幸せになるための『0.1%の成長』

幸せになるための『0.1%の成長』

わたしにとって、幸せとは何だろう。
わたしは今、幸せなのだろうか。

ふと、そんなことを思った、あなたに読んで頂きたいブログです。

4986日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「必要なのは適切なこころの距離」です。

それでは始めましょう!!

  

■いつも一緒に居たい。

そう思える相手がいることは、

とても素晴らしいことです。

 

何をするにも一緒

何処に行くにも一緒

離れている時間はほとんどなく

お互い何をしているのかを全て把握している。

 

もし、その様な関係が成立しているなら、

同じ魂の持ち主なのかも知れませんね。

 

■どんなに近しい人でも

四六時中一緒に居たら

気を抜くことができなくなり

きっと息苦しくなるか

もしくはストレスが溜まると思うのです。

 

どんなにお互いが必要だと感じていても

人は一人に成りたいと思う時が必ずあるものです。

要は、息抜きをする時間が必要だということ。

 

スキンシップは大切ですが、

一日中肌を付け合わせたまま生活したら

ストレスが溜まるのと同じことです。

 

■ですので、

適度な距離感を保ちながら

お互い一人になる時間を作ることが、

いつまでも一緒に居たいと思う

秘訣なのかも知れません。

 

愛し合っている関係とは言え、

結局は違う人格を持った人間です。

全てを理解することは出来ませんし、

全てを受け入れることは出来ません。

 

逆に言うと、

お互い理解し合おうとするから良いのであり、

お互い受入れようとするから上手く行くのですよね。

 

無理したところで良いことはありません。

ストレスが溜まるだけですし、

不信感がつのるだけですから。

 

幸せな人生を送るために必要なのは、

適切なこころの距離を置くことなのですよね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4985日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「けなさず褒める」です。

それでは始めましょう!!

  

■以前と比べて、

少なくなった思いますし、

少なくなった思いたい事があります。

 

それは、相手をけなすことです。

けなすと言っても、悪い意味では有りません。

日本人特有の謙虚さから来るもので有ったり、

照れ隠しみたいなものです。

 

例えば、

伴侶のことを他人に紹介する時、

出来ない夫(妻)ですが

とか言ったり

自分の子どものことを

勉強が出来ない子とか

運動神経が悪い子とか

そんな言い方をする事です。

 

別に褒めて欲しいとは言え言わないけど、

けなすことはないですよね。

 

逆にそんな言い方をしたら、

自分自身のことを無能な人間だと

言っているようなもの。

 

■でも人って対象とする人物の欠点を

無意識のうちに探してしまうのですよね。

欠点すなわち弱い部分を探すことは、

決して悪いことではなく

自己防衛本能なのでしょう。

 

生命の安全を守る為には、

相手の弱点を知る必要がありますからね。

 

ですので、

身内に対して自己防衛が発動してしまうのは、

その人のことを思って弱い所を指摘し改善して欲しい

そう言う希望の表れなのかも知れません。

 

と言いたい所ですが、

結局のところ、本人が変えようとしなければ、

誰が何を言ったとしても変わりません。

 

そう言う意味からすると、

欠点を伝えるより長所を伝えた方が効果は有ります。

何より、褒められて嫌な思いをする人は居ませんからね。

 

■照れ隠しでけなすのではなく、

大切な人であればあるほど、

自信を持って褒めまくりましょう。

但し、天狗にならない程度にね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4984日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「間違いを認める勇気」です。

それでは始めましょう!!

  

■人は誰もが間違いを犯すものです。

その間違いを認められるか認められないかで、

その後の成長に大きく関係することでしょう。

 

ですが、

一度決めたことを取りやめることは、

ある意味自分で自分を否定することにも

成りかねませんので、

重要な判断になればなるほど

容易に間違いを認めることは出来ないのでしょうね。

 

何より、

ポリシーのない人だと思われたり、

優柔不断な人だと思われることに対して、

気持が耐えられないのかも知れません。

 

■人は誰もが間違いますし、

失敗からしか学ぶことが出来ませんから、

間違いを認める勇気を持つことは大切です。

 

間違いを認めた上で、

新たな決断をすればいいだけのこと。

 

立場によっては、

容易に間違いを認めることは出来ないかも知れませんし、

何でも認めてしまうと統率が取れなくなるかも知れません。

 

そんな思いも分かりますが、

そうすることによって、

遠回りをすることになってしまうこともある

と言うことを知る必要があると思うのです。

 

ちなみに、

遠回りすることで知ることもありますから、

それが悪いとは言いません。

 

でも、いつまでも間違いを認めないでいるのは、

足踏みをしているのと同じだと思うのです。

 

0.1%でも成長するためにも

そして、豊かな人生にするためにも

前進するしかないのですよね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4983日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「人が人を評価することとは」です。

それでは始めましょう!!

