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鬼の説法集(悟りへの道)

鬼和尚の仏教勉強会 http://onioshyou.blog122.fc2.com/

38 :おさかなくわえた名無しさん:2012/08/30(木) 17:30:53.96 ID:B6+FIZKk
いい夢は永遠に続かない、とかいうし高いレベルではそうだと思いますが、いい夢を見続けているように思える人も
結構いませんか?
家族や友達や条件や仕事やお金に恵まれ性格もよく。
そういう人がうらやましく思えるのはおかしいでしょうか。
最近では小川菜摘さんのブログを見ていて、楽しそうだなあと思ってしまいました。

45 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/08/30(木) 21:10:43.95 ID:AT5Yywc6
>>38 昔キサーゴータミーという女子がいてのう、子供が死んで生き返らせるためにお釈迦様の所に行ったのじゃ。
 お釈迦様は1人も死人が出た事の無い家から水を貰えば、生き返る薬ができるといったのじゃ。
 .キサーゴータミーは国中を探して周ったが、そんな家は無かったのじゃ。

 この世では全ての者が老病死を避けられないのじゃ。
 楽しげで羨ましく思える家の者も、実は悲しみを見せないようにしているだけなのじゃ。
 それに気づくのじゃ。

63 :おさかなくわえた名無しさん:2012/08/31(金) 17:00:44.61 ID:sXZ//SZf
>>45
全員死や病の苦は避けられないのは分かりますが、生きている間、満足しきってああ楽しかった、と
この世を満喫しているような生き方ってありますよね。精一杯生きる、みたいな。
悟りはそれとは逆方向で、生きているうちに死んでいく、そして復活する、みたいな感じだと思うんです。
そうなる前は、自分が何だかわからず孤独で、空恐ろしく感じることもあります。

67 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/08/31(金) 20:00:20.59 ID:sGoAnmgL
>>63 わしは悟りを得る前は死を思い、どのように世間で楽しげな者も、死を免れないと知識として判っていたのじゃ。
 どんなに楽しげな者でも死は免れないのじゃ。
 例えば死刑を宣告された死刑囚を羨ましく思う者が居ないように、死を宣告されていないが死ぬ運命にある者もまた、羨ましくは思えないのじゃ。

68 :おさかなくわえた名無しさん:2012/08/31(金) 20:04:56.70 ID:2ecH4dZY
鬼和尚さんは、悟る前は、死にたいくらいの気持ちがあったのかな?

実際に死に直面して修行する時の方が悟れるチャンスになるのではと考えますが、
どうでしょうか?

77 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/01(土) 20:39:46.13 ID:nRKJbQ5Q
>>68 そうじゃ、死にかけたのじゃ。
 
 確かに真剣にはなるじゃろう。
 しかし、やはり自我を捨てる勇気が無ければ悟りは訪れないじゃろう。
253 :健真:2008/08/14(木) 22:56:11 ID:o+Mry7bp
鬼和尚に質問です。

和尚は30歳ぐらいに悟って、50歳ぐらいになって布教を始めた。
その間の20年、何をされていたのですか?
とても興味があります。

255 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/08/15(金) 21:19:52 ID:C930bF6H
>>253 わしも勉強しておったのじゃ。
 悟りを得るとは、真実を知る事の出来る体質になるという事じゃ。
 悟りを得た後は、人に教えられるように、更に色々と知らなければ成らんのじゃ。
 それ故に20年もかかったのじゃ。

259 :健真:2008/08/16(土) 19:56:12 ID:LvMXK6VC
鬼和尚に質問です。
和尚は自分の教えを本にまとめる気はありませんか?

私が思うに、ブッダも孔子も著作を残していない。
悟っていれば、もう十分に満足であり、心は喜びに満ちているので、
もう何もする必要がないわけです。
ただ、困っている人を見たり、誰かが教えを乞いに来たら、知恵を授けると思う。

だから、和尚は本を書くつもりはないと思うのですが。

262 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/08/16(土) 20:29:36 ID:TG2w/1mc
>>259 そのような流れがあれば、自然に成るじゃろう。
 無理に成そうとしても成らない事も、時がくれば自然に成るものじゃ。
 世に必要とする者が多くなれば、自然に成るものじゃ。

363 :健真:2008/08/20(水) 00:12:19 ID:3YTScJ8D
鬼和尚は、30歳ぐらいに悟ってから20年ほど勉強していたと言われました。
その間、どんな勉強をされていたのでしょうか?
多少詳しく教えてくだされ。

私の予想ですが、
座禅を工夫していた・禅の本を読みあさった・インドに行ってヨガ体験をした・
白隠禅師について調べた・ブッダの本を何回も読み直した。
または、布教に備えて懸命に働き、財を蓄えたetc。

373 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/08/20(水) 21:33:16 ID:9Xhpz3BZ
>>363 わしは悟りを得てから、自分に何が起きたのかを、知ろうとした。
 それはどのような現象なのか、それはどのように言葉にすべきか、知ろうとしたのじゃ。
 経も読んだ。坐りもした。
 難しいのは、それを西洋風の理論的な知識として、表さなければならないことじゃ。
 今はみんな西洋的な勉強をしておる故に、理論的な知識として、教えなければ理解出来ないのじゃ。
 わしは認識と記憶の依存関係について、述べれば説明が出来ると判った。

 その後に、唯識論を知った。
 唯識論は間違いは在るものの、初めて西洋的な理論によって悟りを表したものと言える。
 細かい間違いは在るが、大筋は正しいものと言える。
 理論敵には唯識論を、少し直せば使えると判った。

 更に実践を追及する為に、数息観をしながら、観察に入った。
 瞑想を止めた状態から、数息観を行い、初心の段階から、不動心を得て、悟りに至るまでの各段階を観察し、さまざまな試しを加えた。
 足の組み方や手の位置などの姿勢の研究から、集中の仕方、呼吸の仕方などを、少し変えたり、間違っていると判れば、元に戻したりと、さまざまに研究したのじゃ。
 そのような研究を20年重ねて、ようやく理論的にも、実践的にも、正しい指導が出来ると判り、教える事にしたのじゃよ。

