バンジハ:半地下 | 一松書院のブログ

一松書院のブログ

ネット上の資料を活用し、出来るだけその資料を提示しながらブログを書いていきます。

 2014年1月に韓国で公開された映画「怪しい彼女」。シム・ウンギョン扮するオ・マルスンの孫のジハはバンドをやっている。マルスンは、夫のバン氏がドイツの炭鉱に出稼ぎに行って事故で亡くなり、遺された息子ヒョンチョルを女手一つで育てた。孫が生まれるとマルスンがジハと名付けた。ファミリーネームがキムだったら、詩人の金芝河キムジハと同じ音の名前になるのだが、孫はバン家。だから「潘ジハ」。「バンジハ」は、音でいえば「半地下」と同じになる。

 

 「バンジハ」という音の名前の孫、その名前を付けてくれたマルスン——若返ったオ・ドゥリ——の前で、自分の名前について「ダサイ名前だぜ!」と嘆く。

 この場面を説明するのにこれだけかかるものを、短い日本語字幕でどう表現するか。字幕製作者はかなり大変だっただろうと同情する。

 


 ソウルで地下室が設置されるきっかけになったのは、1968年の北朝鮮武装工作員による青瓦台チョンワデ襲撃未遂事件(1・21イリイル事態サテ)、そしてその直後に北朝鮮にアメリカの情報収集船が拿捕された「プエブロ号事件」であった。

1968年1月22日『東亜日報』

1968年1月24日『東亜日報』

 1968年1月に事件が起きると、朝鮮半島の軍事的緊張は一気に高まった。この年5月、金玄玉キムヒョンオクソウル市長は3階建以上の建物に地下室の設置を義務化し、さらに秋には、政府が2階建以上もしくは200㎡以上の新築建物には地下室を設置すべしという方針を打ち出した。

 これらは、北朝鮮との戦闘が起きた場合に、避難壕・防空壕として地下室を使うことを目的とした非常用施設であった。

 

 これ以降、次第に地下室は増加したのだが、まだこの時期には地下施設を住居として利用していたという形跡はない。

 

 地下室を住居として利用できなかった理由の一つは、オンドルの問題ではなかったかと思われる。

 この60年代から70年代にかけては、一戸建て住宅のほとんどは練炭の直焚きオンドルであった。地下室に直焚きオンドルを設置するのは無理。オンドルが、温水オンドルに転換され始めるのは1978年あたりから。温水の温突であれば、床下に温水パイプさえ埋設すれば地下の空間でも居住空間にすることができる。

 

 ということで、1980年代前半には、地下室にもオンドルをいれて住居空間とすることができるようになった。

 

 1984年4月には地下室に関する建築法が大きく変わって、首都圏の25.7坪以上の建物に地下室の設置が義務化された。25.7坪というのは、「国民住宅規模」とされた建て坪である。

 地下室の設置が義務化された一方で、地下室の住居利用については次第に規制が緩和されていった。

 1984年5月の『京郷新聞』の記事によれば、家の一部を賃貸する場合、建築許可なしでもキッチンやトイレ、水道、出入用階段などの設置が可能になるとされた。「陽性化」ということだから、1984年には、すでに多くの地下室で住居用への改造がこっそり行われており、それを追認したというわけである。

 居住のために必要な設備が公然と認められたことで、恒常的な住宅難だったソウルでは、低所得者層を中心とする地下室の住民が増加したものと考えられる。行政側でも、これを「多家族住宅」とか「多世帯住宅」と定義して、住宅難の緩和に役立てようとしていた。

 

 2015年11月から翌年初めにかけて放送されたテレビドラマ「応答せよ1988」にも「半地下」が出てくる。
 ジョンファンの家の半地下にドクソンの一家が住んでいるという設定だった。

 ジョンファンの兄ジョンボンが買ったオリンピック宝くじが大当たり。その賞金で一家はこの一戸建てに住むことになった。一方、ドクソンの家は、銀行員の父親が連帯保証人になったため、他人の負債を背負い込むことになって半地下の家で暮らしている。

 1988ソウルオリンピック開催が決まったのは1982年のこと。翌年4月初めにオリンピック宝くじ(五輪福券オリュンポッコン)が売り出された。一等賞金は1億ウォン。宝くじは何度も売り出されたので、いつの宝くじが当たった設定かはわからないが、一戸建てを建てるにしろ買うにしろ、1億ウォンは80年代であれば十分な金額であった。

