青瓦台の「美男石仏」:その後 | 一松書院のブログ

一松書院のブログ

ネット上の資料を活用し、出来るだけその資料を提示しながらブログを書いていきます。

  解放後の石仏

 景福宮北側の景武台に1939年10月に完成した朝鮮総督官邸には、南山倭城台の総督官邸にあった石仏が移設された。そして植民地支配は終わり総督官邸の主は去ったが、石仏はそのまま置かれていた。

 

 1945年9月、アメリカ軍政庁が設置され、旧朝鮮総督官邸は軍政長官ホッジ中将(John Reed Hodge)の官邸となった。1948年8月15日に大韓民国が建国されると、今度は大統領李承晩イスンマンの官邸・執務室として使われた。

 

 1960年4月に李承晩政権が倒れ(4・19革命)、尹潽善ユンボソンが大統領になった。4月の一定期間、お花見のために景武台キョンムデを一般市民に開放する「賞春祭サンチュンジェ」は、李承晩時代の1957年から始まったが、景武台が李承晩大統領辞任要求デモに取り囲まれた1960年には中止された。尹潽善が大統領になると、それまで「景武台」と呼ばれていた大統領官邸の呼称が、「青瓦台チョンワデ」に変えられた。そして1961年には、4月の青瓦台一般解放が復活した。

 

 

 1961年5月16日に朴正煕パクチョンヒが軍事クーデターを起こし、尹潽善は1962年3月に大統領を辞任した。1963年10月には朴正煕が3人目の大統領に就任した。この間も、春のお花見シーズンの賞春祭の青瓦台開放は毎年続けられた。青瓦台の石仏も多くの人々が目にした。1963年の朴正煕がまだ大統領権限代行だった時期の賞春祭の映像が残されている。この13秒から17秒に石仏が映っている。

大韓ニュース第414号-お花見(1963年4月27日制作)

 

 4年後、国会議員選挙を前にした1967年4月の賞春祭の様子について、『朝鮮日報』がこのような記事を書いている。

 

 普段は関心がもたれることないものが選挙の時になると政治的に利用されることがよくあった。今回は青瓦台の湧水(ヤクスト)の横の石仏が物議を醸すことになった。

 この石仏は無学大師がソウルを李王朝の首都に定めた時に造ったものだが、李承晩や尹普善の大統領在任中にもそのままあったもので、去る19日に青瓦台を解放して以来押し寄せた45万人の花見客たちにも人気だったもの。

 ところが選挙シーズンだからか、朴正煕大統領とこの石仏を結びつけて、大統領は仏教と近いだの、だからキリスト教を嫌ってるだのといった噂が飛び交うもので大統領秘書室は非常に緊張。

 ある秘書官は「子供の花見客には毎年贈っていた鉛筆1本とノート1冊も、今年は選挙の年だからやめているんだが、石仏を政治的に関連づけるのは度を越している」と愚痴。

(下線は筆者)

 青瓦台の石仏はそのまま残されていたのだが、解放から建国・朝鮮戦争の混乱の中で、1934年に「発見」されて搬入経緯などが明らかになっていたはずの石仏は、再びその由来や出自がわからなくなっていた。この記事では、1394年に無学ムハック大師が漢陽ハニャン(ソウル)を都と定めた時に造ったものとされている。

 

 李承晩と尹潽善は、プロテスタント系のクリスチャンだった。朴正煕は無宗教だったが、陸英修ユギョンス夫人が熱心な仏教徒であった。そうした背景もあって、1967年6月の国会議員選挙を前にした青瓦台の一般開放では、この石仏が仏教とキリスト教との対立の火種になっているというのが上掲の記事である。

 

  非公開、そして部分公開へ

 1968年1月、青瓦台を襲撃しようと北岳山麓まで接近した北朝鮮の武装工作員と韓国側の軍警との間で激しい銃撃戦が起きた。
 

 

