ススンの日 | 一松書院のブログ

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 5月15日は、韓国では「스승의 날ススンエナル」。「先生の日」と訳される。一昔前まで日本の学校の卒業式で歌われた「仰げば尊し我が師の恩♪♪♪」、この「師」が「스승의 날ススンエナル」の「ススン」に近いだろう。ただ「師の日」ではわかりにくいし、「恩師の日」というのも今の時代には馴染まない。「学校の先生の日」ということだが、とりあえず「스승의 날ススンエナル」で話を進める。

 

 今年も5月15日には、韓国人の卒業生から電話やメッセージが来た。韓国人は律儀である。

 

 1982年の5月15日、私は高麗大の大学院生だった。この年の5月15日は土曜日で授業はなかった。翌週の月曜日の授業時に話題になった。結構歳の行った院生が「先生の日」でなんだかんだと楽しげに話すのは何でだろうと思った記憶がある。これが韓国なのか…などと思ったが、実は、この年に「스승의 날ススンエナル」が復活したという事情もあってのことだったらしい。

 

 「스승의 날ススンエナル」という呼びかたが始まったのは1964年のこと。ただこの年は5月26日で、5月15日に定められたのはその翌年。朝鮮王朝の世宗が誕生したと記録されている陰暦の太祖6年4月10日を現行の太陽暦に換算したのが5月15日なので、世宗の誕生日にちなんでこの日が「스승의 날ススンエナル」とされたのである。

 さらに起源をたどると、1958年、忠清南道の江景カンギョンの江景女子高校のノ・チャンシルという女子高生が、青少年赤十字団の活動として病床にある教師を見舞う活動を始め、これがきっかけとなって退職教員などを訪問して慰問する活動にまで広がった。これが、1963年になって「은사의 날ウンサエナル(恩師の日)」の行事となり、赤十字社のバックアップもあって忠清南道を中心に行われた。その成果を、その年の青少年赤十字団の全国大会で報告したところ、これが全国規模に拡散し、翌1964年から「스승의 날ススンエナル」として行事が行われるようになった。そして1965年に、赤十字社が大韓教育連合会(教連)や青少年倫理委員会などと協議した上で、5月15日を「스승의 날ススンエナル」と定めて、全国規模で生徒たちが参加する行事にするよう呼びかけ、これがこの行事の始まりだとされている。

 江景女子高校は、現在は江景高校となっているが、その学校ウェブサイトには「先生の日」の始まった学校であることが二番目の項目としてメニューに挙げられている。

http://ganggyeong.cnehs.kr/main.do

 

 ただ、「스승의 날ススンエナル」という名を冠した行事は、それ以前にも散発的には行われていたようで、例えば、1948年4月の『江原日報』には春川の女子中学で「스승의 날」の行事が行われたことが報じられている。

 

 江景女子高の行事が赤十字社の活動の一環として行われ、赤十字社のネットワークで広がり、それを大韓教連などの後押しで一気に全国規模となったことから「스승의 날ススンエナル」の起源とされているが、実際には同じような活動はそれぞれの地域や学校でも個別に行われていたと思われる。

 大韓ニュースの未放映動画の中に1968年の「스승의 날ススンエナル」の場面がある。この時も看板には大韓赤十字社のロゴが入っており、赤十字社の旗が掲げられている。

 

 ところが、この「스승의 날ススンエナル」は「オリンピックの日」「学生の日」などとともに1973年に廃止されてしまった。当時の朴正煕政権は、1972年12月27日に維新憲法を公布して独裁体制を強めていた。この維新憲法は大統領直接選挙制を廃止し、大統領に緊急措置権を与え、立法や司法の権限まで大統領に集中させ、再任制限を無くして終身大統領を可能にするといった独裁色丸出しの憲法であった。こうした中で、社会生活や家庭生活についても様々な制約が加えられた。国旗下降式や映画館での国旗・国歌上映、レコードに健全歌謡が収録されていたことなども、その流れと無関係ではない(→拙ブログ参照)。

 1973年3月には、「家庭の儀式に関する法律」で、虚礼・虚飾の廃止という名目で、結婚式や祭祀、それに還暦祝いなどが厳しく制約されるようになった。各所に建てられた礼式場で簡素な結婚式を行い、終わった後は隣接する大食堂でククスやカルビッタンをかきこんで焼酎を飲むという結婚式が定番になったのはこれ以降のことである。

