3169日目の『0.1%の成長』は、
”物事を相対的に考える危険性”です。
それでは始めましょう‼
■人は、日常生活において
多くのことを相対的に評価し考え判断しています。
他人と比べ、
出来事と比べ、
価値を比べ、
持っている物を比べ、
気持ちのありようを比べ、
地位を比べ、
才能を比べています。
なぜ人は相対的に比べたがるのか。
それは、そうした方が楽だし安心するからなのですよね。
■誰かと比べることで、自分の立ち位置が分かり、
その立ち位置が満足できるものであれば安心しますし、
満足できなければ不安になります。
でもそれって、ある意味危険なことだと思うのです。
例えば、
自分が美味しいと思って食べた料理が有ったとします。
有名な美食家が美味しいと言ったら満足し、
美味しくないと言ったら、不安になるかと言ったら
そんなことはないと思うのです。
逆に、自分が美味しくないと感じた料理を
美食家が美味しいと言ったとしても、
美味しくないものは美味しくないですよね。
美味しいか美味しくないかを決めるのは、
自分軸であり、他人軸ではないのです。
誰かが美味しいと言ったから美味しい
誰かが不味いと言ったから不味い
と他人の意見に翻弄されてしまうと、
自分自身を見失ってしまいます。
それってとても危険なことなのではないでしょうか。
■とは言っても、
私たちは子どもの頃から
誰かと比べられて生きて来ましたし、
学校教育も順位を決められて育ってきました。
大人になっても競争社会の中に居ますから、
必ず誰かと比べられていますので、
相対的に判断してしまうことが骨身に沁みついています。
それに、先にも言いました通り、
相対的に判断した方が楽ですし安心しますから、
どうしたって、相対的な判断をしてしまいます。
■誤解しないで欲しいのは、
相対的に判断することが悪いと言っているのではなく、
相対的な判断に頼り過ぎていると、
自分と言う存在を明確にできなくなるのではないか
と言うことが言いたいのです。
繰り返しに成りますが、
誰かと比べないと自分が分からなくなるのって、
とても危険だと思うのです。
なぜなら、対象とするものが、
真の意味で対象とするべきものなのかが分からないからです。
誰もが素晴らしい人だと言ったとしても、
その人を評価している多くの人が、
本当に正しい人なのか分からないのですからね。
まぁ、現実的にはその様なことはほとんどありませんが、
悪質な団体とかだと洗脳して勧誘するケースもありますので、
要注意です。
■では、何を持って判断すればいいのか
と言うことになりますが、これが難しい。
あるがままの自分を認めることで、
相対的な判断をすることは無くなると思ってはいますが、
自分自身、それが出来ていませんので、
答えを導き出せない状況です。
無になることが一つの道だとは思いますが、
煩悩だらけの自分ですので、
心を無にして他人に由ることなく自らに由るまでには、
まだまだ時間がかかりそうです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
