予断を許さない状況の母 | ワンライフプロジェクトのブログ

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平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

この一年で母が一気に弱くなってしまいました。


昨日、関東から帰り、1週間ぶりに母を見たら、10歳くらい老けていて驚きました。

胸に繋がれた検査機。
母が『キツイ』と言わなくても機械が知らせる。
数字は、見えないところを教えてくれる。
知らなくていい事をズバリ指摘する。

肺の中が真っ白で、気泡みたいなものがたくさんある。
呼吸する事が苦しい病。

いくつも破裂していて
もう、予断を許さない。


母とのお別れを覚悟するようにと告げられてしまった。

母の最期をしっかり見届ける事にしました。


人は、生まれた瞬間、死に向かって生きていく。

いつかは、必ず訪れること。
そう、自分に言い聞かせる。

ムクッと起き上がりしっかりした口調で
『帰る、家に帰る、車に乗る』
と、言い放ち、ベッドから降りようとする母。

気力は十分。

『ダメなのよ、今日はダメなのよ』
と、言っても
涙を浮かべながら
『いいから、早く、早く、車を持ってきて』
と、繰り返す。


母の涙は堪える。


今まで、母の涙を見たことがなかった。
母も泣くんだ‥と、知った瞬間だった。


ワンライフプロジェクトを立ち上げてから
少し経った頃、旦那さんが半年蒸発をした。

私を支える事に必死だった母は、
『何かあれば、すぐ言わないかんよ』
と、言いながら
強気で私を励ました。

内心は、どんなに私と息子達を心配していただろう‥

私以上に、不安でいっぱいだったはず。



私の心臓が何度か悲鳴をあげた時も
『うちで休んだらいい』
と、私を十分休ませてくれた。

確かに、医者よりも母の言葉の方が
私には効いた。


強かった‥
母は強かった


しかし、その母の強さは
父がいたからだ。


父と母は、二人でひとつ。
ず〜〜っと一緒にいて
ず〜〜っと一緒に全てを乗り越えてきた。



親子の絆と、夫婦の絆は
どっちが強いか?
と、人に問われたとしたら
私は『夫婦の絆』と即答する。

それは、父と母を見てきたからだ。



ありがたいことです。




娘の私の言葉は、母には届かない。
父の一言は、瞬時に伝わる。

すごい!!!
すごい事だと私の心に刻まれた。


恋はしても、結婚はしない
と、若い人達の口からよく聞くけれど
いやいや
結婚の素晴らしさは
結婚してみなきゃわからないものですよ。


と、一度の結婚を失敗に終わらせた私が言うのもなんですが。


母の最期
母の生き抜く姿を
ちゃんと見届けたいと思います。

父に守られて
女を全うする母を。


しかし
どんなに覚悟しても
心は追いつかない。

今日も、明日も、明後日も
どうか元気で
まだ、そばにいて

そう、願うだけの私です。


母さん
幸せな人生でしたか?

母さんの娘に生まれて
私は最高に幸せです。

桑野やよいさん
あなたから生まれた
このたったひとつの命とだからこそ
私は私の人生を歩む事が出来ます。

大好きな母さん
天国に逝っても
お母さんと一緒に生きていきます。

桑野優子