【こぼれ話】気象通報 地名・人名の読み方 | 一松書院のブログ

一松書院のブログ

ネット上の資料を活用し、出来るだけその資料を提示しながらブログを書いていきます。

 京城測候所の話で、NHK第2放送で1928年11月5日に放送が始まった「気象通報」について触れた。

 私が大学生で山に行っていた1970年前後には、この「気象通報」をラジオで聴きながら天気図を作成していた。

 

 当時もいまも、「石垣島では西北の風、風力3、晴れ………」と始まる。そして、日本国内の稚内が終わるとロシアのサハリンに移る。それが終わると韓国。

 私が聴いていた頃はこうだった。

※音声が聞けない場合は、下の文章を参照してください。

 その後数十年たったあるとき、それが変わっていることに気づいた。

 例えば、今年の6月1日の「気象通報」はこうである。

※音声が聞けない場合は、下の文章を参照してください。
 いくつか違いがある。

 昔は、生身のアナウンサーが読んでいたのだが、2014年からは合成音声の機械放送システムになっているのだそうだ。それぞれの音声パーツから自然な抑揚になるようにパターンを選び出して合成された音声が流れている。そう言われて聞き直すとちょっとつなぎ目が…と思わなくもないが、ほとんど気付けない。

 もう一点。気圧は「ミリバール」を使っていたのが「ヘクトパスカル」になっている。これは1992年12月1日から変わった。テレビの天気予報などでも全て変わったので、今や気圧はヘクトパスカルが常識になっているが、当初はかなりの違和感があった。

 1960年の国際度量衡総会で、気圧は「パスカル」に統一されていたのだが、日本は「ミリバール」を使い続けた。「ミリバール」はアメリカ式の単位で、敗戦によってそれまでの「(水銀柱)ミリ」からアメリカ式に変更せざるを得なくなった。

 それから50年近く経って、日本は気圧の単位を変えた。「パスカル」に「ヘクト(100)」とつけると1ヘクトパスカルと1ミリバールの数値が等しくなる。100パスカルが1ヘクトパスカル、100アールが1ヘクトアール(ヘクタール)となるのと同じ原理。

 

 最後は、地名の読みである。読み方が変わっている。「ソウル」「モッポ」はそのままだが、以前は「ウツリョウトウ」「フザン」「サイシュウトウ」とされていたものが、「ウルルントウ」「プサン」「チェジュトウ」と発音されるようになっている。

 これは1997年7月1日から変更されたもの。

 変更されるのは、ロシアの樺太、韓国の鬱陵(うつりょう)島と済州島、中国の揚子江と海南島の五カ所。それぞれ「サハリン」「ウルルン島」「チェジュ島」「長江」の表記となり、海南島の表記はそのままだが、読み方が「かいなん島」から「ハイナン島」になる。気象庁の「予報用語及び文章」の改訂に伴うもので、七月一日から実施される。民間気象会社にも、同じ言葉遣いをするよう求めていく。
 気象庁は、台風や発達中の低気圧の位置をわかりやすく表現するため、西はバイカル湖やチベット、東はミッドウェー島の範囲で使える地名を限定し、その表記と読み方を決めている。
 中国や朝鮮半島の地名で、多くのメディアが現地読みを始めたことから、外務省が使っている呼称も参考にして踏み切った。

とあり「現地読み」への変更だとされている。この記事にはないが、このとき「フザン」も「プサン」に変えられた。

 

 朝鮮半島の地名や人名などの固有名詞をどう読むかについては、敗戦後の日本では紆余曲折があった。当初は、植民地支配当時の方式をそのまま踏襲して、当たり前のように日本漢字音読みが行われてきた。しかし、新聞社などでは、現地音読みも考慮していたようだ。ただ、視覚的な漢字が日本では好まれることや、記事の文字数の制約で( )内に入れるのにも消極的だった。

 この上掲の投書への回答にもあるように、NHKなど音声で伝える媒体では、朝鮮半島の地名や人名を日本漢字音で伝えることに、大きな疑問がいだかれることはなかった。

 70年代以前の日本社会では、「リショウバンライン」「ボクセイキ軍事独裁」「ホクセンのキンニッセイ首相」。それに、1968年2月に寸又峡で起きた籠城監禁事件は、「キンキロウ事件」だった。
 この1968年の金嬉老キム ヒロ事件の頃から、徐々にではあったが、朝鮮・韓国の人名や地名などの固有名詞を日本音で読むことが内包する差別意識の問題が、意識されるようになり始めた。金嬉老キム ヒロ事件の裁判の過程でも度々問題提起されたが、まだ日本社会では、この差別性について広く気づかれるところまでには至っていなかった。

