恩恵受けてるから、2ちゃんねるで布教活動が出来る訳だし。
俺はそういったものが無ければ不便だとは思うけど、そういうものに囚われてるとも思わない。
無ければ無いなりに生活するしか無いでしょう。

ただ人間が必死に努力して便利にして来たものを否定して、
死の恐怖を克服するとか真理とかを追い求める事だけが
人間の進歩なんて言ってる事に賛同は出来ない。

「泣きながら死んで行くのじゃ。」とか「死ぬときになって後悔するのじゃ。」
とか言って良く煽ってるし、それが真理だか何だか知らないけど、
勝手に決めるんじゃねえよ。って思うんだよね。
俺は「笑いながら、我人生に後悔無しじゃ。がっはっは~w」って死ぬかも知れないじゃんw
人間は死ぬのが当たり前だし、死んだ後どうなるかなんて、それこそどうでも良い。

自分は悟ってると言ってた禅宗だかの坊さんが、癌告知されて自殺しちゃったって話が有るけど、
鬼和尚もそういうタイプの人なんじゃ無いかと最近思うように成ってきた。

294 :すもも:2010/05/03(月) 12:25:00 ID:NHEwVfu60
2HdHO/t60さんの言ってることは私自身はすごく理解できる。

で、確かに鬼和尚がそういうタイプかどうかはわからないけどw、泣きながら死んでいくのじゃとかよく言うよね。w

私も最終的には、死んでみなけりゃわかんないよね、って思ってる。
けど、歴史上の天才や賢人聖者たちが、どうもそうらしい、と言ってることを見聞すれば、
仏教の言ってることは正しいかもしれない、と思う。
でもそれでも自分がそう思わなければそれまでで、そういう生き方を選択する自分を自信をもって認めればいいのじゃないかな。

・・ただ、「煽られる」って感じるのは。。何故かいのう。。かもw
あ、そうか、人智で不可知なことは不可知なままにしておけばいいことを、断定的にこうなのじゃ、とか言われれば、
こっちは否定できる根拠があるわけじゃないから、なんとなく不安を煽られるような気持ちになるってことか。な。。

359 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/03(月) 20:26:05 ID:hMlmt1ok0
>>247 全ては仕事のため、仕事の効率をざけないようにしなければならないという囚われ、社会崇拝に洗脳された者の考えなのじや。
 わしは社会システムを否定したじゃろうか?
 社会が観念であるという事実と、無い物を否定する事は違うものじゃ。

 わしは言葉を捨てて生活しろとか書いたじゃろうか?
 おぬしの頭の中では言葉と社会が一つのようじゃのう。
 何もかも社会崇拝を守ろうとするための妄想じゃ。

 囚われや洗脳は自分では気づかないものじゃ。
 気づいた時にはそれが落ちる時じゃからのう。

 例えば一人の人間が生れ落ちた時、100万円を持っているとしよう。
 それは使えば消えてしまい、戻る事も無く、増える事もない。
 そのお金をありもしない神のためと言われ、役に立たないゴミを買ったり、時間がたつと消える煙などを買ってしまい、無くなって後悔する者がいたら賢い者は注意するじゃろう。
 そのお金は決して戻ってこないからもっと役に立つものや永遠に無くならない物を買いなさいと。

 これと同じように人間は生れ落ちた時、約70万時間という時間を持っている。
 それは使えば二度と戻ってこず、増える事もない。
 その貴重な時間を社会という物にとらわれ、金や名声や権力という役に立たず、時間によって消えてしまうものに費やしたら後悔するばかりじゃ。
 賢者達は昔からそのようなはめにならないように、忠告してきたのじゃ。

 決して戻ってこない時間は、社会というありもしないものに費やすには貴重すぎるものじゃ。
 賢いものはその時間が戻って来ないことを知り、それを使ってお釈迦様のように永遠を手にするのじゃ。、
 
