植民地時代の養護施設「鎌倉保育園京城支部」の話をブログに書いた。
三坂通 鎌倉保育園(1)
韓国のドラマには「孤児」とか「孤児院」というのがよく出てくる。ネットで検索すると、孤児の出てくるドラマのランキングとか、韓国ドラマの筋書きに孤児や孤児院が出てくる背景の分析などの記事が少なからず目に付く。
そんなドラマで思い出したのがこれ。もうだいぶ前になるが、2001年の陰暦の正月(ソル)に放送されたSBSドラマ「遠い道(먼길)」。その終盤にこんな場面がある。
NHKでも2005年と2006年の正月にオンエアされた。ちなみに、このドラマはここで全編を観ることができる(字幕なし)。
http://allvod.sbs.co.kr/allvod/vodEndPage.do?mdaId=22000280159&btn=free
このドラマの設定では、主人公のウシク(イ・ビョンホン)は父親と死別し、母は自分一人では育てられないとウシクを孤児院に預けたことになっている。「棄児」のケースである。
一方、これは映画「怪しい彼女」(2014年公開)の中の架空の挿入ドラマ。
1993年にいなくなった娘を探し出したという設定。これは「迷児」として施設で育ったというケースであろう。この場面は、韓国人がいかにこの種のドラマが好きか、韓国人自身がよくわかっていることを示している。
ところで、ブログを書くにあたっていろいろ検索していたら、興味深い資料がいくつか出てきた。
併合前、大韓帝国時代の1909年の『皇城新聞』に迷子の記事がある。
迷子探し
南門外に住む十二歳の女児黄順伊が三四日前に北部の中橋などで道に迷ってさまよっていたが、中学校内に住む盧炳祥氏が自分の家で保護しその子が家に帰れるよう待ち望んでいるという。
日本の侵略とともに、首都の様相が急激に変化し、さらに人の移動が多くなったことも関係しているのかもしれない。
1920年代に入って、迷子に関する記事を検索していたら、「失家児」という言い方もしていたことがわかった。「失家児」というキーワードで検索しても結構記事が引っかかってくる。
新聞に掲載されているのは、迷子になった子供が保護されて、その情報を新聞に掲載して親や親族を探すケースがほとんどである。ただ、全体の迷子の数からすれば、新聞に載るのはごく一部であっただろうし、この記事のように写真まで掲載するという例はそう多くはなかった。
一方、行方不明になった子供を親が探すケースもあった。いなくなった5歳の子供を探す親が、謝礼金50円を出すという話が記事になっている。
実は、大人も迷子になっていた。それが1923年のこの記事。4〜5日前に安城から京城府の勧農洞に引っ越してきたばっかりの朴相雲の妻池成川(33歳)が街の様子を見に行くといってそのまま帰ってこない。きっと迷子になったに違いないと鍾路署に届けて探しているという記事である。
NAVER Newslibraryでキーワード「迷兒」と「棄兒」とをそれぞれ検索してみると、
日本の植民地支配下では、「棄兒」に関する新聞記事が非常に多かったことがわかる。
ところで、『毎日申報』の記事の写真を見ていて思い出したことがある。迷子の写真が載っている牛乳の紙パックである。
「迷兒」に関する記事が突出している1986年。1986年は、ソウルでアジア競技大会が開かれた年だが、この年に迷子が激増したわけではない。「迷子探し」が一つの流れになった年が1986年である。
その先陣を切ったのが、ラーメン製造の青宝食品。7月28日から自社のインスタントラーメンの袋に、迷子になったという子供の写真を印刷して販売し始めた。1ヶ月も経たないうちに、知的障害のある行方不明の青年が見つかった。
このキャンペーンは脚光を浴び、青宝食品の金元吉社長は一躍時の人となった。
1983年6月からの「離散家族探し」が影響していると思う。とにかく、一日中テレビはこのような放送を流していた。家にいたら、ずっとこのテレビ画面を見ていた。知っている人が出てくるわけでもないけど、目が離せない。外に出ても、店でも食堂でもバスターミナルでも、これがかかっていると見入ってしまう。
↓こんな感じの放送を一日中、コマーシャルなしで流していた。
https://www.youtube.com/watch?v=X311bZz5HiI
とにかく、しばらく見ていると、何かあると「マジャヨォ!」「マッスムニダ!!」というのが浮かんでくるようになる。「家族の再会」が最高の価値であるとインプットされた。
多分、これが1986年の「迷子探し」にも強く影響したと思う。今回改めて「離散家族探し」の動画を見ていたら、朝鮮戦争の時に親や兄弟姉妹とはぐれて、つまり迷子になって孤児院で育ったというケースが結構あることに気づいた。
ラーメンの包装紙の写真で迷子が見つかると、今後は牛乳メーカーがこれに加わった。8月末から、メイル牛乳が牛乳パックに迷子の写真を掲載し始めた。行方不明になった子供の親から提供された写真と個別情報を牛乳パックにプリントしたのである。これは私もしっかり覚えている。
そして、このキャンペーンで親のもとに帰ることができた子供がいた。
こうした成果を受けて、三立食品もパンの包装紙への迷子探しの写真掲載を始めた。そして、その結果、1年ぶりの親子再会を果たすという成果をあげている。
1990年代に入ってからは、タバコの外箱に迷子で行方不明になった子供の写真を載せるようになった。
このあたりがアナログの「迷子探し」の最後かもしれない。すでにパソコン通信などのネットワークが動き始めようとする時期にさしかかっていた。
韓国通信が、パソコン通信を利用した迷子探しのシステムを稼働させたのが1994年6月20日から。それ以前から警察のネットワーク化なども進んでいたはずだが、やっぱりこうした民に開かれた情報交換・情報共有の威力は大きかったと思われる。
ラーメンの袋や牛乳パックやタバコの箱に印刷された子供達の何人くらいが親元に帰れたのだろうか。もう30年前後は時間が経過しているので、30代後半から40手前くらいの大人になっているだろう。養子として海を渡った子供もいるかもしれないし。
今は、こんなサイトで迷子を探せる。

http://missingchild.or.kr/
ここを運営しているのは、児童権利保障院。2005年12月1日制定の「失踪児童等の保護及び支援に関する法律」に基づいて設立され、保健福祉部の委託を受けて事業を行っているとある。
うちの息子は3歳からソウル暮らしをしたが、幸い迷子にはならず小学生になって帰国できた。今は息子が迷子になる心配はなくなったが、今度は高齢者の自分が迷子にならないように気をつけなきゃ……。
