379 :健真:2008/08/21(木) 05:54:23 ID:9T4iUQc3
鬼和尚、ありがとう。
残念ながら今の私には、和尚の言うことが殆ど理解できない。(泣)
わかったことは、和尚は本当に悟っているということ。

歴史上、悟りを得た人はそんなに多くないと思います。
是非、本にまとめてくだされ。

和尚に質問です。
今、世の中が非常に早いスピードで流れています。
その中でいろんな問題が生じています。
特に注目すべきは、人々の心の求心力がなくなっていることです。
江戸時代の頃は、武士は儒教、庶民は寺子屋で仏教的な価値観を教わっていました。
しかし現在は、そういった人の生き方、道徳といったものが殆ど教えられていません。
その結果、欲による経済至上主義・拝金主義がまかり通っています。
求心力をなくした世の中は、ますます混迷していくと思われます。

このことについて、和尚の感想がありましたら教えてくだされ。

390 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/08/21(木) 21:34:04 ID:y6GqT1Dk
>>379 求める人が多ければいずれ、本にもなるじゃろう。

 金に狂う者は、いつの時代でも金を求めているものじゃ。
 わしは時代と言うものを観ない。
 わしが観るのはあくまでも一人一人の人間なのじゃ。
 若い者にも、金ではなく、真実を追究している者も居る。
 時代とは幻想に過ぎない。
 あくまでも一人一人の人間を観るのじゃ。

391 :まりえ:2008/08/21(木) 22:07:43 ID:h3gAcCxp
>>390
>時代とは幻想に過ぎない。
>あくまでも一人一人の人間を観るのじゃ。

鬼和尚は私にとって、道端のお地蔵さんに過ぎないんだけど
今日はお花を上げて頭をなでなでしたい気持ちだ

392 :健真:2008/08/21(木) 22:09:18 ID:9T4iUQc3
なるほど。鬼和尚、ありがとう。
何か希望が生まれてきたように思います。

和尚のように、犀のようにただ一人歩みたいですね。

393 :健真:2008/08/21(木) 23:04:09 ID:9T4iUQc3
ただただ、鬼和尚はすご過ぎる。

本にして残すことは、和尚にとってはどうでもいいことなのかもしれませんが、
我々にとっては非常に価値のあることです。
是非、本にしていただきたいと思います。
和尚が出版社に連絡を入れれば、どこの出版社も飛びつくと思います。

394 :健真:2008/08/21(木) 23:07:30 ID:9T4iUQc3
×犀のように
○犀の角のように

396 :00000:2008/08/22(金) 10:56:48 ID:6Qa9H7hR
>>373
本来本法性天然自性身、さてこれのどこに手をつける。

414 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/08/22(金) 20:58:34 ID:5RZO88Pn
>>391 それはありがたいことじゃ。わっはっはっは。

>>392>>393 そうじゃ、犀の角のように歩むのじゃ。
 必要があれば、それは自然に成るじゃろう。

>>396 まず右手で右ひじを掴むのじゃ。
 そして目玉の裏側を見るがいい。
 帽子を足に乗せ、頭に靴を履いて歩くが良かろう。
 そうすれば判るじゃろう。わっはっはっは。

446 :000:2008/08/23(土) 13:52:33 ID:NRp7HW3l
>>414
まったくダメ。

484 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2008/08/23(土) 20:49:17 ID:aKjEdqVp
>>446 良し。わっはっはっは。



170 :おさかなくわえた名無しさん:2012/09/12(水) 07:21:50.61 ID:1h1Z4oyh
毎日の生活で充実感を感じて生活するには、どのような事に気をつければいいですか?
つねに何かが満たされないなぁという感情が心にあります。
就職がうまくいかなかった時は仕事の事で悩んでましたが、やっと就職の問題が解決すると
今度は休日が退屈で何もしたいことが無くて悩んでます。
悩みが形を変えて現れ続けて、なんだか苦しいです。

174 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/12(水) 20:31:27.55 ID:pS5R/Z7T
>>170 毎日進歩していれば充実していると感じるじゃろう。
 修行するのが一番良いが、他の技術や知識や力を養うようなものでも良いのじゃ。
 昨日より今日、今日より明日は進歩しつづけていると感じれば、希望が見えるのじゃ。

175 :おさかなくわえた名無しさん:2012/09/13(木) 13:55:16.49 ID:ztTTXEqp
>>174
質問です、普通の場合はそうかもしれませんが、悟りの場合虚しさを埋めるために、向上心を
持っていろいろ考えたり忙しくしたりは自我の働きで、それをやめることが本当の進歩ですよね。
だから自我がハイになるような充実感はあきらめなくては、本当の虚しさのない境地にはなれない。
自我の働きを止めることは、ですから虚しいような怖いような、手綱を放すような錯覚ですが、
そういうのを超えていかなくてはならないと思うのですが、それについて何かお願いします。

177 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/13(木) 20:41:25.57 ID:YAM236tn
>>175 そのような自我の働きとか、それをやめるとか考えなくとも良いのじゃ。
 なぜならば例え自分がやっている事が全て自我の働きだとしても、全ての働きをやめる事は出来ないじゃろう。
 何かを止めようとしても、それも又自我の働きであり、それも止めようとすると又自我の働きと、いつまでたってもきりがないものじゃ。

 それよりもただひたすらに行いに専念する事によって、人は自我の働きから脱却する事が出来るのじゃ。
 集中によって、或いは観察によっても常に専念すれば自我の働きを越えて、無我の行いだけが残るのじゃ。
 さらに進めば行いも消えて無為認識至るのじゃ。
 それ故に自我の働きがどうとか考えずに、ただひたすらに修行に専念したら良いのじゃ。

178 :おさかなくわえた名無しさん:2012/09/13(木) 20:53:42.57 ID:ztTTXEqp
それは頭や心を空っぽにして神というか実在の操り人形になる感じでしょうか。

179 :おさかなくわえた名無しさん:2012/09/13(木) 21:00:39.71 ID:ztTTXEqp
実在と一致するという意味です
そうなる以前に自分の頭を働かせない(自我がどうとかも考えないことも含めて)のは
普通は手綱を手放すようで抵抗感があり怖いのだが、というのが質問内容です。
それ以前には自我の成り立ちも知っておくのは必要だと思うんですがそれも考えない方が
いいということですか?