 わしが死ぬ時に後悔するとか、泣きながら死ぬとか書くのもそれがたんなる事実だからじゃ。
 社会のため、国家のためと働いて成功した者が、死ぬ時になって自分の人生は何だったのかと疑問をもったり、比喩ではなく本当に泣くのをわしは見て来た。
 死を恐れ、死から眼を逸らす人間は、時間が決して戻ってこないという事実を忘れ、社会という幻想に貴重な時間を使ってしまう。
 お釈迦様のように賢い者だけが、この事実に気づき王国さえも捨てて悟りへと赴くのじゃ。

>>275 おぬしには負けるがのう。

>>294 もともと本当に死の恐怖が無ければ煽られる事も無いのじゃ。
 死の恐怖を忘れようとしたために、本当に表の意識からは忘れたが、心の奥には残っている。
 先ずはその欺瞞を取り去り、死について真剣に考えなくてはいかんのじゃ。

475 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 09:41:38 ID:2HdHO/t60
>>432
昨日ビール飲みながら返事待ってたのに。ベロベロになっちまいましたよ。
まあ愚痴はこの位にして>>359について

>そのお金をありもしない神のためと言われ、役に立たないゴミを買ったり、
>時間がたつと消える煙などを買ってしまい、無くなって後悔する者がいたら賢い者は注意するじゃろう。

あなたがゴミと思ってるものを万人がゴミと思うわけでは無いんですけどね。
ちなみに私は、物欲はほとんど有りませんよ。
いい年して性欲が強過ぎるのが悩みかな。ただ性欲は強いけどハゲてませんよ。
勘違いしないでね。あなた思い込み激しいから。性欲と精力は別物ですw
まあ、どうでも良いかw

>社会のため、国家のためと働いて成功した者が、

社会が無くて国家が無いのに成功って何を基準に言ってるの?とか、まあこの際そういう言葉のアヤみたいな
細かい事は、私は心が広いのでもう良しとすますが、何をもって「成功」とするかはその人の主観でしょう。
で、自称悟った人は、何をもって成功と言ってるんですか?

>死ぬ時になって自分の人生は何だったのかと疑問をもったり、
>比喩ではなく本当に泣くのをわしは見て来た。

泣きながら死んでいった人を何人見たんでしょうかね?
私は泣きながら死んでった人を見た事がありません。そして見てないけどそういう人も居るだろうなとは思います。
反対に「人生に後悔は無いよ。」と言って死んで行った人は見ました。いい顔してましたよ。
死ぬときってほとんどの人が何も考えて無いと思うんですけどね。
長患いしてる人だって、最終的には達観して死んでいく人も多いみたいですよ。
逆に常に死を見つめてずっとビクビクしながら生活して、最後まで達観出来ないで死んでいく人も居るだろうし。

前にも書きましたが、自分は悟ってると言ってたのに癌を告知されて自殺しちゃったお坊さんや、
真理を求めて出家したが、結局何も分からなかった。こんな事なら普通に働いて結婚して子供を授かりたかった。
なんて言ってる坊さんの話だって、結構聞きますよ。

あなたのその死の恐怖の克服論は、もう完全な執着だと思いますよ。

それと何度でも聞きますが「真の永遠」とは何かと「何でその真の永遠が必要なの」かを説明してください。

533 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 19:26:31 ID:2HdHO/t60
本スレに俺の書き込みがコピペされてる。
何か恥ずかしいね。大した事書いて無いし。

でも、何だかな。
俺、別に鬼和尚の事嫌いじゃ無いんだけどね。
苦滅が出来たら良いと思ってるし。
「苦=死の恐怖」っていうんじゃ無くて、
老病死なら、病は俺の中でもに苦だしね。

まあちょっと語調は強くなっちゃってるけど、
議論じゃ無くて対話がしたいんだよね。
俺は議論なんかするほど知識は豊富じゃないし、
それこそ仏法に関する知識なんてほとんど無い。
でも納得出来ない事は納得出来ないってだけなんだよね。

