鬼の説法集(悟りへの道) -10ページ目

鬼の説法集(悟りへの道)

鬼和尚の仏教勉強会 http://onioshyou.blog122.fc2.com/

29 :マジレスさん:2012/11/02(金) 15:29:13.00 ID:vwfX/tDz
お取込み中になんですが相談していいですか?
原チャリで走行中、背後から迫ってきた落ち武者みたいな頭の自転車野郎が、チンタラ走ってんじゃねー!!とか怒鳴りながら猛スピードで抜いていきました。
こっちも頭に来て怒鳴りながら追いかけましたが、事故を起こしたくないので途中で諦めました。
が、その後の怒りがなかなか治まらず、今でも思い返すと頭に血が上って、次に会う時はどうしてやろうとか考えてしまいます。
あんな事するようなヤツはマトモじゃないのだろうし、こんなご時世万が一命に関わるトラブルにでもなったらと思うと諦めて賢明だったとは思うんですが怒りの火が消えません。
ここの人たちは同様の目に遭ったら、相手と自分自身へどういう対処をするんですか?
再燃して止まない怒りの捉え方や対処法もぜひ教えてください。

48 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/11/02(金) 20:35:54.67 ID:mArXhk9Q
>>29 おぬしは犬とか猫に吠えられてもそんなに怒ったりはしないじゃろう。
 犬や猫は知能が低く、何も判らず吠えるものと知っているからじゃ。
 そのような者は獣と同じと知ってほうって置けば良いのじゃ。
 
 何が怒りを起こしているのか、自分の心を追求してみるのじゃ。
 怒りは他人ではなくおぬしの心の中にあるものじゃ。
 その原因を探すのじゃ。
 言われた言葉が原因なのか、追い抜かれた事が悔しいのか、自分だけが知る原因に気づくのじゃ。
 原因が判れば怒りも制する事が出来るのじゃ。


698 :マジレスさん:2012/10/20(土) 10:58:03.29 ID:bcgEVU5T
鬼和尚さん
性欲をなくすにはどうしたらいいですか?
若い女性と会話したり女性の体をイメージすると性的な興奮を持ちます。
それを沈めるため数息観や深呼吸すると落ち着きますが、
興奮するたびに同じことの繰り返しなので疲れます。
性欲をなくせないとしても、性欲で疲れる束縛から解放されたいです。

716 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/10/20(土) 20:00:33.87 ID:x4SaXRU/
>>698 それには昔から不浄観という観察法があるのじゃ。
 人間の肉体を詳細に観察すれば、その醜さに気づいて欲がなくなるのじゃ。
 今でも高品質のテレビでタレントを見たら、肌が皺だらけできもいとわかったとか言うじゃろう。
 人間の体は本当に細かく見れば、実は不浄だったりするのじゃ。
 若い者でもひげがはえていたり、目鼻が真ん中よりだったり、いろいろ醜かったりするのじゃ。
 それを詳細に観察するのじゃ。

717 :マジレスさん:2012/10/21(日) 08:43:08.13 ID:oBo677J+
鬼和尚が前田をディスってるww

720 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/10/21(日) 20:19:21.04 ID:RbGMrm9T
>>717 特に誰とかは言っておらんのじゃ。
 可愛いとか美しいというイメージで売られているものが、実際に観察してみると不細工かも知れんという実践の機会になるのじゃ。
50 :マジレスさん:2012/09/26(水) 19:59:49.26 ID:e3gCy6IJ
鬼和尚さんへ
空の法で全てに無を持って観るものをやってみたんですが、「およそ考えたり
言葉やイメージとして認識している全てが無であると観る」と書いてあるので
すが何を考えたりイメージしたりしていいか分からないというか、なにも浮か
んでこないのですがどうすればいいでしょうか?
アドバイスお願いします。

53 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/26(水) 21:05:10.09 ID:xDk5ZSkF
>>50 般若心経の完全版があれば、それに書いてあるが最初は目や耳や鼻や舌や皮膚で感じるものを空と観るのじゃ。
 目などの感覚器官と感覚と感覚の対象などを空と観るのじゃ。
 そして心の中にある思考や感情や認識などを空と観るのじゃ。
 何も思い浮かばなくとも、その何も思い浮かばない事を認識しているものがあるじゃろう。
 それをも空と観るのじゃ。
 途中で訳がわからなくなっても、その訳が判らないのも空と観るのじゃ。
 完全に出来れば即座に無念無想になれるのじゃ。

54 :マジレスさん:2012/09/26(水) 21:15:44.69 ID:e3gCy6IJ
>>53
ありがとうございます。さっそく実践してみます!

93 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/27(木) 20:06:41.58 ID:IfiUFovn
>>54 そうじゃ、やってみるのじゃ。
 実践が全てじゃ。

129 :マジレスさん:2012/09/28(金) 23:38:38.85 ID:y4O/FW6D
鬼和尚さんのお言葉で分からないところがあります。>>53で
>目などの感覚器官と感覚と感覚の対象などを空と観るのじゃ。
とありますが、目だと感覚は目が見えるということ。感覚の対象は目で見てい
る物のこと。感覚器官は何をイメージすればいいですか?
あと空と無って同じですか?

147 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/09/29(土) 20:04:12.98 ID:pC7VW9T/
>>129 おぬしが今見ているのは自分の目であるとするイメージで良いのじゃ。
 特に意識しなくとも、目によって見ると教えられている者には、ものを見るための目というイメージがあるものじゃ。
 それを空と観るのじゃ。

 空とは無によってのみ表わされるが、それ自体は無ですら無いものじゃ。
 このように書くと理解できないかもしれんが、それでよいのじゃ。
 理解できず、分別できず、知る事も出来ず、認識すら出来ない状態が空なのじゃ。
 何かこのようなものが空であるとするイメージがあったのならば、それはもはや空ではないのじゃ。
 思考を停止させ、認識をも止める法が空であり、智恵の完成と呼ばれるのじゃ。

165 :マジレスさん:2012/09/30(日) 22:17:52.73 ID:zVcTGbyC
>>147
難しいですね。「これはものを見るための目でそれは理解できず、分別できず、知る事も出来ず、認識すら出来ない」
と思えばいいんですか?しかし言葉にすると記憶になり、観念になりますか?その場合どうしたらいいのでしょう。
それとやってみても心から思えていないような、ただの作業になっているような気がしてちゃんと出来ているか不安です。

一日最低何分やったらいいですか?

174 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/10/01(月) 20:29:11.20 ID:o1r+Kelp
>>165 観念や記憶に成れば、その都度それらも空と観想するのじゃ。
 あるものでもなく無いものでもないと、観るのじゃ。

 観念の作業に思えても何度も繰り返せば、習慣の力によって身に付くのじゃ。
 認識もまた習慣の力によって成り立っているだけであるからのう。

 好きなだけ行えば良いのじゃ。
 特に時間を決めずに、毎日見るもの聞くもの全てが空と観れば上達も早いのじゃ。

179 :マジレスさん:2012/10/01(月) 23:59:49.89 ID:0Z7oZ/Vl
>>174
ありがとうございます。

200 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2012/10/02(火) 21:03:46.79 ID:kxzGgdTS
>>179 どういたしまして、またおいでなさい。
171 ::2010/11/05(金) 19:50:17 ID:FO9TGdeo0
何だか出ずらい雰囲気だが、思い切って。

今度は和尚の力を頼んで相談してみます、まじめな質問です。
非業の死を遂げた幾多の戦国武将や今度の大戦で泥に倒れて原形を留めず
亡くなっていった大勢の兵士がもし和尚に頼って来たとき、鬼和尚はどんな
心構えでどのような供養を行っていくでしょうか?