 

  ■天は人の上に人を造らず

人の下に人を造らず

と福沢諭吉は言いましたが、

現実的には、格差はありますし、

上下関係はあります。

 

格差があることが、

そして、上下関係そのものが、

人の上に人を造ることとは言えませんが、

そう感じるのも不思議ではありません。

 

ですので、

上司が偉いとは言いませんが、

上司と部下の関係には、

評価するもの評価されるもの

と言う関係があるのは事実です。

 

■現状の社会システムからすると

人が人に対して、

評価をしたり判定を下したりするのは、

仕方がないことでしょう。

 

人が人を平等に評価したり判定したりするのって、

もの凄く難しいことだと思うのです。

 

なぜなら、人は感情の生き物だからです。

感情が入ったら冷静な判断を下すことは、

極めて困難ですからね。

 

■であれば、人が人を判断するのではなく

平等に評価や判断できるシステムを構築し

システムが下した結果に基づいて

社会システムを構築した方が

良い社会になると思うのです。

 

スポーツ競技もハイテク技術を活用して

平等なジャッジが出来る仕組みを作り運用した方が、

遺恨は残らないでしょう。

 

■と言いたいところですが、

感情を持っている人が判断するからこそ

暖かみがありますし、

人を成長させる上でも必要な時があると思うのです。

 

その人が持っている才能を見極めるためには、

評価する人の経験値が大切ですし、

言葉では表現できない何かを感じる感覚を

システム構築することは出来ないでしょう。

 

ただ、スポーツに関しては、

公平なジャッジが出来る仕組みを

可能な限り取り入れた方が、

競技をしている選手の気持ちを考えると

早急に取り入れて拡大することを望むばかりです。

 

■人が人を評価すると言うことは、

その人の人生を大きく変えることに成りかねません。

 

ですから、

評価する方もされる方も冷静に判断する必要がありますし、

熱い気持ちを持って判断する必要もありますし、

場合によっては苦渋の選択をしなければなりません。

 

でも、生きて行く上で

人が人を評価し評価されることは、

避けては通れない道です。

 

どちらにしても避けては通れない道ですので、

厳しく困難な判断を下し下されることによって

人は成長出来るのでしょうね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4982日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「常識に捕らわれるな」です。

それでは始めましょう!!

  

■常識を信じることは、大切なことですが、

逆にとても怖いものだと思うのです。

 

なぜなら、

ある人にとっての常識が、

ある人にとっては非常識になるのですから。

 

■ふと思うのです。

常識って誰が決めるのでしょうね。

 

何となくの流れが、多くの人に取り入れられ

何となくそうした方が、滞りなく物事が進み

何となく皆がそれに従い始め、

何となく常識と成って行く。

常識ってこんな感じで決まって行くのかも知れません。

 

■一度決められた常識は、

大きな流れとなります。

ですので、

その流れに逆らって行動することは、

余程の覚悟が必要です。

 

もし、今の常識と言われていることが、

間違えだと気が付いても

その流れを止めて逆に流すことは、

容易なことではありません。

 

流れるプールを逆に歩くのと同じようなものです。

歩いたことが有る人は分かると思いますが、

逆方向に進むことは、容易なことではありません。

 

■とは言え、

常識を覆すことは困難であることは間違いありませんが、

自分の中の常識であれば、

自分の意思で変える事が出来ます。

 

例えば、

別の流れの常識に乗ることによって、

今まで常識だと思っていたことを

覆すことが出来るのです。

 

常識は、有って無いようなものです。

常識に捕らわれることなく

柔軟な気持ちで物事を考えて行きたいものです。

 

■例えば、

今まで幸せに成るためには、

〇〇が無ければならない。

 

そう思っていた常識は

全く違う常識に変わるかも知れませんし、

変える事が出来た新しい常識は、

身近にあり何気なく行っていた事かも知れませんからね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4981日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「足し算の人生か掛け算の人生か」です。

それでは始めましょう!!

