その人を私たちは『小さなおばちゃん』と呼んできた。
名前や年齢、家がどこなのかも全然わからずに。
よく見かけるこの小さなおばちゃんと言葉を交わすようになったのは、知り合って1ヶ月くらいたってから。
神社で遊んでいる時に、友達が話しかけた事がきっかけだった。
優しくて、穏やかで、時々お菓子をくれるおばちゃんを、みんな大好きになっていった。
学校の話や友達の話を、にっこり笑いながら聞いてくれるおばちゃんは、お母さんの何倍も優しい目をしていた。
そのおばちゃんと、いつしか会えなくなった。
どうしたんだろうね、おばちゃん来なくなったねって友達と話していたけれど、私たちはいつの間にか会えなくなった事すらも忘れていった。
時は流れ
先週、私は彼の家に初めて招かれた。
仏壇があったのでお参りをさせてもらった。
彼のおじいちゃん、おばあちゃん、そしてその隣に小さなおばちゃんの写真があった。
15年ぶりの再会。
彼の父親の妹さんだった。
会えなくなった頃に亡くなっていた。
彼のお父さんが話してくれた。
公園で仲良くなった小学生の女の子の話をよくしていたよ。
あなたでしたか。
笑いながら活発に動き回るあなた達に元気をもらって帰ってきていました。
ありがとう…と。
ただ公園で遊んでいただけの私たち。
お礼を言われるような事は何もしていないのに。
でも、その触れ合いが、このおばちゃんには、大切な時間だったのかもしれない。
私こそ、大人の人が優しく笑って接してくれる事が嬉しかった。
私こそ、楽しみにしていた。
おばちゃん、生きててくれたら、私の本当のおばちゃんになってくれたんだね。
再び出会ってくださってとても嬉しいです。
他人に関与しない世の中って本当に殺風景。
私には似合わない。
私もおばちゃんのように、子ども達に優しく笑いかけられる大人になります。
もっともっと、人と人が繋がり
楽しく生きれる世の中になるといいなぁ~
『たったひとつの命だから
みんなが笑顔で生きる事が出来ますように』