199 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/14(金) 20:21:51.20 ID:S0i70hGr
>>178>>179 それすらも考えなくて良いのじゃ。
 例えば夜に寝る時、寝よう寝ようと力んだりしていると却って眠れないものじゃ。
 このようにすれば寝られるのではないかとか、考える事さえ寝る妨げになるじゃろう。
 寝ようとして力むのを止め、考えるのも止めた時に眠れるのじゃ。

 自我とはこのようであるとか、実在とか、神とか、考える事そのものが、修行の妨げであり無意味なのじゃ。
 思考の働きは感情を正当化する故に、恐れや誤謬を作り出すのじゃ。
 自我とはどのようなものか知らない者が、それを手放すのが怖いとは一体どういう事なのじゃろうか?
 思考を使えばどこまでも夢幻が、夢幻を作り出していくのじゃ。
 思考ではなくただひたすらに観察をするのじゃ。
 何かを知るべき時に知るにはそれしか方法は無いのじゃ。

201 :おさかなくわえた名無しさん:2012/09/14(金) 22:46:52.04 ID:lpwTw0TY
>>199
思考で意味づけしないということですね、感情は思考と直結しているのかな。
例えば何か見たとき、読んだとき、びくっとしたりむかついたりもやもやしたり。
それは頭での判断があったからですよね、それをただ見れるようになるのが観察でしょうか。
まあ言葉で会話するのは難しいなとも思いました。
ありがとうございます。

203 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/15(土) 20:29:52.12 ID:2k+r+xQN
>>201 そのようなものじゃ。
 思考と離れた観察を行うのじゃ。
 またおいでなさい。
759 :おさかなくわえた名無しさん:2013/02/17(日) 03:27:34.84 ID:RLLwjbuN
鬼和尚は
的を射る と的を得るは どちらが正しいか
わかりますか?悟りの智慧で

780 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/02/17(日) 20:09:43.62 ID:K/Ij5H8k
>>759 的は射るものじゃ。
 的を得ても意味がないのじゃ。
 利益とかなら得ても意味があるがのう。

782 :おさかなくわえた名無しさん:2013/02/17(日) 21:35:46.35 ID:RLLwjbuN
>>780 的を射ても意味なくはないのでしょうか?

799 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/02/18(月) 20:06:01.58 ID:0ubJRX5W
>>782 射るために作られたものを射るのじゃ。
 そこに人は意味を見出すのじゃ。

801 :おさかなくわえた名無しさん:2013/02/19(火) 08:32:41.73 ID:r7E3vimz
>>799 射るために作られたものは弓と矢であって
   的は射抜かれるためにあるのではないでしょうか?

807 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/02/19(火) 20:23:50.76 ID:xusb1eDU
>>801 射ぬかれるために作れら、存在するものも、射るために作られたと言えるのじゃ。
  射る事に依存して射抜かれる事があるのじゃ。
  射る事が無ければ射抜かれる事も無いのじゃ。

808 :おさかなくわえた名無しさん:2013/02/19(火) 21:49:29.42 ID:on+Y4+HQ
つまり「射る」という一連のアクションには
射る事と射抜かれる事とが必ずワンセットになっているのだから、
的と言えば射抜かれる客体を意味する事がどう考えたって明らかなので
「射るというアクションに用いるために用意された的」が果たして射るものなのか射抜かれるものなのかを日常生活において他人に逐一説明する必要性は無いというのは普遍的な事実であるという事が言いたいのですねわかります。

814 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2013/02/20(水) 20:43:02.11 ID:8zg1U4/Y
>>808 そのようなものじゃ。
197 :避難民のマジレスさん:2010/03/14(日) 22:22:21 ID:xWoBHHNk0
無常も観念ではない。こころを、今のみにしたとき、
無常が目の前で展開される。

217 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/15(月) 19:54:46 ID:hMlmt1ok0
>>197 それを無常と言うのが観念じゃ。

219 :避難民のマジレスさん:2010/03/15(月) 23:20:15 ID:xWoBHHNk0
>>217
無常でなかったら、観察なんて出来ない。
一刹那ごとの生滅があるから、気付ける。
本の知識では、不勉強だからどうなんだか知らないけど、
止観ができるのなら、それは観念にならない、
そのときは観念が生成できないから。

239 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/16(火) 20:28:43 ID:hMlmt1ok0
>>219 クリシュナムルティなら「どうかそのような観念を捨てて注意を向けてください「とかいうじゃろう。
 オショーなら「それはマインドから来た言葉じゃ、ガッハッハッ」とかいうかもしれん。
 無常や空で済むなら禅坊主も指を出したりしなかったじゃろう。
 口で空じゃ無常じゃと言えば良かったのじゃから。

 何度も何度も目覚めた者達は繰り返し、そのような観念を持って見る事を止めようとしてきた。
 しかし、その試みはおぬしの語るように常に観念によって誤解されている。
 マインドから観るな言えば、マインドから見ないと言う観念で観る。
 観念の無いありのままの現実を観よ、と言えば観念の無いありのままの現実という観念で観る。
 観念を破壊するために空や無常が述べられれば、空が見えた無常が見えたとかいう。

 実際にそれで変容が、観照が、マインドの脱落が起きたのじゃろうか?
 もし起きないのであれば、それは何をやっている事になるのじゃろうか?
 それは昔の人が考え出した言葉による、ただの観念の遊戯ではないじゃろうか?

