ぐるぐるノート 〜 中庸、循環、直観、直感と凸と凹 -40ページ目

ぐるぐるノート 〜 中庸、循環、直観、直感と凸と凹

その奥の奥の向こう側へ、立体的に☆☆☆なんてことない思いつきをこのぐるぐるノートに書き留めておきます☆☆☆


派手な人生は派手な人生のまま終わらない


足りている喜び

慢心せず生きてゆこう



地味な人生は地味な人生のまま終わらない


今あるこの状態は長く続かないから

いちいち気にしない



人生には分岐点がいくつもあるんだな・・・たぶん

昨日、内容に良いも悪いもありませんから、書きたい内容をブログに残しておけばいい、そんなことをこの日記に書き残しました。これに対して、お読みくださった方からコメントいただいたわけでもないのですが、自分の心の水面からふつふつ湧いたことがありましたので、続けて残そうと思います。

掲載している内容にそれを読んでいちいち反論する必要は無い。反論する気持ちが有るということは、その書かれた内容と自分の持っている感情、色、匂い、氣、領域、波動、周波数、そのようなものが違うからだ。

であるならば、自分の意向に合わないときは、他人のブログは参照しなければよく、自分に馴染むと感じたブログを参考にして動けばよい。

一時、自分とは肌の合わないブログだと感じても、大枠では同じ方向に向いているはず。これに気づくのがどうも重要な感じがします。

株価や為替のチャートをご存知の方なら分かると思いますが、1分足、1時間足、日足、月足・・・のようにある時間を区切ってどのように数値が移動しているかがわかる資料がある。

つまり、他人のブログを読んで肌に合わないと思っていたのが1分足の時間枠だと仮定する。自分は上方向だと思っていたところ、他人のブログは下方向を目指したブログだった、だから肌が合わないと感じた。ところが、週足や月足やそれ以上の時間枠の数値で変化を見ていると、実は小刻みで下方向へ移動していくように見えた数値は、実は大枠では上向きに向かって、その上向きの上の壁と下の壁(床)の数値の範囲内で単に入ったり来たり上下運動していただけなのである。

だから、個人が肌に合わないブログだと感じてみたところで、大枠では方向性は変わりない。

つまり、個人個人が肌に合うブログを読んでそのとおり同意して楽しめることができれば、結果的に大枠のベクトルがさらに上向きに引き伸ばされることになる。別にブログに限ったことでもなく、たとえば、交友関係、ご近所問題などなど・・・。気になるかもしれないけれど、いがみ合わない、楽しめるもの同士が楽しむことで、小さいエネルギーの放出で大きな運動を起こせることができるはず。これは合気道にも通じているかも。あ、「合気道」という言葉、「気が合う人々が共に進む道」なのか???

1分足の目線で合う、合わないを議論、戦うよりも、各々が合う人々と嬉々として動いていれば、よっぽど楽だし世の中うまい具合に回ると思う。

光や闇、プラスやマイナス、そういったものがどっちが良い悪い、押し合い圧し合い、結局そういう行為自体、みんな同じ方向に実は向かっているんですね。押し合い圧し合いをしてエネルギーを生み出して目標に向かっている。だから、各論でいけば、肌が合わない、ところが総論でいけば、みんな協力してひとつの目標地点に向かっている。そう言えると思ったのです。

であるならば、とにかく、僕らはクラスターの最小単位。目の前のことをやって、手を広げて触れる人が居て、その人と合うと思ったら、手をつなげばいいのかも知れません。それが大枠での方向性を動かしていることになっているのですから。

上の文章、てにをは、くどく重なる表現が多いので、読み返して修正しようと思ったのですが、自分が納得する為に、頭をめぐらせて初めに書いた文章の方が良いかと思いまして、そのままこの日記帳に残します。ここまで一気に書くと、自分の中の矛盾したものがふつふつ沸いてくるものです。書き直したくなる気持ちもあります。それがまた人間の心の面白いところだと思っています。

理解不能かと思われますが、駄文、ここまでお読みいただきありがとうございました。

ブログというのは、心の水面からふつふつと泡が膨れ上がって、それが噴水のごとく湧き上がる、そんな内容を文字にしている、そんな気がします。書きたい、書かなきゃ、もしくは、背中を押されて書かされている、そんな状態も有ろうかと思います。どんな状態であっても、何かをブログに残しておきたい、そんな僕らの気持ちはとても大切だと思っています。書いた内容に言いも悪いもありません。書き残しておく、これが大切なのかも。

very nice japan 日本ってなんかいいよね

そんな感覚が世界に、地球に、宇宙に伝わって広がればいいですね。

very nice japan
以前、下記のような日記を残していた。


まるで別人の私だが、

これも私。というあいまいな存在。


多分そのときに飛んでいる大縄跳びのグループが違うだけなのだろうか。

基本的にはシナリオどおりだと思う。



最近、ものは生きているという実感があって、

タイミングよく、ほかの方々も同様な記事をブログに掲載されているので、

やはりあたらずも遠からずで間違ってはいなかったのだろうか。


丹精込めて作れば、そのモノたちは喜んで世界へ飛び立つ。

イヤイヤ面倒くさそうに作れば、その気持ちが入ってなかなか売れなかったり、

返品されたりするのだろう。


出荷するとき、トラックに積まれたとき、

手を合わせて、パンパンと拍手を打ち、

「帰ってくるなよ!」と深く念を捧げる。

そうすると、なぜか商品たちが喜んで世界へ飛び立ち

買ってくださった人々に可愛がられ、喜ばれ、

モノの自分たちの使命を全うするようである。

ゆえに、出荷元に戻ってこないのである。

とても不思議なこと・・・

今の世の中ではもう当たり前の感覚かも知れませんが。

家の中にあるモノで、触れずに動かなかったり

なかなか処分できないものってあると思います。

けれども、そこから感じない、使わないモノがあれば、

どんどん処分してあげたほうがいい。

そうすれば、処理場で一旦焼却されても

いろんな形で再生されるから

そのほうが水を得た魚のように喜ぶはず。


本当にその人にとって必要なものは

また目の前に現れます。

探しているものでなくとも

目の前に現れます。



2008-12-15 19:19:11

なぜ、物持永太郎シリーズをやったのか

テーマ:自分を気づき築く


だって、捨てることができなかったんだもん(笑

もう子供の時からレシートやら洋服のタグやら

記念のチケット、期限切れの割引券、商品のビニル袋・・・

あ~~っ。


買ったり、プレゼントされたりしたモノは、

だいたいその晩は一緒に寝てました・・・


それで、いざ不要になったとき、

なんか捨てるとかわいそうな気がしてさ。


けれど、あんまり捨てられないのも難なので

近年、「ありがとうございました」って言うようにはじめました。



そうするとなんとなく気持ちがスッキリするようになり

「大丈夫だよ、こちらこそ」みたいな声が聞こえて ←ウフフっ!

それで自分で納得してます、はい。

 ・・・あぁ、まるで、不思議ワールドに入っています、私・・・あははははっ


本当最近、ばっさばっさ捨てるのもようやくできるようになったけど

やっぱり小心者なので、ちょっと心が痛む時もある

まだまだ、実家の納戸にはお宝グッズがあるかも~~笑

手放したり、捨てちゃったりしたけど、ちゃんとリサイクルされろよ~



あっ、この日記、不思議ワールドですので適当にスルーしてください。