173 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/06(土) 20:13:32 ID:hMlmt1ok0
>>171 わしには特に心構えは無い。
 しかし、普通の者は死んだ者も生きている者も、同じだと心得ておいたほうがいいかもしれんのう。
 清浄な精舎か家をイメージするのじゃ。
 そこに死者を招き、ご馳走とか、欲しがる物を与えるのじゃ。
 イメージの中の事だと思っていると、時々、勝手に話して何かをくれとか言う事もある。
 そんな時は慌てずに願うものを与えるのじゃ。
 供養が出来ていれば夢の中で答えが来る事もある。
 この世で人にご馳走するのと同じく、それもまた夢の中じゃ。

174 :すもも:2010/11/06(土) 20:35:11 ID:zniVXLiw0
>>173
なぜ霊が見える人とそうでない人がいるんですか?

175 ::2010/11/06(土) 22:17:03 ID:FO9TGdeo0
>>173
ありがとうございます。
知り合いの自殺者の供養にたずさわっている中でいろんな
別の集団という形で出てくるものですから。
本来、供養というのは個人的な問題を超えて高い意識に向かわせることが大切と思い、
これには自分の内面の高くて変わらない平安の意識が大切かと思います。
>清浄な精舎か家をイメージするのじゃ。
ここまでは一緒かと思います。
個人的願いはあくまで真理とは違う場合が多いので、究極のものから
離れない心がまえが大切かと思っておりましたが、
>そんな時は慌てずに願うものを与えるのじゃ。
現代心理学でも最初は相手をそのまま受け入れることが大切とあり、
ひとつの参考になるかもしれません。
>この世で人にご馳走するのと同じく、それもまた夢の中じゃ。
別の意味ですべて起こったことは夢の中ということですね。
新しい世界への足掛かりの役に立ちたいとは思いますね。

189 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/07(日) 19:41:40 ID:hMlmt1ok0
>>174 子供にはトンボや蝶が見えるが、百万円の証券などは見えない。
 大人は百万円の証券は見えるが、トンボや蝶が見えない。
 そのようなものじゃ。

>>175 どういたしまして、またおいでなさい。

192 :すもも:2010/11/07(日) 20:53:06 ID:IR3UjLIU0
>>189
鬼和尚

ということは、それは、方便や心の有様(有る意味では心の有様なんでしょうが)ではなくて、
死んだ人間の残った心(自分には死後があると思っている人の意識)が作用する現象は確かにあって、
それを見られる人と見られない人がいるのは、波長とか意識の次元みたいなのが違うせい、
ということでしょうか。
そういえば鬼和尚が前に書いていたなあというのを記憶から引き出してみましたが間違ってたらご指摘ください。

どちらにしても私には確かめられないので、追っても仕方が無いとは思うし、
今世だって前世の次世なのに、でも全然忘れてゼロからスタートしてるわけで、
仕組みを知ったからと言って何も意味がない、と思うのです。が、でもちょっと興味はあるという。w

なんというか、引力の法則は誰の見解も一致する。
のに、「法」であるはずのものが宗教宗派によって解釈が違ったりするのは、肉体(脳)の制限を受けている人間の限界なのかもと思う今日この頃です。

どうもありがとうございました。

204 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/08(月) 19:56:51 ID:hMlmt1ok0
>>192 昔、テレビを見とったらガッツ石松と言うのが出ておった。
 神経が太い男で真夏の夜に暑くなると墓場で涼むそうじゃ。
 すると目の前に人の形をした影がいくつも通るのが見えるそうじゃ。
 しかし、神経が太いからそれだけじゃ。
 
 本当は大抵のものが良く注意してみれば見えるものじゃ。
 しかし、石松のように墓場で過ごしたりせず、死を恐れ、死に関わるものを見ないようにしているから、何か在っても見えない事にしているのじゃ。
 生死を分別し、生きた者と死んだ者は別だと頭で考える故に、死の話もおかしいと感じるだけなのじゃ。
 死によって何かが変わるわけではない。
 誰も消えず、どこかに行くことも無く、親しかった者に会いたければ夢の中で会えるじゃろう。

205 :避難民のマジレスさん:2010/11/08(月) 20:50:07 ID:6TOTmqIk0
俺が分からないのはドッペルゲンガーだよな。

仕事先から、友人、上司、親、彼女、
ちょっと知り合ったお客まで、どこにでも出るんだよ、
たぶん俺本人より、目撃されているから、本人の立場がない。

209 :すもも:2010/11/09(火) 01:19:09 ID:qhP5WOwI0
>>204 鬼和尚
死によってすべて消えるという思いが強いから見えないということは、
ガッツ石松に見えたのはその思い込みがない人だったからということになりますが・・そう・・なのかな。w

でもそうなると、今の自分が自分であると認識しているのは肉体が自分だと思っているせいだと思っていたけれど、
肉体が消えても自分があるという現象があるなら、自分という認識が、肉体以外のどこからか起きているということになりますか?

210 :避難民のマジレスさん:2010/11/09(火) 01:35:47 ID:8euHE72g0
ガッツ伝説
●太陽はどっちから昇る?という質問に対して。  →「右から」

●クイズ番組に出たガッツ石松
「日本で一番多くとれる地下資源は?」という問題で →『米』と答えた

etc.

ガッツ石松の話を鵜呑みにしていいものやら。。。。

216 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/09(火) 20:24:51 ID:hMlmt1ok0
>>205 現世も夢ならば特に不思議は無いものじゃ。
 夢で会い、覚めても会うのじゃ。

>>209 ガッツは知識に騙されず己の目で見た事を見たと言えるのじゃ。
 
 わしが書いても意味は無いが、そのように感じる意識すらもすでに肉体を離れておる。
 知覚と知覚するもの、知覚させるもの、知覚した事を受け取るもののさらに奥に、それらを統括する意識がある。
 己という認識がどこから来るのか、自ら観るのじゃ。

>>210 さすがガッツじゃ。
 世界を己の眼で見ておる。
 知識だけで頭を膨らませておる飯袋子は見習うべきじゃのう。OK牧場じゃ。

217 :すもも:2010/11/10(水) 00:45:05 ID:/fSDm5dc0
>>216 鬼和尚

いろんな見解がある、いろんな意味で。本当にいろいろな意味で。。
今はそう思います。


>知覚と知覚するもの、知覚させるもの、知覚した事を受け取るもののさらに奥に、それらを統括する意識がある。
>己という認識がどこから来るのか、自ら観るのじゃ。

わかりました。↑ここをコピペしましたw
どうもありがとうございました。

227 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/10(水) 20:05:33 ID:hMlmt1ok0
>>217 どういたしまして、またおいでなさい。
299 :避難民のマジレスさん:2010/11/15(月) 21:42:19 ID:9mNYxrRY0
人生相談に書いたのですが、規制なのでここに書きます。
鬼和尚さん、私は中高年で衣食住は足りていますが、意欲や元気がなくなってきました。
一人暮らしで、今は主夫をしながらボランチィアなどもしています。
座禅も多少はやっております。でも、何かしんどくなってきています。
アドバイスをお願いします。