 1975年になって、北九州の牧師崔昌華チォエ チャンホアが、自分を取材したNHKの放送の中で「サイ牧師」と自分の名前を読まれたことに対して訴訟を起こした。

 原告の崔昌華は、特別弁護人として金嬉老裁判にも関わっていた。

 「自分たちの都合や便宜」だけで他者の固有名詞を読むことに慣れていた日本社会でも、そうしたやり方に対して各方面から反省と自己批判が起こり、真っ当な日本社会への方向転換を促す動きが、徐々にではあるが起こってきた。

  しかし、この崔昌華牧師の裁判は福岡高裁では敗訴した。人格権の侵害は認められず、謝罪要求は却下された。

 とはいっても、この金嬉老事件と崔昌華訴訟は、日本社会における「日本音読み」の見直し、「現地音読み」への潮流を作る契機になったことは事実である。

 翌年7月、当時の外務大臣安倍晋太郎は、国会での答弁で、韓国人や中国人の人名については日本語漢字音で読むことをやめると表明した。当時、9月に韓国大統領全斗煥の初の日本公式訪問を控えていたこともあり、政府が日本社会で起きていた「現地音読み」の潮流も踏まえて方向転換をした。

 今だったら「忖度」と言われそうだが、NHKと民放各社はこのときに早速足並みをそろえて現地音読みを始めている。実際に「忖度」だったのかもしれないが、政府権力への忖度で、今の安倍●三周辺への忖度とはかなり違う。

 ただし、この時の「現地音読み」は、大統領や政府閣僚などの要人のみで、全ての人名・地名を現地音読みにするものではなかった。

 当時の中日映画社作成の「中日ニュース」では、まだ日本語漢字音読みと現地音読みを両方使っている。

中日ニュース No.1487_1「全斗煥大統領来日」

 

その後、1988年になって崔昌華によるNHK訴訟の最高裁の判断が出た。

 この1988年は、ソウルオリンピックが開催された年である。ソウルオリンピックの2年前の1986年には、ソウルでアジア大会が開かれた。この頃には、すでに、要人だけでなく一般の韓国の人名は韓国語読みのカタカナ表記にする、また、地名についても同様に韓国語読みのカタカナ表記という方向になっていた。当時、ソウルの日本文化院には、日本のプレスや企業などから1日に電話で何本も「これはカタカナでどう書けばいいですかねぇ?」という問い合わせがあった。この頃が一つの曲がり角であったと思う。

 

 と振り返ってみると、日本の「気象通報」が「ウツリョウトウ」「サイシュウトウ」となったのが1997年7月のことだというのは、信じられないほどの遅さである。「気象通報」など一般生活とは縁がないものだったということも理由の一つなのかもしれないが…。

 

 その前年の1996年には、サッカーW杯の日韓共同開催が決まっている。それまで「竹島」の存在などほとんど知らなかった日本社会が日韓領土問題の存在を知つことになったこの年。まだ一度もW杯本戦に出たこともなかった日本と、2度W杯本戦に出たことはあったが未だ発展途上国扱いされていた韓国が、それぞれ単独開催を主張し、FIFAが苦肉の策として打ち出したのが2002W杯日韓共同開催であった。

 2000年に韓国で公開された映画「JSA」。日本では2001年に公開され、「シュリ」に続く話題作となり日本での韓国映画ブームの火付け役となった。この映画には、「リ ヘイケン」「ソウ コウコウ」「シン カキン」それに「リ エイアイ」などが出ていた。などと日本語で語っても日本人にも全く理解してもらえない。「李炳憲」「宋康昊」「申河均」「李英愛」と書いてもわかってもらえない。今の日本社会では、「イビョンホン」「ソンガンホ」「シナギュン」「イヨンエ」とやれば、わかる人は「あ〜ぁ!」と理解できる。

 

 今の状況だけを知る人には、韓国や朝鮮の固有名詞は「ずっとそうだった」かのように思えるかもしれない。

 しかし、「リヘイケン」「ソウコウコウ」が「イビョンホン」「ソンガンホ」でしか通じなくなったというのは、そして、「ウツリョウトウ」「サイシュウトウ」が「ウルルントウ」「チェジュトウ」と呼ばれるようになったのは、差別の自覚や人権への配慮をめぐる長い歴史の積み重ねがもたらした変化によるものである。

 

現在の「NHK放送ガイドライン」には、次のように記載されている。

韓国と北朝鮮の地名・人名・企業名などは、原則としてカタカナで表記し、原音読みとする。
必要に応じて、カタカナ表記の後に漢字表記をかっこに入れて付ける。
表記にあたっては、NHKが放送で使う用字・用語のルールに準拠する。

これは単なる小手先のガイドラインではなく、他者を尊重するガイドラインはずなのだが、どこまで理解されているだろうか。また、我々もそれを自覚しているであろうか。