「Except North Korea」旅券の渡航先 | 一松書院のブログ

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 1976年に発給された私の最初のパスポートから何冊目かのパスポートまでは、「渡航先」欄にはこのような記載があった。

 

 つまり、このパスポートは、世界中の全ての国と地域で有効。だけど、北朝鮮だけは除くとなっていた。

 


 

 1970年発行のパスポートでは、「except」とされた地域はさらに多かった。

 

 日本では、1964年4月に海外渡航が「自由化」された。ただ、この「自由化」とは持ち出し外貨の規制が緩和されたもので、旅券は一回の渡航にだけ有効、記載された渡航先以外には行けないものだった。

 

 外務省は、1965年に、渡航先を限定せず、一定期間何度でも使える数次旅券が発給できるよう旅券法の改正案を作成した。ところが、これに法務省と公安調査庁が強く反発した。中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国などの未承認国家への渡航まで可能にする旅券発給は認められないとした。その結果、この時の旅券法の改正案は断念された。

 

 1969年になって、5年間有効の数次旅券に発給が可能な旅券法改正が実現したが、渡航先については、冒頭の写真のように、North Korea、Mainland China、North Vietnam、East Germanyを除外するという渡航先の制限が記載されることになった。

 

 1972年9月29日に、田中角栄が中国を訪問して周恩来・毛沢東と会談し、日中共同声明が出されると、翌月にMAINLAND CHINAが渡航先制限から削除された。

 さらに、1972年12月に東西ドイツ基本条約が締結されたことを受け、翌年2月10日に日本政府は東ドイツと国交交渉を開始することを発表した。そして、5月15日に国交が樹立されたことでEAST GERMANYが削除された。

 北ベトナムとの間では、1973年9月に国交を樹立することで合意されたことで、この時にNORTH VIET-NAMが削除された。

 

 中華人民共和国が、中華民国(台湾)にかわって国連加盟国となったのが1971年、日本が後追いをすることになったニクソン米大統領の訪中が1972年2月、沖縄の本土復帰が1972年5月、そして朝鮮半島で「南北共同声明」が出されたのが1972年7月4日。

 この1970年代前半が、一つの曲がり角であった。そして、日本の旅券もこの時大きく変わった。

 

 しかし、NORTH KOREA,だけは渡航先の除外対象として残された。

 拉致問題も核・ミサイル開発も全くなかった時期のことである。

 

 北朝鮮に渡航する際には、下のようなNorth Koreaを渡航先とする旅券を別途取得しなければ旅券法違反になった。

 

 一般旅券の渡航先に記されていた「Except North Korea」の記載は、1990年になって削除されることになった。この年9月、金丸自民党元副総理と田辺誠社会党委員長の訪朝団が平壌を訪問した。訪問団と朝鮮労働党との共同声明に日本旅券の渡航先の除外規定の削除が盛り込まれた。この結果、日本の旅券からは「except North Korea(Democratic People's Republic of Korea)」という記載がなくなった。

 

 

 私の一般旅券は1988年発行だったので、この除外規定が記載されていた。1991年に北朝鮮に渡航する時に北京の日本大使館で削除してもらった。


しっかり消してくれたのかもしれないが、もうちょっときれいに消してくれればいいのに…😀。

 

 金丸・田辺訪朝団がきっかけとなって、1991年から1993年にかけて日本と北朝鮮の間で国交正常化交渉が行われたが、会談は中断したままになった。

 

 今や、北朝鮮といえば、拉致と核開発とミサイルしか思い浮かばないというのが日本社会の実情だ。日本国内では「従軍慰安婦」の問題も「徴用工」の問題も「解決済み」と思っている人も少なくないようだが、それはあくまでも大韓民国との間の「日韓基本条約」と「日韓請求権及び経済協力協定」で「解決済み」とする日本政府の解釈を言っているに過ぎない。さらに、朝鮮民主主義人民共和国との間では、「従軍慰安婦」の問題も「徴用工」の問題も、「解決」はおろか、実質的な交渉すら未だ行われていないのである。