覚えていることはなるべく詳しく、と思っていたらとんでもなく長い。

けど、忘れてしまう感情もあると思うので、暇なときにおつきあいくださいませ。

 

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3、長男の治療経過

これまでの過程はこちら

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前回はこちら

3、生後8日目~:入院、検査、治療方針決定ー

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※2016年3月~5月、生後7日~生後45日目までの全身化学療法(抗がん剤)治療中の話です。

 

 

 

 

●生後9日目〜11日目

 

入院した翌日は金曜日。朝、入院したと聞いたのか、遺伝子外来の先生がわざわざ病室に様子を見に来てくれる。

臍帯血は届いた。発症してるので間違いはないかと思うが、あとはこちらで検査します。とのこと。

 

夜中1日繋いでいた抹消点滴は、「もういらないや」と、朝外れることに。

それなら昨夜外せば、と思ったけど、場合によっては土日も抗がん剤治療をする場合があるから、結果論なんだろうな。

 

その日はレントゲン、心電図、エコーなどの検査のみ。土日を挟むことから、治療は翌週に持ち越しになり、することがないので、その日の夕方から日曜の夜まで外泊の許可が出ました。

 

 

 

●生後12日目:IVR挿入

 

日曜夜に病院に戻り、あけて月曜日。

夫が1泊2日だけ休みで、日帰りで会いに来ました。

産院を退院した日に数時間抱っこしたぶりの「パパ抱っこ」。まだまだぎこちなくて笑える。

 

 

 

10時以降母乳とミルクNGでグズグズするのをなだめながら、13時からIVRの手術でした。

IVRは鎖骨下静脈経由中心静脈カテーテル挿入留置、とメモしてある。

 

治療が週明けになった理由の一つが、新生児に対応した極細カテーテルを取り寄せる必要があったからのようです。

 

通常、抗がん剤を長期にやる場合はCV(中心静脈)ポート、と呼ばれる、皮下に埋め込む形のカテーテルを用いることが多いです。クールとクールの合間の家にいる間も防水テープなどで覆ってそのままにしている子も多かったです。

 

 

おそらく長男はクール数が短いと推測されていたこと、新生児で血管が細いなどの理由でポートは使用しませんでした。

 

眠くなるシロップ(トリクロかなぁ)を飲んだものの、パッチリ目を開けたまま処置室に消えた長男。

1時間ほどして戻って来た時はスヤスヤ眠っており、「麻酔を使わずにいい血管に入ったよー」と言われました。

 

 

鎖骨、とありますが、実際カテーテルは右首の付け根に挿入されていました。カテーテルが細すぎて縫い止めるなどの処置ができず、本当にただ入ってテープで固定されてるだけ。

なので、そこから耳をぐるっと一周させて余剰を持たせて再び固定し、挿入部から頬にかけて防水テープで広めに止めてから、点滴につながっていました。

 

 

ずっと後に夫が、「あの姿を見た瞬間のショックは忘れられないなぁ」と呟いたことがあります。

 

まだフニャフニャで、本来なら、真綿にくるむように愛情と慈しみだけを一身に受けている頃です。

 

治療法を事前に調べていたとはいえ、

「新生児からの治療=首から伸びるカテーテル」

は頭の中で繋がっていたわけではなく、その姿は衝撃的でした。

 

 

入院中、結構な数の写真を夫や両実家に送っていますが、私が撮った写真は、挿入部はおろか、テープで止めてある部分や点滴すらほとんど写り込まないように撮影しています。

今思うと、記録のために撮っておくべきだった気もしますが、やはり、写すことに相当抵抗があったのだと思います。

 

 

さらに、主治医のK先生から

「普通なら投与後は家に帰るんだけど、まだ小さいし、次のクールまで経過観察しながら入院かも」

と、さらっと言われる。

私的には先ほどに続いて結構な衝撃、第2波。

ただ、IVRは2クール目までこのまま付けっぱなしと聞き、それは自宅では無理だ…とも思いました。

 

ポートと違ってヘパリン(血液凝固でカテーテルが詰まるのを防ぐ薬)などでロックして完全に点滴が外れるならばまだいいけれど、

縫ってもいない、テープで止まっただけ。しかもよく動く首の付け根、下手したら本人の手が隙間に入り込んで引っ張っちゃいそうな危うい場所。

これのキープは病院じゃなきゃ無理だ、と悟りました。

 