  

■人生とは、足し算なのでしょうか。

かそれとも、掛け算なのでしょうか。

 

足し算の人生は、足した分しか増えませんし、

掛け算の人生は、掛けた数字分だけ増えます。

 

足し算でも掛け算でも大切なのが、

因子であり要因ですよね。

何を加えるか、何を掛けるかで大きくことなります。

 

そんな因子や要因になるのは、

日々得られる経験値です。

そして経験値は、出会う人の数と言っても良いでしょう。

 

■例えば毎日10人の人と会ったとします。

足し算の人生は、10経験値が増え

掛け算の人生は、経験値が10倍になる

と言う訳では有りません。

 

誰に出会うかが大切なのですよね。

要は、出会う人によって

10増えるかも知れませんし、

10倍になるかも知れません。

 

逆に言うと、

10減るかも知れませんし

1/10になってしまうかも知れません。

場合によっては、0の人と出会ってしまったら

掛け算の人生だと全てが無くなるかも知れなにのです。

 

■まぁ、現実の人生は、

足し算の人生であったり、

掛け算の人生ですので、

どちらの人生になるとは言えません。

 

ですから、

足し算の人生と

掛け算の人生を

上手に使い分けたいものです。

 

使い分けるとは、コツコツと足し算で積み上げながら

時に掛け算の人生に挑戦する

とかでしょうか。

 

そうなると大切に成るのは、

先にも言いました通り

誰と出会うのかが大切ですし、

どれだけ有効な時間を過ごすかです。

 

人生に与えられた時間には限りがあります。

もっと言えば、

今は今しかありませんから、

今できることを今するしかないのです。

 

だからこそ、

幸せな人生を送るためには、

自分の人生は自分で決めて行動することが、

大切であり重要なのですよね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4980日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「もっと人生を冒険しよう!!」です。

それでは始めましょう!!

  

■毎日同じことの繰り返し。

可もなく不可もなく

淡々と同じルーチンを繰り返す。

そんな人生、面白はずがありません。

 

子どもの頃、全てが新鮮であり、

何をするにもワクワクしていました。

毎日が楽しかったのは、

全てが冒険だったからだと思うのです。

 

それが、大人になって来ると

決められた規則の中で、

決められたことをすることが多くなり

それが、やらなければ成らないことと成った時、

楽しかった冒険が忘れ去られて行く時なのでしょうね。

 

生きて行くことで精一杯の人生では、

日常生活において冒険など出来ません。

でも、現実はみんな一生懸命です。

 

だからお酒を飲んで現実逃避をしたり、

たまに旅行に行ったり、買い物したり、

少ない自由時間を日常を忘れるために

効率良く使おうとするから

逆に、その反動によって日常が

重くのしかかって来るのかも知れません。

 

■そんな重しを取り除くことが出来るのが

ワクワクする冒険することだと思うのです。

 

冒険と言っても凄いことをしましょう

と言ってるのではありません。

子どもの時のように

些細なことを冒険にすればいいのです。

 

冒険の何がワクワクするのかと言ったら

新しい発見があるからなのですよね。

 

あなたを取り巻く環境は同じように思えても

日々変化しています。

 

変わっていない様だけど

必ず何かが変わっているのが人生です。

その変わっている何かを探して楽しむのが

冒険ではないでしょうか。

 

辛いことが有ったとしても

その先に何かワクワクするものが有るかも知れません。

辛いことばかりに目を向けいたら

間違いなく小さなワクワクを見つけることは出来ないでしょう。

 

■ワクワク探しをする冒険を

日常生活の中に取り入れたら

少しは毎日が楽しくなるかも知れません。

 

幸せな人生を送るためにも

もっと人生を冒険しましょう!!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4979日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「可哀想なんて言ってはいけない」です。

それでは始めましょう!!