 正しい治療法を知っている医者が間違った薬を飲む者に忠告するように、わしはそのような役に立たない観念の遊戯には間違っていると言う。
 これからの一生を観念の遊戯で過ごす決断をしたのなら、そう考えていても良いがのう。
 心から苦を滅し、悟りを得たいと思う者のみがそれを得られるのじゃ。

246 :避難民のマジレスさん:2010/03/17(水) 01:17:39 ID:xWoBHHNk0
>>239
ちゃんと指を「無限」に使っている。
おまえは本当に分かってねーなw
指一本で済むんだよ。

ありのままなんて生きている限りないよ
あんたが嫌う死が内在しているときだけ、ありのままだよ。

253 :避難民のマジレスさん:2010/03/17(水) 11:13:29 ID:QRpcKzag0
鬼和尚正さん、教えてもらえないでしょうか?

変容とか、観照とか、マインドの脱落とか、それらは、同じものなんですか???

254 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/03/17(水) 20:06:52 ID:hMlmt1ok0
>>246 わっはっはっは。その指を切り取って捨ててしまうのじゃ。
 今できなければ何時出来るんじゃ?
 
>>253 みんな同じ言葉じゃ。その実態を知らなければどれを解釈しても同じなのじゃ。
 真摯に求めればいずれおぬしにも、これを言っていたのかと判るときが来るじゃろう。
18 :マジレスさん:2012/05/10(木) 13:11:58.07 ID:NIblprxG
>和尚
和尚が認知症になったら悟りは消えますか?

何故、迷いの世界に我々は生きてるのですか
つまり物理世界は何故生まれたのですか?

29 :マジレスさん:2012/05/10(木) 20:46:19.49 ID:NIblprxG
和尚が18の問いを二度もスルーするのは何か理由があるのですか?
認識とは何か、心とはなにかという問題に関係する重要な問いだと思うのですが

48 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/11(金) 19:27:18.30 ID:M0iTqQa9
>>29 すまんのう見落したのじゃ。
 認知症になっても悟りは消えないじゃろう。
 記憶に依存しない故に。
 言葉は話せなくなるであろうがのう。

 おぬしがそのように認識した事で物理世界が生まれたのじゃ。
 そのように認識しなければ無いのじゃ。

50 :マジレスさん:2012/05/12(土) 07:51:47.36 ID:JmsDUw3a
和尚
死んだらどうなるのですか?
方便抜きに本気の答えを教えて下さい

51 :マジレスさん:2012/05/12(土) 07:55:00.69 ID:JmsDUw3a
死んだら認識装置自体が崩壊する訳ですから
この世は消滅する
消滅した先には何があるのですか
いや観察する意識は残るというならば観察する意識は何を根拠に成立するのですか

60 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/12(土) 20:14:36.06 ID:VJv/kJkQ
>>50>>51 おぬしの境地によって異なるのじゃ。
 普通の者ならば夢と同じ混沌の意識に行くじゃろう。
 そこでは生まれ変わるまで何もかもが捉えられず、移り変わるように観えるのみなのじゃ。

 サマーディにまで達していたならば個我を越えた意識を味わうじゃろう。
 しかし、未だ個我を完全に滅していない故に生まれ皮蔦利するじゃろう。

 悟りを得ていれば何も変わらないのじゃ。
 全ては意識であり、肉体として表れていた意識が止まっただけなのじゃ。

61 :マジレスさん:2012/05/12(土) 20:24:37.99 ID:JmsDUw3a
要は悟りを得ようが得まいが移り変わりを楽しめばいいということですな
或はそれが悟りですか?
変転する意識も個を越えた意識も観察していれば
一種の映画を毎日見ているような心境でゆったり楽しめると

64 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/12(土) 20:28:06.38 ID:VJv/kJkQ
>>61 それを観るのじゃ。
 ひたすら観ていれば自我が観られる時が来る。
 それを滅し、自我が無いと認識しているものも滅するのじゃ。
 それが悟りなのじゃ。

68 :マジレスさん:2012/05/12(土) 22:33:05.26 ID:WizvgUsW
>>64
>それを滅し、自我が無いと認識しているものも滅するのじゃ
 それが悟りなのじゃ

その方法では「滅する」ことを行う主体が残ってしまうと思うんだが

75 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/13(日) 20:48:29.39 ID:3gHkUzuZ
>>68 自我を滅した時点で無我の行為になるのじゃ。
 そこで主体がどうとか気にせんで良いのじゃ。

209 :68 亀:2012/05/17(木) 19:10:21.82 ID:yUsweBDn
>>75
>>>68 自我を滅した時点で無我の行為になるのじゃ。
 そこで主体がどうとか気にせんで良いのじゃ

行為の主体を残したまま(例えば修行などを実践して)
「自我を滅すること」が可能という論理ですか?

212 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/17(木) 21:08:36.29 ID:VmpzzHlf
>>209 元々行為には主体など無いのじゃ。
 ただそれに気づけばよいだけなのじゃ。
 何かを行えば行為する主体が残るから悟りに至れないと言うのは、習慣的で心を鈍化させるような修行を繰り返す者に対する逆説的な教えなのじゃ。
 習慣的な行為は自我という幻想を想起する回路を強化し、却って悟りを遠ざける故に、そのように教えられるのじゃ。

213 :マジレスさん:2012/05/17(木) 23:23:57.19 ID:yUsweBDn
>>212
元々行為には主体など無い。と看破しているのに
なぜ鬼和尚は修行を続け、また他人にも勧めているのですか?

233 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/18(金) 20:18:29.33 ID:kuRrtpEr
>>213 おぬしがあると思っているからじゃ。
 気づけば修行したり、他人に進めたりしている者など無いとわかるじゃろう。

235 :68:2012/05/18(金) 20:40:37.79 ID:IIzZMZcK
>>233
>おぬしがあると思っているからじゃ。
私が、何をあると思っていると
あなたは考えているのですか?

>気づけば修行したり、他人に進めたりしている者など無いとわかるじゃろう
あなたは修行したり、他人に修行を勧めたりはしていないのですか?

