4月15日、
豊川稲荷の境内で僕がハッとした、
潤いに満ちた美しい森。
その光景とオーバーラップしたのは
カトリック主税町教会の庭園でした。
そして実際に訪れてみて
僕はふたたびハッとしたのです。(゜ロ゜;)!!
美しいと感じたその源泉に
マリアさまがいらっしゃったからです。
そこにはマリアさまの
確かなお導きと愛がありました。
庭園の一角には
藤の花が満開に咲いていて
その薄紫の色彩と甘い香りに
止め処なく愛おしさが溢れました。
ところでこの日、
僕が断食をしていたのには訳がありました。
今からおよそ2000年前のこの日、
イエス・キリストは十字架に架けられ
人間の一切の罪を
背負われて天に召されました。
時刻は15時頃だったそうです。
ちょうどそのことを
前日に名古屋のYKさんからお聞きして、
せめてその時刻まで食を断って
イエス・キリストの御心に
想いを寄せたいと思ったのです。
とは言え、豊川稲荷の境内で
マリアさまがカラスを
お遣わしにならなければ
僕がこの日、こちらの教会に
来ることはなかっただろうと思います。
例え雨が降っていても
雲の上には青空が広がっていることを
どんな時も感じられるように、
今、僕の感じている愛は
とても宇宙的で圧倒的なものです。
14時半を少し過ぎた頃だったでしょうか。
僕が聖堂に入ると、
誰方もいらっしゃいませんでした。
そのおかげでイエス・キリストが
天に召されたその時刻まで
とても敬虔な時間を
過ごすことができました。
そうして気付いたのです。
これまで圧倒的という言葉でしか
表現することのできなかった
自分の感じている愛が、
真っ直ぐに創造主と
繋がっているものであったことに。
それはこれまで多くの
山や神社の神様とお会いしてきた中で、
自分の内なる世界に
次第に浮き彫りとなっていった
愛の輪郭のようなものでもありました。
この日、およそ2000年の時を超えて
イエス・キリストは
そのことを僕に教えてくださったのです。
イエス、十字架の上に死に給う
このことが僕たちに
訴えかけてくるメッセージとは
どのようなものでしょうか。
『ノートルダム』
僕はこの曲の中に
その答えとなるメッセージを感じています。
松任谷由実さんの歌うその曲は、
篩(ふるい)とシャッフルの嵐が
吹き荒れるコロナ禍において
自分を奮い立たせてくれる応援歌でした。
歩き出そう
歩いてゆこう
歩き出そう
父と子と精霊の名において
必要とされる方に必要なメッセージが
降ろされますように。
霊(たましい)が愛によって癒され、
愛によって励まされますように。
そしてこの翌日、
僕は聖書の言葉の中に
創造主より贈られていたギフトを見付けて
霊(たましい)が
大きく揺さぶられることになりました。
そのお話はまた次回に。(◍´ಲ`◍)
松任谷由実 / ノートルダム