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3、長男の治療経過

これまでの過程はこちら

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 31.陽子線18~23回目、深夜のおしゃべり


の続きです。

平成の間に終われそうでよかったw


●ゼーゼー復活


外泊に出る土曜日。

またゼーゼーコンコンが始まりました。

お隣のベッドも同じ感じで、どっちがもらってどっちが移したかな、という感じの風邪。


外泊には出られましたが、吸入のメプチンの代わりに粉薬のメプチンを継続することに。



パパのお迎えを待つ間、久しぶりの屋外。

かなり目の横が赤くなってきて、紫外線を避けるために外では帽子必須でした。


家ではすこぶる元気で、おもちゃを持って猫を追いかけ徘徊。

いつのまにか、かなり歩けるようになっていました。

私も、入院中は隙を見て10分でシャワー(しかも虫が出るので怖くて爪先立ち(笑))なので、お風呂でノンビリ。

お隣のベッドの分まで、最後の買い出しにも行けました☻


●23回目、インタビュー


日曜に病院に戻り、あけて月曜。

2017年6月26日。


夫はこの日お休みで、せっせと面会に。

土曜のお迎えと日曜の送りもしてくれたので3日連続。

なんだかんだ夫も頑張ってくれてたな、と、今更うっすら労う(笑)


本当は鬼門の眼底検査の日。

ゼーゼーと鼻がすごかったため、先生たちが、「来週には国がんで診察(MRIの入院)があるし、この状態でケタラール必須な眼底検査をやるとまたサチュレーションが下がる」

と話し合っていただき、

眼底検査免除!!!(。・人・`。)ありがたやー。


毎週毎週本当に憂鬱だったので、ホッとしました。


体調イマイチな上、朝から点滴とサクションでぐずぐず気味の長男。

それでもなんとか鎮静なしで、月曜初白星☆


そして、覚醒しても機嫌の悪い長男を夫に押し付け。

私は、研究への協力ということで、看護師さんのインタビューにお答えしました。


陽子線治療中の親子の関係やそのケアについて調べているという看護師さんと、1時間くらい個室でお話。



長男の遺伝発症がわかるまで。

抗がん剤から局所治療の過程。

摘出を受け入れられなかったこと。

RBの眼球温存照射は日本ではほとんど例がなく、照射か摘出か悩んだ暗黒時代。

他の患者さんの疾患の重さと比べてしまう葛藤。

医療者の気遣いや、同じ治療中の子の親との交流がどれだけ支えになってるかという話。

今は治療しているという事実があり、精神は穏やかなこと。

長男の経過次第で、国内のRB患者の温存のための陽子線照射という選択肢が生まれるかもしれないということ。

(それが最善の治療とは思いません。やらずに済むに越したことない)

温存=再発の懸念という今後の不安。



などなど。

つらつら考えていたことを言葉にできて、気持ちの整理ができました。


看護師さんたち、夜勤に、子供の相手に、研究に、本当に忙しそうで頭が下がります。




●24回目、カーテン隔離リターンズ


6月27日。

咳と鼻が治らず、無念のカーテン隔離。

暇を持て余す怪獣の機嫌の悪いこと悪いこと。

親子共々疲弊していると、病棟でいつもちゃきちゃき働いていたのが印象的だった看護師さんがやってきて、

「面談室あいてるから、遊ばせてきていいですよー」

と、使っていない部屋の机を寄せて、リハビリスペース(という名の遊び場)を作ってくれました。


リハビリの先生もちょうどやってきて、面談室でボールを転がしたりヨタヨタ走ったりのリハビリ。

週数回来てくださっていたリハビリ(てか本当にただの遊び相手をしてくれた)もこの日が最後。


入院した頃の長男の発語は、

「まんまー、ままー(どっちを指してるのかかわからない)」とか、

「だっどぅん!(抱っこ!)」とか、

そのくらいだったんですが。

この日、言えた単語は、

「あっとぅん!(ありがとう)」

「わんわん!」などさらに数種類追加。


そして、ありがとうと一緒に、ペコっと頭を下げる芸(笑)も、この日のリハビリ中に覚えました!

