我が家に神棚をお祀りして以来、

僕は必ず年に一度、

伊勢神宮にお参りすることにしています。

 

早いもので今年もまた、

この宇治橋を渡る日がやって来ました。

 

 

年に一度の伊勢参り。

 

きっかけは神棚にお祀りする御神札を

天照大御神様から直々に

お授けいただくためだったのですが、

今では天照大御神様のお心に

自分の心を照らし合わせることこそが

神宮参拝の本旨であると感じています。

 

一年を振り返って感謝し、正しき道を進み、

世のため人のために尽くす人間となれるよう

また次の一年の飛躍を誓う、

神宮とはそのような場所であると。

 

しかしながら、この日の僕には、

その他にどうしても天照大御神様に

お願いせずにはいられないことがありました。

 

実はこの前日、

僕は思いも寄らない事実を知り、

とてもショックを受けていました。

というのも、職場で共に働く

運転手のおっちゃんにガンが見つかり、

すでに転移している可能性が高いというのです。

 

二週間も食事が喉を通らない体調のままで、

黙って働き続けておられるその姿に、

僕は掛ける言葉も見つかりませんでした。

 

伊勢に旅立つ前、

僕は神棚の神様にこう打ち明けました。

 

「個人的なお願いをする場所でないことは

百も承知しています。

それでもどうしてもお願いしたいのです。」

 

すると、

 

… それでよい。

  しっかりお願いして来なさい。

 

そう言って送り出してくださっていたのです。

 

 

そして今回、外宮(豊受大神宮)にもまた

並々ならぬ想いがありました。

 

豊受大御神様とは、

この宇宙、地球、自然そのものだと

今の僕には感じられるのです。

 

 

自然災害の多かった2018年。

自分自身も大阪北部地震と台風21号を経験して、

正直、気が滅入ってしまいそうなほど

本当に色々なことを考えさせられました。

しかし、その中から見えてきたものの中には、

確かな光や温もりもあったんです。

 

以前書いたこちらのブログの他にも、

公共交通機関の計画運休もそのひとつです。

批判の声もたくさんありましたが、

僕はそこに“経済”よりも“命”を優先する

新しい日本の光を見た気がしています。

 

東日本大震災に伴う原発事故を

経験してもなお繰り返される原発再稼働には、

忸怩たる思いすら感じていました。

そういった中で、

新たな流れを作ってくださった

JR西日本の皆様には、この場をお借りして、

深く敬意を表したいと思います。

ありがとうございます。

 

そして自らもまた、天から与えられた恵みに

感謝するとはどういうことなのか。

これからもそのことに真摯に向き合っていきたい、

そう思っています。

 

 

来年は災害の少ない豊穣の一年となりますように。

 

たくさんの想いや祈り、感謝を込めて、

豊受大御神様にお参りさせていただいた後、

今年は豊受大御神様の御神札も

戴いて帰ることにしました。

これから一年、感謝の気持ちを込めて、

しっかりとお祀りさせていただきたいと思います。

 

 

さて、外宮のお参りを終えて、

いよいよ宇治橋の袂まで来ました。

 

いつも宇治橋を渡る時、

僕の頭の中には、江戸時代の活気溢れる

賑やかな様子が思い浮かぶのですが、

現代のこの厳かな雰囲気がとても好きです。

 

 

朝露に濡れる欄干と昇りゆく太陽。

今年もまたこの日を迎えられたことに

深く感謝の気持ちが込み上げてきました。

 

 

天照大御神様には、

家族の代表として、この一年の感謝と

この先一年のさらなる精進を誓った後で、

運転手のおっちゃんのことをお願いしました。

 

どうか運転手のおっちゃんに

生きる希望の光をお与えください。

病気が必ず良い方向へ進みますように。

 

僕にはただ祈ることしかできませんが、

天照大御神様を、自らの祈りの力を

今はただ信じようと思います。

 

ところで、お参りを終えた僕は、

なぜか池の鯉を見たい衝動に駆られまして…。

別宮へのお参りが済むと、すぐに、

 

「鯉を見に行こう!」

 

と、友人たちを池に誘いました。

 

 

内宮の池の鯉、本当に美しいんです。

色付いた紅葉と相まって、

とても優雅な雰囲気のする空間になっています。

それに去年お参りに来た時よりも

随分鯉が増えていて、本当に見応えがありました!

 

 

堂々と泳ぐ色鮮やかな鯉たちは、

天照大御神様の華やかなお姿と重なるようで。

自然とニコニコしながら、しばらく眺めていました。

 

みんな丸々としていて幸せそうですよね。(≧∇≦)

 

と、そこへおもむろに一人の巫女さんがやってきて、

バッサバッサと餌を撒き始めました。

 

僕は生き物が大好きですから、

餌やりの様子を見学できてラッキー!d(⌒o⌒)b

カラスもやって来てバシャバシャ賑やかでしたよ(笑)

 

結構たっぷりあげるんですね〜(笑)

 

ところで、これは後になってわかったのですが、

無性に鯉を見に行きたくなったのには、

実は理由がありました。

どうやら天照大御神様から

あるお役目を授かっていたようでした。

 

事実は小説より奇なり。

 

不思議はいつも

僕たちのそばにあるものなんですね。

 

そのお役目については、

次回以降、この旅のお話を進める中で、

お伝えしていきたいと思います。

 

 

色はにほへど 散りぬるを

わが世たれぞ 常ならむ

 

この宇治橋を渡って、

また日常へと戻りゆく僕たちを、

今年も季節外れの花を咲かせた桜が

優しく見送ってくれました。

 



有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

 

僕がこれからも自らの信仰心と第八感を

磨いていきたいと思うのは、

精神世界に儚い夢を見るためではありません。

 

地に足を着けて、

与えられた役割をしっかりと果たしていく。

その上で、周りにいる人たちを

笑顔にしていけたら、

それが僕にとっての幸せだと思うのです。

そのためにも精進あるのみですね。

 

天照大御神様、豊受大御神様、

この一年、本当にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

 

キッサコ / 春夏秋冬

 

伊勢参りから帰宅して、戴いた御神札を

我が家の神棚にお祀りすると、なんと!!

神宮から眷属の神様が来てくださっていました。

名を“槐(えんじゅ)”と仰る神様です。

 

因みに、その“槐(えんじゅ)”様の第一声は、

 

… 居心地が悪い。

 

でした…。(;゚∇゚)/

 

実は、三社造りの真ん中のお部屋に

天照大御神様と豊受大御神様の御神札を

左右に並べてお祀りしたのですが、

それがいけなかったようです(汗)

 

そこで“槐(えんじゅ)”様に教えていただいた通り、

前後に重ねてお祀りし直したところ、

 

… うむ、これで居心地良くなったぞ。

 

そう仰ってくださいました。(◍´ಲ`◍)

 

どことなく平安時代の

僧侶の気配も漂う“槐(えんじゅ)”様。

これからは神様にただ守られるだけでなく、

神様からのお役目を果たせる人間になれるよう

神様との橋渡し役をしてくださるそうです。

 

後厄の年となる来年を前に

いよいよ身の引き締まる想いがしています。