大体この時間はもう飲み始めちゃってるから、
夜書き込むとなんか感情的になっちゃうけど
飲まずにはいられないんだなこれが。

550 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/05(水) 21:01:50 ID:hMlmt1ok0
>>475 おぬしへの教えは終わったのじゃ。
 社会を崇拝し、その奴隷でいる限りわしが知識を与える事はないのじゃ。
 例えばごみやがらくたで一杯の箱に、もはや物が入らないように、おぬしが社会の奴隷でいれば何を書いても入らないのじゃ。
 どんな知識も社会の役に立たないとか、仕事の能率が下がると考えて捨てるじゃろう。
 それが思考のパターンになってしまっておる。
 社会に限らず何かを崇拝したりカルトになってしまうと、同じ思考しかしなくなり、自由な思考が無くなる。
 それ故にカルトや崇拝をやめるように、死というものを真剣に見る事が必要なのじゃ。
 死に対して真剣に向き合えば、全ての仮設された物事は効力を失う。
 社会の全ての活動や要素もまた死によって失われる。
 それを知れば社会は仮設されたものであると判るのじゃ。

 例えば医者のところに患者が来て、酒が飲めないとか言うとしよう。
 医者は診察し、その患者に病を発見し、酒どころか薬を飲み、治療しなくてはならないと言う。
 しかし、患者は頭もやられていて言う事を聞かず、薬も飲まず治療もせずに酒が飲めるようにしろとか言う。
 それと同じようにおぬしは明らかに社会の奴隷という病にかかり、そのせいで治療を受け入れられないでいるのじゃ。
 などと書くと自分は社会の奴隷ではなく、崇拝もしていないと書くじゃろう。
 それが社会を崇拝し、その奴隷である証拠なのじゃ。
 本当に正常なら自らを省みて、自分はそのような傾向があるのかと疑う。
 カルトのものはそれが正常と思っているから、自分がまともだと反応するのじゃ。
 
 そのような社会崇拝を捨てるには死に対して真剣に向き合い、それが自分にとってどのようなものであるか、見ることが必要なのじゃ。
 しかし、それも死ぬのが怖くないとか、死んだら終わりとか見当違いの事を言って死と真剣に向き合うことをしないならば、もはやわしには言う事はないのじや。
 わしはカルトではないから、説得も折伏もしない。
 そのかわり真摯に自らの心に向き合い、偽らぬ事を要求するのじゃ。
 これ以上何を聞いてもわしが知識を与える事はないのじゃ。
 わしは知識を与えるのではなく、目覚めさせるためにきているのじゃからのう。

558 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 21:18:18 ID:utEzf4Pc0
>>550
>>475をちゃんと読んでね。全然答えになってないから。

自称悟った人は、何をもって成功と言ってるんですか?
泣きながら死んでいった人を何人見たんでしょうかね?
それと何度でも聞きますが「真の永遠」とは何かと「何でその真の永遠が必要なの」かを説明してください。

どうでも良いけど質問に答えてよ。
余計な事は良いから。

583 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 22:28:48 ID:2HdHO/t60
人って面白いよね。

俺、観察がなかなか出来なくて、なんとか出来ないかなと考えてて、
それで自分の体の変化を観察してみようって、10日間断食してここで報告とかしてたんだよね。
まあ断食って言っても、野菜ジュースは一日三回1杯ずつ飲んでたんだけど。

それで鬼和尚にもアドバイスを貰ったり、我慢強いの~とか言われてたんだけどね。
それがちょっと否定的な疑問をぶつけたら、いきなりカルト扱いだもんねw

本当に面白いよねw

630 :避難民のマジレスさん:2010/05/06(木) 06:22:25 ID:2HdHO/t60
飲みすぎた~w
気持ち悪くて数息観も気功も出来ない。

>>550 鬼和尚さん

>>533とか>>583とか読んでどう思いますか?

