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3、長男の治療経過

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※2016年3月~5月、生後7日~生後45日目までの全身化学療法(抗がん剤)治療中の話です。
 

過去ブログの更新が久々になってしまいました。

忘れる前に追いついておきたい!

なら、余計なこと書いて長文にしなきゃいいのに

 

 

 

●バラ・スカイツリー・ネオンサイン

 

次のクールまでの維持のためだけに管理をしていたIVRを抜くことになり。

 

 

生後1カ月検診は、退院の予定がなかったので、

生後28日の時点で、がんセンターの主治医K先生がさくっとしてくれていました。

 

が、次の日に結局IVRを抜くことになり、その翌日には連休に入ったため2泊3日の外泊。

 

思わぬことで、生後1カ月目の日を実家で迎えることになりました。

長男はすでに検診不要のため、私のみ産婦検診に。

結果、子宮の戻りはそこそこだが、悪露が残っており、子宮収縮剤が追加になりました。

まぁ、ずっと付き添いベッドで寝てるし、ああそうですか、という感じ。

(少し大きくなってからは入院時に長男のベッドで添い寝もしてますが、この頃は小さすぎて潰しそうでできなかった)

 

 

この頃、ホルモンのバランスもおかしかったのか、

夜中の授乳で起きると、寝汗でパジャマが全身びしょびしょで、寒くて震えながら授乳していた時期もありました。

 

 

今振り返ると、そういう自分の不調が余り気にならなかったというか。どうでもよかったというか。

 

 

 

日々、「私が出来ることはこの子の苦痛や不安を1秒でも減らし、母乳を与えること」という信念のみで、

黙々と過ごしていたように思います。

 

 

そのために隙間があれば10分でも睡眠を取るし、

ベッドサイドに2リットルのペットボトルをおいて、1日にそれを全部空けることを目標にしていました。

 

個室でこっそり食べたおにぎりや軽食、母が面会に来てくれて持ってきてくれたお弁当も、

食べたいとか食べたくないとか空腹かどうかではなく、「食事をして母乳を作ること」のためだけに、食べられるときに黙々と詰め込んでいた記憶があります。

 

 

2泊3日の外泊を終え、19時過ぎに、車で病院に戻りました。

 

点滴に気を取られることなく、自由に抱っこができて、庭でひなたぼっこもできる、

そんな環境で過ごせてしまったため、やはり憂鬱でした。

 

 

 

車中、チャイルドシートで大泣きしたため、仕方なく長男を膝に抱きながら、

 

 

「お昼に庭で咲いていたバラきれいだったねぇ」

「ほら、スカイツリー、見えるかなぁ」

「ネオンサインがいっぱいだねぇ、いつかあなたも、あんなビル街で買い物したり、ご飯食べたりするのかねぇ」

 

と、抱かれた途端すやすや眠りだした長男に、頭の中でぼんやり話しかけながら、ふと。

 

「妊娠中は、まさしく『一心同体』だったのに、
この子が生まれて、私とは別の1人の人間になってしまってからの方が、
私の中はこの子のことでいっぱいだなぁ」と。
そう思ったら泣けてきました。

 

闘病中の新生児、小さく生まれてNICUで頑張っている子がたくさんいるのを知っています。

でもやはり、産まれてたった1ヶ月で、こんなにたくさん辛い経験をさせて、かわいそうだなぁ、普通におうちでのんびり成長を見守りたいなぁという悔しさが身に沁みました。



今思うと完全に産後ホルモンのなせる技ですが(笑)

なぜか、あの日の車窓の風景はよく覚えています。

 



●PI挿入と閉塞

 

治療は産婦のノスタルジーを待ってくれません。

すでに2クール目の予定を過ぎていたため、実際一日でも早く治療をしてほしい。

 

 

翌日、GWに4日間休みをもらえた夫が始発でやってきました。

この日に2クール目の予定だったので、特別に面会時間より早く入れてもらい、沐浴をお手伝い。

 

 

今度は首のIVRではなく、PIを入れることになりました。

PIとは PICC(末梢挿入中心静脈カテーテル、peripherally inserted central catheter) のことだと思います(私調べ)。

 

手の甲から心臓の方の中心静脈まで30cmほど極細カテーテルを入れる処置でした。

首だと動きが活発で制御しにくくなったためだと思われます。

 

 

本当は12時くらいからの予定が、いつまで経っても呼ばれず、結局15時頃に処置室に。

1度目は、「針刺したときも寝てたよ」と言われたくらいすんなり終わりました。

 

その後、レントゲンで確認したところ、「カテーテルが心臓の中に入っている」とのことで、カテーテルを少し抜くことに。

 

はらはらしながら抜くのを見守り、再びレントゲンで見てもらうと、「やはり心臓の奥まで入っている」といわれて、再度処置室行き。

 

 

2度目はずっと泣き声が聞こえていたし、「心臓に入ってるってなにーーーー!!」という動揺で気が気じゃなかったです。

 

結局、点滴が落ち着いたのは17時ごろ。この日のVECは翌日に延期になりました。

 

 

 

19時までの面会時間も終わり、夫は近くのホテルへ。

その直後、10ml/h流していた点滴(生食)を、前のように2ml/hに変えたところ、点滴の閉塞エラーが頻繁に鳴るようになりました。

 

 

PIは腕の曲げ伸ばしで閉塞になりやすい、ということで、何度か角度を変えたり様子を見ても、やはり15分おきくらいにエラー音。

 

流量を増やしてもだめ、その後は生理食塩水を注射器で注入してみてもだめ。

 

 

その日、夜勤でエラーの度に対応してくれた看護師さんは、

「血栓ができて閉塞になっているなら、無理に押し出すと梗塞の原因になるから、やめた方がいい」と判断。

 

