さて、東京では台風が過ぎ去りました。
テレビやラジオを情報として見聞きし、台風がいろいろな影響を及ぼしているようですが、日本を全体としてみて見ると、被害に遭われた方々には大変失礼な表現にあたるかもしれませんが、できる限り大難が小難に抑えられた、そういう感覚も正直あります。被害に遭われた方々には申し訳なく思います。
「来るぞ!来るぞ!」と煽られているような感じがあって、それに対し、「いや、小難に、できるだけ被害が少なく抑えられる。」と大袈裟ですが、そう思ったり、空に向かって念ずる僕らもいる。「台風さん、お手柔らかにお願いします。」なんて。
皆ができるだけ無事に、この台風をやり過ごせるように、細心の注意を払いながら一日仕事をしていました。
車で移動中、幹線道路はいつもより空いている箇所もあり、移動はスムーズでしたが、少々気が荒立った運転も見受けられました。台風の風で煽られて運転がままならないことも中にはあったのだろうと思います。最近、都内の運転もガソリンコストやエコの意識なのか?やさしい運転が多く見受けられるのは傾向としてありますが・・・。それでも荒い運転の方も中にはいますね。どちらかというと私の目に映るのは、やさしい運転の方々が多くなったと思うのですが、どうやら両極端に分かれているような感じもします。そんなことを車の窓ガラスをまるで映画のスクリーンのように客観的に観ている僕がいたりしますが。
話を戻しまして、都内では電車などの交通機関がストップするなり、早朝から通勤通学でとても通常の精神状態ではいられないことも多々あったと思います。どうぞ、早くおうちに帰るなり、温かいお風呂に入るなり、仲間と食事するなり、今回の台風で穏やかならぬ感情になってしまったものを、皆さん、うまく鎮められますように、そう思っています。
まだまだ台風は移動中とのことですが、勢力は弱まりつつあるようです。東北北海道方面でもうまく逸れますように。
きれいになった日本、台風一過、また始まりますぞ!!
僕の人生において
音楽
そして
ピアノ
今の僕を醸し出す
そんな香水のような存在
多感な10代
ピアノの曲
楽譜1曲、1曲
弾きこなせるようになるたびに
何か変わってゆく自分がいた
新しい曲を弾き始めてみよう
何か変わるかもしれない
何か発見するかもしれない
何か思い出すかもしれない
10代の頃に弾いていたあの曲も
この年になって弾くと
違う音色に聴こえるのだろうな
人生って
感情って
人間って
音楽で学んだような気がする
そう、もちろんこれからも・・・
高校生のとき
この曲のイントロを
ピアノで弾いていたのを思い出しました
夜の長雨
雨音に囲まれながら
楽器を奏でるのも
いいですよね
雨音って
心のどんな音でも
消し去ってくれるから
僕は好きだな
こういうことを経験したから今がある
どんなことでも
あとで振り返るとき
こういう経験したね、と
そう一段も二段も上から
俯瞰してみている自分に・・・
必ずなりますよ
最近読んだ本はこれ。
まず、植芝盛平先生、そして中村天風先生のことに触れている。
もちろん、自分の人生を絡めながら。
読み進めると、この藤平光一先生の文章、なんとなく似ているなと思ったのが、
福沢諭吉の福翁自伝の文体に似ている。
どことなく親しみの持てるような言い回しや笑いを誘うような内容、
何か共通点があると思いきや、藤平先生も三田の学校を卒業されているそうだ。
まさか意識して書かれているとは思わないが、福翁自伝は一度はお読みになられたことだろう。
御仁が戦争に行ったときのこと。
『もしも天地に心があるのなら、私が天地に修行させられたのなら、ここで死ぬわけはないじゃないか、と。私はこれまで修行をしてきたが、まだ何もいいことをしていない。今ここで死ぬくらいなら、初めからそのような修行など意味がないはずだ。意味がないのに、このような修行などがあるわけがない。修行には必ず何か意味があるはずだ。
