隠れ名盤 世界遺産 01 「晩祷」(ラフマニノフ作曲、スヴェシニコフ指揮) | 「道草オンラインマガジンonfield」[別館]

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ラフマニノフ作曲「晩祷」

(ソビエト国立アカデミーロシア合唱団)

指揮:スヴェシニコフ

RACHMANINOV : VESPERS(U.S.S.R. ACADEMIC RUSSIAN CHORUS)

conductor:ALEXANDER SVESHNIKOV

1958年作品

 

思わず武者震いするほどの重厚・荘重なハーモニー

イデオロギーの壁を超えて受け継いでいきたい歴史的名作。

 

 晩祷と書いて「ばんとう」と読む。夜の祈り、という意味だろうか。クラシックでは唯一、30年間聴き続けている名作中の名作を紹介したい。

 

 僕はもっぱら流行音楽が主戦場で、クラシックに深い造詣はない。もちろん、ベートーベンやモーツァルトの一部の曲には世間の人々同様に耳なじみがあるし、個別の作品で言えば、先頃J-POPでカバーされた「惑星(ホルスト作曲)」とか、70年代にロングセラーになったイ・ムジチ合奏団の「四季(ヴィヴァルディ作曲)」などは、まあ好きな作品ではある。だが、自ら進んで聴くほどクラシックファンとは、とても言い難い。

 

 それでも、一時期クラシックを好んで聴いた時期はあった。それは高校時代、男声合唱のクラブに入っていた時代である。それなりに楽しかったクラブ活動のなかで、自ずと声楽曲には関心を向け、オペラ「カルメン(ビゼー作曲)」とか、「メサイア(ヘンデル作曲)」、「グローリア(ヴィヴァルディ作曲)」などはよく聴いた。今でも、クリスマスが近づいてくると「ハーレルヤ!」でおなじみの「メサイア」のフルバージョンが時おり聴きたくなる。

 

 「晩祷」という作品名も、作曲者のラフマニノフも、ソビエト国立アカデミー・ロシア合唱団という合唱団もまるで知らなかった僕がこの作品と出会ったのは、都道府県別の合唱コンクールに出場した際、そのパンフレットに掲載されていた広告である。まず、旧字体を意図的に使った印象的なジャケットデザインに引かれ、2枚組の高価なレコードではあったけれど、バクチ気分で買ってみた。そして何の期待も、先入観念もなく盤に針を落として、その歌声にぶったまげたのだ。

 

 男女混声合唱の場合、音程の高い方からソプラノとアルト(以上、女声)、テナーとバス(以上、男声)の4つのパートに分かれる。僕は男声合唱でバリトンという、簡単に言えばバスの一種に属していたわけだが、「晩祷」で流れてくるバスの低音がハンパじゃないのだ。もちろん、ダークダックスであれ、シャネルズであれ、バスを担当する男たちの声は低くて魅力的なのだが、それが段違いの音程の低さ、段違いの響きなんである。人間技とは思えないほどの低い音程が、地鳴りのような響きで五臓六腑に響いてくるんである。

 

 野太い、余りにもどっしりとしたバスがハーモニーの礎をがっちり守り、これに伸びやかなソプラノやテナーがグイグイ絡んで、4つのパートがくんずほぐれつメロディを織りなしていく。時には数多の群衆が目前にどどど!と迫ってくるように、時には地平線の彼方へ人影が消え行くように、時には天女が空を舞うような感じで、360度視界が見渡せるパノラマチックな光景が目に浮かんでくる。そして不思議なことに、僕が誘われる別世界は、いつも決まってソビエトの大平原なのだ。

 

 ソビエトの大平原なんて、行ったこともないのだが、バスの歌声はゴーッと鳴り響く雪嵐を思わせ、テナーは優しいそよ風、アルトはほの暖かい陽光、ソプラノはゆらゆら揺れるオーロラにも似ている。零下数十度にもなるソビエトで生まれ育った作曲家だから書け、ソビエトで生まれ育った声楽家だから歌える作品になっているという点で、あまりに見事な風土密着型作品ではないか。ちなみに、何の事前知識もない連れ合いにこの作品を聴かせたところ、「何だか部屋が寒くなってくる」と表現したのには笑ってしまった。おかげで、冬場に自宅でこの作品を聴くことは、御法度となってしまったのだが……。

 

 この作品は、ソビエトが元気だった1958年の録音である。日本盤のLPが発売されたのは、たぶん1975年頃で、それなりに話題を呼び、クラシック系の雑誌で年間ゴールドディスク賞か何かに推挙されたことを覚えている。クラシックとしては、セールスもまずまずだったはずだ。アナログ盤がぞくぞくCD化されるご時世のなか、この作品も1986年に早々とCD化された。だが、何故か今は廃盤になっているようだ。他の合唱団が抜粋版「晩祷」のCDを出していたので聴いてみたのだが、このソビエト国立アカデミー・ロシア合唱団のような重厚さや粘りは微塵もない。まるで、別の平凡な合唱曲にしか聴こえなかった。

 

 それなりに国策でできたであろう、この合唱団の「その後」はよくわからない。70年代に何度か来日したことは知っているが、80年代以降はソ連の失速とともに解散してしまったのだろうか。彼らの歌声を受け継ぐ合唱団が、今も残っていることを願うばかりだ。

 

 「カチューシャ」や「カカリン」などのロシア民謡(声楽曲)に、ある種の感慨を持つ人々は、かつて多数いた。それは「歌声喫茶」に集まる人々であり、ソ連の社会主義体制にシンパシーを感じた人々である。ソビエト国立アカデミー・ロシア合唱団も、そうした人々がファンの多くを構成していたのだろうと思う。

 

 だが、東西冷戦時代が収束に向かい、共産主義や社会主義の失敗が明らかになるにつれて、ソ連の文化や政治体制を積極的に支持する人々の姿は見えなくなり、この合唱団への関心も自ずと薄れていったように思う。僕個人は、思想的な部分には何の関心もなく、ただただ、この作品が好きだっただけなのだけれど。イデオロギーのうねりのなかで、このまま埋もれてしまっては大きな損失である。そこで、「隠れ名盤 世界遺産」に登録させていただいた。

 

今でも鑑賞に耐える    ★★★★★

歴史的な価値がある    ★★★★★

レアな貴重盤(入手が困難)    ★★★

 

●この作品を手に入れるには……それなりに売れた作品なので、ある程度の量が中古市場に出回っているはず。クラシック系の中古レコード店をいくつか当たれば、何とか手に入るだろう。オークションでも、時々、出回っている。たぶん、CDよりもアナログ盤の方が入手しやすい。

 

【世界遺産登録 05年06月13日】

 

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※2005年6月13日に掲載した当時の原稿をそのまま再録しています。

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2023年2月時点ではサブスクで聴くことができます。

 

Apple Musicでリンクし直しました(2023/12/16修正)