308 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/16(火) 19:05:03 ID:hMlmt1ok0
>>299 おぬしにも自分を見直す時が来たのかもしれん。
 自分とは何か、自分は何がしたいのか、本当は何をすべきなのか。
 それらを知るために自らの心を観るのじゃ。
 本当はしたくも無いことを、世間に合わそうとしておこなっているのかもしれん。
 したくないことはしなくていいのじゃ。
 嘘偽りの無い己の本心を観てみるのじゃ。

309 :避難民のマジレスさん:2010/11/16(火) 20:33:18 ID:SBAoKCek0
>>299です。鬼和尚さん、
私は母の介護のために(仕事にも限界を感じていましたが)退職し、今は母の居る施設に
できるだけ毎日通うのと家や田畑の管理・ボランティアをしています。
世間に合わそうとしているわけではありません。
母の介護やその後の体調変化で精神的にまいってしまい、うつ状態になりました。
その後遺症が残っているのかもしれません。
しかし、それは今までのこと。
母の心配はありましたが、家の仕事やボランティア・読書はむしろ楽しかったです。
最近になって、全般的に意欲や気力が急になくなってきました。

したくないことはしていないと思います。
どうしてなのか、自分にもよくわかりません。

314 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/17(水) 19:51:35 ID:hMlmt1ok0
>>309 誰でも依存しいる親などがいなくなると、苦を受けるものじゃ。
 愛別離苦という。
 母親に認められたいから行っていた事や、母親のためにしていた事が、目的を失い、やる気も無くなるじゃろう。
 自分のこれまでの生き方をも、根本的に変えなくてはならないようになる。
 例えば会社が無くなれば、倉庫にしまっていた道具などが必要ではなくなり、片付けなければならないように。
 人間も愛する者がいなくなれば、その為に使われていた心の回路を、片付けなければならないのじゃ。
 目的の無い回路は虚しさと、苦を生む出すだけだからじゃ。

 自分にはそのようなものは無いと言う必要は無い。
 誰にでもあるものじゃ。
 ただ自分の心をみてこなかった故に、奥ふかくに隠れて見えないだけじゃ。
 そのような心を観察し、苦をもたらす心の仕組みを滅するのじゃ。
 そして新たに自分と、自分の周りの者のために生きる道を探すのじゃ。

315 :避難民のマジレスさん:2010/11/17(水) 21:31:23 ID:twsaume20
>>299です。
鬼和尚さん、ありがとうございます。
>そして新たに自分と、自分の周りの者のために生きる道を探すのじゃ。

そうですね。時間はかかるかもしれませんが、頑張って探してみます。

323 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/18(木) 19:57:51 ID:hMlmt1ok0
>>315 どういたしまして、またおいでなさい。
243 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/11(木) 19:44:25 ID:hMlmt1ok0
人が観念に囚われるのは、観念を持つと共にそれを正しいものとしているからじゃ。
しかし、観念を正しいと思うのも実際は自己正当化によるものが多いのじゃ。

255 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/12(金) 20:30:06 ID:hMlmt1ok0
一度、観念を受け入れ、それが正しいと思ってしまうと、なかなかそこからは抜けられないものじゃ。
現実とはかけ離れたことでさえ、観念として囚われてしまえば、それがその者にとっては現実よりも優先するようになる。

272 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/13(土) 20:26:23 ID:hMlmt1ok0
 例えば些細なことでも己を責め、自分で自分を苦しめたり、知識を蓄え、それだけが正しいと思い、現実を見れなくなったりする。
 観念に囚われ、観念に従っていれば、そこから逃れるのは難しいものじゃ。

 観念に囚われた者は観念が己であると投射し、観念を持つ己というものを守るために、観念を守ろうとする。
 それが自分を苦しめているものであるとさえ、判らずに観念を守るのじゃ。
  
 観念に囚われた者は、観念を守るために人の言葉を聞かず、観念を守るために知識を集め、修行さえもする。
 しかし、観念を守るための知識や修行は何の役にも立たないものじゃ。
 それはかえって苦滅の道、悟りへの道から遠ざかるばかりなのじゃ。


 そのような観念を滅するには、己の本心を観なければならない。
 嘘偽りに固められたものではない、己の本当の思いを、集中力と観察力で観るしかない。
 
 ただ独りで座り、他人からの何の介入も無い時、人は己の本心を自ら吐露する。
 他人が居ればやはり観念を用い、それをまた守りたくなる。
 ただ独りで居れば、誰かに何かを開陳することも無い。
 観念を述べたり、守ったりする必要も無い。
 そこで初めて己の本心が現れるのじゃ。
 
 修行によって得た全ての集中力と観察力は、本心に向けられるためにのみある。
 それが本心に向けられず、ただ観念を守るために向けられれば、どんな修行も実ることは無い。
 集中力と観察力は本心に向けられるために、養われてきたのじゃ。

 己の心を嘘偽りで固めてきた者には、むしろこの本心を知るが難しいものじゃ。
 誰かに見せるためでもない。
 誰かを守るためでもない。
 誰かを見返すためでもない。
 ただありのままの己の本当の心。

 そこに帰ることが安らぎであり、苦を滅する道であり、悟りへの道なのじゃ。

276 :すもも:2010/11/14(日) 08:50:18 ID:SZkD08jU0
>>272
私のことだと思って真面目に読んだ。
最終的に、ダンマパダは観念ではないが、正法眼蔵は観念だ、と読めてしまった。

鬼和尚はダンマパダだけ読んで意味も誰にも聞かず、あとは坐るだけで悟ったのですか?

285 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/14(日) 19:53:17 ID:hMlmt1ok0
>>276 いっぱい読んだのじゃ。
 般若部の経典とか、阿含経とか、華厳経とか、大日経とか、法華経とか、無量義経とか、無量寿経とか、観無量寿経とか、いろいろと読んで見たのじゃ。
 金剛経以外はあまり役には立たなかったのじゃ。
 ただ一つの己の心を観た故に悟りを得られたのじゃ。

289 :すもも:2010/11/15(月) 00:57:45 ID:5pq88srM0
>>285
経典ばっかりw
一番手が出ない分野です。w

ありがとうございました。

297 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/15(月) 19:46:49 ID:hMlmt1ok0
>>289 今は現代語訳も多く出ているのじゃ。またおいでなさい。

298 :偽和尚 ◆qH7QdQmFhM:2010/11/15(月) 21:16:14 ID:ZccKuE9k0
>>289,>>297
この訳はおもしろかった。

超訳【金剛経】
http://bunchin.com/choyaku/kongo/

304 :すもも:2010/11/16(火) 00:16:25 ID:OodSNo0o0
>>298
その文庫、ブックマークしようとしたら既にしてあった。w
けど何読んだか全然忘れてるw

308 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/11/16(火) 19:05:03 ID:hMlmt1ok0
>>298 そのようなものを意訳すると、自分の今の限界が出てしまうからのう。
 ただ正確であろうとすれば、己の限界をも超えられるのじゃ。
 
>>304 特に読まないでもいいのじゃ。
 己の心と言う本を読むのじゃ。決まったのう。わっはっはっは。
19 :避難民のマジレスさん:2010/10/25(月) 13:43:23 ID:Q70NDwRg0
鬼和尚さま

↓ここに出てくるラムサっていう人は悟っていますか?
http://ramjapan.com/teachings.html

また、ロバート モンローのヘミシングCDは、瞑想に役立ちますか?