 

そして、この後2クールが終わるまでの約45日間、ひたすら入院生活になるわけですが、想像した通り、このIVRなど(結局何度も入れ直してる)カテーテルの維持に一番苦労しました。

 

 

 その日から夕方の沐浴は、IVRのラインが濡れないよう持つ人、グラングランの頭を支えながら挿入部を水濡れから回避する人、洗う人、の3人体制でした。

ノーマル沐浴すらまだ慣れておらず、看護師さんを巻き込んで大騒ぎ。

 

その時にとても手際良く、丁寧に手伝ってくださった看護師さん(今もお世話になってる)にすごく感謝しています。

どうしたら長男が一番楽か、痛くないか、親の負担が少ないか、常に最大限配慮して、先回りして対応してくれる素敵な看護師さんです。

 

その看護師さんが、夜「首のラインを触ってしまわないように」と、

包帯用のネットで、帽子…というか、マスク?を作ってくれました。

私が器用ならチクチク縫うんですけどね。自分不器用で。

タラコのような、こびとづかんのカクレモモジリのような。このアイデアのおかげで、入院生活が少し楽になりました。

 

このタラコ、やがて他の看護師さん達も作ってくれるようになり、進化していきます(笑)

 

 

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※点滴のラインは足元から出しています。

 

 

 

 

 

 

 

その後も、看護師さん達の細かな心遣いに助けられたことが何度もあります。
反対にある看護師さんの処置は信頼できない、と抗議したこともありました。
 
医療従事者も人です。間違えることも疲れていることも、性格的に合わないこともあります。
でも、信頼出来る人は割とすぐ分かる気もします。
お客様ではなく患者。医師ではなく看護師。距離の取り方は難しいですが、多忙な中、献身的な姿にはいつも頭が下がります。
 
 
 
●大泣き
夕方、夫がホテルに帰る前に少しだけ長男を母に任せ、一階のコンビニにご飯を買いに出かけました。
実父母は度々病院に見舞いに来てくれ、特に母は私の体調も気遣い、本当に色々支えてもらっていました。
 
が、やはり、30数年前に私の疾患で告知を受け、辛い思いを味わった親に、その傷をなぞるように同じ経験をさせている、という思いがあり、親の前では気を張っていたのだと思います。
 
 
治療が始まって初めて夫と2人きりになったこともあり、病室を出た瞬間に突然涙が止まらなくなりました。
階下に降りるエレベーターで大号泣。
夫は、遺伝子検査の結果が出た日と同じく、ひたすら背中を撫でてくれましたが、夫自身も泣いていました。
 
出会ってから、夫が泣いたのを見たのはこれが初めてでした。
 
 
がんセンターに入院した直後、KY気味な実父が、「〇〇君(夫)とご両親に申し訳ない。謝らなくては」と呟いて、私が激怒して病室から追い出したことがありました。
父は、特に深い意味はなく、「娘が病気になったのは我々親のせい。孫に遺伝したのもそれが原因」という意味で謝りたいと言ったのだと思います。
 
その時の私には、「健康な子どもを産めなかった娘で申し訳ない」に聞こえました。
そして父は、私たちが遺伝を知った上で出産したことを知りません。(私が言ってないからなんだけど)
 
夫が全て受け入れた上で長男を迎えてくれたことを知りもせず、謝りたいなんて夫に失礼だ、と、その時の私は思っていました。
 
でもやはり、この病気を夫と子どもに抱えさせているのは他でもない私のせいで、「ごめんなさい」という思いはずっと胸にありました。
天邪鬼な私はそれを夫に伝えられたことがありません。
 
 
大泣きする私のそばで、静かに泣きながら夫が繰り返していたのは、
「全部半分個だから」
という言葉でした。
 
嬉しいことも、辛いことも、全部、半分個。
 
私が抱えている自責の念も、持って行きようのない怒りや悲しみも、受け止めてくれていたのだと思います。多分、多分ね(笑)本人に聞いてないし。
 
 
早く、病気の憂いなく、3人で出かけたいなぁと思いました。
そして、私ももっと強くならなくては、と、自らに言い聞かせた日でした。