  

■誰かが思いもよらない悲劇に合った時、

多くの人は、当事者のことを

可哀想な人だと思うことでしょう。

 

でも、それって本当に可哀想なのでしょうか。

もしかしたら、本人は自分の事を

可哀想な自分なんて思っていないかも知れません。

 

逆に言うと

嬉しそうだとか、幸せそうだと思っても

本人は、その様に感じていないのかも知れません。

 

今この瞬間を切り取って

その人の人生を評価するのはとても危険なのです。

 

■特に可哀想と言うのは、

可能な限り避けたいと思うのです。

 

なぜなら、可哀想と言うのは、

ある意味上から目線で言っている感じがあるからです。

 

もし、可哀そうだと思う人が居るとしたら、

その人は、今生において

可哀そうだと思っている人よりも

多くのこと学んでいるのかも知れません。

 

要は、魂の段階が一段上なのかも。

 

可哀そうだと思うのではなく、

試練を乗り越えようとしている

人生の先輩だと思った方が良いのかも知れません。

 

何より、本人がどの様に感じているかなのですよね。

もしかしたら、本人は傍目からするよりも

辛いなんて思ってないのかも知れません。

 

■とは言え、

助けられる時があるなら、

助けてあげましょう。

 

それは、あわれむのではなく

一つ大きな山を乗り越えようとしている人の

手助けをしていると思っての手助けです。

 

人生色々なことがあります。

その人の人生は、その人しか決められませんが、

助け合うことは出来ますからね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4978日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「相手を尊重する気持ちを忘れない」です。

それでは始めましょう!!

  

■多くの人と関われば関わる程

自由度は狭まって行く

そんな傾向があると思いませんか。

 

なぜなら、

関係性を持つ人が増えれば増える程

気を使う必要が出て来るからです。

気を使うと言うのは、

良い意味でもありますし悪い意味でもあります。

 

■逆に、関わる人が少なかったらどうでしょうか。

関わる人が少なくなった分、

自由度は広がるのでしょうか。

 

極論を言えば、

誰とも関わらない状態

すなわち、一人で居ることが、

自由なのかということです。

 

でも、人は弱い生き物ですから、

一人で生きて行くほど強い意志を持った人は

殆どいません。

 

■とは言え、やはり

誰にも気を使わない環境の方が、

気軽で良いと言う人もいるかも知れません。

 

でも、そんな環境で生きていたら

誰とも信頼関係を結ぶことは出来ないでしょう。

 

もっと言えば、

大切な人ほど、大事にしたい人ほど

気をかけたいし、気を使いたいと感じるからです。

 

■長年一緒に時間と空間を共有していれば、

相手が何を考えているのか

ある程度分かりますが、

でも、全てを知ることは出来ません。

 

どんなに近しい関係でも

基本は他人ですからね。

ちなみに、自分の子どもだって他人です。

 

正確に言えば、

人格を持った一人の人間です。

 

だからこそ、

相手を尊重する気持ちを持ち続け、

相手を大切にする心を忘れては行けなと思うのです。

 

大切な人ほどね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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4977日目

幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、

「結果も大切。途中経過も大切。」です。

それでは始めましょう!!

  

■もし、結果が分かってしまったら

あなたは、どうしますか?

 

その結果が、目指しているものであったら

努力をしますか?

それとも、努力をしませんか?

 

時々目にするニュースでこんなのがあります。

勝利を確信した選手がゴール間際で力を緩めた結果

後続者に抜かれてしまい勝利を手にすることが出来なかった。

 

そのまま全力で走っていたら

勝利を手にすることが出来たのに、

決まってもいない未来を勝手に想像し

勝った気になってしまうことは、

とても悲しいことですが、

それは決して他人事ではありません。

 

途中まで今の自分が未来の自分の姿を

高い確率で予測出来ていたかも知れませんが、

でも、未来は今の自分の頑張りで

変わって行くものなのですよね。

 

ですから、

もし未来の自分の姿が見れたとし

例えその姿が理想とする姿だったとしても

それは、そうなるために努力した結果であり、

何もしなければ違う結果になるのです。

 

逆に言うと、

理想とは異なる未来の自分が見えたとしても、

その未来の姿を変える事は可能だと言うこと。

 

努力をした後や、やり尽くした後

結果を見るのであれば問題ありませんが、

途中経過で結果を見る事や想像をすることは

注意が必要です。

 

■とは言え、

良いイメージを持って行動することは大切ですし、

それは自信にも繋がります。

 

どちらにしても

一歩一歩が大切なのは間違いない事実なのですよね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

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