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一松書院のブログ

ネット上の資料を活用し、出来るだけその資料を提示しながらブログを書いていきます。

 「山本唯三郎が京城の朝鮮ホテルで虎肉の試食会をやった」という書き込みがあった。
 山本唯三郎って誰? 虎肉を食ったって、何それ?

 朝鮮半島には虎にまつわる話が多い。開国神話の檀君の話にも虎が出てくる。虎と一緒に洞窟にいた熊が、天帝の子桓雄の言う通りに蓬(よもぎ)と蒜(にんにく)を食べて日光を避けて念願かなって人間になれたにの対し、虎はそれができずに人間になれなかった。落ちこぼれだが、虎もちゃんと神話に登場する。
 韓国語を学び始めてしばらくして、「호랑이 담배 피던 시절(虎がタバコを吸っていた頃)」というのを教わった。「むかしむかし、あるところに…」と始まるむかし話の最初の常套句だ。そんな言葉をおぼえて、一体どこで使うんだと思ったが、実際、日常生活で使ったことはこれまで一度もない。それに、人間と違って虎はとうの昔にタバコをやめていたらしい。なかなか立派である。

 朝鮮の民話や童話にも虎はよく出てくるが、ちょっと間抜けの悪役が多い。朝鮮総督府が出した『朝鮮童話集』(1924)には「恩知らずの虎(コマ番号55)」「虎の天罰(コマ番号83)」という話が収められている。民画にも擬人化したりユーモアに満ちた表情で虎が描かれている。

 

 そうしたこともあって、1988年のソウルオリンピックの時は「ホドリ」、2018年の平昌オリンピックでは「スホラン」がマスコットになった。


 ただ、韓国では、ホンモノの虎が確認されたのは1920年代が最後で、1940年代には朝鮮半島南部の虎は絶滅したものと思われる。

 1980年1月24日に『東亜日報』が「韓国産の虎あらわる—58年ぶり慶北の山中で登山客が撮影」という写真入りの特ダネを報じた。しかし、翌日訂正記事が出て、山中の虎の写真は偽物で、オリニ大公園で飼育されているベンガル虎の写真だったというオチが付いた。

 

 ちょうどこの頃、日本の動物学者遠藤公男氏が韓国の虎について取材していて、1986年に講談社から『韓国の虎はなぜ消えたか』という本を出した。遠藤公男氏は韓国語ができない中で、非常な執念で現地取材を敢行して、植民地時代の虎の足跡を追った面白い本である。1970年代から1980年代前半というと、まだ日本の植民地支配のもとで教育を受けたという世代の韓国人が50歳台後半から60歳、社会の一線に立っている人の中に日本語を解する人が探せば残っていた時代であった。内容もさることながら、そのエネルギッシュな探究心と行動力には感服させられる。

 

 しかし、冒頭の山本唯三郎の虎狩のことはもとより、京城での虎肉試食会の話も、この本の中には出てこない。

 

 山本唯三郎を調べてみると、日本の大金持ちで「虎大尽(トラたいじん)」と呼ばれたという。第1次世界大戦の時に始めた海運業が大当たりして一躍大金持ちになった「成金」の代表格とされる人物だとされる。漫画家和田邦坊が描いた成金風刺画のモデルがこの山本唯三郎。函館の料亭から帰ろうとして暗い玄関で履物がよく見えないというので、百円札の束を取り出して火をつけてそれで足元を照らしたという逸話の場面である。

 

 いろいろ検索してみたら、その山本唯三郎が、1917年に朝鮮に虎狩に出かけ、その時の写真や工程表などをまとめた吉浦龍太郎の『征虎記』が残されている。国会図書館デジタルコレクションで実際にこの本が読める

 

 11月10日に東京駅を出発するのだが、これに先立って9月に先遣隊を送り出したことを『東京朝日新聞』が報じている(9月8日付)。

 


 11月10日に出発した本隊は報道関係者19人を含む総勢31人で、12日に京城着、15日に元山に入り、ここを拠点に永興、金剛山、咸興、新昌、北清などで地元の猟師や勢子を動員して狩猟を行った。この間、虎2頭を射殺し、それ以外に豹、山羊、イノシシなどの獲物もあった。12月3日に京城に到着、3泊した後内地に向かい10日に東京に帰着した。京城滞在中の5日の夕方、朝鮮ホテルで虎肉の試食会が催され、朝鮮総督府のナンバー2の山縣政務総監をはじめ京城の有力人士が招かれた。『京城日報』は翌日の紙面で、この宴会の料理について詳しく報じている。

 

 

 東京に戻った山本唯三郎は、12月20日夕刻に帝国ホテルで再び虎肉の試食会を開いた。招かれたのは、逓信大臣田健治郎、農商務大臣仲小路廉、枢密院副議長清浦奎吾なや渋沢栄一、大倉喜八郎など政財界の有力者200人以上であった。

 

ここでのメニューは、

・咸南虎冷肉 
・永興雁スープ
・釜山鯛洋酒むし
・北青岳羊油煎
・高原猪肉ロースト
・アイスクリーム

・果もの、コーヒー

メインディッシュの虎肉は、煮込みのトマトケチャップマリネとなっていて、京城朝鮮ホテルの時とは調理法が異なったものであった。

 

だいぶ探したのだが、東京で出ていた新聞にはこの帝国ホテルでの虎肉試食会の記事は見つけられなかった。一方で『京城日報』は東京特電で記事にしている(12月22日)。内地よりも朝鮮の内地人の方が関心が高かったのかも知れない。

 この試食会での山本唯三郎の挨拶に次のような一節がある。

朝鮮にて虎を狩りますには、清正の三又槍よりも和藤内の腕力よりも、但は精鋭なる銃よりも、先以て健康と胆力とを最良の武器とします。

戦国の武将は陣中の士気を鼓舞せんが為めに朝鮮の虎を取りましたが、大正年代の吾々は、態々出掛けて行って申さば日本の版図内の虎を狩って戻りました。之れにも深長な意味があると存じます。

 この虎狩を思い立った山本唯三郎、朝鮮ホテルや帝国ホテルの試食会に参席した人々、そして新聞を通してこの一連の出来事に接した人々も、一様に豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の「加藤清正の虎退治」を思い浮かべたのではなかろうか。

 

 遠藤公男氏の『韓国の虎はなぜ消えたか』の内容と資料、そして朝鮮と虎と日本の侵略の関係については稿を改めて描いてみたい。

 

朝鮮の虎 その2 加藤清正の虎退治