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仔羊の讃えうたは

キリスト教に獄中回心した、元・前科者の拙き者です。
獄中回心記を主に、日常生活の中で自分と闘う、人に優しいブログにしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

自戒 ー平成17年6月24日 独居室にてー
 
キャプチャ



同囚(ひと)は同囚(ひと) 自分は自分
自分には自分の道が在る
あせらず くさらず 一歩ずつ
明日に向かって進むのみ

驕らず 高ぶらず 自分勝手な感情に流されず
同囚(ひと)に向かって悪意を抱くな

自分が思うほど 同囚(ひと)は悪くはない
自分が思うほど 自分は善くはない

同囚(ひと)に悪意を抱けば その悪意は二倍となり
わが身に戻って来ると覚悟せよ

同囚(ひと)の噂ばなしの輪には入らず 口を閉ざし
同囚(ひと)の悪口語る輪には入らず 舌を滑らせず

それで面白くない奴だと反感を買い 同囚(ひと)は去り
たった独りになったとて 何が怖かろう

同囚(ひと)は同囚(ひと)
それ以上でもなく それ以下でもない

同囚(ひと)は決して親友とは成り得ず
・・・同囚(ひと)と親友とは全く違うこと・・・
それを肝に銘じて明日に備えよ

決して 自分の命の源である灯を消したりするな

魂の母が与えてくれた 
大切な 大切な命の道からはぐれるな

前向きに 前向きに 
現実をしっかりと見据えて 日々を送るべし。

「口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人を汚すのである。」
      マタイによる福音書 15章11節


 

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私たちにとって何が清く何が汚れているのかを問われている箇所です。
 
現在もそうですが、厳格な宗教社会に生きるイスラエルの人たちにとって、これは大きな問題なようです。

が、本来、ここで解かれる「汚れたものもの」「清いもの」とは、神との関わりのなかでの問題となるものではないかと、私は思います。
 
私の勝手な解釈で申し訳ありませんが、短的に言えば、神さまの目から見て忌み嫌われ,退けられるものが「汚れているもの」であり、そのような汚れがなくて、神に受け入れられるものが「清いもの」だと言えるのではないでしょうか。
 
宗教に熱心な人たちは、自分を清くするために最大限の努力をします。
このように、自分の努力で清くなった宗教者たちは熱心であればあるほど厳しく、清くない人たちを批判・中傷・軽蔑して退け、断罪します。
 
イエスさまの時代の律法学者やファリサイ派の人たちは、その典型ともいえます。
 
本来神さまとの関わりの問題である清さと汚れが、人を差別し、拒否して断罪する根拠になってしまっています。
 
現在ではそうした宗教的な差別は殆ど無くなっていますが、しかし現代社会でもなお、人種や身体的な障害・職業的な問題などで人を判断し、差別し、交わりを拒否することは多々あります。
 
だからこそ、この御言葉を真剣に聴かなければならないのではないでしょうか。

「口に入るものは人を汚さない。」
 
私は人が何を食べようが、身体にどのような特色や障害があろうとも、身体の外から入ったり見えたりするものは、人間の価値を低くしたり、神さまとの交わりを妨げたりは一切しないものだと信じています。

「口から出るもの」・・・それこそ人を汚すものではないでしょうか。
口から出るもの。
すなわち、それは「言葉」です。
言葉は心から出てきます。

自分は清い、立派だと自負する人が他人を軽蔑し、差別する言葉を発する時、それはその人の傲慢な心から出ているのではないかと思われます。

その傲慢な心こそが神さまが最も嫌われる「汚れたもの」だと言えるでしょう。

人間の悪は口であれ、行動であれ、全ては心から出ていて、それこそが人間を神さまの清さと栄光に値しないものにしていると思われてなりません。

「心から出て来るものが良いものだけ。」

という人は皆無ではないでしょうか。

カップの外側だけを清めて内側を清めず、ジュースなどを飲むという行為は愚の骨頂です。

人間は外面の行為を立派にすることにより心を清めることは出来ません。

外面を立派にすればするほど、心は自己中心の傲慢という悪に陥ります。
それは、自分自身の永年の悪の世界での体験でした。

人間の心を清めることが出来るのは神さまの御霊だけです。

御霊から出て来る信仰と愛と希望だけが清いのであり神さまに喜ばれ、人を完成に近づけます。

イエスさまのこの御言葉は私たちに語りかけます。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。」と・・・。

土くれに 過ぎぬこの身に 驕りなど

   有ってはならぬと 吾を戒む
 

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土にかえり
 
僕が死んだら 
公園の片隅に造られた 花壇の土に帰りたい
無邪気に遊ぶ 子どもたちの声を聞きながら
それを見守る母親たちの 笑顔を見ながら色とりどりの 綺麗な花を
いっぱい いっぱい 咲かせたい
 
僕が死んだら 
公園の片隅に在る ベンチの下の 土に帰りたい
心にキズを負った人たちの涙を
そっと そっと 受け止めながら
暖かく見守り 励ましてあげたい
 
僕が死んだら 土に帰って
今まで 憎しみや 怒りいっぱいの目でしか
観ることが出来なかった 人々を
いつまでも いつまでも
躓き倒れないように 精一杯 支えてあげたい 

 
2006 聖金曜日に 独居室にて記す