 この時に「스승의 날ススンエナル」も廃止された。教師への贈り物を競う風潮が問題視され始めていたし、全体的に「〜の日」というのもやたら多くなっていたことも事実である。

 

 「스승의 날ススンエナル」が復活したのは、1982年。この年の5月15日、9年ぶりに様々な行事が行われるようになり、「師道憲章」なるものも出された。

 京郷新聞では4コマ漫画でも取り上げている。

 

 全斗煥政権は、朴正煕大統領暗殺の後の「ソウルの春」を、粛軍クーデターや光州事件を通じて押しつぶし、独裁権力を継承していくが、それが故に、執権当初は「緩和策」で同じ独裁でも朴正煕時代との違いをアピールしようとしていた。夜間通行禁止の解除(1982年1月5日)とか中学・高校の制服の廃止(1983年)などが行われた。映画『サニー』(2011)でイム・ナミが私服で学校に通うのは、それが1980年代だからなのだ。

 「緩和」を装うその流れの中で、「스승의 날ススンエナル」も復活されたのである。

 1983年当時の大学院生が、あーだ、こーだといっていたのは、独裁の継続の弥縫策であることはわかっていながらも、自分たちが小・中学校の時にやっていた「스승의 날ススンエナル」が戻ってきたという、ある種複雑な気持ちからだったのかもしれない。

 

 そして、1987年の民主化宣言以降、再び状況が変わってくる。

 政府の主管する行事ではなくなっていくのだが、それ以外の様々な局面で注目を浴びるようになっていく。特に、初等・中等教育の現場での成績評価をめぐって、保護者の贈り物競争が過激になっていくのである。親が現金や商品券など、いわゆる付け届けをすることが社会問題化していった。

 1990年代の後半になるとますますエスカレートして、ついには「스승의 날ススンエナル」にソウル市内の全ての小学校を休校にして、児童が教師に贈り物を持って来られないようにするという措置まで取られた。

 

 この背景には、韓国のおける大学入試制度の変化もある。

 現在の大学修学能力試験、いわゆる「修能スヌン」が導入されるのが1994年度である。それまでは「予備考査イェビゴサ」で大学進学が決定されていた。いわば一発勝負的に進学が決まっていたものが、高校までの成績評価、内申評価などへ比重が移り始めたのである。

 親は敏感に反応する。その結果、初等・中等教育の現場で教師への付け届け競争になり、스승의 날ススンエナル」が、その最前線となってしまったのがこの時期であった。


 現在は、2016年 9月28日に施行された「不正請託と金品などの授受の禁止に関する法律(請託禁止法:金英蘭キムヨンナン法とも言われる)」で、公務員や公共機関の職員などとともに学校教職員が一定額以上の食事や贈り物、慶弔費を受け取ると、職務上の利害関係がなくても処罰されることになった。ところが、この法律の解釈をめぐって、昨年の5月に国民権益委員会の委員長が「(生徒・児童の代表でなく)一人一人の生徒・児童がカーネーションを一輪でもプレゼントすれば、それは原則として請託禁止法に違反する」と述べたことから、感謝の気持ちすら受け取れないような「스승의 날ススンエナル」などないほうがマシという意見も教師の間から出てきている。

 今年の「스승의 날ススンエナル」も、全国の小中高校の5.8%、約700校で休校措置が取られたと報じられている。何かと物議をかもす日でもあるのだ。

 

 韓国では、「結果の公平性」よりも、「競争の公正な環境・公正なプロセス」が重視される。みんなが「よくできました」「頑張りました」などという公平性は求められない。自分の子供の内申成績をよくすることを目的にして高額なプレゼントをすることがないわけではないが、それと同時に公正な内申評価をしてもらう公正な環境・プロセスを実現するという理屈も持ち出される。他の子たちが高額なものを贈っているとすれば、公正な競争環境のために自分の子にも持たせる必要がある。こうなると自分たちで贈り物をやめるというのはとても難しい。他からの力でやめることしかできなくなる。それが「休校措置」であり「金英蘭キムヨンナン法」ということになるのであろう。

 

 「스승의 날ススンエナル」には私も何かとやってもらった。高額な商品券とか現金はなかったが(^^)

 ということで、初めて調べてみたのだが、結構奥が深いと改めて思った次第。