243 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/19(土) 20:02:49.07 ID:5B15gxIX
>>235 わしは何も考えておらん。
 おぬしがあると思っていると、わしが考えていると思うことが、おぬしがあると思っているものじゃろう。
 
 わしと言う者があって修行し、わしという者があって、他人と言う在る者に修行を勧めているのではないのじゃ。
 手が痛めば他の手で庇うように、主体も個我も無く慈悲は起こるものじゃ。

246 :68:2012/05/19(土) 21:31:37.22 ID:xqMOnrfU
>>243
答えたくない、答えられないなら
無理に言葉を弄んで誤魔化さなくていいよ
何を恐れているのか知らんが、終了しとくわ、さいなら

256 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/05/20(日) 19:54:49.40 ID:/dQIMbuG
>>246 わしは答えて居るがのう。
 おぬしは自分が理解出来ないだけであるという可能性を考えられないようじゃのう。
 それで他人が恐れているように見えるのならば、おぬし自身が他人を恐れているのかもしれん。
677 :マジレスさん:2012/07/09(月) 18:30:48.36 ID:oyR9G5yX
和尚は、相手が~と思っていると見えるのは、本当は自分がそう思っているからだ
というような投影の話をされますが、
現実に相手がそう思っているのか、自分が思っていることを相手に投影している
だけなのか、それを見分ける方法はあるでしょうか?

私は小学校の頃に一部の女子にいじめを受けてから、
長年にわたって全ての女性は自分のことを嫌っていて汚らわしく思っている
というように考えてきました。女友達というのもいないので確かめようもないですが。
しかし最近、これは自分自身が女性に対して抱いていた感情を女性に投影したものではないか
と思うようになりました。
ですが、それを認めてしまうと今まで耐えてきたものが全て無駄になってしまう
のではないかと恐れている部分もあります。

682 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/09(月) 20:31:50.88 ID:bRh3U/st
>>677 見分けないで良いのじゃ。
 全部そうなのじゃ。
 それをお釈迦様は全てのものごとは心によって作り出されると言ったのじゃ。
 人は皆、自らの想いを周囲に投射して世界を認識しているのじゃ。

 全てのおなごがおぬしを嫌っているというのも投影なのじゃ。
 おなごはいけめんならば好むものじゃ。
 その思い込みから来る苦を滅すると良いのじゃ。

684 :マジレスさん:2012/07/09(月) 21:27:26.55 ID:IR0bLrAB
だから、その思い込みからきているのなら、

他人の個性や個々としての思い振る舞いはどこにいった?
って話なんだよ。
自分がどうあれ他人の個性、個々としての振る舞いは存在するだろう?

それともすべての他人は自分の思いにいちいちについてくるのか?

694 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/10(火) 20:41:19.63 ID:wI0zSSX7
>>684 他人の個性や振る舞いが在っても、それらは全て自分で解釈してしまうのじゃ。
 他人が同じように笑ったとしても、好意を持っていると思う者もいれば、馬鹿にされたと怒る者も居るじゃろう。
 そように人の見る全ての世界は、自らの思いによって解釈された世界なのじゃ。

695 :マジレスさん:2012/07/11(水) 07:30:18.50 ID:PcKCWRY+
>>694
人それぞれの思い込みを投影するのは分かりますが、被害妄想で馬鹿にして笑ったと捉えた
場合は自分を顧みればいいわけですが、実際に自分がそういう思い込みもないのに、相手が
相手の観念で馬鹿にして笑った場合もありますよね。
自分だけでなく、相手も投影するわけだから。
そう考えると、相手のせいにしたくなる隙が出てしまう。

726 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/11(水) 20:51:40.95 ID:P+GuwX5b
>>695 相手がどのような想いを持ち、何をしようとやはりそれを解釈するのは自分なのじゃ。
 相手が本当は馬鹿にしていなくとも、何を言ってもやはり馬鹿にしたと解釈してしまうのじゃ。
 どこまでも自分1人の観念によって世界を解釈してしまうのじゃ。
 それに気づくのは難しい事じゃ。

755 :マジレスさん:2012/07/12(木) 21:18:30.48 ID:pZx4GIHJ
>>726
例えばいじめって気のせいや解釈ではなく、自我、自他分離からすると加害ですよね。
自分が周りを動かしている、という投影なら自分の中の被害者意識や自己攻撃が外に現れた、と見る。
じゃあそれがなければそういう現象は現れなくなるのか。
または投影というのがそのまま外に自分の内面を映し出している、動かしているというより、起こること
自体への解釈なのか。
スクリーン全てが心の投影というのは大きい目で見れば真実だと思いますが、それを動かしている
というより、それは中立で解釈の問題が投影ということですか?

764 :マジレスさん:2012/07/13(金) 18:37:03.87 ID:7tWG3RnS
確かに認識する側があれやこれやと勝手に解釈してるのは事実だ。

そこで俺が思うんだが、その認識させている材料(現象)を与えてるのは
いったい何者なのか。
本当に自然としてたまたま偶然に起こったのか。実際それも確かなものは
確認できないんだよな。ひょっとして何者かがって疑う余地も出てくる

765 :マジレスさん:2012/07/13(金) 18:44:37.96 ID:7tWG3RnS
なぜそう考えてしまうかというと、あまりにも世界がよく出来過ぎているからだ。

そう、何もかもよく出来過ぎてる。一見、不完全でトラブルも不条理なとこもあるが
、それはマクロの中のごく小さい出来事であって、大きい視点でみると世界は
よく出来ている

774 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/13(金) 21:00:03.36 ID:Jd+z001k
>>755 自分が周りを動かしているのではないのじゃ。
 認識はただ世界を分別し、解釈しているものじゃ。
 それが自らの記憶に依存している故に、個人一人一人の体験や教育によるものの見方しかできないのじゃ。
 
 本来は誰にでも中立な認識が誰にでも在るとは言える。
 しかし、それが在る事や自らの認識の仕方にも気づけないのじゃ。

>>764>>765 それもまた解釈なのじゃ。
 世界はよく出来ていると記憶や教育を与えられた者にはそのように見える。
 世界は混沌で出鱈目と記憶や教育を与えられた者にはそう思えるのじゃ。
 それに気づくのは難しいものじゃ。

777 :マジレスさん:2012/07/14(土) 08:06:37.92 ID:TEy0xXNV
>>774
レスポンThanks
昨日、鬼和尚のブログを初めて見に行ってみたよ。
前書きに書いてある内容、やはり他人によって自分を戒められたり
幸福にされたり不幸にされたりのことが書かれてある。