 「応答せよ1988」で、ジョンファン一家が宝くじを当てて戸建ての家に住むようになったのは1980年代のなかばという設定であろう。この頃から、地下の構造物を住居として利用することが多くなっていった。

 

 1989年になると、84年に義務化されていた新築住宅の地下室設置が廃止された。冷戦構造が大きく変化しつつあり、北方政策で旧社会主義圏の国々との外交関係の樹立などもあって、非常時の施設や対応を見直すことになった結果でもあろう。

 

 地下室設置の義務化は解除されたが、一方では、地下室は戸建て住宅で建坪を増やすことができて、賃貸にも出せるというメリットもあり、地下室の建設がなくなったわけではなかった。1990年代に入っても、地下室のある戸建て住宅が「多家族住宅」として新築され、アパートや集合住宅で地下部分も住居として分譲することが可能になるなど、地下スペースの住居利用は増えていた。

 韓国の建築家や建設業者は、戸建て住宅だろうとビルだろうと、地下室の設計や施工についてのノーハウを蓄積していたし、経験も豊富だったのだろう。一戸建て住宅の地下室などほとんど見かけることのない日本社会とは違って、韓国では、1980年代から90年代にかけて多くの地下室が造られた。地下室は、当初は1/2が、後には1/3が地下部分にあれば、登記や税制において優遇措置が適用された。

 住居として利用されるのは、一部が地上部分に出ているものが多かったこともあって、「バンジハ(半地下)」と呼ばれるようになった。この「バンジハ」という言い方が一般化したのは1990年前後からである。

 NAVER Newslibraryのデータベースで、「반지하バンジハ」というキーワードで住居関連のものを探すと、1990年以前はほとんど出てこず、1990年代に入って多くの記事がヒットしてくる。

 

 下のは、ある殺人事件の新聞報道だが、事件現場は、新林洞の「ヒョンデ連立半地下・・・102号」と表記されている。

 

 2000年代になっても、こうした半地下の住宅利用はそのまま続いていた。

 

 2019年6月7日の『ソウル新聞』には、次のような記事が掲載されている。

半地下・屋上世帯のうち93%が首都圏に集中

昨年(2018)2月の建築学会論文集に掲載された「集合住宅の半地下の世代の住居環境の分析」には、約14ヶ月(2016年5月〜2017年7月)の間に京畿道アンサンの半地下住居10世帯の住居環境の実態と室内温度・湿度の調査結果が報告されている。調査の結果、10世帯全てに結露やカビがみられ、特に湿気の多いトイレとキッチンにカビが多く発生していた。
劣悪であるとわかっていても半地下に住むのは金銭的理由からである。10年前に大学生になって初めてソウルにきたカン某(30)氏は、軍服務期間を除いて8年間半地下に住んでいる。今住んでいるところは、保証金1000万ウォン、家賃36万ウォン(管理費を含む)。半地下を抜け出すためには、さらに10万ウォン以上必要である。10万ウォンを惜しんだ代償のカビ、湿度、プライバシー侵害に悩まされている。
カン氏は、「大学時代には授業料と生活費に苦しみ、今は新人社会人なのでできるだけ住居費を節約しようと半地下に住んでいる」と語った。
居住権団体のスラグユニオンが、若者242人を対象に調査した「2017年青年の住宅安全実態調査」によれば、「住居環境に危険を感じる」という項目で、地下・半地下・屋上部屋の居住者の37.9%が「YES」と答えた(地上階の居住者は22.2%)。「玄関出入口セキュリティ装置や監視カメラなど防犯設備が一つもない」と回答した地下・半地下・屋根裏部屋の居住者の割合は36.7%(地上階19.3%)。
統計庁が発表した2015年の人口住宅総調査標本集計結果を見ると、全世帯(1911万1731世帯)のうち36万3896世帯(1.9%)が、地下(半地下)に居住し、5万3832世帯(0.3%)は、屋上部屋に住んでいる。全国で地下(半地下)と屋上に居住する41万7728世帯のうち38万9981世帯(93.4%)が首都圏に集中していた。半地下と屋根裏部屋は、都市貧民の最後のスペースである。

 

 


 

 映画「パラサイト(原題:寄生虫)」には、半地下に住む家族が登場する。彼らの半地下住居が1980年代から90年代に建てられたとすれば、築20数年ということになろう。日当たりは悪く、換気が悪くてカビが生えて悪臭がする。そして集中豪雨で水没する。

 

 私は、日本では、地下に構造物があるという戸建ての建物を見たことがない。

 韓国の半地下についてこうやってまとめると、そこにも韓国の現代史の一端が見えてきた。