真摯に自分の心と向き合わない奴は、10日も断食出来ないと思いますよ。
もちろん、その期間は酒も飲んでないし、数息観も一日2時間位やってましたよ。
正直続けようと思えばもっと続ける事も出来たんですけど、
極端な断食は脳萎縮を招く恐れが有るのでやめました。
まあ収穫は、飯なんか食わなくて全然平気だなって分かったのと、
8キロ位痩せた程度ですけど。

私の「社会に従う方がゴミ箱漁ってるより良いとは思わない。」という言葉一つを捕まえて
社会崇拝に結びつけるのはいかがなものでしょうね?
ゴータマが食べ物を恵んで貰ってたという表現が、気に入らなかったのでしょうかね?

私はゴミ箱漁る事が悪いとも言って無いんですがね。
衛生面だけを考えても良いとは思えない。
それよりは働いて得た金で食べ物を買った方が良いと思う程度ですよ。
売り言葉に買い言葉で、表現方法が攻撃的になってしまったようですけどね。

酔っていたので横柄な問い方になっていますが、質問の内容は分かっていただけると思うので、
>>558に答えてください。
本当に揚げ足取りなどでは無く、素朴な疑問です。

今回の質問をまたはぐらかすようであれば、もうあなたに質問はしません。

631 :避難民のマジレスさん:2010/05/06(木) 06:33:47 ID:2HdHO/t60
>>550 少し補足を

私の「社会に従う方がゴミ箱漁ってるより良いとは思わない。」は、

あなたの「社会のため、国家のためと働いて成功した者が、・・・」と

比喩表現として同じと考る事は出来ませんか?

632 :避難民のマジレスさん:2010/05/06(木) 06:56:48 ID:2HdHO/t60
>>630-631 の訂正

×「社会に従う方がゴミ箱漁ってるより良いとは思わない。」

○「ゴミ箱漁ってる方が社会に従うより良いとは思えない。」

逆でした。

665 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/06(木) 21:00:30 ID:hMlmt1ok0
>>630 そのように止観を修行を実践する事が尊いのじゃ。
 それこそが古来から真の導師達が誉めた称えた事なのじゃ。
 永遠とはそのように実践した者が己の心の中に見出すものじゃ。
 それこそが真の安らぎであり、全ての本質なのじゃ。
 実践によってのみ、そこに至る事ができる。 

 苦というものを味わい、それを止めようと思うならそれが必要となる。
 なぜならば個我という囚われがある限り、何度でも苦を味わいつづけるからじゃ。
 個我を離れ全ての本質である永遠に辿り着けば、個我という謬見から生じた苦はなくなる。
 
 おぬしが求めるのが何をしても誉めてくれる者なら、わしは違うのじゃ。
 危険な所へ行こうとする幼子を叱る母親のように、真の慈悲のある師は無意味なものに人生を費やそうとするものを哀れみ、社会カルトの奴隷になるなと強く言う。
 それが迷惑なら金儲けの好きな寺に行って沢山寄付をすれば、何をしても誉めてくれるじゃろう。
 金の続く限りのう。

666 :避難民のマジレスさん:2010/05/06(木) 21:21:26 ID:2HdHO/t60
>>665
結局質問には答えてくれないんですね。

>おぬしが求めるのが何をしても誉めてくれる者なら、わしは違うのじゃ。

あなたに誉めて貰いたい訳じゃ無いんですけどね。
質問に答えて貰いたいだけなんですよ。
まあ、これも執着かな。

悟った人がボケる事もあるだろうしね。
年取るとみんな脳萎縮が始まるし、例えば本当に悟って居たとしても
老化とともに凡夫に戻っちゃう事もあるんじゃ無いかな?

711 :避難民のマジレスさん:2010/05/07(金) 19:06:59 ID:2HdHO/t60
>>665
あなたは>>550では「おぬしは明らかに社会の奴隷という病にかかり」と言って、
私を完全なカルトだと決め付けて「もはやわしにいう事は無いのじゃ」と言ってたのに、
私が修行を真摯にしてる事が分かると、自分の事を「幼子を叱る母親のように」や
「真の慈悲のある師」などと尊師アピールしてから「社会カルトの奴隷になるなと強く言う。」
と慈悲に溢れる説得をしてる体に変えちゃってる。

それに私が「ここで10日間断食してた事を報告していた」と言う前は、
私が真摯に修行してる事すら認めようとしませんでしたよね。
過去にそういう書き込みがあったから、認めざるを得なくなっちゃったんでしょ。
あげくの果てには苦し紛れに「おぬしが求めるのが何をしても誉めてくれる者なら、
わしは違うのじゃ。」とかトボケた事言っちゃってるし。

ここでの「良い観察じゃ」「ありがとうございます」の繰り返しで、
回路がおかしくなっちゃったんじゃ無いですか?

