私にとって、お祈りとは・・・ | 仔羊の讃えうたは

仔羊の讃えうたは

キリスト教に獄中回心した、元・前科者の拙き者です。
獄中回心記を主に、日常生活の中で自分と闘う、人に優しいブログにしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

ある本の中で、こんな例え話しがありました。
 

ある日大雨が降りダムが崩れ始め、洪水となり町に襲いかかります。
日ごろ、祈りを重点視するキリスト教の信者さんは、避難勧告をも聞かずに、お祈りを以て救われると信じて疑わずお祈りをしています。
水はだんだんと溢れ、床下から床上まで押し寄せて来ます。
 
これは危険だとばかりに、ボート救出に向かった消防隊員に信者さんは言います。
 
「私は祈りをしているから良い!」 と・・・
 
やがて屋根の方まで水に浸かりはじめ、今度はヘリコプターより救出しようと試みますが、お祈りが有るから自分は助かると言い張り、それを無視し、最後には死んでしまいました。
 
そして、天国の門番であるペトロに尋ねるのです。
 
「私はあんなにお祈りしていたのに、なぜ助けてくれなかったか!」と・・・
すると、ペトロは応えます。
 
「それは、間違いです。何度も助けようと手段を取りました。最初は避難勧告・次はボート・次はヘリコプター・・・それなのにあなたは無視をしてたのですよ。」

 
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さて、この例え話であなたはどのような事を考えるでしょうか。
私流に言わせて頂ければ、例えば、お祈りだけを以て病気が治るとするならば、全国各地に病院を建てずに教会を建ててお祈りしてろ!って事です。
 
お祈りをしても叶わないものは叶わないのです。
*それは何故かと言う疑問の声が聞こえて来そうですが、この話しになると今回の趣旨と違って参りますので掲げないことをお許しください。
 
私は、お祈りを決して否定するものではなく、むしろお祈りを以て、自分の心と身体の全てを神さまに委ね、例え祈りが叶わず、困難が来ても、必ず救われる事を信じてそれを受け入れる勇気が必要ではないかと言っているのです。
 
良く過去を振り返り、思う事は有りませんか。
 
その時に困難と思った事でも、今となれば良かったと思える事が・・・。

苦しみは素直に受け止め、祈りを以て生活をしていると、きっと失ったものよりも倍以上なものを、神さまは備えてくれるなだと言うのが、私のキリスト信仰の原点です。
 
確かに私は、ある特定の方に愚痴や嘆きを凄く言っています。
 
しかし、根本的な部分では神さまを信じ、例えこの身体がぶっ壊れても、祈りのなかで聞いたみ声に聞き従い、実行に移す努力を惜しまずにいます。
 
私自身の実生活は本当に苦しく辛い事が多いのですが
、喜びを以てそれを甘んじて受け止め従って行く事で、真の喜びを得られるものであると信じているのです。
 

祈りは、神さまと自分との対話の時です。
祈りが叶わずとも、喜びをもって神さまの声を真摯に聞きつつ、素直にそれに従いたいものです。
 
この拙きプログを読んで下さる全ての人の上に神さまの祝福と恵みが豊かにありますように。