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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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※2016年6月~2017年3月までの両眼の局所治療中(眼動注など)の話です。
●右眼動注7回目、左レーザー
2017年3月。
東京への引っ越し初日に熱を出し、スマホ検索で一番上に出てきた近所の小児科に駆け込んだり、
1カ月のホテル生活を終えたはずの夫が、再び出張で関西に2週間逆戻りとか、
(むしろ自宅にいる方がレアなのではと思えてきた)
そういうハプニングはありつつも、生後11カ月を過ぎた長男。
3月中旬に入院。
新しい自宅から国がんまでは1時間弱くらい。
機内持ち込みサイズのスーツケースをがらがら引いて、
抱っこ紐で入院できる楽さに感激(笑)
手術はまたもや朝一、1番目でした。
当初は、左右動注の予定でしたが、手術が終わり、回復室で主治医と会うと、
「左は前回の動注が効いているようで、レーザーだけにしておきました」
と、いい報告に、ひとまずほっとしました。
ただ、その後、一番聞きたくなかった説明が続きます。
「右眼は、やはり黄斑部から腫瘍が伸びて、視神経に被ってきています」
多分、これまで何百人もの患者にしてきたように、淡々と説明する主治医。
「前回の動注も、効果があったとは言いにくい。このまま視神経に被ってくるようであれば、摘出を勧めます」
前回の入院から嫌な予感はしていました。
でも実際にそれを告げられて、最初の感想は
「嘘でしょ」
でした。
だって、生後7日から治療して、温存確率は8割って言われてた。
毎月毎月、生まれてから1年間、小さい体で全身麻酔の手術に耐えてきた。
「早期発見なら予後はいい」って、どの文献にも書いてある。
生まれる前から治療の準備をしていた。
これ以上の早期発見なんてないでしょう。
なのになんで、摘出っていわれなきゃいけないの?
「動注はもう意味がないですか?」
「硝子体注入は?」
「アイソトープはできない所ですか?」
「冷凍凝固は届かないんですか?」
おそらく、何度も説明されたことを何度も繰り返し聞いたと思います。
返ってきた答えは、
「選べる治療法は、摘出するか、温存なら放射線、それしかありません」
でした。
さらに、
「放射線はできる。でも勧めません」
ともはっきり言われました。
これまでも、時折尋ねた放射線の可能性。
主治医が呪文のようにくりかえすので知っています。
照射部位に二次がんが発生する可能性がある、
骨の成長障害が起きる、
将来の二次がんの確率も上がる、
米国の統計では、1歳以下への照射はリスクが上がる…等々。
そんなの知っている。
ガイドラインも文献も何十回も読んだ。
骨の成長阻害なんて私が一番身をもって知っている。
放射線をせずに摘出したら、義眼は目立たない、といわれていて、最近の子は本当にきれいに入っていることもある。
私は、幸いにもいま二次がんにはなっていないけど、長男がならないとは限らない。
でも、今、摘出を選ぶなんて言えない。そんなの決められない。
黙り込む私達に、主治医が提案したのは、
4月上旬に外来で診察する。
そこで変化がなかったら(「多分ないと思いますけど」、と付け加えられたけれど)摘出手術をする。
予約はすぐに取れないので、4月下旬に摘出手術の予約を取っておく。
決して勧めないけれど、もし放射線をやるなら、放射線科を紹介します。
というものでした。
正直、かなりこちらを慮ってくれたのでは、と今振り返ると思います。
おそらく、突発性の患者の親であれば、即答で「摘出します」と答えるような、
そんな主治医の言い方でした。
医者は万能ではないけれど、
国内において抜群の経験があり、疾患を熟知している主治医が「勧める」と言われても、
それでも決断できませんでした。
●鼠径(そけい)出血
もはや、全身麻酔は慣れっこ、という訳ではないけれど。
今回もあっさり目を覚ました長男。
13時ごろには、水を飲み、乳にぶら下がり、パンとバナナも完食し、点滴も抜けて、プレイルームで遊んでいました。
午後、少し昼寝を挟んで、再びプレイルームへ。
夕食前に、スプーンやふりかけなどの夕食グッズを取りに病室に戻った時でした。
オムツも替えておこうと、ズボンを脱がせた瞬間、眼に入ったのは、
真っ赤に染まったオムツ。
その日の動注手術は左足の鼠径部(足の付け根)動脈を1cmほど切開していました。
傷口は縫わないので、手術日は傷口に対し直角に傷を閉じるテープを貼り、
その上から圧迫止血+防水テープで保護して過ごします。
いつもそれで、翌日には傷もふさがることが多かったのですが。
取りあえず反射的に傷口あたりを手で圧迫止血&「傷開きました」とナースコール。
ズボンに一切血はついておらず、出血した分だけオムツが吸収していました。
長男はけろっとしているし、顔色が悪そうということもない。
看護師さんたちがやってくるまでやけに冷静だった私。
ところが、わらわらとやってくる看護師さんズ。しかもベテラン勢。
(り今思うと,たまたま日勤と夜勤と引き継ぎの時間だったからだと思います(笑))
5人くらいばばばーっと集まってくれて、止血処置を変わってもらった瞬間に手が震えました。
あー怖かった。
再び圧迫止血をし、ほぼ出血は止まっていることを確認。
問題は出血量でしたが、ずっしり重いオムツの吸収するところ全てが真っ赤。
オムツの重量から推測するにも、尿もあるので、正確な出血量は分かりませんでした。
オムツは、手術後覚醒して尿管カテーテルを抜いた時に替えて以来、3時間ほど着用していました。
小児科の先生も来てくれて、協議の結果、
点滴後で尿量が多い時間帯なこと、長男が元気そうなことから、
体重比で出血量を仮定しても、輸血はなしでいいのでは、ということで、そのまま様子見となりました。
夜、手術を全て終えた主治医も様子を見に来てくれましたが、
「きちんと圧迫しなおしてあるし、大丈夫だと思います」と冷静沈着に対応。
外科処置は本来眼科の主治医の専門外というか、
切ること自体は担当外科医が執刀しているはずなのですが、
(一見無口で冷徹そうに見えて)こまめに様子を気に掛けてくれることがありがたかったです。
大事に至らずほっとしましたが、「オムツを替えておこう」と思って良かった、と心底思いました。
これまで、翌日になっても傷表面がパカッと開き、なかなか閉じない、ということはあっても、
それで出血をしたことはなかったし、誰かの傷が開いた、という話も聞いたことがないので、
あまり例は多くないのかもしれません。
ただ、傷口がオムツの中にあることは盲点でした。
プレイルームではつかまり立ちかハイハイ程度しかしておらず、これまでと違って激しく動いたということもなかったのですが、
それ以降の動注(主に左眼再発後)は、手術当日は夜中もオムツの中を確認する癖がついてしまいました。
金曜日に手術が終わり、翌月曜(通常退院日)が祝日だったため、特例的に日曜日に退院となりました。
1日だけ外泊して日曜朝に戻ってくるのもなぁということと、万が一また出血したら、とちょっと怖かったので、
土曜日は外出のみで病院に留まりました。
夫は手術日のみ、日帰りで出張から戻り、すぐに帰ってしまったので、
長男と2人で、
銀座にある老舗のおもちゃ屋さん「博品館」に抱っこ紐一つで歩いて行き、
いろんなおもちゃで大興奮する長男と遊びながら、
頭の中は「摘出か、放射線か」でいっぱいでした。