20 :避難民のマジレスさん:2010/10/25(月) 16:13:42 ID:wwx8FF6o0
ラムサについては自分もお尋ねしたい。

彼は、人間は死なない、肉体をもったまま生き続けることは可能である、と言っています。
人は死ぬと言う観念によって死ぬ、信念、確信以上のレベルで死が存在しないと知れば、肉体も無くならないと言うのです。

死が存在しないことを絶対的に知っている人は悟った人だけですが、ラムサはそれを知れば肉体も無くならないと言うのです。
勿論本人がそれを望む(肉体を捨てないと選択した)場合のみですが。

悟った人が肉体を必要以上に長く保ち続けたいと思うとは思えないのですが、われわれ凡人にとっては夢のような恩寵かもしれませんね。
しかし、死が観念であると完璧に知れば肉体を保ち続けられると言うのは信じがたいことですね、というか嘘ですよね。

22 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/25(月) 20:00:14 ID:hMlmt1ok0
>>19 その者は悟っていない。
 自分の見た物に騙されているのう。
 魔境と言うものじゃ。

 おぬしが自分の本心を追及しつづけるならば、全てのものが助けになるじゃろう。

>>20 彼は妄想の中に陥っているのう。
 自分では本当に200歳の人間に会ったと思っているんじゃろう。
 行者病じゃな。

25 :避難民のマジレスさん:2010/10/25(月) 21:07:23 ID:wwx8FF6o0
>>22
鬼和尚さま、ありがとうございました。

27 :避難民のマジレスさん:2010/10/25(月) 21:13:17 ID:Q70NDwRg0
>>22
なるほど、ありがとうございます。
ついでに申しわけないですが、下記↓の「神との対話」に出てくる神と名乗る人物は、悟っていますか?
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/kamitai/kamitai1-1.html
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/kamitai/kamitai1-2.html

あと、下記↓のバシャールという人物は、悟っていますか?、
そして本当に宇宙人なのでしょうか?
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/bashar/bashar1.html

29 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/26(火) 20:15:08 ID:hMlmt1ok0
>>25 どういたしまして、またおいでなさい。

>>27 その二人は悟っていない。
 どこかの星から来た者でもない。

 大体悟った者は、自分の意見を語るよりも、人を自らの心を観るように導くものじゃ。

30 :避難民のマジレスさん:2010/10/26(火) 23:11:34 ID:Q70NDwRg0
>>29
参考になりました。ありがとうございます。
ただ、人が自らの心を観るように導くためには、自分の意見を語るのじゃないかなあとも思われますが・・・。
まあ、悟っているか悟っていないかは、悟っていない僕では判断できないことですし、
もちろんその悟っている悟っていないの判断が果たして正しいのかどうかも、僕にとっては不確定ではあるということにはなるのですが・・・。
いずれにせよ、「ラムサ」や「神との対話」「バシャール」の言葉は、僕の助けにはなったと思うので、良かったです。

34 :避難民のマジレスさん:2010/10/27(水) 16:47:27 ID:Q70NDwRg0
>>31
どうもありがとうございます。
確かにキリスト教は悟りとは無関係にも感じます。
「神との対話」に出てくる神(二ールさんではなく)は、またキリスト教とも違います。
特に最新刊?の「神へ帰る」ではほとんど悟りの話になってきているように感じます。
また、キリスト教は、仏教とはやや方向性がズレていますが、キリスト自身は悟っているようにも思います。

どうなのでしょう、鬼和尚さま。イエス・キリストは悟っていますか?

42 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/27(水) 20:25:41 ID:hMlmt1ok0
>>30 悟った者には自分の意見など無いのじゃ。またおいでなさい。

>>34 神に便り、神に祈らせる者は、まだ悟っているとはいえんのう。
 キリストは降神者じゃな。
 治療が得意だったようじゃ。

43 :避難民のマジレスさん:2010/10/27(水) 21:19:56 ID:Q70NDwRg0
>>42
参考になります。
「自分の意見」というのは、「神との対話」>>27のリンク先のどの辺りの部分になるのか、
一部だけでもいいので、具体的に教えてください。
それは、僕が思うに、「わたしはコミュニケーションの手段に思考も使う」という部分じゃないかと思うのですが・・・。
となると、悟った者は、一切、思考というものが無いということになるのでしょうか?・・・。

「治療が得意だったようじゃ」という言葉に、クスっと笑ってしまいました。
キリストは降神者ということですが、キリストに降り立った「神」とはどういう存在のものなのでしょうか?
「神」は全知全能の神と言われるように、全てを知った状態、つまり、それは、悟りのことじゃないかと僕は思うのです。
そう解釈すると、「神に便り、神に祈らせる者」というのは、「悟りを信じさせ、悟りのための瞑想をさせる者」という感じになるのでは・・・。
となると、それは鬼和尚さまのことでは!

77 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/28(木) 19:41:38 ID:hMlmt1ok0
>>43 ほとんどがそうじゃ。
 存在しないものについて語る時、それは客観的な真実ではなく、ただの意見となるのじゃ。
 
 悟りは現象であり存在するとかしないとかいうものではない。
 悟った者には悟りは無く、衆生が全て悟れば悟りと言う言葉も要らなくなる。
 それ自体を信じることも、頼ることも出来ないのじゃ。

81 :避難民のマジレスさん:2010/10/28(木) 22:39:36 ID:Q70NDwRg0
>>77
久しぶりに「神との対話」に目を通して見ると、鬼和尚さまの言われることは、理解できます。
ただ、存在するものとは、何でしょう。
悟っていない僕らには、コミュニケーションを図る場合に、主観的に把握される存在・物事を題材に理解を進めていくしかないように思われます。
そして、それらは、阿頼耶識だかなんだかにより、類似的に仮想された存在であり、存在しないものなのかもしれません。
しかし、それを言うと釈迦やキリストすらも存在していないことになり、それらについて語ることも意見というカテゴリーに入るような感じもします。


頼ると頼らせる、信じると信じさせるを、少し間違えて読解していたようです。キリストが、神を頼りにしていたのかどうかは、僕にはわかりません。
ま た、僕も悟りというものが存在するとかしないとかいうものではないとは思っています。それがある種の状態なのか、現象なのかはわかりませんが、キリストの 意図する神や、上記「神との対話」における神という言葉が、悟りを意味するものとして比喩的に使われていたのではないかと思っただけです。
そして、鬼和尚さまが言われた、キリストに降りてきた神については、現象ではなく、なんらかの存在であるだろうと認識したということです。それは、霊みたいなもの?宇宙人?宇宙の創造者?