(できた瞬間、「わー、ポケモンが進化したー!」って思っちゃった)



たくさん構ってくれたリハの先生に、一丁前に「ありがとう」をしてお別れ。

そして、何だかんだ動いたので、陽子線の時はぐっすり。



かと思いきや。



直前で突然の覚醒。

こりゃダメだーと先生を呼びましたが、

この日は初めて、担当医にも名前がない、回診でしか見かけない女医さんでした。


これまでの鎮静追加データを見ながら、

「んー、(ケタラール)10mlじゃなくて5mlでいいかなー」と、

少なめに鎮静。(量は正しいかあやふやです)



そして、またもや固定中に覚醒。

「あーやっぱ無理かー」と、再度追加。



再び固定して、マスクをして、照射位置の調整をして。

照射前に全員被曝しないよう外のモニター室に移動しました。



陽子線の実際の照射そのものの時間は、トータル1分〜2分?もないくらいです。

20回くらいに分けてビームを当て、その日の残り照射量の数字が少しずつ減っていき、0になったら終わり。それが一回の工程です。



照射の間、その数字と、モニターに映るアップのマスク姿の長男。全身が映っている引きの台の映像。モニター越しに見える心拍数などをみんなで見つめながら、無事に終わるのを待つ、というのがこれまでの23回の照射でした。



ところが。

この日初めて、半分くらいの照射量が終わったところで、

もぞっ、

と長男の体が動きました。


え?え?えー!


とざわざわする技師さんと看護師さん。


手も足も胴も顔も全て固定されているのでもちろん動けないのですが、覚醒に近い感じでもぞもぞしだして、

モニター室では残りの照射量と画面を交互に睨みながら、みんなヒヤヒヤ。


「ピーーー」っと終了の音がなったと同時に、小走りで照射室に戻りました。


長男はほぼ覚醒していたようでした。

直前にサクションをこれでもかとしていたので、呼吸は落ちませんでしたが、固定バンドを外した途端大泣き。


技師さんが抱っこして救出してくれました。



明日で終わりなのに、これまでで一番ヒヤヒヤしたねーと、看護師さんと話していると。



先ほどの女医さん、

「戻っていいですか」

と看護師さんに一言。


でも、鎮静を追加した場合は、移動中のトラブル防止のため、病棟まで医師が付き添うのが決まりになっています。

(追加なしだと病棟の看護師さんだけでいい)



それを看護師さんが伝えると、

この女医さん、なんと、小さく舌打ち!!!



っえーーーーーー!!

親の前でーーーーーー??



と、私、一瞬驚いたのち、イラァッ(笑)




そんな態度とられたら、こっちだって、


過去のカルテ見てるのに微妙な量の鎮静を分けて打ったからあんな危うい照射になったんでしょーーーー!!!!


と反論してやりたくなりましたが、

明日で終わりだから、と、自分に言い聞かせ、

技師さんや看護師さんの優しさを思い出しながらぐぐっと我慢。



しかし、患者の前で医師が舌打ちするかね、全く。




●25回目、最後の照射


6月28日、照射最終日。

朝から、あまり色々考えず、今までと同じ感じで無心で臨もう、と、ルーティーンをこなし。


いよいよ最後のスヌーピーの部屋、と思いきや。

「ごめーん、ちょっとバタバタして、今日こっちね!」と、

大人用の何にもない真っ白な照射部屋へ。



最後なのに何だか拍子抜け(笑)



無心で見守ったのが良かったのか、昨日のヒヤヒヤとは打って変わり、順調に照射が終わりました。



陽子線チームの皆さんに

「終わったねーーーー頑張ったねーーー」

と労ってもらい、ジーーーン。



おもちゃやシールや写真や、戦隊モノやアニメのCDや、ごちゃごちゃしたものがたくさんたくさん置かれた外のモニタールーム。

それを見るだけで本当にこのチームのチームワークの良さと子供を見守る優しさが伝わってきました。


ありがとうございました。と、深く一礼。




一番頑張った本人は、なんと、照射終わりにきっちり覚醒して、しかも泣かずにストレッチャーの上でも座って移動。

いつもほとんど寝たままか泣いたまま運ばれているので、これは空気読んでる!と思い、

すかさず「ありがとー(ぺこっ)」の芸を披露。


きちんとお礼が言えて、良かったなーと(笑)



そして。



陽子線チームからの「サプライズプレゼント」をいただきました。



といっても、他の退院して行く子が持っていて実は少し前から知ってはいたものの。


陽子線がんばったね!と書かれた写真と

キラキラピカピカのデコレーションされたフォトフレーム。


写真は病棟で看護師さんや保育士さんが隠し撮りしてくれていました。

最初の方は個室や隔離が多かったので、後半に慌てて撮ったとか。



写真の加工やフレームのデコレーションは、強面で無口で、優しく優しくマスクを装着してくれていた技師さんが作ってくれたものでした。

(それも他のお母さんに聞いて知ってたw)