 この事件以降、青瓦台周辺一帯は通行が厳しく規制されるようになり、青瓦台後方の北岳山ブガクサンは入山禁止になった。春のお花見シーズンの青瓦台の一般開放もなくなり、その後30年近く大統領官邸周辺への一般の人々の接近が遮断されることになる。

 

 その間、この青瓦台の石仏は1974年1月にソウル市有形文化財24号として登録された。旧総督府博物館の資料などから、この石仏についても、その来歴がある程度わかってきたのであろう。しかし、一般の人々がその有形文化財の石仏を実際に目にすることはできなかった。

有形文化財指定から20年経った1994年、この石仏が突然マスコミに公開された。1987年の「民主化宣言」以降の初の「文民政権」を売り物にした金泳三キミョンサム政権の時代である。だが、民主化が公開につながったのではなく、この部分公開は宗教的な風聞がきっかけとなったものだった。

 

青瓦台、構内の仏像公開
「連続する事故は仏像除去のせい」の噂に対処
統一新羅時代の石造り… 慶州から移動
『朝鮮日報』1994年10月28日

 青瓦台は、27日午後、青瓦台担当記者に構内の官邸の裏山にある石造如来坐像を公開した。この仏像に関するとんでもない噂のためだった。
 韓国国内で、このところ「最近の相次ぐ事件・事故がキリスト教信者の大統領が、青瓦台の仏像を片付けてしまったため」という噂が流れた。26日には、香港のフィナンシャル・レビューが、ソウル発の記事で「金泳三大統領は、昨年2月の就任直後に仏像を片付けたが、聖水大橋事故や忠州湖遊覧船事故が仏の怒りによるものだというので、仏像を元の位置に戻すよう指示した」というとんでもない記事を掲載した。大統領府は同紙と記者に抗議している。

 高さ1m10cmほどの8世紀統一新羅時代の石仏は、日本の植民地支配下で寺内正毅総督が慶州南山にあったのを青瓦台に移したもの。

 この石仏は、その後青瓦台の裏山の中腹にあったが、1989年、盧泰愚大統領が官邸を新築したときに50mほど北に上がった現位置、官邸をすぐ見下ろす場所に移された。この仏像は、ソウル市有形文化財24号として建物も建てられている。

 一方、大統領府の関係者は、キリスト教界でも大統領に関して流れているうわさに頭を悩ませている。例えば「金大統領が最近、各公共機関別のキリスト教信者会(信友会など)をすべて解体するよう指示した」とか、最近事件・事故が続いているのは、金大統領が大統領府に入って信仰生活が乱れたためだというような「事実と異なる噂」が出ているという。

 

 盧泰愚ノテウ大統領時代の1990年10月に、旧官邸の西側に新しく新官邸が建てられ、その北側に石仏は移されていた。現在の石仏の位置である。上掲の記事の写真は、移転後のものである。

 

 1992年2月に就任した金泳三大統領は、李承晩、尹潽善以来のプロテスタント系キリスト教徒の大統領であった。それもあって、以前青瓦台で石仏を目にした仏教信者などから、仏像に何かあったのでは…という声があがり、それが記者団への公開ということになったのだという。さらに、キリスト教会の方からも良からぬ噂が出ているという。

 

 さらに、1996年には、今度は曹渓チョゲ寺の僧侶たちに公開された。

 