22時頃、帰宅後の主治医に連絡して了承を取ってくれました。

 

 

 

結局、体内のカテーテルは医師でなければ抜けないので、

手の甲からつながっていた外側の点滴のラインだけ全て外して、針は刺したままで翌朝を待つことに。

 

 

「血栓ができているかもしれないカテーテルをこのままにしておいて大丈夫なんだろうか」と、怖くて怖くて、その夜は、初めて長男のベッドで添い寝をしてすごしました。

 

 

空いている手で点滴を引っ張らないようにずっと手を握って、ぴったりくっついて息づかいを確認して、ほとんど眠れずに過ごしました。

 

 

 

 

こんなブログで上っ面だけのことを書いても仕方ないので。

 

言い方は非常に悪いですが、患者側の立場からの本音を書くと、この日の夜勤は「当たりの看護師さんで良かった」と思います。

 

 

夜勤や休日、日勤の日でも、対応する看護師さんの能力には差があります。

ベテランだから良い、というわけではなく、

 

新人の看護師さんでも、自分に出来ることとそうでないことを切り分けて判断を仰げる人もいれば、ベテランでも、慣れなのか、おざなりで素人目にもいい加減な対応をされることもあります。

 

経験よりも、その人の性格の問題なのかなぁとも思いますが。

 

 

この日の夜勤の看護師さんが、力任せに血栓を流そうとしたり、医師に電話をするのをためらって、対応が遅れていたら。

 

前回の出血からの点滴抜去がトラウマになっており、

点滴がだめになったことはショックでしたが、

このときの看護師さんの毅然とした対応に、少し安心していました。

 

 

 

どこの病院も慢性的な人不足で、看護師が多忙なことも分かっているし、社会人として、新人教育が必要なことも分かります。

 

でも、患者もその親も、「何十人いる患者の1人」ではなく、「1/1」として命がけで治療をしているので、誰が頼れるか、誰なら任せられるか、必死で見極めています。

 

 

だから、少しでも不安があれば、一歩踏み込んで確認するべきだと思っています。

例えそれが素人の誤解からくる失礼な質問であれば、まともな看護師や医師ならきちんと説明してくれるだろうし。

 

カルテで引き継ぎをして、ずっと経過を見ているわけではないため、

「プロだから理解しているだろう」と思っていても、実は把握していないということは良くありました。

担当看護師が変わる度に、何度でも同じことを説明することもありました。

 

 

特に子供は、自分のことを自分で説明できません。

それで安全な治療につながるなら、一番近くで見ている母親が躊躇せずにすべきだと思います。

 

 

 

 

疾患そのものではない、治療の過程から起こりうる危険、

そういうものを意識させられた日でした。

 

 

 

 

 

 

●再び治療延期。

 

結局、1日かかって入れたPIは翌日午前に抜くことに。

あんなに何度もやり直して痛い思いをしたのに。

 

この日から3日間は再び連休。

前日にVEC1日目が出来ていれば、この日に2日目の分の点滴をやる予定でしたが、

点滴の入れ直し&抗がん剤治療全てを、医師と看護師が少ない連休にはやるべきではない、となり、

全てが再び延期になりました。

 

 

連休明けまでやることがない、ということで、再び外泊の許可がおり、3泊4日で実家に帰ることに。

 

 

何も進展のない、ただ痛い思いだけをさせた2日間でした。

一秒でも早く治療して少しでもいい状態で治してあげたいのに。

焦燥感ばかりが募りました。

 

 

 

でも、夫が連休で来られていたことは不幸中の幸いで。

産院を退院してから、3日間も一緒にいられるのは初めてでした。

 

 

突然の外泊でバタバタ実家に戻った日。

 

 

治療も何もなかったみたいに、二人でひたすら長男を眺めて、写真をいっぱい撮って。

おむつを替えて、ミルクや母乳を飲ませて、リビングに置いたベビーベッドの横に二つ布団を敷いて、

初めて3人で寝ました。

 

 

ごくごく普通の当たり前ことが出来ず、何度も点滴を刺して痛い思いをさせて、生まれたての体に強い薬を使って。

それは全部私のせいなんだよな、と、リビングの天井を眺めながら、冷静に思いました。

 

 

 

 

外泊2日目。

病院にお見舞いに来るはずだった義両親が、実家に来て、初めてじじばば4人で長男を囲みました。

その間に1時間ほど夫婦で近所の公園まで散歩。

暑い日で、心配になって帰ると、

おしゃべりに夢中のじじばばに囲まれ、長男は汗だく。

(じじばばは「無責任にかわいがるだけ」とはよく言ったものです)

 

 

 

外泊3日目。

長男を母に預けて、再び産婦検診へ。

激混みの産院で3時間待ったあげく、ようやく「お風呂に浸かっていい」と許可がおりました。

産後はシャワーだけ、病院では本当に5分とかそのくらいで入っていたので、

本当に、本当に嬉しかった。

 

 

この日はこどもの日、一応初節句でしたが、

そもそも入院している予定だったし、本番は来年に、ということにして、

和紙で作った兜をかぶせて写真を撮るだけのお祝い。

 

 

治療の延期は喜ばしいことではないけれど、

結果、生後1カ月の写真も、プチ初節句の写真も実家で撮れて、

すっぽかすつもりだった産後検診も行けて、

その点でいえば、タイミングが良かったなぁと思っています。

 

 

 

翌日、早朝に病院に戻りました。

「新生児特別扱い」は終了で(笑)個室から大部屋に引っ越し。

1カ月弱過ごしたので大荷物で大変でした。

その日の午後から仕事だった夫は、その足で新幹線に。

 

これから退院までは、再び私1人での付き添いになりました。

長男は生後37日になっていました。