84 :避難民のマジレスさん:2010/10/29(金) 08:27:16 ID:ZcKNKgv20
>>77
鬼和尚さま

その現象から派生したのがわれわれなのでしょうか。
われわれが一つの意識で繋がっているとすれば、その元の現象を仮に神として表現しているのが「神との対話」と考えていました。
やがて全てが一つであることに導いていると思うのですが「神に帰る」に至るまでかなりの時間を使ってシリーズ化して解いています。
イエスも、方便によって人々を救おうとしたのでは?と考えていたのですが。

違うのでしょうか。

86 :避難民のマジレスさん:2010/10/29(金) 17:37:22 ID:cWBNXTaA0
鬼和尚さま>>84です。

神との対話の神は「私もまた何かの一部である」と言っていました。
悟った存在はそのような表現はしないですよね、今気が付きました。

91 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/29(金) 20:16:00 ID:hMlmt1ok0
>>81 知覚できるもの、人に語って知覚せしめられるものを、仮に存在として説けるものじゃ。
 心の動きは知覚できる、人に語って知覚させ、このように観察すべきだと説くことが出来る。
 それ故に悟りを得たものは、常に己の心を観よと言う。
 それが存在するものであり、知覚して、観察できるもので、人にも知覚させ、観察させられるものだからじゃ。

 神とはそのようなものじゃろうか?
 知覚し、観察し、人にも知覚させて観察させられるものじゃろうか?
 そのようなもので無ければ、存在するものとして説くことは出来ず、また説くべきものでもないのじゃ。

 キリストに降りた神とは、自らの作ったイメージに他ならないものじゃ。
 自らのイメージによって自我の働きを抑えた時、少しの間、智恵が働く。
 自我を抑制した状態で智恵や力を働かせる事が、降神者の行っている事なのじゃ。
 それはイメージであるから、宇宙人とか、何かの霊とか、どのようにも作れるのじゃ。

94 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/29(金) 20:25:44 ID:hMlmt1ok0
>>84 悟りとは無明の病から治ったと言う現象であり、そこからなにものかが派生したり、創造されたりする事は無いものじゃ。
 全てが意識ならば、神と我と言う区別も無いじゃろう。
 神と言う言葉、神と言うイメージがある限り、それは常に障害であり、全ての意識へ到達する事を邪魔しているものとなるのじゃ。
 それは崇拝されるべきものではなく、捨て去られるべきもの、無であると気づくべきものなのじゃ。

 観るべきものは神ではない。
 常に自らの心しか無いのじゃ。

95 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/29(金) 20:26:39 ID:hMlmt1ok0
>>86 そうじゃ。全てなら一部ではないのう。

96 :避難民のマジレスさん:2010/10/29(金) 20:36:56 ID:X5xlbcWw0
>>95
鬼和尚さま、>>84>>86です。何者であれ神と名乗る存在は妄想である、ということが分かりました。
ありがとうございました。

98 :ぼたん:2010/10/29(金) 21:32:39 ID:Q70NDwRg0
>>91
なるほど。神については、了解できました。ありがとうございます。
あと、知覚できないもの(存在)を語るのは、悟った人はしないとして、
悟りのような、知覚できない「現象」を語るのも、やはり、しないということでしょうか。

また、僕は、現在悟ってはおらず、無明と言う病にかかっている者の内に入るのですが、なぜ、最初から、そんな病気にかかっているのでしょうか。そこに意味はあるのでしょうか。
「神 との対話」では、人は自分が何者かを知る為に生まれてきたというようなことが書いてあったと思うのですが、人は元々悟っており、そしてその悟りというもの がどのような現象なのか知る為に、その反対の現象を発生させたということではないかと思ったのですが、どうなのでしょうか。

キリストについてですが、キリストが行ったイメージによる自我の抑制とは、言うなれば痛み止めのようなものと認識しましたが、イメージを使ってそんなことができるものなのですね。それはマインドコントロールみたいなものなのでしょうか。
かなり難しそうですが、いずれにせよ、悟りへの道においては、そのイメージ戦略は、障害となるということですね。

99 :避難民のマジレスさん:2010/10/29(金) 22:41:04 ID:y0OyH2D60
>>91
oshoによると、イエスは幼少の時と30歳以降の数年しか、記録がないが、
30歳以前にインドの僧院で修行していたという言い伝えがインドにはあるらしい。
イエスは光明を得たことを直接教えることは、その特異な時間と場所ではできなかったということだ。
これは鬼和尚はどう思う?

112 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/30(土) 20:12:04 ID:hMlmt1ok0
>>96 どういたしまして、またおいでなさい。

>>98 悟りは将来において訪れれば知覚できるじゃろう。
 全く知覚出来ないものとは違うのじゃ。

 人が無明に陥っているのは習慣によるものじゃ。
 それはただそのように起こったというだけで意味は無いものじゃ。
 人が何のために生まれたのか、決めるのは自分自身だけなのじゃ。
 
 どんなイメージも最後には滅するもの、滅していかなければならないものじゃ。

113 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/30(土) 20:16:23 ID:hMlmt1ok0
>>99 それはoshoの作った寓話と言うべきものじゃのう。
 実際に悟っていれば智恵が生じ、いくらでもやり方は思い浮かぶものじゃ。
 キリスト教にも瞑想は在るそうだしのう。
 人間を捕る漁師を募る必要も無かったのじゃ。

115 :ぼたん:2010/10/30(土) 21:02:21 ID:Q70NDwRg0
>>112
要点は、飲み込めました。長々と、ありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします。

127 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2010/10/31(日) 20:20:53 ID:hMlmt1ok0
>>115 どういたしまして、よろしくなのじゃ。
11 :n:2011/05/22(日) 15:27:16 ID:DxmW6LRM0
何が実在の基準ですか?

 何であれ依存するものは実在ではない。
 実在は真に独立している。
 個人の存在は世界に依存している。
 そしてそれは世界によって制限され、定義されている。
 それゆえ、それは実在ではありえない。(p78)
http://now.ohah.net/pari/books/I_AM_THAT-words.html#1

12 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/22(日) 20:11:16 ID:hMlmt1ok0
↑なにものにも依存しないもの、時間によっても変化しないもの、それが実在の基準と言えよう。
それ故に在ると言えるのは意識だけなのじゃ。

13 :避難民のマジレスさん:2011/05/22(日) 21:44:06 ID:BIhnCgkQ0
熟睡したら意識も無いだろが。

14 :避難民のマジレスさん:2011/05/22(日) 22:24:18 ID:bKWlWy/E0
二サルガダッタ・マハラジの言葉は、具体的にどうすればいいのか分からない。
溺れると思うから溺れるのだ、と言っているようなものだ。

鬼和尚は、その方法を教えてくれる。

18 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/23(月) 20:00:12 ID:hMlmt1ok0
>>13 おぬしが悟りを得たならば、完全に熟睡していてもそこに意識が在るのが感じられるじゃろう。
 そこまでいかなくとも、瞑想に熟達したならば寝ていても意識がある状態に気づくじゃろう。
 実践しなければ真実はわからない。 
 知識だけを集めても何の意味も無いのじゃ。
 実践が全てじゃ。

>>14 そうじゃ、実践が全てじゃ。

19 :ろんどん:2011/05/23(月) 21:11:50 ID:BIhnCgkQ0
>>18
>おぬしが悟りを得たならば、完全に熟睡していてもそこに意識が在るのが感じられるじゃろう。

www
まあええわ。意識があるということにしてやろう。百歩譲って。
熟睡した時に意識があってが何かやるべき事があるのかね?