面識があるないにかかわらず、すべての他人にだ。
俺はむしろこの他人を材料にすればいいとも思う。自分を幸福させるための。

そして、あの内容から把握して、やはり人間、他人は「まやかし」自分に
なんらかの関係をして表れてくるとしか思えない。

この「行いでかえってくる」が強調されていたが、あと、「引っ掛けや落とし穴、
試されてるや」
これらは暗黙にできている自我と他人との関係だ。これをよく出来ていると思わないのかい?
世界は一見波瀾万丈に見えてるが、よく出来ている。とくに人間が。

記憶とか受けてきた教育に関係なしに他人のあり方が元からそういうシステムに
なっていたとしか思えない。

805 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/14(土) 20:28:50.66 ID:kNzIvnDJ
>>777 わしは何も思わないのじゃ。
 実際には何も出来ていないのじゃからのう。
 よく思い返してみるのじゃ。
 おぬしの親などはそのように他人との関係などがよくできているとか言っておったのではないかのう。
 そのように教育されれば、何かを見てそのように解釈し、そのようなものを見出すのじゃ。
 それが記憶パターンによる認識の仕組みなのじゃ。

844 :マジレスさん:2012/07/15(日) 22:43:07.15 ID:DyDpxIf/
真我と呼ばれる純粋意識というのは
記憶に全く依存しないものですか?

877 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/16(月) 20:15:55.92 ID:fQD0HiHx
>>844 真我とは純粋意識とは違うものじゃ。
 それはそこに到達するための法なのじゃ。
 そのように言う者は月を指す指と月の区別がついていないのじゃ。
 
 真我によって到達した意識は記憶に依存しないものじゃ。
 全てはそれなのじゃ。
443 :マジレスさん:2012/06/30(土) 13:38:42.62 ID:2KzLQ7Jq
悟りを開いたらあらゆる束縛から解放されると言いますが、
仏教のことばには、怒りを抑えましょう、怠けず日々修行に励みましょう等、
これらは感情や行動の束縛ではないですか?
そもそも生きること自体が束縛だと思いますが、
苦の束縛から解放される為に、仏教は違う束縛を勧めてるのでしょうか?

447 :マジレスさん:2012/06/30(土) 17:09:09.58 ID:GQ5KX97M
修行が進んで怒りがわいてこない境地に在りつつある場合は別で、普通は馬鹿にされたり(実際にされてなくても
そう感じるほど自尊心が低かったり)失礼な態度を取られればむかつきますよね。
その怒りを我慢しなければならない、抑圧しなければならない、と表面上治めても、臭いものに蓋をしただけで
その感情はなくなっていなかったり、恨みとなって何年も持ち続けたりする。

どこかにやってしまいたくて、例えば虐待を受けた人は自分の子供を虐待してしまうというけれど、ただ非難する
ことはできません。正直そういう状態の人、愛を実感できない人は、まだ子供を産む時期じゃないんじゃない?考えて
産んでほしいとは思ってしまいますが。
その我慢した分の怒りはどうしたらよいのでしょうか?

455 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/06/30(土) 20:42:32.70 ID:BLdWxB/D
>>443 怒りに囚われた者にその束縛から解放を教えているのじゃ。
 懈怠する者にも怠け心という束縛からの解放を教えるのじゃ。
 感情のままにふるまうのが解放であり、感情に囚われる事ではないと考えればそれらは束縛に見えるじゃろう。
 感情に囚われる事が束縛であり、感情に囚われない事が解放であると考えれば束縛ではなくなるのじゃ。
 何が束縛であり、何を解放と呼ぶのか深く考えてみるのじゃ。

>>447 そのような怒りが自我のイメージによるものと気づいたならば怒りは光を浴びた影のように消えるのじゃ。
 そのような怨みを持ちつづけるのも記憶による自我イメージを過去から継続したものと認識するからなのじゃ。
 実際にはもはや過去の出来事は今ここには無く、永遠に返る事も無い夢幻なのじゃ。
 夢幻に囚われる束縛からの解放を目指すのじゃ。

467 :マジレスさん:2012/06/30(土) 22:30:17.23 ID:GQ5KX97M
>>455
ありがとうございます。
>記憶による自我イメージを過去から継続したものと認識するからなのじゃ。
まさにこれで、自我は何度も何度も記憶の中で再現しては、怒りや憎しみを手放そうとしない、被害者としての
自分を保とうとしますよね。これをなくすのが難しいんです。
怒りの感情とはなんなんでしょうか。その自我イメージの真っただ中の時(ほかのことに意識が向かない)が問題
なのですが、自我の言うままに感情をぶちまけるのが、怒りからの解放ではないですよね。我慢とは違うベクトルで、
それよりはいいかな、とも思うのだけど、解決にはなってない・・。
自我が消える=怒りが消えるでしょうね。

468 :マジレスさん:2012/06/30(土) 22:40:03.61 ID:GQ5KX97M
自我や怒り、感情を終わらすには抑圧ではだめですよね。
じゃあどうすればいいんですか?

469 :マジレスさん:2012/06/30(土) 22:57:25.18 ID:GQ5KX97M
例えば虐待するもの、されるもの、攻撃するもの、されるもの、両方同じものを持ってると言いますよね。
それは攻撃されれば、誰だって怒りがたまって攻撃心も湧くでしょう。ただそれ以前にもともと持っていたといたから
見せられた、ということなのか。だとしたら自分が被害者でいるために相手に怒る、ということを取りやめるには
そういう考え方も有効ですよね。

485 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/01(日) 20:54:20.89 ID:xZl0bsvc
>>467>>468>>469 そのような心の連鎖反応を終らせるのが観察なのじゃ。
 怒りという感情を、その原因から観察する事がそれを滅する道なのじゃ。
 怒りが生じた時、あるいは思い出す事から怒りが継続してある時、その怒りの原因が自分の名前やイメージを傷つけられたことから生じたならば、自分の名前やイメージへの執着が無い時、怒りも無いと観察してみるのじゃ。
 あるいはまた恐怖や攻撃欲が原因である事もあるじゃろう。
 そのような時もそれらの原因から怒りが生じ、原因が無い時、怒りも無い事を観察してみるのじゃ。