噂の大統領府の石仏を電撃公開
毀損の説が絶えず... 曹渓宗が確認
『ハンギョレ新聞』1996年9月7日

 キリスト教会の長老でもある金泳三大統領の就任後、仏教界の一部から「仏像毀損」の噂が出ていた大統領府の官邸裏の石仏が、6日、電撃的に公開された。
 大韓仏教曹渓宗の僧侶8人が、金泳三大統領が中南米歴訪で大統領府を留守にしていたこの日、大統領府側の招請に応じて、午後2時間余り石仏の周辺を視察した。
 この石仏は、日帝時代に慶州のとある寺院にあったものが移され、盧泰愚政権の時まで祀られてきた。しかし、金泳三政権になってから片づけられ、仏教界の不満が高まったため元に戻したのではないかという噂があった。
 引率責任者の鄭休僧侶(仏教新聞社社長)は、「両耳と左指、右腕の肘の部分が少し破損していた」としながらも、「これは総督府時代に移動させた際に生じたり自然風化によって生じたとする大統領府側の説明に納得した」と語った。
 しかし、僧侶の中には「仏像を壊して再び祀ったわけではなさそう」としながらも、どこか釈然としない様子も見られた。
 曹渓宗側によると、同日の電撃的な仏像公開は、大統領秘書室の仏教信者が、最近、朴世逸大統領社会福祉首席秘書を中心に信者の集まりである清仏会を作ったのがきっかけとなったという。
 清仏会が、近いうちに曹渓寺で創立法会を開くことになり、曹渓宗の総務院長などと法会出席を協議する過程で、直接実際に見て確かめて噂の真相を明らかにしようという曹渓宗側の提案を青瓦台が受け入れて実現したという。
 これと同時に、金泳三大統領が大統領府に牧師を呼んで家族礼拝をしていることなどをめぐって、仏教界の不満が少なくなかったことから、大統領選挙などを控えて、わだかまりを解消するための与党側のジェスチャーの一つと解釈する向きもある。

 こうした韓国の宗教と統治の関わりは、統治者や政治家と宗教の関わりにほとんど関心を示さない日本社会とはかなり異なっている。

 

  青瓦台の全面公開まで

 金泳三の次の大統領金大中キムデジュンはカトリック信者だった。金泳三政権の時代に青瓦台周辺の通行規制などが緩和され、金大中政権は青瓦台の見学ツアーを本格的に始めた。このツアーはその後の大統領の政権下にも引き継がれ、青瓦台周辺の厳しい通行制限や統制は徐々に緩和されていった。

 

 しかし、大統領の居住スペースである大統領府の官邸エリアはこのツアーのコースには含まれていなかった。セキュリティやプライバシーの観点から外されていたのであろう。そのため官邸の北側の石仏も見ることができなかった。

 

 2018年、青瓦台の石仏は「慶州方形台座石造如来座像」として国家指定文化財宝1977号に指定された。文在寅ムンジェイン大統領が石仏の再調査を指示したことが発端だという。その結果、この石仏がもともとあったとされる慶州キョンジュ移車寺イゴサについても多くの関心が寄せられるようになった。朝鮮総督の寺内正毅が絡んでいて、慶州から運び込まれたことが知られるようになると、慶州の元の位置に戻すべきだとする議論も起こった。ただ、移車寺は廃寺になって久しく、その土地は私有地になっており、慶州の元の場所に戻すのは困難とされている。

 

 

 今年(2022)年5月に就任した尹錫悦ユンソギョル大統領は、大統領府として青瓦台を使用しないことを決定した。大統領府ではなくなった青瓦台は、観覧を希望する国民に抽選で公開され、官邸のエリアやこの仏像についても、多くの人々の目に触れることになった。

 

 青瓦台の公開当日の5月11日、この石仏の前で器物破損事件が起きた。

 この石仏の前に置かれていた仏前函や香炉などが、キリスト教徒を自称する50代の女性によって破損されたのである。その女性は、見学者が石仏に向かって拝礼する姿を見て腹が立って衝動的に石仏の前の器物を投げ捨てたという。

 

 

 

 「美男石仏」とほめそやされ、現在は「慶州方形台座石造如来座像」として国家指定の文化財宝にも指定されたこの石仏は、日本の植民地統治下から今日に至るまで、1世紀以上の多事多難な時代を見てきた。

 

 この石仏をめぐる解放後の紆余曲折をとっても、政治・統治と宗教との関係が韓国と日本とでは違いが大きいことが感じられるのではなかろうか。