映画「南山の部長たち」にまつわるこぼれ話をいくつかご披露。
まずは、事件現場の「安家」について。
現在の青瓦台本館の建物は、盧泰愚大統領の時代、1991年に新しく建てられたもの。
それまでは、朝鮮総督官邸として建てられた建物が大統領官邸として使われていた。現在の本館の前庭の東側、守宮터の北側にあり、李承晩政権時代には景武台と呼ばれた。1960年の4・19学生革命を契機に名称が青瓦台に変えられた。
2018年のGoogleマップの写真より(黄色の文字は筆者挿入)
朴正煕大統領が中央情報部長金載圭に殺害される事件が起きたのは1979年10月26日、青瓦台の敷地の西側にあった「安家」がその現場となった。現在は、「ムクゲの丘」という公園になっている。1993年に就任した金泳三大統領が事件現場の「安家」の建物を撤去させて公園化した。朴正煕銃撃事件現場であったことを示すものは何もない。
「安家」は、これ以前にも日本で注目されたことがあった。1973年の金大中事件の時である。
1972年の大統領選挙に野党候補として出馬して現職の朴正煕大統領に危機感を抱かせた金大中は、1973年8月に、滞在中だった東京のグランドパレスホテルで拉致された。5日後の8月13日にソウルの西橋洞の自宅付近で解放されたが、事件の経緯についての記者会見で、大津から約1時間ほどのところで「안가 집에 가라(アンガの家へ行け)」という韓国語を聞いたと語っている。日本の捜査当局やマスコミは「アンガ」とは「アンの家」だとして関西地方の一帯でこの「アンの家」の所在を追った。
結局その「アンの家」を特定することはできなかったが、「アンガ」というのが韓国中央情報部(KCIA)で使われている「安全家屋」という活動拠点の呼称だと報じられた。
朴正煕銃撃事件が起きた宮井洞の「安家」もKCIAが管理する施設で、本館の가棟には金載圭の執務室があった。
出所:MBC
そして、その奥の建物 나棟に宴会場があった。
出所:MBC
11月6日に合同捜査本部長の全斗煥がこの事件の捜査について記者発表を行ない、新聞各紙がその内容を報じた。『京郷新聞』には下のような事件現場略図が掲載されている。
11月10日の『朝鮮日報』には、自分の銃が故障した金載圭が、部下の朴興柱から代わりの拳銃を受け取ろうとする場面の現場検証写真が掲載されている。나棟の玄関横である。
「ムクゲの丘」の東北側にこの建物があったと推定される。
ここで、1979年10月26日午後7時40分、金載圭中央情報部長が、車智澈警護室長に向けて発砲し、ついで朴正煕大統領にも銃撃を加えた。
2発を撃ったところで金載圭の拳銃が故障し、外に出て朴興柱の銃をもらおうとしたが、撃ち尽くして弾切れ。居合わせたKCIAの儀典課長朴善浩の銃を受け取って、その銃で車智澈と朴正煕にとどめを刺した。
ところで、映画では、宴会場は2階の設定になっているが実際は1階である。
それに、現場の部屋がなぜか畳敷きになっている。
実際の現場写真では、オンドル部屋である。
まさか畳の方が血糊で滑りやすいとかそんなことではないと思うのだが…
朴正煕は1917年生まれ、金載圭は1926年生まれで、青春時代を日本の統治下で過ごした。「あの頃はよかった」という唐突な日本語のセリフ。
これも、韓国近現代史の呪縛と複雑な対日感情の交錯を感じさせるものである。