489 :マジレスさん:2012/07/01(日) 21:55:39.91 ID:gNQJ+JV0
>>485
じゃあ怒ったときに一歩立ち止まって、自分がいない、ということを想起できるまで心を見つめるんですね。
それを保つのがどれだけ難しいか実感していますが。(つまり想起してその視点では怒りは消えるけれど、本当に
我が消えたわけではないからまたぐずぐずとぶり返す)
ある科学者さんが、車椅子になったとき、近所の人から大変ねと言われて、プライドが傷ついたそうです。
その時、自分がここにいなければ何も感じないだろう、と我が消えた体験をした、ような文章がありましたが。

496 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/02(月) 19:58:35.30 ID:4JCf/pbQ
>>489 特に自分がいない、ということを想起できるまで心を見つめなくともよいのじゃ。
 ただ原因から怒りが起こり、原因が無ければ怒りは起きないと観察すれば良いだけなのじゃ。
 自分のイメージが無いとすると、怒りは起きないという想起をするのじゃ。
 本当に自分のイメージがなくならないでも、そのようにイメージするだけでも怒りは消えるのじゃ。
 試してみるのじゃ。

501 :マジレスさん:2012/07/02(月) 22:16:20.96 ID:JdXFpkiK
>>496
分かりました、怒ったとき、感情に翻弄されているときにそれを思い出せるかが実際的な問題ですが
やってみます。ありがとうございました。

513 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/07/03(火) 20:16:22.32 ID:a8IGOvOz
>>501 どういたしまして、またおいでなさい。
387 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/30(水) 22:13:25 ID:G3BWu1cb

ダンマパダ以外にいい本を何冊か教えてください。

388 :健真:2009/12/30(水) 23:31:57 ID:wzc592ms
スッタニパータ(「ブッダの言葉」・岩波文庫)もいいよ。

391 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/31(木) 17:44:18 ID:fqBuMtml
鬼和尚さん、今年はどうもありがとう
来年もよろしくね
よいお年を

392 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2009/12/31(木) 20:15:53 ID:8TUR0oEG
>>387 スッタニパータもいいのう。オショーの本も良かろう。

>>391 こちらこそお世話様じゃ。
 来年もよろしくなのじゃ。
 良いお年をなのじや。

みんなも良いお年をなのじゃ。

393 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/31(木) 21:17:37 ID:H5s2dVRT
>>392
今年もお世話になりました。
いま生きてる人の本ならどれがいいですか?

394 :健真:2010/01/01(金) 00:06:35 ID:EFcTQfn4
>>393
『人間の覚悟』(五木寛之・文春文庫)なんかどうだろ。
今の社会を知るにはいい本だと思う。

鬼和尚さんに質問です。
鬼和尚さんがブッダやオショーの本を本気で読み出したのは、悟る前ですか?
悟った後ですか?

<俺の予想>
悟った後に本気で読み始めた。

398 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/01/01(金) 20:32:56 ID:1XcnmGnK
>>393 今生きている者は知らんのう。
 目覚めたものは名声など求めない故に生きている間はあまり知られない事が多いものじゃ。
 オショーのような例外はあるがのう。

>>394 前からじゃな。
 あまり理解はできなかったがのう。

399 :おさかなくわえた名無しさん:2010/01/03(日) 11:22:13 ID:cFXBWRPH
目覚めた人を街中にみかけることはできますか?
何か外見が違うとか?正覚者は頭が盛り上がっているとかでかいとか
いいますね。あと、目が爛々としているとか、頬がこけていてやせているとか
自在力を持っているので男の癖に女の格好をしているかもしれませんね。

みればわかるということはありますか?
人は段階に応じて悟るのでしょうか?それとも一瞬でランクアップするのでしょうか?
段階があるとしたら、和尚はその人の段階を見抜くことができますか?

402 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/01/03(日) 20:18:19 ID:L+bvGLdu
>>399 日本では無理じゃろう。
 今まで見たことはない。
 インド辺りには居るかもしれん。
 目が動かない、死人のような顔をしている特徴がある。
 自我の無い死に顔か、深い眠りに入っているような顔じゃ。
 それでいて眼は開いていて動かない。

 自我に気付いた者はその一瞬で悟るものじゃ。
 集中力がついていく段階はあるが、その瞬間は一瞬じゃ。
 はっきりと段階があるわけではないが、集中力がつけば動じなくなる。
 不動心を身に付けている者は悟りに近いといえよう。

403 :健真:2010/01/03(日) 22:44:22 ID:eVp3gHRk
じゃあ、良寛さんは悟ってないですね。
子どもと遊ぶのが好きだったから。
忙しい親に代わって子守をしていたのかもしれませんが・・・。

404 :健真:2010/01/03(日) 22:53:57 ID:eVp3gHRk
>目が動かない、死人のような顔をしている特徴がある。
 自我の無い死に顔か、深い眠りに入っているような顔じゃ。

それは、重度の統合失調症の顔みたいですね。(たぶん)
鬼和尚さんは以前、俺が山頭火が好きだと書いた時に、
「わしなら、楽しみながら托鉢をするじゃろう」
という内容のことを書かれていました。
でも、そんな顔だと気味が悪くて、誰も逃げてしまうかもしれませんね。

405 :おさかなくわえた名無しさん:2010/01/03(日) 23:08:17 ID:Pqlfy7J6
ラジニーシはそんな印象ないな
いつも子供みたいに笑ってるイメージがある

406 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/01/04(月) 20:07:28 ID:H1R7u/ce
>>403 そうかもしれん。ちがうかもしれん。

>>404 そうかもしれん。

>>405 相をもって如来を観てはいけないと金剛経にあったのう。

412 :おさかなくわえた名無しさん:2010/01/07(木) 11:27:48 ID:D68rSuDr
>>402
相をもって如来を観てはいけないと金剛経にあったのう。

413 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/01/07(木) 20:19:43 ID:hesxbw7/
↑如来ではないからいいんじゃ。

661 :タ夫:2010/02/27(土) 04:34:01 ID:DPEqdNSk
悟った人は
姿で判りますか?

