- 中村天風と植芝盛平 氣の確立/藤平 光一
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まず、植芝盛平先生、そして中村天風先生のことに触れている。
もちろん、自分の人生を絡めながら。
読み進めると、この藤平光一先生の文章、なんとなく似ているなと思ったのが、
福沢諭吉の福翁自伝の文体に似ている。
どことなく親しみの持てるような言い回しや笑いを誘うような内容、
何か共通点があると思いきや、藤平先生も三田の学校を卒業されているそうだ。
まさか意識して書かれているとは思わないが、福翁自伝は一度はお読みになられたことだろう。
御仁が戦争に行ったときのこと。
『もしも天地に心があるのなら、私が天地に修行させられたのなら、ここで死ぬわけはないじゃないか、と。私はこれまで修行をしてきたが、まだ何もいいことをしていない。今ここで死ぬくらいなら、初めからそのような修行など意味がないはずだ。意味がないのに、このような修行などがあるわけがない。修行には必ず何か意味があるはずだ。
よし、それならば、天地に心があるのかないのか、私の体で試してやろう-その瞬間から、もうやめた、座禅なんかやめたと言って、ぐっすり(戦地で)眠るようになった。ところがそうなると、翌日から弾丸など氣にならなくなる。・・・・つまり私の心がそれまではマイナスだったのである。・・・天地に心があるのなら、ここまで修行を続けてきた私を殺すはずはないし、弾丸など当たるはずがない。』
『もしもそれでわからなかったなら、正直に「わからない」と言えばいいのである。そういうふうに腹を決めたとたん、氣が楽になった。自分で天地の理に合わないと思ったらことなら、やめればいいだけのことなのである。』
最後のページに、
『この困難を避けてしまう人が多い。言い訳や弁解をしているうちは人間は伸びないということは、まさにこれなのだ。疑われても、馬鹿にされても、じっと自分が正しいと思ったことを続けていれば、いずれは分かってもらえる。それが私の一生であり人生だ。』
この『私』を『日本』に置き換えることができないだろうか。
そしてまさにこれから日本は御仁の人生のようになってゆく、そう合点がいった気持ちでこの本を閉じた。