25 :避難民のマジレスさん:2011/05/24(火) 19:28:30 ID:kl1CR23s0
鬼和尚はブログで「自我を完成させて捨てるのじゃ。」と書かれてましたが、もう少し具体的に教えてください。
自我の完成とはどのような状態でどのように進めればいいのですか

わがままエゴイズム、エゴ的な人間にならないように今までしてきたので迷います

26 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/24(火) 20:07:22 ID:hMlmt1ok0
>>19 空を流れる雲に何かやるべきことがあるのじゃろうか?
 川に流れる水にはなにかやるべきことがあるのじゃろうか?
 何にでもやるべきことがなければならないのじゃろうか?
 それとも全てはあるがままにあるだけなのじゃろうか?

>>25 経典にも自分が自分の主であると書かれているじゃろう。
 お釈迦様がこのように書かなければならんのは、そうではない人間が多いからじゃ。
 当時はドレイとして他人の命令通りに生きていた人間も多かったらしいが、今も他人に依存し、他人の反応によって生きている人間が多いものじゃ。
 自分はそうではないと思っていても、心の中を良く観察してみれば、両親がこんな風に言ったからこうするとか、友達の中ではこれがあたりまえだったとか、そのような依存と反応によって己の行動を決めていたりするものじゃ。
 そして何か上手くいかなれば他人のせいにしたりする。
 そのような態度では修行を全うさせることも難しいのじゃ。

 己の言葉や行いを己で考えて決める。
 何が起きても己の責任として受け入れる。
 そのようであってこそ自我は完成され、修行も全うさせる事もできるのじゃ。
 そうなるためにはやはり己の心を観察し、他人への依存や反応で生きているのではないかと追及し、気づく事によって滅するのじゃ。
 他人への責任転嫁を止め、自らの行いの責任を引き受ける覚悟をする事も、心の反応を自覚し、自ら改める事によって成就する。
 他者への依存も反応も無く、自らを主として己の行いは己で責任を取れるようになれば、自我は完成されたと言えるじゃろう。、
 そのようであれば修行も途中で止まることが無くなるじゃろう。

29 :ろんどん:2011/05/24(火) 20:58:35 ID:BIhnCgkQ0
>>26
>そのような依存と反応によって己の行動を決めていたりするものじゃ。

アホウじゃのお。
愛することそのものにに効能があるのだ(きゃっ 恥ずかしい)
愛されるなんて萎えるのじゃ(そういう性分じゃw嫌がる相手を云々・・・)

33 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/25(水) 19:57:12 ID:hMlmt1ok0
>>29 全てにやるべきことがあるとか、愛に効能があるとか、そのように考える事そのものが、自性が無いと言いながら、実は自性があるとした上での反応と言えるじゃろう。
 知識さえも単なる記憶であり、身についたものではないと、そのような間違いを起こし、しかもそれに気づかなかったりするものじゃ。
 知識そのものがただ茶飲み話の自慢のたねとしてしか記憶していない故に、何が語られているのかさえ判別できないのじゃ。
 記憶された知識がありながら、一方で孤独や不安や恐怖に怯えているのは、薬屋が病に犯されて苦しんでいるようなものといえるじゃろう。
 自分の扱うものがその苦に対応するものと一生知る事が無ければ、人生そのものが滑稽な喜劇として終えてしまうじゃろう。
 それもまた真摯に求める者に対して反面教師としての教訓を与える役目かも知れんがのう。

34 :避難民のマジレスさん:2011/05/25(水) 20:35:42 ID:kl1CR23s0

>26鬼和尚いつもありがとうございます

「親や先生や上司や偉い人の指示にちゃんと従いなさい」というような摺りこみが頭の奥にあって
それが自分の無責任さを助長させているのを見つけました。他人を頼りにする事が多すぎるのも含めて
今までとは全く正反対な生き方をしなければいけないのでどうすればいいのか迷います。
迷うどころか今までと違う行動をしようとすると すごい抵抗が始まり、自分が自分の行動の主では無い事を発見しました。
反対方向に強化されそうです。

41 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/26(木) 20:27:03 ID:hMlmt1ok0
>>34 それでいいのじゃ。
 それを観察し、自覚した時から変容は始まっておるのじゃ。
 以前には考える事も出来なかった事が考えられるようになり、行うことも出来るのじゃ。
 後は自ら考え、自らの意志によって進むだけでいいのじゃ。
 それは確かに何も考えず、他人に依存したままでいるより抵抗が大きいじゃろう。
 それもまた例えば船が進めば向かい風を感じるように、進んでいるからこそ感じるのじゃ。
 意味ある道を進むことが出来るのを喜び、確かな意志によって自らの道を行くのじゃ。

35 :ろんどん:2011/05/26(木) 08:36:44 ID:BIhnCgkQ0
>>33
>全てにやるべきことがあるとか

鬼が熟睡してるときも意識があるって言ったんだよね?
頑張って修行して寝てる間に意識があって、「何か良いことがありますか?」
と、いうことね。俺が尋ねたのは。睡眠学習の効果を保障できます、とか。
>全てにやるべきことがある
って誰が言ったんだい?一応、返答をもらいたいです。


>愛に効能があるとか、そのように考える事そのものが、自性が無いと言いながら、実は自性がある

愛する時には 気持ちいい(←効能)ですが。
自性って何?一度も自性そのものを見たことがないですよ。何でそのようなものを語れるのですか?
効能は一対一の対応で、愛してないときは効能は終わってるんだ。
その時だけですが。


>記憶された知識がありながら、一方で孤独や不安や恐怖に怯えているのは、
孤独や不安を自分の心とは別に無いんですよ。対象化するのも間違い。
心を二つに分けるところから迷いが始ってい

>薬屋が病に犯されて苦しんでいるようなもの
何時、どこで、誰が苦しんでいるの?
今、あなたのところで誰か苦しんでいるのが見えますか?

36 :ろんどん:2011/05/26(木) 08:42:26 ID:BIhnCgkQ0
> 記憶された知識がありながら、一方で孤独や不安や恐怖に怯えているのは

面白いね。自分だったらこう考える、ってのを誰にでも当てはめないほうがいいですよ。
まあキミ達が弱みを見せればすぐに漬け込むクソヤロウってのは十分見てきたから。
それが今回も通用すると思ったかい?
キミ達のそういうやり方は毎回ヘドがでるんだよ。

42 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/26(木) 20:41:31 ID:hMlmt1ok0
>>35 何ものかを思考する時に常に何かすべき事がないかとか、そのように考えるおぬしの習性が即ち己と言うものを信奉し、全ては己にとって何かの効能を示さなければならないという迷妄を抱えていると教えているのじゃ。
 おぬし自身が気づけないならばそれまでじゃ。
 おぬし自身が孤独に怯え、不安や恐怖に苦しんでいる事は、言葉でどのように言い繕おうと、ここに毎日書き込むことでも明白な事じゃ。
 わしは人に教える必要から書き込み、教える必要が無ければ書き込まない事も出来る。
 おぬしは特に人に教えるでもなく、毎日毎日書き込まないで入られない。
 その態度がおぬしの苦を明白に物語っているのじゃ。
 自分では知識があるつもりで、それが何についての知識であるかわかっていない。
 それがおぬし自身の分裂なのじゃ。
 おぬしだけではなく、世間の者はお釈迦様が苦を滅する道を教えられたと言うのに、苦を滅する事も出来ない知識をただなんとなくありがたがって拝んでおる。
 それは正に医者や薬屋が病に苦しみながら、己が何を学び、何の知識を身につけているか知らないのと同じ位おかしな事じゃ。
 
