天におられます 私たちの神よ
私の半生はことごとく罪に穢れ 自分の欲求だけを満たし
人を傷つけ 満足して参りました
目の前にある 大きな愛にも気付かず
ひとりこうして償いの日を待つ今 やっと私自身の罪の重さと
罪の深さに気付きました

どうか 愚かなる私を
私の過去の 全ての罪をお赦しください
現在の この苦しみの時を 神の み恵による試練の時とするならば
主であるイエス・キリストが示された
愛と信仰と赦しにより
乗り切れるはずだと信じます
どうか 罪深い私に 神さまの僕となれますように
そして そして
イエスさまの名により こころ満たされず さまよう人たちを
救える人となるべき道を 私に示してください
そして 私が 過去に関わって来た 全ての人が
幸せになれますように 心豊かになれますように お祈りいたします。
アーメン
2001年 7月13日 拘置所にて
この祈りは日付けから思うと、聖書と出会ってから4か月ほど経ったときに書かれたものだと思います。
当時、私は聖書が無ければ一日を過ごすことが出来ないほどでした。
明け方に目を覚ますと聖書を開き、消灯後、小さな灯りの中でも、担当官から注意を受けても聖書に接していました。
「わたしは口を大きく開き、渇望しています。
あなたの戒めを慕い求めます。」
詩編119-131
正にこの、み言葉のように、神さまの戒めを慕い求めていました。