素直に「ワシの検討違いだったようじゃ。わっはっは」とか言えばそれで済むのに。

720 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/07(金) 20:09:53 ID:hMlmt1ok0
>>666 わしは答えたつもりじゃが、どうやらおぬしはわしの観察では文脈が読めないようじゃな。
 永遠は心の中にある。
 苦を逃れるために必要。
 後は実践あるのみ。
 おしまいじゃ。

>>711 それはすまんかったのう。
 おぬしがあまりにも哀れな故につい言葉を与えてしまったが、やはり迷惑なようじゃな。
 もうれすはしないじゃろう。
 さらばじゃ。

723 ::2010/05/07(金) 20:22:39 ID:eL5Z.BpsO
そろそろ覗き見して
俺は優しいからなあとか
俺は親切とか
俺は真面目とか書きこんでくるぜ
自意識過剰のおっさんが

724 :避難民のマジレスさん:2010/05/07(金) 20:23:09 ID:2HdHO/t60
>>720
悟った人が捨て台詞かよ。
哀れじゃのう。

真に悟った人なら、相手が求めればいくらでも教えてくれるはず。

725 ::2010/05/07(金) 20:26:35 ID:eL5Z.BpsO
でたな
くれるはず
くれない病
情けない栗拾いだぜ
ばかまるだし
気楽だなあー

751 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/08(土) 20:06:49 ID:hMlmt1ok0
>>723->>725 まるで漫才のようじゃのう。わっはっは。

 社会に依存し、崇拝しているとなぜいかんのか、良くわかる見本じゃ。
 自分とは別のものを崇拝し、依存しているから自分がない。
 自分がないから全ては自分の責任ではない、他人が何かしてくれるはず、それだけを思っておる。
 
 お釈迦様は自分を自分の主とせよ、と言われた。
 当時も地域社会や宗教に依存し、自我が未発達の者が居たのじゃろう。
 自我を捨てるには先ずそれを確立しなければならん。無い物は捨てられんからのう。
 捨てられるべき自我が必要なのは、仮のものでもそれによって意志を持ち、自ら道を行くためじゃと知ることができるからじゃと観察した。

795 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/09(日) 19:55:54 ID:hMlmt1ok0
人は他人との同調で事実を認定すると観察した。
幻でも他人と同じ幻を見れば、それは現実に在った事と認定するのじゃ。

808 :話にならん:2010/05/09(日) 21:22:48 ID:8lNhzWMw0
鬼オショさんは、さすがに気づきが多いな。

822 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/10(月) 21:05:03 ID:hMlmt1ok0
>>808 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。

853 :凡夫:2010/05/11(火) 16:28:01 ID:pELZZ/Z.0
鬼和尚様

向こうに書けなくなってますので、こちらに書かせて頂きます
以前に「わしを信じて修行に励むのじゃ」と言うような言葉があちこちにあったように思いましたのであのように書きました
確認作業はしておりません(過去スレを見れないですw)
私の間違いであれば謝罪致します