>>36 何じゃ君達とは?
 わしは一人だけじゃがのう。
 かなり妄想が激しいようじゃのう。
 他人が妄想していると書きながら、自分だけは妄想していないと思うのが妄想と言うものじゃ。
 まずは己が妄想をしていると自覚する事が大事じゃ。

43 :避難民のマジレスさん:2011/05/26(木) 21:43:27 ID:TqPtxi3E0
>>42
それを妄想って言うんだよw

45 :ろんどん:2011/05/26(木) 22:58:49 ID:BIhnCgkQ0
>>42
>おぬし自身が孤独に怯え、不安や恐怖に苦しんでいる事は、言葉でどのように言い繕おうと、ここに毎日書き込むことでも明白な事じゃ。

それあんただしw
心配してくれなくて結構w
俺新婚だからw

47 :ろんどん:2011/05/27(金) 08:45:44 ID:BIhnCgkQ0
まあ、相手に不安を与えて混乱させて精神的に屈服させようとしてるんだろうなw
ただ争いに勝ちたいだけなんだよ。このクズは。
だからできるだけゲスな方法を用いようとする。
人として終㍗ル。

52 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/27(金) 20:41:14 ID:hMlmt1ok0
>>43 おぬしのその言葉は妄想ではないのう。
 ただの嘘じゃ。
 わしが一人で書き込んでいるのは事実じゃ。
 それを妄想と書けばそれはただ嘘を書いているだけになる。
 わしの正しさを照明するためにおぬしもご苦労さんじゃのう。わっはっはっは。

>>45>>47 わしの書いた通りじゃのう。
 わしの書いた通り書き込む事がやめられんと証明したのじゃな。
 おぬしも自分では賢いつもりで、騙されんようにと思っているようじゃのう。
 その己が賢い正しいという思い込みによって、すでに騙されておるのに気づかないのじゃ。

 お釈迦様は自分の言ったとおりに修行すれば苦が滅すると言った。
 苦を滅する事の出来ないものはお釈迦様の教えではない。
 それを知らず、己が記憶した苦を滅する事が出来ないものを仏教だと思い、ここで説かれている真の苦を滅する道を試そうともしない。
 すでに完全に騙された状態と言えよう。
 それ故に夢の中で意識が在るとかないとか役に立つとか、瑣末な事すら知る事が出来ないのじゃ。
 
 例えば昔医者のいない村に医者が来たとしよう。
 医者は薬の処方箋などを残し、死んでしまったが暫くはそれを使って弟子達が治療をしていた。
 しかし、時間がたつと弟子達も死に絶え処方箋をどのように使うか誰もわからず、死人に向かって処方箋を唱えたりしておる。
 そこへ新しい医者がきて処方箋を正しく使い、治療をはじめる。
 本当に賢い者はそれを試し、確かに病が無くなるのを体験し、確かに医者であると気づく。
 しかし、賢いつもりの者は医者がいう事を試しもせずに、あいかわらず役に立たない薬の処方箋だけを記憶して、それが正しいと思い込んでおる。

 医者とは目覚めた者の事であり、処方箋とは苦を滅する道であり、病にかかっているのは一切衆生といえよう。
 賢い者は新しく来た者の言うことも己で試し、その正しさを知る事が出来る。
 賢いつもりの者は試しもせずに、己が記憶したものだけが正しいと何の効果も無い処方箋に騙されているものじゃ。
 苦を滅する事の出来ないものを騙されて正しいと思い、苦を滅する事の出来る法を知らず、試すことも出来ないのは正に滑稽な喜劇としか言いようが無いのじゃ。 
 自ら試し、自ら何が正しいか確かめるのが真の賢者の道と言うものじゃ。
 おぬしにはその道を行く事が出来るじゃろうか?

53 :避難民のマジレスさん:2011/05/27(金) 21:41:00 ID:TqPtxi3E0
>>52
じぶんが正しいっていう妄想だなw

54 :ろんどん:2011/05/27(金) 23:40:44 ID:BIhnCgkQ0
>>52
えらく長い長文だなw
顔真っ赤になってないか?
数息観でもするが良かろうw

55 :ろんどん:2011/05/27(金) 23:44:10 ID:BIhnCgkQ0
上座部本家のヴァバサナー瞑想もここ数世紀の創作品らしいな。
釈迦のいう修行法ってなんだろうなw

57 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/28(土) 20:23:14 ID:hMlmt1ok0
>>53 それもじぶんが正しいっていう妄想という妄想じゃのう。
 おぬしの番じゃ。
 じぶんが正しいっていう妄想という妄想という妄想とかいうとよかろう。わっはっはっは。

>>54 長いから長文と呼ぶのじゃ。
 わしの言葉を鵜呑みにしてはいかんのう。
 自ら確かめるのじゃ。

>>55 そうじゃ、今世間に流布しているヴァバサナー瞑想とかいうものも縁起の観察を知らず、四諦も知らない。
 それらが単なる知識と思っておる。あきらかにおかしいものじゃ。

58 :避難民のマジレスさん:2011/05/28(土) 20:36:25 ID:TqPtxi3E0
>>57
ほらまた妄想してるw
俺は自分が正しいなんて一言も言ってない。
あんたが自分はいつも正しいと妄想してると言ってるだけだよ。

61 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/05/29(日) 19:38:29 ID:hMlmt1ok0
>>58 おやわしもおぬしが、自分が正しいと言った、とはかいておらんがのう。
 おぬしの書いたじぶんが正しいっていう妄想という言葉が妄想と書いただけじゃ。
 日本語の勉強とかをするとよかろう。
 そして修行じゃ。
827 :避難民のマジレスさん:2011/10/29(土) 22:18:37 ID:geVdj2Jc0
鬼和尚様お久しぶりです。

経典の解説をお願いします。

「毒矢のたとえ」として有名な箭喩経です。

828 :避難民のマジレスさん:2011/10/29(土) 22:23:31 ID:geVdj2Jc0
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/malunkya.html
心にしみる原始仏典

833 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/10/30(日) 20:31:42 ID:hMlmt1ok0
>>827>>828 善い経じゃ。
 この経で二つ大事なことがわかるのじゃ。
 お釈迦様は思想や哲学を語る者ではなかった事。
 お釈迦様の教えは一つの見解や知識ではない事じゃ。

 何かの思想や哲学や知識や見解を持つ者ならば世界は永遠とか、無限とか様々に思想哲学見解知識が在るじゃろう。
 お釈迦様にはそのようなものは無かった。
 それによってお釈迦様は哲学者や思想家ではなく、精神的な指導者であったとわかるのじゃ。
 真の賢者には一定の見解や思想などはないものじゃ。
 思想も無く一定の見解も無く、臨機応変であるのが賢者の智恵というものじゃ。