よし、それならば、天地に心があるのかないのか、私の体で試してやろう-その瞬間から、もうやめた、座禅なんかやめたと言って、ぐっすり(戦地で)眠るようになった。ところがそうなると、翌日から弾丸など氣にならなくなる。・・・・つまり私の心がそれまではマイナスだったのである。・・・天地に心があるのなら、ここまで修行を続けてきた私を殺すはずはないし、弾丸など当たるはずがない。』
『もしもそれでわからなかったなら、正直に「わからない」と言えばいいのである。そういうふうに腹を決めたとたん、氣が楽になった。自分で天地の理に合わないと思ったらことなら、やめればいいだけのことなのである。』
最後のページに、
『この困難を避けてしまう人が多い。言い訳や弁解をしているうちは人間は伸びないということは、まさにこれなのだ。疑われても、馬鹿にされても、じっと自分が正しいと思ったことを続けていれば、いずれは分かってもらえる。それが私の一生であり人生だ。』
この『私』を『日本』に置き換えることができないだろうか。
そしてまさにこれから日本は御仁の人生のようになってゆく、そう合点がいった気持ちでこの本を閉じた。
- 中村天風と植芝盛平 氣の確立/藤平 光一
- ¥1,680
- Amazon.co.jp
まず、植芝盛平先生、そして中村天風先生のことに触れている。
もちろん、自分の人生を絡めながら。
読み進めると、この藤平光一先生の文章、なんとなく似ているなと思ったのが、
福沢諭吉の福翁自伝の文体に似ている。
どことなく親しみの持てるような言い回しや笑いを誘うような内容、
何か共通点があると思いきや、藤平先生も三田の学校を卒業されているそうだ。
まさか意識して書かれているとは思わないが、福翁自伝は一度はお読みになられたことだろう。
御仁が戦争に行ったときのこと。
『もしも天地に心があるのなら、私が天地に修行させられたのなら、ここで死ぬわけはないじゃないか、と。私はこれまで修行をしてきたが、まだ何もいいことをしていない。今ここで死ぬくらいなら、初めからそのような修行など意味がないはずだ。意味がないのに、このような修行などがあるわけがない。修行には必ず何か意味があるはずだ。
よし、それならば、天地に心があるのかないのか、私の体で試してやろう-その瞬間から、もうやめた、座禅なんかやめたと言って、ぐっすり(戦地で)眠るようになった。ところがそうなると、翌日から弾丸など氣にならなくなる。・・・・つまり私の心がそれまではマイナスだったのである。・・・天地に心があるのなら、ここまで修行を続けてきた私を殺すはずはないし、弾丸など当たるはずがない。』
『もしもそれでわからなかったなら、正直に「わからない」と言えばいいのである。そういうふうに腹を決めたとたん、氣が楽になった。自分で天地の理に合わないと思ったらことなら、やめればいいだけのことなのである。』
最後のページに、
『この困難を避けてしまう人が多い。言い訳や弁解をしているうちは人間は伸びないということは、まさにこれなのだ。疑われても、馬鹿にされても、じっと自分が正しいと思ったことを続けていれば、いずれは分かってもらえる。それが私の一生であり人生だ。』
この『私』を『日本』に置き換えることができないだろうか。
そしてまさにこれから日本は御仁の人生のようになってゆく、そう合点がいった気持ちでこの本を閉じた。
時間が止まったら
物事、情勢をいい方向に進むように
変えてみたい
これって人間のエゴなのかもしれないけれど
高位の存在からは
そんな人間の一生、短時間で
簡単に書き換えるな・・・とお叱り受けるのかな?