昨夜あれからハンマーで殴られるようなショックがあり、コロッと悟りに対する考え方が変化しましたw
無節操で申し訳ないような気もするのですが、そのおかげ?で鬼和尚の返事を再度読み返すと、なるほど
悟りについてネットで書くのにも限界は無いと気付けました
鬼和尚が常に本スレに貼られる数息観の内容は、あれは個人が集中力を身につけるようにという意図だと
理解しておりますが、間違いないでしょうか?
その集中の対象は、言葉では難しい表現ですが「今ここにある自分」みたいな感覚・・・・・
うーーむ。。。集中の対象と言う言葉も違う気がしますが、確かに説明は言葉では難しいですね
私は1000日の滝行を先日成就しましたが、滝の中にも同じ体験(悟り?)があると思えます
鬼和尚が坐る瞑想を推奨されているのは、一般的に実践しやすい事と御本人が悟った経緯があるからでしょうか?
実は案外どのような苦行や難行と言われるものの中にも、悟りに至る道はそこここにあると判断しても良いですよね?
もちろん、特に肉体を痛める必要は無い事は理解した上での質問です

868 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/11(火) 20:06:28 ID:hMlmt1ok0
>>853 許すのじゃ。
 数息観は集中力を身につけるためじゃ。
 対象には意味がないのじゃ。
 それに囚われてはいかん。
 
 坐るのが最も速やかに悟りに至れるものじゃ。
 苦行では無理というものじゃ。
 耐えるために偶然集中力を身につける者も居るかもしれん。
 多くはそのような偶然に会わないうちに肉体が壊れるじゃろう。
 お釈迦様が自ら苦行を行い、役に立たないと知って捨てられた苦行をするのは何故じゃろうか?
 それもまた囚われとしか言えんのう。

891 :凡夫:2010/05/12(水) 15:53:46 ID:pELZZ/Z.0
>>868

>>お釈迦様が自ら苦行を行い、役に立たないと知って捨てられた苦行をするのは何故じゃろうか?
>> それもまた囚われとしか言えんのう。
このお言葉は、それこそお釈迦さまを疑った結果でしょうか?
7年間(でしたっけ?)の苦行を実践された上でお釈迦様が「役に立たない」と、本当におっしゃったようには私には思えません
滝行などは、特に苦行でも何でもありませんが、肉体を冷やすと言う風に思われがちです
しかし、実際には滝の中で自分の体温を上げる事も可能です(それこそ集中力を要しますが)
苦行をなされたお釈迦様が死に直面するまで肉体を追い込んだ結果、スジャータの乳粥の感動もあったのだろうと思います
お釈迦様ほどの人が、苦行から本当に何も得ていないはずがないとも思えませんでしょうか?
かと言って、私もさすがにお釈迦様が実践された苦行を真似しようとは思いませんが、本当は苦行の中で既に悟りを得ていて、
その後に座って瞑想して全ての整理をなされたのかも知れないとも思えるのです
空海が行った虚空蔵求聞持法も苦行と言えますし、一口に「お釈迦様が言ってるから苦行は無駄」とは言い切れないでしょう
むしろ、衆生が実践するには無理があるし、死人が出る事もあるだろう
坐って瞑想するだけでもここまで悟れるのだから、まずは衆生にはこれを導こうと思われたように思えてなりません

悟りには4段階あるとも言われていますが鬼和尚はどう思われますか?
また、一度得た悟りの経験を、繰り返し(意味は無いのでしょうが)出入りする事は可能でしょうか?
興味本位の質問で申し訳ないのですが、是非お聞かせ下さい

894 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/12(水) 19:58:38 ID:hMlmt1ok0
>>891 誰にも己の行いを自ら選ぶ権利はある。
 おぬしが苦行をやりたいなら試して見るのも良かろう。
 その前に自らの心を深く観察し、本当に苦行に囚われていないか省みるがよかろう。
 
 分類差別化すれば悟りにも段階を設ける事ができるじゃろう。
 しかし、すでにそれを離れた者には意味がないのう。
 何度も悟りをの瞬間を味わう事は可能じゃろう。
 実際はそれを味わうふりになるがのう。

898 :凡夫:2010/05/13(木) 06:50:06 ID:pELZZ/Z.0
>>894

いえいえ、苦行自慢をしたい訳でも、苦行をやりたい訳でもありませんw
ただ、苦行は決して無駄では無いと言いたかっただけです(全ては本人次第ですね)
鬼和尚が推奨される瞑想は、私も常に実践させております
まだまだ未熟ですので、集中力は散漫ですが、少しずつで良いと考え実践だけは続けております