666 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/02/27(土) 20:52:29 ID:xT3gD8a6
>>661 おぬしに準備が出来ていれば判るじゃろう。

672 :タ夫:2010/02/28(日) 15:11:54 ID:Gv3F9+iL
>>666
あなた自身はわかりますか
もしくはそういう姿を醸しますか。

673 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/02/28(日) 20:04:08 ID:PbwHFrUu
>>972 わかるじゃろう。
 わかるものにはわかるじゃろう。

686 :タ夫:2010/03/04(木) 22:30:51 ID:UVolo93p
>>673
レス番がずれてますが
どんな特徴を纏いますか。

693 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/05(金) 20:22:39 ID:XPU6l82i
>>686 心が動かない者は眼も動かないじゃろう。
 良く観るのじゃ。

724 :タ夫:2010/03/07(日) 22:24:06 ID:I/wXjszL
>>693
なるほどーも。
角度やサングラスや写真によっては見えにくいけど
観察とかしてみます。

732 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2010/03/09(火) 20:20:59 ID:dfhrUmQD
>>724 どういたしまして、またおいでなさい。

285 :健真:2009/12/07(月) 19:42:48 ID:mkGTao20
鬼和尚さんに質問です。

植物人間になっても平等性智が働くのでしょうか?
また、植物人間の意識(魂)はあるのでしょうか?

286 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2009/12/07(月) 20:18:10 ID:b25HFtjt
>>285 植物人間にも意識は在る。
 それは普通の者にとっては眠りの意識に近い。
 そこでも平等性智は働く。
 意識は人間の思うより遥かに広大で甚深なものなのじゃ。

287 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/08(火) 15:28:14 ID:5JFdo++B
悟った人から見て、人が眠っているとき無なのでしょうか?
自我にとらわれてない、実際の自分に戻ってるのでしょうか?
何をしているのでしょうか?

288 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2009/12/08(火) 20:34:42 ID:FUmjGJHn
>>287 体は休んでいる。
 しかし、意識は眠る事が無い。
 本来の意識に戻っている時間もある。
 その時には智慧が働き、さまざまな霊感と呼ばれるものが閃くのじゃ。
 大部分は肉体の調節をしている。

289 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/08(火) 22:45:43 ID:uvwseKoG
横からですが、睡眠中の意識のつながりで・・・

鬼和尚さんは、「人には顕在意識と無意識(潜在意識)がある」という
カール・ユングの説をどう思われますか?
顕在意識の方は、その人が起きてる最中に働いていて、また本人が意識して
働きかけることができ、一方無意識の方は、おもに睡眠中や瞑想中に活発に
働き、自律神経などをつかさどり、また幼少時からの刷り込み・パターンに
そって本人が動くように強制し、また普段気づかない真の自我に近い知恵を
持っている、という説を唱える人もいます。
これらは事実でしょうか?

292 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2009/12/09(水) 20:28:33 ID:Ojkn+3Sa
>>289 普段人が意識できない心の働きはあるものじゃ。
 しかし名前をつけて分類するのは無理があるのう。
 心はどこからどこまでは潜在意識とか、厳密に区別できるものではないからのう。
 集中力があれば普段は意識できない心の働きもわかるようになる。
 それだけでは、智慧は理解できない。
 更に深く研究しなければ全ての心の働きは判らないものじゃ。

293 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/09(水) 21:10:41 ID:U8a5PLeV
>>292
ご回答ありがとうございます。

それではその、普段人が意識できない心の働きを
コントロールできるようになる方法にはどのようなものがあるでしょうか?
集中力ということは、やはり瞑想(鬼和尚さんが推奨されている数息観など)
が中心でしょうか?

また、それによって覚醒(悟りという意味ではなく、起きていて意識がある状態)
中にはどうしても矯正できなかったマイナス感情や悪い行動パターンなどを
修正できるようになるでしょうか?
トラウマや恐れ、怒りなどの克服、批判癖、怠惰や遅刻癖などの改善、
ひいては人間関係や生活の向上に役立たせることができるでしょうか?

307 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2009/12/10(木) 20:24:33 ID:aCSfHIXc
>>293 出来るじゃろう。
 止観の瞑想によって集中力と観察力を養い、苦や煩悩を観察するのじゃ。
 お釈迦様はそのために四諦を教えられたのじゃ。
 瞑想によって潜在意識も観られるようになれば、それらの原因が判るようになる。
 それらの苦を観察し、原因を観察し、原因から起こる結果を観察し、その滅を観察するのじゃ。
 例えば酒を止められないと言う苦がありトラウマが原因なら、トラウマから逃避と言う反応が起こり、逃避するために酒を飲むという行動が起こると、観察する。
 トラウマが無ければ逃避が無く、逃避が無ければ酒を飲むという行動も無い、と逆に観察する。
 このように順逆に観察していけば、心の中にある一連の回路は自己同一化を逃れ、消えて行くのじゃ。

318 :おさかなくわえた名無しさん:2009/12/12(土) 19:58:49 ID:tbSwlKJc
>>307
鬼和尚さん、お答えありがとうございます。
仏教用語はあまりなじみがないのですが、ググったりしてみました。
苦に陥って冷静さを失い、正しい判断力を失っている状態から、
第三者の目で問題を見れるように(これがまず難関ですが)練習すれば
結果的に苦から脱出できる、ということでしょうか。
そのためには集中力が必要で、それを養うためには瞑想が有効、
ということですね。
やはり、悩み苦しんでいる最中は、人は知らずにあまりにもそ苦に
執着しすぎている、ということでしょうか。

323 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2009/12/13(日) 20:11:41 ID:bMlDWWJy
>>318 そうじゃ、苦は執着からも起こるものじゃ。
 観察によってそのような苦と執着から離れる事が出来るのじゃ。
 わしのブログなども参考にすると良かろう。