でも、たとえば政治・世界情勢で
世の中が明らかに良くない方向へ進む行動、文書があれば
状況変えちゃったり、燃やしちゃったり、書き換えちゃったり
それができる人間が世界に10万人
いるとすれば
その10万人が
時間が止まっている間に
一斉に作業すれば
なんだかできそうな気がします
世界が変わりそうな気がします
止まった時間から再び動き始めて
みんなは「何かおかしいな」と首ひねりながら
書き換えられた良い方向へ進む文書を手にして読んでいる
そりゃそうだ
当人達には時間が止まっていたという感覚がないのだから
僕はそのテーブルに同席して
皆がざわざわしているのを心のかなでニヤリとして
出されたコーヒーを飲んでいる
ただの妄想
そう
ただの男さ
こんなことを書いている僕がいる
僕には今、日記の文章を続けて書いているつもりでも
もしかしたら、時間が止まっていたのかもしれない
書きたい内容があったのに
こういう内容になってしまったのかもしれない
もしかしたら
時間が止まって動いて
止まって動いて・・・
これの連続かも
それが人間の選択
意識の選択
次に進むべき世界に関わっているのかもしれない
そうであれば
よい世界に進むように
選択したほうがいいよね
~~~
幻でかまわない
時間よ止まれ
生命の
めまいの中で
~~~
僕は学生のとき
『悲しい恋からの脱出法』
というA面30分、往復60分の
オリジナルカセットテープを
曲と曲の間を途切れなくつなげて作ったことがある
そんなことを思い出しました
もちろん、そのときに失恋したからだ
ただ、大失恋というのはしたことがない
もしかしたら大失恋というカテゴリーに
入るのかもしれないけれど
僕自身、そうは思っていない
でも
情報伝達の進化というか
インターネットの発明~普及で
まさかフラれた彼女の今を
知るなんて・・・
こんな世の中になるなんて
そんなこと当時知る由も無く・・・
その後、そのテープ
失恋した友達がいる度に
ダビングして配って渡した覚えがあります
別に人のさびしい気持ちを利用したわけでもなく
たまたまそういうオリジナルテープを作るのが好きだった
でも友人たちからは結構評判よかった
A面で泣くだけ泣いて
B面から新しい自分になった
終わりの方では盛り上がっている自分がいる
そうイメージして作ったんですね、当時
今だったらレコード会社やレーベルが垣根を越えて
あるテーマに沿ったオムニバスCDを作っているので
提案したら商品化していたかもしれない。
ちょっとトレンドを先読みしすぎたか・・・
失恋なんてしばらくしていないけれど
多分、もうしないかもしれないけれど
ひと夏の恋に疲れた方
もしよかったら 音 the earth-悲しい恋からの脱出方法
企画するかもしれませんので
聞いてみてください
なんてね・・・
失恋
これを聞いて明るい気持ちになる人ってなかなかいないと思うけど
今ならこの言葉
ただの言葉であって
プラスマイナス・ゼロ
それにプラスするかマイナスにするかは
それぞれの人次第なのですね
そんなこと言われたって
胸にポカンと空いて
冷たい秋風がスースーするような気持ちに
なってしまいそうですよね
そういう気持ちも経験するのは必要なのでしょう
涙するのも必要なのでしょう
この曲
言ってみれば 男の未練・・・
付き合っていたら
あれもしたかった
これもしたかった
これは伝えたかった
いっぱいいっぱいあったな
これ伝えていれば
フラれなかったかもしれない
そういう思いがたくさんある
この曲
聴きながら
口ずさみながら
たくさん泣いたっけな
先日、立て続けに電球が切れました。
パッ、バチって。
電球が切れるその一瞬の手前
要は、寸前なのですが・・・
スイッチを触れるそのとき
「あっ、これでスイッチ触ったら電球が切れるな。」
って、本当に一瞬の出来事なのですが、分かるのですね、不思議です。
これも人間が持っている
ささやかな予知能力でしょうか。
たとえば変な話題ですが、
ぎっくり腰を何度もやる方は
そのぎっくり腰になる
まさに寸前で
「あっ、ぎっくり腰やっちゃいそう。」
って思う、つまり認識するようですね。
そういう方も中にはいるそうです。
人間って予知能力
みんな持っているようですね。
とても面白いです。
予知能力
寸前ではなく
もう少し前もって気づくことできないのかな。
でも
同じ日に
立て続けに電球を切らしてしまったのは
よくわからないのですが
仮に自分の念がそうさせているのなら
よくない想念だったのだろうか
気をつけなければいけませんね。
その現象にいいもわるいも判断つきませんが
何かの気づき、サインかもしれないと
面白おかしく思ってもいいのかもしれませんね。