なるほど、「味わうふり」になりますか
興味本位の質問で失礼しましたが、丁寧にお応え頂きありがとうございました
引き続き瞑想を実践して参ります

921 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/13(木) 20:07:55 ID:hMlmt1ok0
>>898 どういたしまして、またおいでなさい。
463 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 01:17:35 ID:GqhDg/gE0
悟りは、死を克服するものとおっしゃっていますが、
人は、死ぬことに対して恐怖は二つあると思います。
一つは、死は未知なるもので、死んだ後は自分はどのようになってしまうのだろうか?という
恐怖です。
二つ目は、死に至るまでの痛みの恐怖です。

次の瞬間、つまり死んだ後に、自分がどのようになってしまうのか分からない恐怖と、
絶え間なく続く痛みにどのように克服すればよろしいのでしょうか?

静観したくても、痛みで集中できず、心が荒れる状況と思いますが、
鬼和尚さんは、どのように感じていますか?

464 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 02:20:53 ID:uIA3NLUE0
私も同じような質問させてくらはい

悟った人は、激痛を感じても、何年もそれが切れ目なく続いても、
まったく微塵も苦しくないのでしょうか?
心から笑顔でいたりできるのでしょうか?

540 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/05(水) 20:25:46 ID:hMlmt1ok0
>>463 よい観察じゃ。
 死ぬとどうなるか判らないのであれば、悟りを得るか、あるいはサマーディに到達し、不滅の意識を知るしかないのう。
 サマーディによる小悟でも、死の恐怖だけなら克服できるものじゃ。

 痛みも深く観察してみると良かろう。
 痛みもまたいくつかの苦によって構成されておる。
 実際の肉体の痛み、この痛みがいつまで続くのかという不安、この痛みがなければいいと思う欲求とそれが得られぬ不得求苦などじゃ。
 肉体が己であり、それを存続させたいと思う欲などがこれらを作り出すのじゃ。
 肉体を観察し、それが己ではなく、己のものでもないと厭離すればそれらは消え去る。

 そこまでいかなくとも、痛みと別の場所に意識を集中し、痛むところから意識を抜けば痛みも減る。
 痛む所に意識を戻せば痛みがまた来るのがわかるじゃろう。
 集中力がつけば肉体の感覚もコントロールできるのじゃ。

 わしは痛みを無くす事もあえて感じる事もある。

>>464 感じなくする事も出来る。
 感じる事も出来るのじゃ。
 すでに悟りを得ていれば、肉体への執着もなく、それを苦にする事もない。
 肉体の実際の痛みも容易にコントロールできるのじゃ。
 むしろあまりに肉体を放棄しすぎて、病が手遅れになるまでほっとくことさえあるのじゃ。

465 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 03:04:53 ID:1JPbh7320
死に対しての恐怖は根源的に1つだと思う。
それは生存を保持したい本能に反して必ず来てしまう事実だからじゃないかな。
「死んでも大丈夫だよ。うん意外と平気w」とか夢の中で仏(神)様に言われて信じたたとしても、
死を迎える瀬戸際ではたして心安らかでいられるだろうか。
死に至るまでの痛みが無かったら恐怖は半減するだろうか。
「自分」という存在が消えてしまうという事に対する恐怖こそが根底にある気がする。

466 :避難民のマジレスさん:2010/05/05(水) 03:20:51 ID:1JPbh7320
お釈迦様も病に臥せったり怪我もしたようだ。
「心静めて”耐え忍ばれた”」とか初期経典に書いてあったような気がする。
悟ると自己を損なう、失う恐怖からは開放されるのかなぁ。

541 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/05/05(水) 20:30:17 ID:hMlmt1ok0
>>465>>466 そうじゃ、肉体が自己であると誤って認識すれば死が自己の消滅とみえる。
 肉体にとらわれなければ、死も無いと知るのじゃ。

 そのように真剣に死を捉え、逃げずに向き合うのは良い事じゃ。