備忘録-100を分割分配移動 | ぐるぐるノート 〜 中庸、循環、直観、直感と凸と凹

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その奥の奥の向こう側へ、立体的に☆☆☆なんてことない思いつきをこのぐるぐるノートに書き留めておきます☆☆☆


人間って何やっているのかなって思うことがある。

飛行機に乗って上空から街を眺めていると、
車が走っていたり、工場か何かが稼動していたり、
畑が見えたり、ちっちゃく見える人が動いていたり・・・

走っているトラックが見えると、何をどこに運んでいるのかな?なんて思う。

絶対そうだとは言えないけど、
100在る物質を人間なり動物なりその他の生物や気象などが
細かくして単に移動させているだけなんじゃないかって思えました。

有形物、食べ物だってそうだ。
種が飛んできて、実がなって、それを食べて、排出して、土に栄養となって・・・
『腐る』ということだって、移動だと思う。放つ臭いも移動だ。

情報という無形物でも人から人に伝えて移動して運んでいるわけだ。
人が歩いて、出会った人と挨拶して、会話するというのだって、
もちろん情報を移動させていることだと思う。

日々の掃除だって、ごみとして認識している物質を移動させている。
そのごみという物質を違う物質に移動(再生)させる為に。

だから掃除って言うのは、気持ちも清清しくなるし、
物質をよい方向へ移動させているから、
それなりの見返りみたいなものもあるのだろう。

貴重な価値在るものに移動(再生)させることを、
人間が手助けというかやらなければいけないこととして
動いているわけだから。

そう考えると、トイレ掃除もきれいにしてゆくための
物体移動手助け行為だし、トイレ掃除するとお金が入るというのも
理解し易くなる。これはあくまでも僕の変人的考察だけどね。

こうやって、日々、移動行為(作業)をしていると、
掃除という行為が代表されるように、回り道があったとしても、
やがて地球もきれいに整ってゆくのだろう。

たとえるならば、ルービックキューブの色柄がめちゃくちゃだったのが、
だんだんと6面それぞれ同色できれいに整列されてゆくような、あの感覚。

つまり、元あったところに戻す行為。

その6面すべてきれいに揃ったら、地球はどうなるのだろうか。

時間の観念からすれば、地球がきれいに整うなんて
まだまだずっと先のことなのだろうけど、
その移動作業を指示している存在やら、いわゆるサムシンググレートやらが
面倒くさくてもうや~めた、なんて揃わないルービックキューブを
放り投げちゃうような状況になっちゃったらそれはそれでよくないので、
ちゃんと日々移動作業をやることにしよう。

ホント物質量100をみんなで細分化して移動させている行為なんだなぁ、
よくできた仕組みだって思います(笑。



『アンタ、ここまで長々話して、それって、つまりは循環だろ?』・・・

そういわれればそうなのですけど。


でも、それを上空から眺めて気づいたわけなんですよ。



手元にある物質はどんどん次にまわしてゆくこと。

不要なものはどんどん次にまわしてゆく。

身の回りのものを少なくする。


その循環を価値あるものにして如何に長く自分の所に
留めておくことをやっているのがいわゆる富豪。

お金持ちが決して幸せな人生や運命ではないのもなんとなくわかる。
滞留させることは、6面の色あわせに時間をかけさせている原因のひとつだから。

いずれ循環させるのであれば、循環ゲームなのであれば、
パッパッパッと循環させればいいんじゃないのかな。

けれども、そこに経験や感情が介入するから余計に複雑になったりしてゆく。
でも、その複雑になった結果を経験として
何か偉大な存在みたいなものは情報として欲しいのかな。

とにかく、決まった物質量をある目的の為に地球でみんなが移動させている。
それが目の前にあることを
あるがままに生きることと、まさに今を生きる。
そういうことに繋がるかもしれませんね、もしかしたら。