長男の過去の治療の話を追い付こうと思います。

時系列がごちゃごちゃのため、順を追って読まれる方は以下をご参照ください。

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3、長男の治療経過

これまでの過程はこちら

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前回はこちら
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※2016年6月~2017年3月までの両眼の局所治療中(眼動注など)の話です。

 
 
 

●インフルエンザ

 

2017年1月初旬の手術が終わり、関西の自宅に戻った約1週間後、

寒波で雪が積もった日の夜、長男が38.7度の発熱。

これまで風邪は引いてもほとんど熱は出ず、突発性発疹も経験していない長男。

 

嫌な予感と共に雪道を踏みしめながら小児科へ。

インフルエンザ陽性でした。

国がん退院5日後の初熱なので、新幹線でもらったにして発症が遅いですが。

解熱剤とタミフルを処方され、嘔吐と言うより咳き込んで吐いたりすることが続いたので

1日ほど離乳食はスキップ。

熱も2日間は夜39度前後まで上がりましたが、カロナール座薬で落ち着き、

日中は38度台でも元気そうだったため、使用せずにすみました。

服薬が早かったせいか、熱は3日目には下がり、食欲も復活。

咳や鼻が残りましたが、1週間ほどで元気になりました。

 

タミフルを乳幼児に使うのは賛否あるようですが、

そもそも、うちの子はすでに抗がん剤まで使わせてしまっている身です。

そう考えると、早く具合が良くなる方がいい、と割り切りました。

 

そして、長男初熱の翌日、私も39度台の発熱。

どっちみち咳が続いていたし、具合悪いし、受診する気にもならず、もういいや、と見ないふり。

この12月1月は、本当に阿鼻叫喚の日々でした(笑)

 

結局、0歳代でRSもインフルにもかからせてしまい、

私の管理が甘かったのか、移動が多いせいか、免疫が落ちているからなのか。

唯一の救いだったのが、入院治療と被らなかったこと。

特に2017年からは、さまざまな判断が週替わりで変わったので、

治療のスキップが方針の変更になりかねない状況でした。

 

よく頑張った長男に感謝です。

 

 

●2017年2月、左右眼動注6回目、左右レーザー

 

2017年2月、異動のため、夫は一足早く東京へ。

しかも、転居先の契約は3月からでした。つまり1カ月のホテル暮らし。

用事がいくつか残っているため、私と長男は関西に残り、

乳児と猫の相手をしながら、荷造りの日々。

 

1月末には、結婚式を挙げた料亭に3人で食事に行ったり、

お世話になった勤務先や知人に会いにいったり、

のんびりの長男はこの頃10カ月を過ぎたところ。

やっとハイハイ(ほぼずりばいに近い)からお座りができるようになったり、

自力でつかまり立ちし、伝い歩きをはじめた頃でした。

 

母が荷造りの手伝いに来てくれたりして、2月上旬に上京し、入院。

身長は71.5cm

体重は9.15kg

手術は1番目に戻りました。

 

実は、この時の入院、ほとんど記録をしていません。

育児日記で哺乳量や睡眠時間などはざっと記録をしてありますが、

所見や術後の経過は白紙です。

 

記憶の限りでは、冷凍凝固はしたけれど、右眼の腫瘍は残っている。

黄斑近くの腫瘍から、視神経の方に腫瘍が成長していっている、嫌な感じ。

今回の動注が聞くかひとまず様子見。

左眼は右よりましだけれど、まだ腫瘍が生きているので、次回も一応動注予定で、

といった感じだったと思います。

両目とも、次回も再び動注の予定となりました。

 

手術の日は東京にいる夫が来てくれました。

外泊時は実家で、出産した高校の友人と会って写真を撮ったり
退院日にはがんセンターから三越まで歩いて家族3人でランチ。

 

そうして楽しく過ごしながら、

生後まもなく確定診断されたころは、「眼球温存率8割」と言われていた。

腫瘍も2mmと3mm、普通に比べたら抜群に小さい時から治療をしている。

それなのに。

「本当に治療は終わるのかな」と、

少しずつ、不安がむくむくと頭ともたげだしていました。

 

 

●予防接種と引っ越し

 

動注1週間後、残っていたB型肝炎3回目と日本脳炎2回目を接種。

やっと、ここで、1歳までに打たなくてはいけない(日本脳炎は関西のみ)予防接種が打ち終わりました。

パズルのように入院と注射を組み合わせた私、よくやったと思う(自画自賛)

 

2月末、同僚の結婚式出席のため、夫が関西に一回帰宅し、

親子3人で出席した翌日、引っ越し(笑)

 

合間、母と義母が来てくれたから何とかなったものの、

今振り返ってもいろいろ強行スケジュールでした。

荷物を運び出される横で余裕でパッキングしてたし。

 

とにもかくにも、東京都民となり、

通院はしやすくなりました。

結果的に、この時期の異動には本当に助けられることになります。