 そしてお釈迦様の教えがそのような見解や知識ではなく、実践し修めるべき方法である事も表されておる。
 苦が在る、苦の集積がある、苦の破滅が在る、苦滅の道が在るという事は知識ではなく、見解でもなく、実践するべき修行の方法であると明らかに示されているのじゃ。

 お釈迦様は世界が永遠とか無限とかは説かなかった。
 故に教えの通りの清浄行とは、そのような見解を持たず、苦を滅する道を実践する事が正しいと言えるのじゃ。

834 :避難民のマジレスさん:2011/10/30(日) 21:29:43 ID:geVdj2Jc0
>>833
解説ありがとうございました。

では、お釈迦様の言われたとおり苦集滅道を実践し修めたのなら、マールンクヤプッタの
『永遠であるのは世界である』とか
『永遠でないのは世界である』とか
『有限であるのは世界である』とか
『無限であるのは世界である』とか
『命と身体は同じである』とか
『命と身体は異なっている』とか
『如来は死後に存在する』とか
『如来は死後に存在しない』とか
『如来は死後に存在しかつ存在しない』とか
『如来は死後に存在するのではなく存在しないのでもない』

この様な思想哲学見解知識は「無くなる」というのが、ゴール地点なのでしょうか?

この様な思想哲学見解知識が「明確になる」ことは、修行の成果として無いのでしょうか?

ご教示ください。

842 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/10/31(月) 20:19:54 ID:hMlmt1ok0
>>834 そのような思想哲学見解知識を保持しなくなるのじゃ。
 どのようなものでも思想哲学見解知識が在ると言う事は、心の中に記憶によってモデルを作り、それによって世界などを解釈し、言葉やイメージを投射するものじゃ。
 それは実際の現実を見ず、心の中の言葉やイメージによって行動する事になるのじゃ。

 本来は小石一つも言葉やイメージによって表されず、解釈できないものなのじゃ。
 世界はこのようであるとか、かのようであるとかは、言葉として在り得ないのじゃ。
 どのようなものでも、思想哲学見解知識そのものを受け入れたり、保持しなくなるのが正解じゃ。

843 :避難民のマジレスさん:2011/10/31(月) 22:05:25 ID:geVdj2Jc0
>>842
回答ありがとうございました。

逆に言えば、思想哲学見解知識は言葉とイメージに依って成る。
それは、個人個人で様々であろう。
思想哲学見解知識に依っては、小石一つでさえ本来の在り様を語ることは出来ない、と言う事ですね。

四諦を実践することで、思想哲学見解知識に囚われなくなり、苦は滅すると理解しました。

最後に、この箭喩経でお釈迦様が喩えた「毒矢」とは、何だったのでしょうか?

847 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2011/11/01(火) 19:52:00 ID:hMlmt1ok0
>>843 それは老病死、その中でも死というものじゃ。
 死は誰にでもいつかは訪れるものじゃ。
 一切衆生は生まれた時から、いつ効くかわからない毒矢に刺されているとも言えるじゃろう。

849 :避難民のマジレスさん:2011/11/01(火) 21:53:04 ID:GnhzcZis0
>>847
ありがとうございました。

853 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 19:35:16 ID:hMlmt1ok0
>>849 どういたしまして、またおいでなさい。
892 :龍華:2012/09/11(火) 21:40:13 ID:kl1CR23s0
鬼和尚がなんでもかんでも妄想妄想云うから、最近は妄想ではない考えとはドレなのか判らなくなってきました。

私があるから 私があると思うのか
私があると思うから 私があるのか
私が無いと思うから 私があるのか
私があると思わなければ 私は無いのか
私が思わなければ 私は無いのか
私が無ければ 誰がいるのか
誰が私なのか 私とは何時のドレなのか

望遠鏡で自分の顔を探すようなモドカシさを感じます。

902 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2012/09/12(水) 20:33:33 ID:kaXJvxhM0
>>892 全部妄想で良いのじゃ。
 自分だけでなく、全ては思考によっては捉えられないものじゃ。
 何物かについての思考が真実であると思うのが妄想なのじゃ。
 と書くとこの言葉も妄想なのじゃ。

903 :龍華:2012/09/12(水) 21:37:42 ID:kl1CR23s0
>>902 鬼和尚
やはり全部妄想と云われると思いました。なにか真実的な何かを掴みたいのです。あるいは思考が無くなればいいのに。

『存在に無を観て、その中に入っていくと良い。何かが観えるかも知れんのじゃ。 (12/03/01)』
という宿題もまだできてません。


そして問答(雑談かな?)を始めると問答に安心し逃避してしまう心を観測。

926 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2012/09/13(木) 20:33:44 ID:kaXJvxhM0
>>903 真実とは実は目の前に幾らでもあるものじゃ。
 流れる雲も、路傍の石も思考なくして眺めれば真実そのものなのじゃ。
 思考は記憶によって心の中に、擬似的な言葉とイメージの観念創り、を操るものじゃ。
 それは思考の対象そのものではない故に、常に真実ではありえないのじゃ。
 それに気づけば、思考の無い状態が真実を知る事の出来る瞬間と知るじゃろう。

938 :龍華:2012/09/14(金) 19:09:42 ID:kl1CR23s0
>>926 鬼和尚
頭ではわかるのですが、腑に落ちるというか体験的な気づきには至りません。
長いこと坐っていても快とか不動心とか得られません。感性が鈍いのでしょうか?たんに集中力が少ないのでしょうか?

数年前に一度だけ、「1Rの部屋の空気(空間)」と窓(網戸)の「外の大気」の2つの意識みたいなものは感じたことがあるのですが
でも最近は何も起きないので他の煩わしい問題と相まって変化の無さに焦っているようです。

939 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2012/09/14(金) 20:42:39 ID:kaXJvxhM0
>>938 そのような時期も実際は進歩しているものじゃ。
 日記などをつけているとわかるのじゃ。
 時々自然を観察してみると良かろう。
 集中力や観察力があれば人の手にかからないものでも驚くほど巧緻に創られているのがわかるじゃろう。

976 :龍華:2012/09/19(水) 21:14:49 ID:kl1CR23s0
>>939 鬼和尚
あありがとうございます。
流され易く他の影響を受け易い性格なので、変化だけはしょっちゅうしているのですが、進歩とはどんなものかわかりません。
中高生がスポーツや楽器等で進歩上達の差をTVで見ていると不思議でしょうがないです。
 今書いて気付きましたが、もしかしたら自分の変化に対しブレーキ、リセット、ものぐさ、等を使って
 自分が伸びるのを意識の奥でわざわざ抑制している感じがしました。理由は不明。

時々自然を観察して日記を付けてみます。

983 :鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2012/09/20(木) 20:15:08 ID:kaXJvxhM0
>>976 進歩を恐れる者は多いものじゃ。
 記憶によって自分というものが、このようんな性格であるものとか、このような感覚を持つ者であると、認識している故に、変わってしまうと自分が自分ではなくなるような恐れを生じるのじゃ。
 実際には全てのものは変化していくのであるがのう。
 記憶による自我に執着する者は、苦しみさえも手放そうとしないのじゃ。
 今までと同じ苦を抱えているのか゛自分であると思っているからのう。
 進歩を抑制する原因を己の中に探すのじゃ。