サムライの血 (^_-)☆ | いつでも途上人・・・・・自分の足で一歩ずつ

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大波小波、沈んだり浮いたりな日々。失敗も成功も悩みも泪も、いつか笑えれば・・・

昨日、NHKが力を込めて制作(撮影に3年、放送に3年、計13回)したという連続ドラマ、「坂の上の雲」を見た。

私が主人公役の一人、本木雅弘のファン?(「おくりびと」も良かったし、「シコ踏んじゃった」も大好き)であることもあり、まず初回は見ておこう、くらいの軽い気持ちで見始めたのだが・・・
「作家?」の母に、書きたかったことを先に書かれてしまったので、母の日記を引用する。
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11月29日
NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」を主人、わたし、利治の3人で見た。

わたし自身は司馬遼太郎の同名小説が原作ということと、明治の初期という時代背景に興味があった。

主人は初めのうちは横になっていたが、主人公が伊予松山の下級士族の出であることや、その友人で後に俳人として名をなす正岡子規が登場する頃になると、起き上ってきて、熱心に見始めた。


「お父さんも士族出身だもんね、平民のわたしと結婚しちゃったけど」と言うと、利治は大笑い。

子規を始めとする夢多き若者たちが、「イザ東京へ」と熱い想いで上京するあたりから、「あ、人力車だ、鉄道馬車だ」と主人の目が輝く。
きっと子どもの頃に目にした風景……

 

そういえば主人の父親は、子規と同じ世代ではないか、明治2年生まれだから。

明治維新直後の、わくわくするような熱い時代の空気が感じられるあの時代に生きていた人なんだ、とわたしは、初めて舅(義父)にあたる人の存在感を感じた。もっと存在を感じたのは、舅が、東京大学の前身である帝国大学に学び、その2年先輩に正岡子規や、夏目漱石がいたということ。


講堂で訓話か何かを話されるような時、その場に子規や漱石(南方熊楠も)と一緒に舅もいた!ということもありうるではないか…… もっともその頃は、子規にしても漱石にしても無名の人だったと思うけど。


利治もしかりで、「おじいちゃんは、すごいね、あの時代の人だったんだ。子規や漱石と同じ空気を吸った人なんだ」と、おそらく初めて祖父の存在を感じたという風。帝大出の忠正氏は、土木関係で、日本中を渡り歩き、島根の斐伊川の河川工事、釧路港や小樽港の築港(30代)など、大きな仕事に携わった人で、インターネットでも名前が出てくる。


夫から、自分の給料をもっと上げるようにと島根の知事さんと掛け合ったという舅・忠正氏(当時25歳えっ)のエピソードを聞いた時に、「あのころの帝大出は、権威があったんだなあ」と、漠然と感じていたわたしは、今日のテレビを見て納得がいった。


あの当時の人たちは、「大志」を持って仕事にあたっていたんだ、という納得。

だから、それに見合う代価を求めたのだと。


そんなわけで、今夜は、主人の父忠正氏のことでたいへん盛り上がった。
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確かに、ドラマからは明治初期の、自由民権運動の始まり、欧米文化から受けたショック、などの高揚感・熱い想いが伝わってきた。

刀は取られたが、この時代に世界に目を向け、日本を立ち上げようとした若者たちは「サムライ」だなぁ、と。


で、ふと考えてみると、今の私は「社会保険労務士」。弁護士や税理士同様に「士業」と書いて「サムライ業」と読む仕事である。
父に「俺、おじいちゃんのあと継いでるよ」と言ったら、「一代飛ばしてな」と大いに喜ばれたニコニコ。 



 *昨日は自転車約18km