長男は小さかったのでスヌーピー。

少し大きい子たちはその子が好きなキャラクターでデコレーションするそうです。



辛いはずの治療が、こんなに温かい気持ちで終われたのは、

病棟の看護師さんや主治医のN先生、担当医のS先生とO先生、病棟の保育士さん、リハビリの先生、そしてやはり、毎日毎日、一緒に照射を見守ってくれた陽子線チームのおかげでした。


ただただ、感謝の言葉しかありません。




●退院の日


2017年6月29日、木曜日。

退院の日はいいお天気でした。


この日のために準備したわけでなかったけれど、

もともとスヌーピーのコミックが好きだった私。

チャーリーブラウン姿で退院させてみました。



病棟で知り合ったお母さんたち、看護師さんや主治医、担当医にお礼を言い、陽子線チームにもご挨拶。


きちんと効いているか、再発はしないか。

これでもう治療なし!という保証もなく、もちろん不安はありましたが、

無事に治療が終わったという安心感の方が大きかったです。



陽子線そのものの治療は痛みや副作用(照射部位によってはもっとひどく出る場合もあると思います)が、ほとんどないこともあり、

長い共同生活を送っていたところから離れる寂しさも少し。




そしてそして。



私が地味に目標にしていた「星取表」は。



25戦中、13勝12敗!!!(笑)




最終日の鎮静なしのおかげでぎりっぎりの勝ち越しでした。

本当に、小さな体でよく頑張りました。






●その後の照射部の様子



照射部のその後を先に書いてしまいます。



肌の表面の影響のピークはしばらく経ってから、とは言われていたのですが。

結局ただれたりすることもなく、本人も痛がったりすることはありませんでした。



発赤や熱を持った感じのピークは、終了直後の1週間くらいでした。
目尻が涙や目やになどのせいもあり少し皮がむけましたが、痛がるほどでもなく。

6月末に退院し、7月は赤みが目立ちましたが、8月にはそれも治まり、このまま消えてくれるかなーと思っていたら。

今度はやはり日焼けのように黒っぽくなり、
2ヶ月弱で、目尻と照射のふちの部分が赤黒くガサガサ肌荒れのような感じになりました。
9/6の直線の傷は引っかき傷です。
それが肌荒れをさらに誘発したかはよくわかりません。


入院後半からは弱いステロイド剤の塗り薬を朝晩。
退院してからも2ヶ月くらいは塗ってたかなー。
秋口までは帽子必須、冬になるくらいまでは外に出るときは日焼け止めを塗っていました。

その後は日焼けが沈着したようなまぁるい跡がありましたが、見る人が見ればわかるかなというくらい。

翌年の春になり、日差しが強い日などに、ふと気がつくとその丸い輪郭がぼんやりわかったりはしたので、日差しが強い日はしばらく日焼け止めを

塗るようにしていました。


今は、普通の時はまずわかりません。

意識してよくよく見ると、なんとなく、もしかしたら、ここらへん?と思うときもありますが、私がそう見えるだけかも、というくらい。




現在、照射終了から1年9ヶ月経過しました。

再発や目立った副作用はありません。

放射線による後遺症の一つ、白内障の症状も今の所ありません。


長男は視神経側への照射だったため、理論上は水晶体への照射を避けたと言われています。

X線だったらここまで微調整できなかったろうなぁと思うと、陽子線を受けられたメリットはあったかなと思っています。


また、こめかみや右目周辺、鼻の骨の陥没や左右差も今の所はほとんどわかりません。

右目の方が小さいような気も、しなくもないんですが、長男はもともと右目が奥二重、左が二重なので、そのせいもあるのかないのか、という感じ。


もう少し成長したらまた影響が出るのかもしれませんが、それは覚悟しつつ見守りたいと思います。





この退院の後、MRIを撮って経過観察!と言われた翌月に、落ち着いていた左目が再発します。


その後の再発治療で主に見えていた左目は光程度の視力となり、見えていないはずの右目で物を見るようになり、現在に至ります。


よくぞ陽子線の間は再発せずにいてくれたというべきか、

もしX線を選んでいたら、視力は温存できたのか、

今となってはたらればです。



その左目の再発の告知までで、やっと、やーーーーっと、過去に書いたブログとつながります。

あと1回程度、過去ブログにお付き合いください。




ええ、もちろん、お暇ならで。




(◍´•ω•` ◍)長くてごめんなさい。